220、人質立てこもり事件の現場から
――【人質立てこもり事件の現場から】
俺たちはただ、もっとなんか、違うことを……いい感じのことがしたかっただけだ。
いい感じってのは――「熱い人生を生きたい」とか、「漫画みたいに主役になりたい」とか、そんなガキみたいな願望だ。
テレビ業界に入ったのも、最初は純粋な憧れだった。
「視聴者に夢を届ける」だの、「世の中を動かす番組を作る」だの、青臭いことを考えてた。
けど、入社して一年、二年。
仕事に慣れてくると、思う。
俺たちはただの会社員だ。組織の歯車だ。
漫画とは違う。
そんな日々に鬱屈してた俺たちは、去年見た「解放区放送」とかいうやつに憧れてた。
ガキどもが仲間と学校に立てこもって、自分たちの言いたいことを垂れ流してたやつ。
大人に反抗する彼らは、まるで映画の主人公みたいに輝いて見えた。
「俺たちもクーデターしようぜ」
同期の仲間と、冗談みたいに言い合った。もちろん、本気じゃなかった。
そんな度胸もねぇし、俺たちは結局、日々の仕事に埋もれていくだけの存在だった。
でも、その「冗談」は、いつの間にか現実になっていた。
──きっかけは、飲み会だった。
その日、いつものように会社の愚痴を言いながら飲んでいた俺たちのテーブルに、港区女子みたいな雰囲気の女たちが混ざってきた。誰かの知り合いだと言われた気がする。まあ、よくあることだ。
彼女たちは綺麗な顔して、楽しそうに笑って、俺たちの話を興味深そうに聞いてくれる。
「業界を変えようなんて、すごーい! かっこいい!」
甘ったるい声。いい匂い。胸がでかい。
女は俺の腕をポンと叩いて、うるうるした目で見つめてきた。
「私の友だち、テレビ局の偉い人にひどいことされたんだって……」
他の女も同期の男にしなだれかかり、煽るように言う。
「そんなの許せないよね?」
胸が押し付けられている。柔らかい。あたたかい。脳が蕩ける。
「もし戦うなら、私、応援しちゃうなぁ♡」
うひょぉ、この軽いノリ、たまんねえ。
遊び好きの女の子最高!
……いや、待てよ。
女には気をつけろって上司に散々言われてたじゃねえか。特に最近は相手を炎上させて稼ぐ荒っぽい商売もあるらしい。炎上中の社員なんてカモだ。燃やしやすいんだから。
だけど、目の前の女の子、可愛いんだよ。めっちゃ可愛い。
俺たちみたいな社会の底辺にいる奴らを「すごい」って持ち上げてくれるんだぜ?
お金ほしいならあげるよ、だっておっぱいがやーわらかいんだもん。
うひひひひ。今夜は俺の股間が火を噴くぜ。
「……やるか?」
おう、ヤるともさ。
ヤってヤってヤりまくる!
「ヤろう!」
その一言で、何かが狂い始めた。
気づいたら、俺たちは「世直し団」とかいう訳のわからないグループの一員になっていた。
テレビ局の内部にやべー連中を手引きして、「あれ? 俺たちやべーことしてないか?」と思っても、もう「やっぱやめない?」なんて言える空気じゃない。
味方がまた変な奴ばっかりで、正義厨YouTuberがコラボしてて、全員のリスナーも取り巻きとして団結しててさ。刃物持ってたり手作りの爆弾っぽいのもあった。怖すぎ。
この正義厨集団がどこから湧いたかというと、女の子が連れてきた。
……どゆこと? 美人局?
よくわからないまま、テレビ局はあっという間に占拠完了した。
世直し団は上層部を人質にとった。おいおいおい。
だめなやつ。犯罪。絶対だめなことしてる。でもね、だれも「それだめだろ」とか言わねえの。
「すごい正しいことをやってるぜ! キラキラ☆」みたいな正義ヅラしてんの。
しかも、「遊撃チーム」とか名乗るやつらが、「悪い」やつらを襲撃し始めた。
「今こそ革命の時だ!」
「俺たちが世の中を変えるんだ!」
いやいやいや。あほか。もう完全に犯罪者じゃん。
人質がさあ~、じいさんたちでさあ~、そろそろ健康状態やばいんだなぁ。
過激派がさあ~、どっかの役員の家に火をつけたとか誇ってたんだよなぁ。
ベランダ生活してるダサい監督を狩ってやったとか。
家から赤ちゃん抱っこした役員の妻が出てきたから「お前の夫が悪い!」って言ってやったとか……。
──やばくね?
