表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

208/241

207:Happy Valentine's Day!

銅親(どうおや)監督! リョウスケ先輩が体を張った熱演をしてくれたんです。ぜひ観てください」

「えっ?」

 

 撮影データを銅親(どうおや)監督に渡してから、私たちは火臣家(ひおみけ)へ向かった。途中でコンビニに寄ってプレゼントも購入済だ。

 火臣家の庭には、不特定多数が自由に寝泊りできる小屋があり、ところどころ地面に穴が空いている。

 大きくて立派な家なんだけど、見た目も中身も変人の巣窟(そうくつ)だよ。


「ただいまっすー。妹ちゃん連れてきたっすー」

  

 パトラッシュ瀬川は、まるで我が家のような顔で家に入っていく。

  

「お邪魔しまーす」


 挨拶して居間に入ると、記者たちが親戚のおじさんみたいな笑顔で歓迎してくれた。ここがパーティ会場か。

 

「おおっ、本当に連れてきたのか」

「やるなパトラッシュ」

   

 テーブルには大人数用のご馳走とケーキが並んでいて、何人かは足元に缶ビールを転がしてソファで寝ている。

 中にはノートパソコンで原稿を書いている記者も……おや、なんか今スルーできない文字が見えたぞ。


「やばいって。葉室王司さんが来たぞ」


 そこのおじさん~?

 何の原稿を書いているのかな?

 話しかけちゃうぞ?

 

「わあ、お仕事中ですか? お疲れ様です」

「お、王司ちゃんっ。見ちゃだめだよ!」


 慌てて隠そうとするけど、もう遅い。

 

「わあ~、『現代のロミジュリは監督宅のベランダが舞台!? 新人女優、葉室王司に監督相手に枕営業の噂?』『ドラマ制作チームと役者は倫理観に欠けていて空気が読めない』……?」

「わ、わあ~~!」

  

 監督の自宅に行ったこともないのに、何書いてるんだ。

 いたいけな新人女優をいじめて、悪い大人だな。


「ひどい……、私、監督のご自宅の住所も知らないのに。なんでこんな嘘、書くんですか? 名刺いただいてもいいですか?」

「ち、ちがうよ! これはリーク募集フォームから送信されてきたメールだよ。おじさん、ボツにするつもりだったんだ。怪しいリークがあったんだけどデマだとわかってるから、おじさんは採用しないよ!」


 記者はメールを目の前で削除してくれた。お仕事お疲れ様です。

 

「では改めて、お邪魔します」


 見た感じ、家主である火臣(ひおみ)打犬(だけん)は留守のようだ。 

 忙しいのか――最近、SNSも大人しいしな。

 

 お誕生日会の主役である火臣(ひおみ)恭彦(きょうひこ)は、なぜか料理を担当していたようで、台所からオードブルの皿を持って現れた。

 恭彦はライトグレーのカシミア×シルク混のニットとブラックのスラックス風テーパードパンツにソムリエエプロンを着用していて、愛用のマグロのペンダントとファミリーリングが光っている。

 明るい金髪は軽くエアリーなスタイリングで美青年オーラが凄まじいのだが、なぜかイロモノ感もあるのがこの兄の不思議なところである。


「葉室さん。お祝いに来てくださったんですか、ご多忙でしょうに」

「恭彦お兄さん、お誕生日おめでとうございます。これはバレンタインとお誕生日のダブルプレゼントなチョコです」


 以前CMで共演したチョコのバレンタインバージョンを買ってきたんだ。

 ひとくちサイズの可愛いチョコだよ。

 

「ありがとうございます。葉室さん」


 恭彦はオードブルの皿をテーブルに置き、チョコを受け取ってくれた。

 そして、テーブルに置かれていた缶ビールに視線を止めた。


「葉室さん。これはビールです」


 見ればわかるよ、そんなの。

 飲むなって言うんだろ。恒例行事だ。


「飲みません」

「葉室さんは飲めませんね。しかし、兄はこれが飲めるのです」

「うん?」

 

 何を言われたのかと思って目を丸くしていると、恭彦は缶ビールの蓋をプシュッと開け、くいっと飲んでみせた。

 もしかして今、私は見せつけられている?

 マウントか?

 

「……ふう」


 CMでも狙っているのか――恭彦が満足そうな顔で吐息を零すと、周囲から拍手が湧いた。

 なんだこれ。ネットニュースにでもなるのか?

