208、狩人より騎士って呼び方が好みだな
――【高槻アリサ視点】
しとしとと降っていた雨がすっかり止み、雲の晴れ間から白い月が顔を覗かせている――そんな夜。
親友の葉室王司が出演するテレビドラマをリアルタイムで観るためにリビングに来た高槻アリサは、浴衣姿の母親に気づいて頭を下げた。
血の繋がりのない母は、いわゆる「梨園の妻」。
そしてアリサは、父の浮気相手が産んだ子だ。
少し迷ってから、勧められるままソファに座る。
すると、母は小さく掠れ気味の声で問いかけてきた。
「アリサさん。宿題は終わりましたか?」
「はい、お母さま」
母は「お疲れ様」と微笑み、アリサのために煎茶を淹れてくれた。
若い頃に声優をしていた母は喉を壊して声が出にくくなっており、発声ができないわけではないが、多くを話さない。
それもあって、母子の間にはあまりコミュニケーションがなく、微妙な距離感だ。
ハキハキと大声で対応できない母は、浮気されても「そんな風に弱々しいから浮気されるのだ。妻失格だ」「芸の肥やしだから大目に見ろ」などと噂されたりしたらしい。
歌舞伎の世界は独自の価値観を持ち、役者の生き様や経験を全て「芸の肥やし」として肯定する文化がある。
不倫や非常識な振る舞いも人間の喜怒哀楽を深く知ることが役者としての厚みを増し、芸の深化につながると肯定する。
一般社会の倫理観とは異なるのだ。
アリサが母の立場だったら、浮気相手の子を我が子として育てるのはつらいと思う。
だから、アリサは母に同情している。
だから……あまり母と同じ空間にいたくない。
とは言え、ここで部屋に戻ったのではあからさまに「避けた」感が出てしまい、母を傷つけてしまう。
アリサは微妙な距離感を持て余しがちに煎茶を啜った。
父と兄は姿が見えない。まだ稽古中だろうか。
アリサは少し迷ってから「自分がここに来た理由」を告げた。
「ドラマが観たいんです」
言ってから気付く――住み慣れたリビングのテレビは、すでにドラマのチャンネルを映していた。
「アリサさん、チャンネル、合ってますか?」
「はい、お母さま」
母の綺麗な声が、おっとりと気持ちを伝えてくる。
「人狼ゲームはよくわからないけど、面白そうですよね、アリサさんのお友だちも出演しているのでしょう?」
「はい。えっと……王司ちゃんと、芽衣ちゃんと、水貴くんと、星牙くんと……」
母と二人で話している。
それがなんだか、ちょっと怖い。
気を紛らわすようにスマホでドラマ専用タグ『#人狼サイコ』を検索すると、視聴待機勢のファンとアンチが今日も盛り上がっていた。
:ドラマ楽しみ♪ ネットできない祖父母と一緒に楽しんでます♪
:オールドメディアでCM流す企業なんていねーよなぁ!
:30人以上いる村って大変じゃない?
:撮影現場見学に行ったけど楽しかったよ
:俺も撮影現場組
:わくわく待機
:お前も全裸になれ
:5歳の娘と観ています
:(↑引用)5歳には刺激的すぎない?