しかもさあ、クラッカーだかハッカーだかが最悪の映像を垂れ流してんの。
そんで、世直し団が「あれ? 俺たちってもしかして捨て駒みたいなやつじゃね?」とか言い出してんの。
あっははは……わ、笑えない。
世直し団は大騒ぎだ。
冷静になって自分たちがやばいと気付いた奴。
現実を拒絶して「いいや! 俺たちは正義なんだ! 世界帝国の王になるのは俺だ! なんなら将来は火星の王になる!」なんて血走った目で吠える奴。
あーあーあー、カオス。
はっきりしていることは、全員が正義気取りで人生の道を大きく踏み外して、取り返しがつかないってことだ。
もう、後戻りできない。
終わった……俺の人生。
涙が出た。
もう、オワタ。
ど、どうしていいかわかんねえ……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
1、テレビ局に火臣恭彦が現れた。
2、映像がブラックアウトした。
3、セバスチャン(マーカス)が派手にサイバーテロをして犯行声明文を画面に映した。
経緯としては以上だ。
正直、わけがわからない。特にセバスチャン。あの悪魔。
そんな状況下で、私たち撮影チームは休憩タイムを迎えた。
だって、画面という画面が全部セバスチャンの流すメッセージ表示しかされなくなって、撮影どころじゃなくなっちゃったんだもん。
今はみんなで画面を見守りながら緑茶を啜っている。
暢気なような、緊迫しているような、なんともいえない変な空気だ。
「よかった。暴動などは起きてませんね」
「あっ。田中先生。お疲れ様です」
緑茶特有の渋みを味わっていると、担任の田中勝利先生がやってきた。
お疲れ気味の顔色を見ると、「教師の仕事が大変で辞める先生が続出している」というニュースを思い出す。
特にこの中学校って大変そうだよね。
生徒たちは親がすごかったり癖が強かったりするし。
撮影したり見物人がいっぱい来てたり……たぶん問い合わせやクレームの電話も日頃からいっぱいあるんだろうな。
「田中先生、お茶をどうぞ」
「ありがとう……」
急須に手を伸ばすと、西園寺麗華が紙コップを取ってきた。
気が利くお姉さんだ。
「田中さん。先生やってるってお聞きしましたけど王司ちゃんの先生だったんですね。わあ、びっくり……!」
「あっ、西園寺さん。どうも……」
おや、お二人はお知り合い?
お茶を注ぎながら視線で問いかけると、二人は「江良九足のファンが集まる非公式ファンコミュの仲間だった」「ディスコードで江良語りをしていてオフ会もした仲」と教えてくれた。
へえ、世間は狭いというけど、意外なところで縁が繋がっているものなんだなぁ……。
ところで、「江良九足のファンが集まる非公式ファンコミュ」とか「ディスコード」って田中君のブログにもあった気がする。
あれって……。
「あっ。画面に変化が起きましたよ」
「なにか映った!」
おや、セバスチャンが画面に変な映像を流しているみたいだ。
なにかな、これは?
……会議室?
そこには、スーツ姿の政治家たちがずらりと並び、対面には海外の企業家らしき人物たちが座っていた。
彼らは難しい表情を浮かべながら、何かを話し合っている。ふーむ?
「計画は順調に進んでいるのか?」
「問題なく。言論統制は既にSNSを中心に強化中です」
通訳を介した会話だ。
セバスチャンは字幕も付けてくれている。親切だな。
「税制改革も下地はできた。国民の反発は当然だが、経済的に圧力をかければ自然と従う」
「英語教育の義務化と、日本語の使用制限。10年、20年後には実質、英語がこの国の共通語になるでしょう」
「外国人居住者の増加と、混血推奨のプロモーション。避妊税を導入。一定年齢以上の未出産者に税負担増。職業婦人による代理出産業を国家事業として推進。国による育児代行事業の拡大」
「子持ちヒーローや子育て感動物語といったプロパガンダアニメや漫画を長期的に流行させることでの価値観の刷り込みを企画中です」
「第三次世界大戦が起きた後が本番だ。世界統一政府の礎を築く。その混乱の中で、日本という国は消える」
えぐいことを話している気がする。
あれえ? ドッキリかなあ? おじさんたち、映画やドラマに出演したのかなあ?
