212、アイルー可愛いよね
――【放送作家モモ視点】
高級ホテルの最上階に広がるラグジュアリーフロア。
その客室には、まるで空に浮かんでいるかのような気分に浸れる展望風呂が備わっている。
壁一面に広がる煌めく夜景を独り占めしながら、放送作家のモモは交際相手を待っていた。
今夜の相手は、<ゼロ・プロジェクト>のプロデューサーだ。
男嫌いなモモが異性と交際するのは、相手を利用するため。
肌を露出して誘い、「あの仕事がほしいの」とおねだりするのだ。
立ちんぼや港区女子やSNSで自撮りを晒してのPAYPAY乞食やいただき女子――地下アイドル。政治家だってそう。
みんな自分の持っているカードを切って「自分はこれをあげる。だから私のほしいものをください」とビジネスをしている。カモを探してライバルと奪い合い、あるいは分かち合い、狩りをして生きている。
逞しいのだ。
モモは、彼女たちが好きだ。仲間意識を持っている。
モモのスマホに電話してきた<ゼロ・プロジェクト>のプロデューサーも、そんな女たちの狙い目リスト上位常連のおじさんだ。「このおぢ、狩れるぞ♡」とその手の女性ネットワークで情報交換されている。
彼は、食事をして「<アルファプロジェクト>ってむかつきますよねえ」とライバルプロジェクトの悪口に同調するだけでモモの支援者になってくれていた。実にちょろい。
しかし、昨日になって「最近、業界も炎上してるじゃん。倫理観をアップデートしないとやばいよね。俺も遊ぶの潮時かなって」などと言い出した。
なので、「そろそろ潰すか♡」と思った。女性ネットワークでも「保身を気にするようになっていてウザイ」という不満の声があったので、誰かが潰しにかかればドミノのように連鎖反応を起こして女たちの「おぢ潰し」が始まるだろう。
モモは、彼を呼び出した。
「じゃあ、最後に一度だけ……抱いてください♡」と誘惑して。
呼び出したあとは、知り合いの記者に「ネタ提供しますよ♡」と声をかけて外に待機させている。
彼が部屋に来たらバスローブ姿で出迎えて、スクープ写真を撮らせてあげるのだ。
記事には名前をぼかして「M子」と書いてもらう。文章も考えてあげた。
『M子は男性が苦手と公言していた。そこに目をつけたのが、業界で権力を握るプロデューサーだった。
彼は"嫌がる女を屈服させる"という悪趣味を持ち、M子に執拗に迫った。M子は断っていたが、彼女の女友達からの誘いに偽装してホテルの一室に誘い出し、騙し討ちにする形で2人きりの時間を強引にセッティング。
逆らえば仕事を失う──抗えぬ状況に追い込まれた彼女は、選択肢を奪われ……』
こちらが被害者となり、情報提供代もゲットできる。
一石二鳥――ついでに「最後のおねだり。あれ買って!」とほしいものを買ってもらえば、一石三鳥だ。最高か。
『モモちゃんごめんね、遅くなってて。うちの子が熱出しちゃってさあ……』
「あら、大変ですね。お大事に。無理にいらっしゃらなくていいですよ」
モモはスマホに向かって微笑んだ。
真偽は不明だが、相手は来ないらしい。別にそれでもかまわない。
スマホには不倫の証拠になる写真や、客観的に見て関係を迫られているチャットログがある。外で写真を撮り損ねた記者には、代わりのものをお土産にあげればいい。
『ホントごめんね……モモちゃんと会うの楽しみにしてたんだけど』
「いいんです。その代わり、例のライブチケットの方、お願いできます?」
『うん、うん。いいよ』
相手が「ごめんね」という謝罪モードなので、おねだりすれば二つ返事で叶えてくれる。
抱かれることなく、ほしいものだって買ってもらえる。最高か。
「ふふっ、ありがとうございます……♪ はい、はい。お子さん、お大事に……おやすみなさい……」
通話を終えてバスローブを素肌の上に羽織り、光溢れる摩天楼を望む窓辺に寄り、彼と飲む予定だった赤ワインに手を伸ばす。
乾いた体をワインで潤しながらスマホでSNSを眺めると、トレンドは今夜もいつも通り――ドラマの話題で盛り上がっている。
「人気になっちゃって……」
ドラマ『人狼ゲームxサイコパス』は、人気が出ていた。
最近は、放送される時間になると国内外のリアクターが同時視聴配信を開始して多くの視聴者が集まり、ネット外でもテレビを家族で観たり、街角の大型ビジョンを大勢で観るのが流行っている。
最初は「ドラマを撮るな」「テレビ局、潰れろ」「社員は全員家族ともども路頭に迷え」「支援する会社や仕事を受ける役者、空気読め」と非難轟々だったのに――モモがシナリオを描いて巧みに導いた世の中の流れが、微妙にズレてきている気がしてならない。
ドラマ『人狼ゲームxサイコパス』は、1時間の間に3~4回挟まるCM枠で人狼陣営サイドのドラマが観られる。
おかげで『トイレに行けないドラマ』という称号を獲得した。