――あ、始まった。
=====
――『人狼ゲームxサイコパス2話/放送』
『僕の役職は狩人か……狩人より騎士って呼び方が好みだな。僕は騎士だ』
銅親監督が「僕のエース」と呼ぶ少年、江良星牙が演じる「三神瑞希」の視点で話が進む。
亡き俳優、江良九足をモチーフにしたと噂の彼の境遇は、1話で語られていた。
彼の父と母は、マッチングアプリで知り合った。
父である男は高学歴高収入だが低身長で、コミュニケーション力に難があり、学生時代も社会人になってからも友人が物好きな1人だけ。他人の気持ちがわからない。非モテ。
彼は、「自分は弱者男子だ」と自嘲しつつ、「少子化でもあるし、自分の子供が欲しい」と渇望していた。
母である女は義理の父に性的な虐待を受けて家出した。
社会は厳しく人は冷たい。頼りになる身内が一人もいない。
ネカフェ暮らしすること2年、バイト生活にも嫌気が差して路地裏で寝ころがり、「できるだけ苦しくない自殺計画」を練っていたところ、男が保護してくれた。
身の上話を聞き、彼は「死ぬのはよくない」と諭した。
「あなたは健康で美人なのにもったいない。今がつらくても、生きていたら良かったと思うことがきっとあると思う。仕事は辞めていい。何もしなくていい。養ってあげるから、ちょっとしばらく生きてみなさい」
男はそう言い、女の生活の面倒を見た。
女は心を落ち着かせ、男に感謝し――片思いをした。
やがて、男は「今の自分たちの生活は、愛こそないが、まるで夫婦みたいだ」と思い至り、提案した。
「自分たちは二人で一緒にいることがお互い苦ではないらしい。なら、契約結婚しないか? 自分がこのまま生涯面倒を見るから。子供は、可能なら1人だけでいいので、産んでほしい。他には何も望まない。贅沢し放題の生活をさせてあげるよ」
そう言われて、女は飛びついた。
そして、妊娠出産をした。男子だ。
「子はかすがい」とはよく言ったもので、夫婦は仲睦まじく過ごした。
しかし、子供が2歳のとき。
夫が長期海外出張中に、妻は、夫の唯一の友人と望まぬ関係を持った。友人は深酒をしていて、正気に戻ると、事もあろうに「自分の妻と間違った」と主張し、謝った。「なかったことにしてほしい、他者に黙っていてほしい」と言われた。
過去、義理の父親に虐待されて耐えたときのように、自分が黙って我慢していればいい、忘れてしまえばいい――そう思っていた。
しかし、彼女は妊娠した。友人はそれを聞き、自殺した。
友人の訃報を聞いて帰国した夫は、その死を嘆いた。もちろん、故人の妻もだ。
妻はそんな周囲に真相を話すことができなかった。
そのまま時間が過ぎて行き、やがて、妊娠が夫に知られた。
夫は、最初は自分の子だと思って喜んだ。
しかし、「冷静になって計算してみると、タイミング的に自分の子ではないのでは?」と疑いも抱き、生まれてから検査した。
結果は黒で、夫は「妻が浮気した」と思い、怒り嘆いた。
妻は狼狽しつつ、「浮気ではなく暴漢に襲われたのだ」と言い――しかし、「犯人が夫の死んだ友人だ」とは言えなかった。
結果、夫は迷った末に「通り魔的に誰かに襲われたということにしてやってもいい」と言った。
「妻が浮気した」と思いつつ、「浮気していない」ことにしてくれたのだ。
夫は散々迷った末に、生まれた子を施設に預けた。
とても愛情を抱いて育てられるとは思わない、虐待してしまうかもしれない、見るだけで心を病んでしまいそうになる。
だから、自分たちの家庭のためにも、子のためにも、距離を置いた方がいい、できれば忘れてしまいたい――と言って。
それが、星牙が演じる三神瑞希という主人公だ。
銅親絵紀監督は、有名俳優であり星牙の叔父と言われている江良九足と似た生い立ちにすることで、話題性を狙ったのだろう。
三神瑞希は自立しているしっかり者だ。
感情的に怒ったり泣いたりするのは、状況を改善する役に立たないとあきらめている。
「どうするとよいか、なにをすべきか」を理性的に考える頭脳を持っている。
他の生徒と比べて、彼は前向きで建設的な考えだ。
――そんな主人公の彼は、ゲームを楽しんでいるようにすら見えた。
タイトルの「サイコパス」は、もしかしたら主人公と悪役の両方に当てはまるのかもしれない。
『学園の外も異常事態を把握してるはず。外からの救出を待ちながら時間を稼ぐ……首輪を外す方法がわかれば、なおよし』
とりあえず初日の夜、狩人改め騎士は村人を守ることができる。
誰を守るか――彼は悩んだ。
『初日の様子から絶対に村人だと思うのは八島ゲンキかな。でも……』
彼は兎堂舞花に片思いしていた。
兎堂舞花が怯えていたのを思い出すと、「絶対に自分が守ってやるんだ」という思いと同時に、「彼女が狙われるリスクが高いかもしれない」という思いが湧く。
舞花は成績がよく、容姿に優れていて、社交性は欠けている。
人狼の中に、彼女を嫌う者がいたら?
「あいつ前から嫌いだったし、頭いいから放置すると危険だし」と噛みターゲットに選ぶリスクは、高いのではないか?