 撮られまくっている……。

 私もポーズ撮っておくか。ピースピース。 


「葉室さん。このドリンクは大人マグロの飲み物です」

「あっ、はい。大人マグロ?」

「ドラマ撮影が大変だと聞いていますが、兄は応援しています。ひっく。何かあればこの兄を頼るといいでしょう。ひっく」


 ほんのりと目元を赤くした恭彦は、気のせいか、微妙に偉そうになった。

 まさか今のひとくちで酔ったのか。弱……。


 記者たちが「このチョコCMのやつじゃないか。あれやってよ」と無責任な声をかけてくる。

 カメラを向けられた兄はチョコを一粒私の口に運び、「俺はあげ専」とCMのセリフを再現してサービス精神を発揮した。

 チョコは美味しかった。もぐもぐ。ごっくん。

 

「恭彦お兄さん。お酒はちょっとずつ慣れるといいと思います。いきなりいっぱい飲むと危ないかも」

「ところで、葉室さん。先ほど『監督の自宅でロミジュリごっこ』という記事がありましたが、大人に誘われてもノコノコと付いて行ってはいけません」

「付いて行かないです。ロミジュリごっこしてないです。あれ、デマですよ」

「ですが葉室さん。今日もパトラッシュに付いてきて我が家にいらしたのでは? そういうところですよ」


 私はなぜ説教されているんだ?

 解せぬ……。

 

「聞いていますか葉室さん。大人は油断ならないのです。隙を見せてはいけないんですよ。大事なことなんです……そもそも葉室さんは」

 

 あっ、スマホに通知が届いてる。

 

 八町から「今日はどうだった?」だって。

 八町~、私は今、酔っ払い兄に絡まれてるよ~。

 

 あ、あと、もうひとつ報告することがあったな。


葉室王司:今日、八町を殺したよ

八町大気:君は何を言ってるの?


「葉室さん。兄の話を聞いていますか。俺は20歳なんですよ」

「立派な20歳の大人マグロですね、お兄さん」

「そう、20歳の大人マグロなんです……なのにピカチュウの君がお祝いのファンレターを送ってくれないのですよ。もう別の推しを見つけてしまったのでしょうか。俺はどうして生きているんだろう……また調子に乗ってしまった。死にたい……ちょっと庭に穴を掘ってきます。ライフワークなんです、穴掘るの。それしか取り柄がないとも言う……俺は実はモグラなのかもしれない。ひっく」


 いきなり憂うつモードにならないで。

 八町~、このお兄さん、お酒飲ませない方がいいタイプなのかもしれないよ。


「ただいまー」


 酔っ払いに絡まれながらスマホを弄っていると、家主の火臣(ひおみ)打犬(だけん)が帰宅したようだ。

 よーし、そろそろ帰るか。


「私、裏口から帰りまーす」


 記者さんたちが察した様子で「おじさんが肉壁になって隠してあげる」「おじさん時間を稼ぐよ」と笑ってくれる。

 さすが、わかってる~。


「はっ。娘の匂いがする」


 廊下から気持ち悪い声が聞こえてきた。

 お前の鼻はどうなってんだ。最悪だな火臣打犬。


「王司ちゃん、お土産にケーキどうぞっす」

「ありがとうございます、パトラッシュさん」


 パトラッシュ瀬川にケーキ入りの箱をいただき、私は無事に火臣家から脱出した。

 

 帰宅してからスマホを見ると、火臣打犬が久しぶりにSNSを更新している。


火臣打犬:今日は息子きゅんの誕生日なので全世界に祝って欲しい

火臣打犬:それと、すごいことを発表する予定があるかもしれない

火臣打犬:なんだと思う? 


 ――『ファン(アンチ)の反応』

:引退かな?

:週刊誌にドギツイ不倫ネタがリークされたのかな

:ついに息子さんと結婚ですか

:マジレスすると娘が自宅に来てたよっていう喜びの報告だと思う

:もったいぶっちゃって……

:打犬さん♡子供ができました♡

:打犬さん! ↑この女誰よ! 本命は君だけだよって言ったのに!

:彼の本命は俺だよ

:恭彦君ハッピーバースデー!