でもセバスチャンがクラッキングして流してるんだから、なんだかすっごくガチっぽいんだよなあ……。
誰かが「歴史的な変革ですな」と重々しく呟く声が、生々しい。
「メディアの操作は?」
「問題ありません。SNS運営会社は言論操作に協力的です。すでに、オールドメディアと記者への不信により、二機関が何を報道しても真実は信用されにくい状態です。不祥事はどんどん用意できるので、我々はいくらでも国民の注意を逸らせます」
「お前、あの記者の動きは抑えたか? 政府の計画を嗅ぎつけていたが」
「心配ない。あの記者はコタツ記事に夢中だ」
画面が再び黒く塗りつぶされ、赤い文字が表示される。
『彼らは嘘をつき、あなたたちを欺いているのです――ディストピアに生きる健気な人間の皆様へ』
――映像が終わった。
映像は、ハッキングの前の状態に戻っていた。
「……」
周囲は静寂に包まれる。
誰もが言葉を失い、緑茶を啜る音さえもない。
いや、お茶どころじゃないよね。うん。みんな今のどう思った?
なんかすごいこと言ってたよね、コメントに困るよね。
やがて、誰かが呟いた。
「……今の、なに?」
「なんだろう……」
ドッキリ――じゃ、なんだろうなあ。
たまにネットで「あたおか」とか言われてる陰謀論が形になって見せられた感じ。
あれって、円城寺誉のお父さんも注意喚起して白眼視されてた気がする……。
元に戻った画面には、火臣恭彦があぐらをかいて地面に座っている映像が映っていた。
手にはスマホがある。ハッキングされた画面を見ていたのかもしれない。
おにいさーん。今のお気持ちをひとこと。
妹は困惑していまーす。お兄さんはどうですかー。
伝わるはずもない念を送っていると、兄は口を開いた。
『今のが、どういうことなのか俺にはわかりませんが……』
恭彦は煌めく金髪をさらりと揺らして顔を上げ、片手で前髪をくしゃりと乱した。
アップで映されたその姿は、極上の美男子ぶりだ。
周囲からは恍惚とした溜息がこぼれ、解放区の配信画面にもコメントが湧く。
:恭彦君イケメン
:画面が戻った
:撮影やめてる
:さっきの映像はなんだったん?
:ドッキリ?
:怖かった~~!
:配信だけじゃなくて街頭の巨大ビジョンもやられてたぞ
:自宅のパソコンとテレビも同じ状態でした
「二俣さん。こちらは撮影を中止していますし、あっちの映像……ワイプを大きくして私たちの画面を小さくするのってできますか?」
思いついてきいてみると、海賊部はリクエストに応えてくれた。
大きくなったテレビ局と現地にいる人々の映像。
その中で主役然とした雰囲気を纏った火臣恭彦は、 建物の中に向かって呼びかけた。
『あなたたちは、さっきの変な映像をご覧になりましたか? 俺が思うに、なんか……いろいろ、利用されてるんじゃないですかね……?』
ふわっとした言い方だけど言いたいことはわかる。
『ちなみに俺、御社の採用HPとかインタビューに掲載されていたみなさんのコメント、覚えてきました』
……ほう?
恭彦は、暗記してきたコメントをそらんじてみせた。
『小さい頃からテレビが大好きで、いつか自分も人を感動させる作品を作りたいと思っていました!』
—バラエティ番組制作志望
『報道の力で、世の中を動かしたい。真実を伝えることで社会をより良くしたい』
—報道志望
『ドラマが大好きで、いつか自分の企画が映像化されるのが夢でした!』
—ドラマ制作志望
『音楽番組を観て育ちました。今度は私が、新しい音楽を届ける番を迎えたいです!』
—音楽番組ディレクター志望
『アニメの力を信じています。日本のアニメを世界に届ける仕事がしたい!』
—アニメ制作志望
『テレビは人を笑わせたり、泣かせたり、いろんな感情を生むことができる魔法の箱だと思っています。その魔法を支える仕事がしたい』
—番組プロデューサー志望
『地方に住んでいた頃、テレビを通じて世界を知ることができました。今度は、自分が世界を伝える側になりたいです!』
—ドキュメンタリー制作志望
『スポーツの感動をリアルタイムで届ける仕事がしたい! 選手の想いを伝える放送を作りたい!』
—スポーツ番組制作志望
『世の中の「当たり前」を疑う報道をしたい。視聴者に新たな視点を届けるのが目標です』
—ジャーナリスト志望
きらきらした言葉を順番に読み上げる声は、聞き取りやすくて柔らかい。
思い出すのは、出会ったばかりの頃に私が誘って一緒に演じたパペットの即興劇。
ウサギのお兄さんの声だ。
あの頃と比べると、各段に上手くなった――感情表現が豊かで、業界に憧れ、志望する熱い気持ちに、強く共感できる。
『あなたがこの会社に入ったとき、どんな夢を持っていましたか? いい作品を作りたい。人々に感動を届けたい。汗を流し、大変な苦労をしながら番組制作しているチームの一員になりたい。誇りを持てる仕事がしたい。そう思っていたはずです……それが、どうして……』