……好きな子を死なせたくない。
三神瑞希は、迷った末に兎堂舞花を守ることを選んだ。
スマホで護衛対象を送信してなかなか寝付けない夜を過ごすと、翌朝、八島ゲンキが死んでいた。
『やってしまった……でも、気にしすぎたらだめだ。切り替えよう。いや……クラスメイトの死に冷静すぎるのもダメか。人狼の疑いをもたれてしまう……』
=====
CMの区切りでアリサが煎茶に手を伸ばすと、母親と目が合った。
「アリサさんのお友だち、お芝居がお上手ですね?」
「はい。星牙君は、演劇祭で一緒でした。舞台演劇出身で、テレビ向けの演技はまだ慣れていないみたいです」
「マイカさん役の葉室王司さんも、仲がいいのでしょう?」
「はい。これ、お揃いのポーチです」
母子の話が弾む。ドラマのおかげだ。
アリサはニコニコとしながら義理の母にポーチを見せて、ふと葉室王司がテレビ画面に映ったことに気付いた。
「あら。CMの枠でも、ドラマが流れているのね」
母がおっとりと呟く。
本当だ。ACジャパンのCMや自社の番宣ばかりだったCM枠が、不思議な映像を流している。
「……人狼陣営視点?」
葉室王司が演じる兎堂舞花が視点主人公となり、人狼仲間とコンタクトを取って初めての殺人に挑む――そんなドラマが流れていた。
画面の中の兎堂舞花は、掴みどころのないキャラだった。
大人しく平凡な顔を見せたかと思えば、時折、どうしようもなく気になる表情を見せてくる。
思えば、1話もそうだった。
クラスメイトが死んだとき、画面の端で見切れていた舞花は、手で口元を隠すようにしていた。
他の生徒たちは恐怖に悲鳴をあげてパニック状態で、当然、舞花も同じ――そんな先入観を持ってよく見ると、彼女は薄く不穏に微笑んでいた。
そして、今。
後味の悪い告白をした八島ゲンキを、「では、殺します」と手にかける舞花は、普通じゃなかった。
「好奇心が満たされた」「だからもういいや」という顔で、同情心もなければ、殺人への抵抗感もない。
――ああ、この笑顔!
アリサは心臓をぎゅっと掴まれた気分になった。
仲間の人狼たちに見えない角度で、舞花は凄絶な微笑を見せている。
白い頬が薔薇色に染まり、黒い瞳はきらきらと歓喜に輝いて。
真珠みたいに白い歯と真っ赤な舌が印象的。
そんな怖くて美しい笑顔だ。
彼女は殺人を楽しんでいる――、
背筋がぞくぞくする。
こんな演技が、できるなんて。
CMは、本編ドラマの補完をするように人狼陣営のドラマを流し、本編の星牙視点へと交代した。
「こんなドラマは、初めて……今の、怖かったですね」
母が呟く。
そうか、一緒に見ているのだから、母と感想を語り合えるのだ。
「王司ちゃんは、演技が上手なんです。今の、すごくびっくりしました。怖かった……」
「アリサさんのライバルは、噂通りの天才なのですね」
何気ない呟きだ。
思ったことをそのまま口にしただけで、母に他意はない。
けれどアリサは、このとき「高槻」の家名を意識した。
芝居道を追求する伝統芸能の家柄に生まれた自分は、「はい。王司ちゃんは天才なんです」で終わってはいけない気がした。
「私も、負けずに……頑張ろうと思います」
スマホを見ると、感想が盛り上がっている。
:今の何?(困惑)
:おいCM
:CMが始まったと思ったら本編の人狼サイドだった件
:トイレいけないんだが
:漏らしました(リョウスケが)
:リョ、リョウスケーーー!