その上、「学園がまるごと乗っ取られてクラスごとに人狼している」という旨味のある設定に便乗してTikTokやYouTubeに『人狼ゲームx別のクラス』という動画投稿が相次いでいた。
ドラマ本編は制作時間が限られていて、クオリティは低めだ。
そこが初期はボロカスに叩かれていたのだが、『人狼ゲーム×別のクラス』の参入ハードルを下げる要因にもなった。
芸能人や配信者だけではなく、いまや一般の学生や家族も真似してショート動画をどんどん投稿して、ネットミーム化している。
しかも、no-nameや海晴スピラの「ドラマ主題歌、歌ってみた」をきっかけに、歌ってみた動画も増えた。宣伝しなくても日本中が毎秒、ドラマの宣伝をしてくれているような状態だ。
視聴率は異常な数字を叩き出し、「ネットの手のひら返しマジでわかんねえな。最初は叩いてたのになんで盛り上げる側になっちゃってるの」「日本人はどうしようもないバカ!」などという迷言も飛び交った。
もちろん、その迷言を巡っての議論で、ますますドラマは認知度を上げていく――この勢いだと、『人狼ゲームxサイコパス』は社会現象を巻き起こした迷ドラマとしてテレビ史に名を残すだろう。
計算してやっているなら、敵も大したものだ。
「銅親絵紀監督……さすがは、八町大気監督のフォロワーね。やるじゃない」
モモは対抗心を燃やしながら呟いた。
SNSの感想を見ると、葉室王司の話題が多い。
:王司ちゃんが悪女すぎて震えてる
:本編とCMのギャップよ
:瑞希ー! 騙されてるぞー!
:なんか主役が悪役に食われてない?
『人狼ゲームxサイコパス』『CMまた』『人狼動画』『葉室王司』――主役よりも話題になっている少女は、本編では庇護欲をそそる守られヒロインだ。
主役の星牙演じる三神瑞希と、危機的状況下で進展する初々しくて微笑ましい純愛を見せている。
けれど、CMのたびに彼女の裏の顔……人狼陣営のリーダーとしての姿が見られる。
CMで計算高く非常な悪の華を咲かせ、CMが終わると不安に怯える清楚なヒロインに戻る彼女は、完全に主役を食っていた。
新人女優、葉室王司と言えば、鈴木家で妹キャラを演じ、演劇祭では少年を演じた実力派。
今回の悪役演技で、彼女は「どんな役も自在に演じ分け、その役に応じた顔を見せるカメレオン俳優」の呼び名を獲得しつつある。
――このドラマは、もう悪役のものだ。
「……今週の王司ちゃんも悦かった……」
楚々とした仕草でピュアな少女のふりをして、自分に気のある少年騎士を手玉に取る。
長くて癖のない真っすぐな黒髪をさらさらと揺らして、薄桃色の可愛い唇で嘘を吐く――人狼が狩りをする夜の時間、彼女は嬉しそうに斧を選び、躊躇うことなく振り下ろした。
華奢な美少女が窓から注ぐ月光を浴びながら斧を振る姿は、モモのハートを鷲掴みにした。とても格好よかった。
サイコパスな彼女は、自分が勝つことしか考えていない。
他人への情なんて一切ない。
その姿にシンパシーを感じる。
好きだ……。
「うふふ。王司ちゃん。もうすぐライブよね。チケットが売れないとグループが解散しちゃうから、心配よね」
王司ちゃん。あなたには、才能がある。
他人を踏み台にして、蹴落として成り上がる才能が。
だから、仲良しアイドルグループなんてやめてしまいましょう?
「お姉さんね、あなたのライブのチケット……存在しない名義でいっぱい買ってもらうの。独り占めしちゃう」
でもお姉さんは一人しかいないから、席は埋まらないわ。
高層ビルが光を咲かせる都市を見下ろし、モモは悦に浸った。
都会の夜景は綺麗だ。
けれど、都会のビル群は無機質で、無個性だ。
光に群がる虫のように、大都市に夢を見てやってくる若者は多い。
しかし、現代社会で甘っちょろい夢を見るなんて――青すぎる。
八町大気の作品に出てくる主人公じゃあるまいし。
夢も希望もない無慈悲な現実社会にさっさと気付いて、絶望してほしい。
諦めて適応するか、泣いて逃げ去ってほしい……キラキラした若者を見るたびに、モモはそう思っている。
アイドルたち――LOVEジュエル7は、輝きすぎだ。
いい子ちゃんばかりの仲良しグループがキャッキャウフフと楽しそうにしながら成功するなんて、モモの好みではない。
モモは、そういう優等生グループを陥れ、泣かせて解散させるほうが好みだ。
そして、性格が悪いクズグループが汚い手を使って優等生グループを踏みにじるのを見ると、興奮する。
欲を言えば優等生が男性で、性格が悪いクズが女性だともっと滾る。
性癖なのである。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
八町大気:江良君。今度ドラマの撮影現場に遊びに行こうと思うんだけど
葉室王司:八町見て(URL)
葉室王司:今、モンハンの新作を執事のセバスチャンに勧めて配信させているところだよ
八町大気:君は夜中に執事の部屋にいるの?