建物の中にいる若手社員たちの初心を読み上げた恭彦は、悲しそうに声を揺らした。
これは、彼がたまに見せる「雨に濡れたチワワ」とは違う悲しみだ。
手を差し伸べたくなる感じではない。けれど、胸が痛む。
『それが、どうして……汗を流し、大変な苦労をしながら番組制作しているチームの妨害をして、いい作品だと視聴者に喜ばれて続きを待望されている作品の放送を邪魔しているのでしょうか』
下手すると「説教」と反発されそうにも思える内容。
でも、ゆったりとした優しい声は「純粋に疑問」というような気配が強くて、無性に「自分が間違ってしまった」という気分になる。
……右の道に行こうとしていたのに、気づいたら左の道にいる。
そんな気付きを得て、ハッとさせられるような。
『でも……お気持ちはわかる、と思います。だって、今の世の中って、正しいことがなにか、わからない。みんながワーッとこれは悪だとか、これが正義だとか叫んで、その勢いで引っ張られるんだ。みんな良い人でいたい、正義の側でいたいから、マルバツクイズみたいに「こっちが正解」って多数派が大騒ぎしていたら「そうかも」ってなるんだ……』
言葉が、映像越しに人々の心に染み込んでいく。
映像越しの当事者ではない私でも謎の罪悪感を抱いて「そうだな」としんみりしているのだから、立てこもり中の若手社員はさぞ心に響いたことだろう。
……ほら、社員たちが建物から出てきた。
ひとり、またひとり。
機材を抱えたYouTuberもいる。それに、蒼白い顔色で疲弊した様子の人質も……!
すごいぞ、無血開城だ。お手柄じゃないか?
『みなさん、自主的に出てきてくださってありがとうございます。仲間と一緒に、健全に働いて、良い作品を作りたかった……。それが、あなたたちの本当の想いではありませんか?』
その言葉に、若手社員たちはすすり泣き、うなずく。
本来、下積みを何年も経て業界の仕事に慣れ、経験を積みながら出世していく予定だったエリート若手たちだ。
彼らの顔は、「取り返しのつかないことをした」という自分への後悔で彩られていた。
『残りは、ま、まだ建物の中に……たぶん、どうしたらいいか……わからないって……み、みんな、そそのかされて。酒の席で……女とかに……歴史に残る偉業ができる、選ばれた立場だ、すごい、格好いいって……』
あっ。まだ建物の中にいるんだ……。
人質も残ってるのかな? 全員、解放された?
具合悪くなってる人とか、いないかな?
心配しながら見ていると、建物の上層に人影が見えた。
あれ? 大丈夫?
なんか、窓枠に足をかけて飛び降りそうな姿勢だよ。
――――飛び降りるなよ?
『おい、あれ見ろ』
『キャーーーッ!』
やばい雰囲気に気付いて悲鳴が響く現場に、恭彦の声が齎された。
『詰んだ。とか、もうだめだ、とか。死にたいって思うときって、ありますよね。俺もよく、穴を掘って消えてしまいたくなるんです』
……お、落ち着いている。
いつも思うけど、なんだこの変な感化能力は。
死にたいと思ったことがない私の心に「そうなんだよ」という強い共感が湧いてくる。
『でも、俺、よく思うんです。死んだらこんなに辛くて悩んでる俺の全部、無になるんだなって。それが怖くて、寂しいんだ。それに、俺の知り合いはみんな優しいから、俺が死んだら悲しむ。辛い想いもさせてしまう。俺は、自分の死を悲しんでくれるみんなを想像するとちょっと気持ちよくなってしまうクズなんだけど、申し訳なく思う気持ちも強くて、だめだって思って……それに、放送中のアニメや連載追いかけてる漫画の続きも気になる……』
おい、最後はなんだ。
でもわかる。わかると思ってしまう。
建物の上層で身投げしそうになっていた人も、なんだかクスッと笑ってしまっているようだった。
『今の世の中って、ネットがあって、引退した芸能人が生身で配信したり匿名でVtuberしたりもできて。学校に行ったり会社に就職しなくても金儲けして生活できたりして。自分が思ってる詰みが詰みじゃなかったりするんだ。俺たちの人生は、仮に80歳くらいまで続くと仮定すると、まだ何十年もあります。俺が一緒に今後について考えるので、悩んでいる人やこれからどうしたらいいかわからなくなった人は、出てきてください。こんなに正しさがわかりにくい世の中だから、道を間違える人は多くて、でも、ワンミス一発アウトじゃなくてやり直せるといい』
共に悩み、生きましょう――光の方へと導くような声がきらきらと響く。
あの兄にこんな真似ができるとは思わなかった。
びっくりだ。なんか……立派だな。
身投げしかけていた人は窓から離れ、やがて――残っていた仲間と一緒に出てきた。
……表彰モノじゃないか?