:妹ちゃんとのツーショットが公開されてるぞ

:仲良し兄妹だねえ

:ビール飲んでる

:王司ちゃんの顔がなんか羨ましそうで草 

:妹ちゃんにはまだ早いね(笑) 

:王司ちゃん可愛いな

 

 SNSはいつも通り賑わっていた。平和だなー!

 

 あ、そうだ。

 恭彦に改めてメッセージを送っておこう。


葉室王司:恭彦お兄さん、メッセージでもお祝いしておきますね

葉室王司:お誕生日おめでとうございます!

葉室王司:お酒はほどほどに


 恭彦からは、モグラのスタンプが返ってきた。


火臣恭彦:ありがとうございました

火臣恭彦:俺は今日からモグラになります

  

 マグロの次はモグラか。

 相変わらずよくわからない感性だ。


葉室王司:お兄さんは、チワワも似合うと思いますよ


「王司、お友だちからチョコが届いているわよ」

「えっ」

 

 私がスマホで遊んでいると、ママがチョコを並べてくれた。

 ほう。こっちはアリサちゃん。こっちはカナミちゃん……あれ、これって送り合うやつ?

 私も送った方がいいのでは?

 

 グループチャットを見ると、二人とも「ハッピーバレンタイン!」とチョコの写真とメッセージを送信していた。


三木(みき)カナミ:あたしのチョコは「はじけるキャンディチョコレート」!

三木カナミ:本当は手作りに挑戦しようとしたんだけど

三木カナミ:うまくできないから買っちゃった

高槻(たかつき)アリサ:私はお兄ちゃんとデートして選んだよ

高槻アリサ:週刊誌の記者さんが写真撮ってきたから二人で一緒にピースしてあげた

三木カナミ:草

三木カナミ:それは何の記事になるの

高槻アリサ:わからない!

高槻アリサ:記事楽しみにしてますって言っておいたよ


 わあ、わあ、話が(はず)んでる。私もチョコ買いトークしたいよ。

 

「王司。ママとチョコ選びデートする?」

「する!」


葉室王司:二人とも! チョコありがとう!

葉室王司:私、これからママとチョコ買いに行くよー!


 二人に宣言して、私はママに連れられて銀座に行き、ピエール マルコリーニで初めてのチョコ選びをした。

 LOVEジュエル7の全員で食べる用と、ママと一緒に食べる用。セバスチャンにも分けてあげるよ。

 ポーチがおまけについているチョコがあったので、アリサちゃんとカナミちゃん、自分用にゲットした。

 3人でお揃いポーチだ。やったね。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 ――『おまけの八町(やまち)大気(たいき)』 


葉室王司:帰る途中でポケモンのチョコを見かけたから、火臣家に送っておいたんだ

葉室王司:ピカチュウがどうとか言ってたし喜ぶだろうって思ってさ


「江良君。僕には……?」


 震える指が文字を入力しかけて、止まる。

 『僕もチョコがほしかった』……その一文を書くと、自分の中の大切な何かが失われる気がしてならない。

 江良君。

 僕は。僕は。僕は、君からの特別扱いが欲し、

 

葉室王司:あ、寝る時間だ

葉室王司:おやすみ八町


 あ、ああっ……。

 

 親友はこちらの気持ちを知らずに眠ってしまい、僕は一人寂しく枕を濡らした。

 

 これでいい。

 これでいいんだ。

 

 しかし、夜明けとともに我が家に配達員がやってきた。なんと配達員は、親友からの贈り物を届けてくれた。


「こ、これは! チョコレートではないか!」


 え、え、江良君……! 

 君ときたら、人たらしな真似をして。

 油断させておいていきなり贈ってくるんだ。 

 僕の情緒を弄んでぐちゃぐちゃにして、いけない子だよ……!

 

「ガナッシュ ピュール、5個入り……か」


 SNSをチェックすると、娘からチョコがもらえなかった火臣さんが「中学生の娘ちゃんはパパいやーんってなる年頃なんだ。俺は詳しいんだ。健全な発育に乾杯」と強がっている。ふっ……。

 

 本日は天気快晴、白雲は穏やかに大空を流れていく――麗しい朝だ。

 実に紅茶が美味しい。実の父親がもらえなかったチョコを、僕はもらえたのだ。


 それではチョコをいただこう。


 ハッピーバレンタインだ!

ベランダの銅親監督「妻からバレンタインチョコがもらえませんでした」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