八町大気:よくないよそういうの
星が綺麗な夜。
私は自宅で夜食のインスタントカレーを食べながら執事セバスチャンの配信を監督していた。
「ネコガ……イイデスネー」
「にゃーあ」
「名前はミーコデスネー」
「にゃー?」
セバスチャンは膝に飼い猫のミーコを乗せながらゲーム内のオトモキャラを愛でている。お前、いつの間にかすっかり猫好きになって……。
ちなみに、コメントの配信リスナーたちは常連ばかりだ。
:アイルー可愛いよね
:俺の画面だけかな、なんかカレー食ってる王司ちゃんが見えるんだけど
:背後霊かな?
:王司ちゃんはカレー好きだから何もおかしくない
:本当にそうでしょうか?
:執事さん仕事でやらされてるの?
:王司お嬢様「やれ」執事「はい」
:王司ちゃんパジャマ可愛い
:パワハラ上司王司ちゃん⁉︎
コメント欄が次々と流れていく。
これ否定しないと「王司ちゃんは執事にパワハラしてる」って拡散されるやつだ。困ったネット社会だよ。
「待ってみんな。パワハラじゃないよ。ゲーム買ってあげたんだよ。カレーは激辛だよ」
:辛さの度合いはきいてねえー
:これがホンモノの王司ちゃんよ
:この子はカレーオタクです
手を振ってパワハラ疑惑を否定し、スマホに視線を落とすと、八町がスマホで文句を言い連ねていた。
八町大気:江良君は自覚が足りない
八町大気:セバスチャン君は独身成人男性で君はうら若き乙女なのだよ
八町大気:夜中に部屋に行って二人きりで過ごすなど破廉恥だ
八町大気:ましてそれを配信で映すなんて
八町大気:パジャマがよく似合っているんだこれが
八町大気:だめだろ、芸能人でお嬢様だろ、なんでパジャマ姿で男の部屋にいる姿を配信に映すんだい
八町大気:あり得ないよ江良君
八町大気:しかもなぜリスナーたちは日常風景みたいに受け入れていてSNSに拡散したりしないんだ?
言ってる内容はわかるけど、長文でログを埋め尽くされると「ウッ」となる。
ほっといてカレー完食しよう。もぐもぐ。
「ふう。ごちそうさま」
:カレー食ってるのが気になってモンハンどころじゃない
:執事はよく王司ちゃんをスルーできるな
:お前のお嬢だろ責任持てよ
:俺のお嬢だが?
:日本国民の妹だよ
:猫かわいい
「セバスチャン、ゲーム順調みたいだし、怒られるから私は部屋に戻るよ。わかんないことあったら聞いてね。リスナーのみんなもバイバーイ、バイバーイ」
:お嬢様、撤収
:バイバーイバイバーイ
:もーすぐライブだねがんばってね
:王司ちゃんのライブチケット買えなかったよー
:俺は買えた
:売り切れてた
:買えなかったー!
:チケット難民多いよね
:石油王が大量に独占してるって噂もあるぞ
ライブチケット、売れてるんだ。よかったよかった。
石油王は冗談だよね? 独占されたら困るんだけど。
私は自室に戻り、グループチャットでアリサちゃんとカナミちゃんと通話を始めた。
明日は日曜日で芸能界のお仕事の予定もないので、三人でモンハンする約束をしてたんだ。
配信はなしで、あくまでもプライベートだよ。
「お待たせ―!」
「王司ちゃんおかえりー、執事さんの配信観てたよ」
「王司、あたしも今パジャマ〜」
お互いのキャラを見せ合って、3人チームでいざ、冒険へ!
「今日は3人でとことん遊ぶぞー!」
「いえーい!」
「わーい!」
チラッとスマホを見ると八町が「僕もモンハンやってるよ。明日ひま?」と遊びたそうにしていた。ふっ、八町。久しぶりにゲームする?
脳内で予定を練りつつ、夜は楽しく更けていった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『おまけのポエム』
葉室王司様へ
ひな祭り
ぼくは最上段で あなたと並ぶ夢を見る
目覚めると人形の髪が伸びていました
ホラーです
ヨッ……
高槻大吾より