出てきた世直し団の人たちは全員が逮捕されたけど、頭を下げながら反省の言葉を口にする姿には、「きっと更生できるんだろうな」と思える雰囲気があった。
人質になっていた人たちは救急車で運ばれて行き……後日、無事が報道された。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【病院】
病室のベッドの上でサイドテーブルに設置されたテレビの黒い画面をじっと見ていた母は、ふわりと微笑んだ。
「――テレビが映ったわ。ああ、よかった。壊れてしまったかと心配したの。うちのテレビじゃないから、叩いちゃだめだと思って、でも、叩いたら直るかしらって悩んでいたのよ」
見舞いに来ていた息子は、自分の番組が流れるテレビに目を細めつつ、花瓶にオレンジの花を挿した。
「母さん、テレビは叩いても直らないよ。壊れるだけだから」
「手術の前に見たかったの。好きな俳優さんの出るドラマ。見れるかしら」
息子、加地陽久の番組はあとで一人のときに鑑賞する――そう言って、母はチャンネルを変えた。
「ああ。見れるよ。終わってからもいっぱい、好きな番組を観放題だ」
「美咲ちゃんが映ったわ。元気そう」
「母さん、その子、葉室王司って言う女優ちゃんだよ。 美咲ちゃんは『鈴木家のお父さんは死にました!』の役の名前だな。俺が監督だったやつ……」
「そうそう。今回はね、舞花ちゃんっていう役ね」
「それだね。悪役だけど」
母と息子、二人でドラマの再放送を見ていると、CMが挟まる。
スポンサーが撤退したCM枠は、いつものように人狼陣営のドラマが流れた。
ただし、少し短い。
余った時間は――とても短いCMが、3つ流れた。
1つめは、何年も前に引退した演歌歌手が映った。
年齢は、もう80代の半ばを過ぎている。
『私は子どもの頃からテレビが大好きでした。夢をくれて、テレビに出たくて歌に励んで、出演すると「テレビを見たよ」とみんなに言われて、親戚も学校も大騒ぎで……ファンの方々にもたくさん応援していただきました。感謝を込めて、皆さんにエールを届けたくて、このCMを撮りました。不安な情報も多く話題いにされているようですが、にっぽんのより良い未来を、この老いぼれは願っています。……ありがとう』
2つめは、海外で活躍する有名スポーツ選手が映った。
新妻と、生まれたばかりの赤ちゃんも一緒だ。
『甲子園やプロ野球をテレビで見て、応援する側、憧れる側から、僕の野球人生は始まりました。
試合のたびに、多くの人が応援してくれて、その力で戦ってこられました。ありがとう』
3つめは、心身の不調が噂されながらも新作映画を鋭意制作中の天才映画監督、八町大気だ。
『CM枠を買ったのは、素晴らしいドラマを応援したいと思ったからです。世の中のものは、全ていつか終わる。けれど、文化を愛する僕は、僕と仲間たちが愛する文化を守りたい。他のメディアが主流になってオワコンと呼ばれても、見たい人は見ることができる選択肢のひとつとして続くといい。終わるにしても、それは今ではない。そう願うのです。あと、江良君、誕生日おめでとう』
母が「おいたわしい……」と呟く。
加地陽久は緩む口元を手で押さえた。
この天才映画監督に、自分はコンペで勝った。
それがつい先ほど、電話で知らされたのだ。
……『太陽と鳥』は、俺がやる。
「なんだか……嬉しくなるわねえ、陽久。私とかは、インターネットもね、あんまり、やってみてはいるんだけど……よくわからないし……時代の変化って、置いていかれる感じがして寂しくて……ごめんなさいね……」
母はふわふわと微笑み、「あら、CMが終わったわね」とドラマの続きに目を輝かせている。ドラマは、騎士の少年が「ずっと信じていた少女がもしかすると人狼なのでは」と気づくシーンが流れている。
ここから対立へと展開が変わるのだ。
「母さんが嬉しそうで俺も嬉しいよ」
「うふふ」
心からの言葉を言うと、母は楽しそうに肩を揺らした。
細く痩せた肩を見ると切ない気分になることもあるが、母にテレビを見せることができてよかった。
「文化は、続くのね」
ぽつりとつぶやく声に、息子は力強く頷いた。
そして、心の中で付け足した。
……――あんたの旦那も、上手くトカゲのしっぽ切りをして生き残るよ……。