:王司ちゃん怖すぎ
:王司ちゃんに絞められたい
:5歳の娘が喜んでます
:(↑引用)絶対、教育に悪い
:あんな演技もできるんだ葉室王司
:カメレオン俳優っていうらしいよ
ネットの文字に溺れたようになっていると、母の掠れた声が現実に意識を戻してくれる。
「競おうって思えるのは、よいこと、ね。私は、『かなわない、もう頑張れない』と思って、心が折れて引退したから……眩しいわ」
母の心に触れさせてもらった気がして、アリサはどきどきした。
自分たちは親しい関係になれるのかもしれない。
そんな気がして、そんな可能性を今まで考えもしなかった自分に気付いて、どんな表情をしたらいいかわからないまま、視線をテレビ画面に戻した。
ドラマのおかげで、会話に困っても気まずい思いをしなくて済む。
アリサは心からドラマに感謝した。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
ドラマ撮影の合間を縫うように、アイドル活動も続いている。
私が所属するLOVEジュエル7は、相変わらず佐久間監督の趣味に振り回されていた。
「あたしのポーチ見て!」
カナミちゃんがカメラに向かってポーチを見せている。
「お揃いなのー! 誰とお揃いだと思うー?」
ポーチは気に入ってもらえたみたいだ。よかった。
もうすぐライブがある。
しかも、「当初の予定通りジュエルちゃんたちがアイドルを卒業する。かもしれない」という曖昧すぎるライブ内容だ。
卒業するの、しないの。どっち。
「名付けて! 『無茶ぶり! 空席がひとつでもあったら卒業しちゃうぞライブ!』だって。わー、スリリングー! みんな、絶対に来てね。風邪ひいちゃだめ!」
ハイテンションにセリフを言うと、ジュエルたちがポンポンと文句を言う。
「大人の汚さが出てる」
「芽衣、これが芸能界よ。資本主義の競争社会って厳しいの。監督のやり方がクズだと思っても表に出しちゃだめ」
五十嵐ヒカリ先輩の言葉に、佐久間監督は嬉しそうに「ここ、テロップ付きでネットにもアップしよう」とコメントしている。ご褒美だったか。
ライブ宣伝のオープニングトークの後は、レッスンだ。もちろんカメラ付き。
佐久間監督はニヤニヤしながら「ドラマが大変そうだからライブを延期してもいいよ」と言ったけど、丁重にお断りしておいた。
ドラマのせいでライブ延期なんてしたら、ただでさえ問題視されているドラマ制作が余計に印象悪くなっちゃうよ。
わかっていて言うんだから、佐久間監督は性格が悪い。
「王司。この後も撮影? 無理しないでね」
「ありがとうカナミちゃん。今日は撮影ないんだよー」
レッスンスタジオには、鏡に映る自分たちの姿と、少し汗ばむ空気が広がっていた。
何度も踊った振り付けだ。ライブまで、あとは完成度を上げるのみ。
SACHI先生はビシバシと指摘してくる。
「葉室、ワンテンポ遅れてる」
「はい!」
「葉室、手の角度が違う」
「はいっ」
「葉室、うちの子にチョコ贈るな」
「はっ?」
最後のはなんだよ。
思わず振り向くと、SACHI先生は腕を組み、じっと私を見下ろしていた。
「集中しなさい。他の仕事をしてるのは、ファンへの言い訳にならない。葉室、お前がセンターなんだぞ。全体のリズムを作るのは、お前の役目だ」
「はいっ。もう一回お願いします!」
汗だくで、息が切れる。
苦しい。しんどい。でも、体を動かすのは気持ちいい。
鏡の中の自分を見ると、驚くほどキラキラして見えた。
まだまだ伸びしろがあるんだ、自分には――そんな風に思えるから、レッスンは楽しい。
「王司ちゃん、カナミちゃん。予定が空いてるならお勉強会をしない? あのね、最近、ママとドラマを見ててね……私のママ、王司ちゃんのファンなの」
「えっ。アリサちゃんのママが?」
レッスンの後、アリサちゃんが誘ってくれたので、アリサちゃんのお家にお邪魔した。
久しぶりの高槻家だ。今日は、お兄ちゃんの高槻大吾は留守?
「いらっしゃい。いつもアリサと仲良くしてくれてありがとう」
アリサちゃんのママは、煎茶と和菓子を出してくれた。
和服が似合っていて、年齢的にうちのママと同じくらい。
うちの同じで血の繋がりのないママなんだよね。
「いつもテレビで観ています。人狼陣営、がんばってね」
「ありがとうございます」
なんか、優しそうな人じゃないか?
なんとなくアリサちゃんのママって「アリサちゃんとうまくいってないんだろうな」って先入観を持っていたから、意外。でも、安心したかも。