22、兄
少ししてから、役者陣は写真撮影をした。
ポスター、相関図、作中の身分証明書に使う写真だ。
一人一人撮ったりペアになったり、全員集まったり。
着替えてヘアセットやメイクをしてもらったりして、なかなか忙しい。
私の衣装はブレザーの制服だ。
スタイリストさんは直前の監督とのやり取りを聞いていたので、火臣恭彦をかなり気遣っていた。
「恭彦さん、いい体してますよね。スポーツとかなさってます?」
「ダンスが趣味なんです」
「あ! TikTokでバズってるの見ました! 格好よかったです!」
にこやかに会話してる。
内心はもしかすると穏やかな気分ではないのかもしれないが、表面上だけでも機嫌よく振る舞ってくれるのは助かる。
火臣恭彦は演技よりダンスが好きなのかな?
集合写真を撮るために並びながら安堵していると、加地監督はまた煽り出した。
「おっ。いいねえ。恭彦君は演技はクソだけど外見がイケてるからな。というかね、君のパパが性格はクズだけどルックスは超一流だからね。遺伝子に感謝だね。でもさ、パパは演技はできるんだよ実は。演技がクソなのと性格がクズなのはどっちがいいか迷うよね。まあ、クソでもクズでも立ってるだけで戦力になるのはいいことだ。いっそセリフなくしちゃおうか!」
加地監督は火臣家をディスりすぎではないだろうか。
実は個人的に恨みがあったりしないか?
女を取られたとか?
「監督! ちょっと黙っててください! 笑顔でお願いしまーす。あ、いいっすねえ! そうそう! いいじゃないっすかー。やさしい表情でいきましょう!」
カメラマンさんは必死だった。お仕事お疲れ様です。
同じポーズで表情を変えたり、ちょっと姿勢を変えたりして何通りか撮り、やがてOKが出た。
「OKです! ありがとうございましたぁ!」
無事に終わった。
あとは偉い人が様子を見に来てて、挨拶してくれるんだっけ?
「あとはスポンサー挨拶で初日は終わりね。王司ちゃん、おつかれさま!」
「ひゃっ」
気を抜いた瞬間に麗華が後ろから抱き着いてきたので、本気で驚いた。
「麗華お姉さん、お疲れ様です!」
「スポンサーさん、ちょっと時間かかるみたい。お菓子食べて待ちましょう」
控室の壁際には、自由に食べていい軽食とドリンクコーナーがある。
猫プリンが可愛い。
思わず手を伸ばすと、蒼井キヨミが「猫が好きなの?」と話しかけてきた。
「猫プリン食べてるところ、写真撮ってSNSに投稿してもいい? 可愛いんだもん」
「はい! あの、もしよかったら皆さんで一緒に撮りませんか?」
「あらあら。お父さん、お兄さん。末娘が写真撮ろうって言ってるわよ。こっち来てぇ」
冗談だと思うけど、すでにお母さん役に入ってる。
役者陣は協調性がある。
羽山修士も火臣恭彦も集まって写真を撮ってくれた。
ついでにお願いしてみようかな?
「すみません、私は演技についてのお勉強を始めたばかりで、お仕事も初めてなんです。役作りというのがピンと来ないので、もしよかったらアドバイスをお願いできますか?」
不安そうな表情をつくって首をかしげて見せると、蒼井キヨミと西園寺麗華は張り切って教えてくれた。この2人は面倒見がいい先輩だな。
「まあ~~! 自分が未熟だと思って先輩にアドバイスを求められるのは素敵なことよ。自分の現状の能力に奢ってしまったり、プライドが高くて知ったかする子よりも伸びるわ、王司ちゃん」
「王司ちゃんは演技が上手だけど、わからないこと多くて心配よね。わかるわ。お姉さんも最初のうちはお辞儀の仕方もわからなくてロボットみたいになってたのよ」
「役作りって言われてもわからないわよね~! 難しいもの~!」
「ねー!」
女性陣が声を華やがせている中、男性陣の羽山修士と火臣恭彦は「恭彦君、コーヒー飲む?」「う、はい」と2人でコーヒーを啜っている。
「う、はい」は恐らく声をかけられてビビったんだろうな。
蒼井キヨミは紅茶をカップに注ぎ、小指を立てて飲んでから語った。
「王司ちゃん、役作りはね。自分が演じる人物がどんな人間か考えて、理解することだと私は思う。この人ってこういう感じなのかなっていう感覚なの。例えば、私は今日あなたと知り合ったばかりじゃない? こうやってお話してて、あなたは可愛くて、素直で、いい子なんだなってわかってきたわ。猫が好きなこともわかった。そうやって、『この人はこういう人なんだ。わかった』ってなることよ」
西園寺麗華は張り合うように紅茶を飲み、「そうよ!」と胸を反らした。
対抗する必要はなくない?
「王司ちゃん、その人物がその時どう思っているのか、何を考えているのかを想像する癖をつけてみてね。台本で怒っている時、どうして怒ったのか。泣く時はどうして泣いているのか。どういう人生を生きてきて、何が嫌で、何が好きなのか。周りの人のことをどう思っているのか……」
「勉強になります! ありがとうございます! あっ。メモ取ります」
メモを取りながら視線を向けると、火臣恭彦がコーヒーをテーブルに置き、台本を開いてペンでメモを取っている。
正面の椅子に座る羽山修士が頬杖をついて、父親のような眼差しでそれを見ていた。
いい感じだ。
「お兄ちゃんの翔太と、私の美咲って、どんな兄妹かなーって思ってたんです。仲いいかな?」
そっと問いかけてみると、火臣恭彦は顔をあげた。
「いいと思います」
おお、喋った。
「美咲って動画を撮ったりするのを部屋でしてるけど、近くのお部屋のお兄ちゃんは知ってるんですよね」
「うん。知ってると思います」
会話が続いている。
空気を察した様子で、大人たちは見守る眼差しになって黙ってくれた。
「変なやつ~って思ったり、してるかな?」
「心配してるのでは?」
話していると、ごくたまにイントネーションが関西訛りになる。読み合わせのときも指摘されてたな。そういえば、火臣恭彦のお母さんって関西出身だっけ?
そんなに大きな違和感はないから、日頃から意識して気を付けているんだろうな。
「ありがとうございます、恭彦さん」
「どういたしまして、王司さん」
意外と普通に会話できる。
心配してたけど、役者間の雰囲気はいい感じで過ごせそうだ。
撮影は何日もかけてするから、仕事仲間との関係作りって結構ばかにできないんだよね。
不仲だとストレスになるし、にじみ出るものもあるから。
「恭彦君は字が整ってるなあ。読みやすい字を書く子は、演技も伸びるぜ」
「演技と字に何の関係性が……?」
羽山修士がいい関係を作ろうとコミュニケーションを取っている。
女性陣も「仲良くやろう」という意識が高い様子で、話題に乗っている。
「読むときのことを考えてわかりやすく書いているじゃない。そういうの大事よ~。おばちゃん、花丸つけたげる」
「あ、ありがとうございます……盗み聞きすみません」
「あらっ! 謝ることないわよ。じゃあね、おばちゃんこれから撮影のたびに独り言でノウハウ垂れ流すから、どんどん盗んで成長して! なんなら夜中に枕元に立ってあげるわよ」
「そこまではしなくていいです、すみません」
和やかな雰囲気になっていると、スタッフさんが呼びにきた。
全員で「やっと呼ばれたね」と言いながら移動した先の部屋には、何社かあるスポンサー企業のうち一社の重役の息子がいた。
「…………えっ……」
そのスポンサー令息を見て、息が止まる思いがした。
中肉中背、猫背。生え際が黒い、茶色に染めた髪。
たれ目で、仄暗い気配の黒い瞳。
灰色のスーツ。
その令息は、江良を刺した男だったのだ。
目が合った瞬間、ゾッと背筋に悪寒が走る。
あの瞬間の、生命が危機に瀕した際の本能的な恐怖と危機感が蘇る。
「あ、これは死ぬ」と悟った絶望を思い出す――
やばい。
怖い。怖い。嫌だ。死にたくない。
そうだ。俺は、死にたくなかった。怖かった。
――当たり前じゃないか。
痛かった。苦しかった。怖かった。
血がたくさん流れていた。死ぬと思った。
力が入らなくなって、指先が痺れて、呼吸が苦しくて。
辛くて、寒くて、でもどうしようもなくて……ただ無力に死んでいった。
――あの死んでいく時の感覚といったら!
「……っ」
過去と現在がごちゃ混ぜになって、くらりと眩暈を起こした。
だめだ、立っていられない。
ふらふらと倒れかけたところを、後ろにいた火臣恭彦が支えてくれていた。
がっしりと支えてくれる手はひんやりとしていて、遠慮がち。
でも、全体重を預けても大丈夫、という安心感が強い。
少し慌てて囁く声は、遠慮がちだった。
「……顔、真っ青だけど。腹痛い?」
心配してくれてる。
優しい気配だ。返事をしないと。
「すみません。一瞬、貧血を起こしたみたいです。えへへ……」
「なんか……震えてるけど……?」
震えが止まらない。
落ち着かないと。ちゃんと自分で立たないと。
「すみませ……、ひぁっ?」
きまり悪い思いで弱々しく笑って誤魔化そうとすると、体が横抱きに持ち上げられて視界が高くなった。
「すみません。妹は疲れて体調が悪いみたいです。休ませてもいいでしょうか?」
「――へっ?」
これはお姫様抱っこではないだろうか?
……火臣恭彦が、抱き上げてくれている。
役を演じていて「する側」になったことはあるけど、「される側」は初めてだ。
それに、この人、今「妹」って呼んだ?
困惑しているうちに、火臣恭彦はスタッフの許可を得て私を運んでくれた。
救護室で少し休んだ後、お迎えの車が来たというので、私は葉室家に帰宅した。
義理の兄とは、思っていたよりいい関係が作れるかもしれない。
でも、自分を殺した犯人がそのへんを歩き回っているのは、怖いな。体が勝手に怖がっちゃうんだ。あれ、「痴漢にあった女性が声を出せなくなる」に似た現象かもしれない。
なかなかの衝撃だった……。
最初のシーン撮影は、5日後の予定だ。
あの男は撮影の間、またやってきたりするんだろうか。
そう考えると楽しみだったはずの仕事が急に憂うつに思えてくる。
どんよりとした顔で台本と向かい合っていると、ママは「そんなに命がけみたいに思いつめなくてもいいじゃない」と心配して、プール付きの豪華客船でのお泊りに誘ってくれた。
「おじいさまもいらっしゃるのよ。おじいさま、王司に会ってみたいんですって。ちょうど昨日、電話をくれたところだったの。断ろうか迷ってたのよ。行くならお友だちも誘ってみたらどう?」
「うん。じゃあ誘ってみようかな?」
アリサちゃんを誘ってみたら、急なお誘いなのにアリサちゃんは「行く」と言ってくれた。
メンタル管理の一環だ。リフレッシュしよう。
アリサちゃんが「楽しみ! 誘ってくれて嬉しいな!」って喜んでくれたので、よかった。
喜んでくれてるメッセージだけでちょっと元気が出たから、アリサちゃんはすごいと思う。