201、このテレビ局は燃えています
冬の早朝、週刊文春の記者である三ノ浦は、愛車の中で次のプラン会議用のネタを考え込んでいた。
助手席には愛用のノートパソコンとICレコーダー、そして色鉛筆がぎっしり詰まったペンケース。頭の中はネタでいっぱいだ。
週刊文春の記者の1週間は、木曜日から始まる。
木曜午前のプラン会議で、1人最低5本のネタを持ち寄り、翌週に発売する号の記事のラインアップを決めるのだ。
会議の後、午後には記事の発注があり、取材が本格的にスタート。
金曜から月曜にかけて、取材に奔走。
月曜の夜には記事を書き上げて、火曜の朝に提出する。
水曜は早刷りが業界に出回り、反響対応を行う。
このサイクルの中で、記者たちは常にネタを追い求め、時に張り込みや資料精査に膨大な時間を費やして生活している。
「俺のネタ案1つめ、Youtubeでの人気の放送作家モモが<ゼロ・プロジェクト>のイケメン企画プロデューサーと熱愛疑惑……ネタ案2つめ、ケストナー監督が日本贔屓の起業家エイデン氏と和解し、プロパガンダ映画の制作中? ……ネタ案3つめ、アイドルグループLOVEジュエル7の三木カナミちゃん、枕営業のAI製デマ画像が出回る……ネタ案4つめ銅親絵紀監督が深夜に自宅のベランダで……」
ネタをまとめながらニュースサイトを更新すると、トップページが芸能ネタ一色に染まった。
もちろん「経済」「政治」「国際」といったカテゴリーをクリックすると他のニュースもたくさん掲載されているが、芸能界の炎上記事はSNSでも爆発力がある。
「カナミちゃんの歌はよかった。これからブレイクしそうだし、炎上ネタをいつでも出せるように用意しておきたいな……」
記者が思うに、三木カナミはバズり力が高い新人アイドルだ。
彼女は炎上を恐れない。
今の時代、それが強みになる。
アンチは積極的に話題を拡散してくれるバズらせ手伝いボランティアだ。
三木カナミにはファンもいるので、アンチとファンがSNSでファイトしてくれて、2倍3倍の宣伝効果をもたらしてくれる。しかも、所属アイドルグループの仲間と仲がよく、他のメンバーも積極的に「カナミちゃんをいじめるな!」とお気持ち表明するだろう。PVが伸びるぞ。
「しかも、『お友だちのカナミちゃんについて話を聞いてもいい?』と近寄れば葉室王司ちゃんに取材できるんだ」
三ノ浦は、葉室王司ちゃん推しだ。
芸能界の美女たちはピュアなふりをしていても中身は酸いも甘いも噛み分けた歴戦の猛者だったりするが、王司ちゃんは男子として育てられた少女だけあって、隙が多くて無防備で、無自覚だ。異性経験もまだないだろう。その本物のピュア感が、おっさんの見守り欲をそそるのである。
公式動画チャンネルの『がんばる王司ちゃんシリーズ』で走ったりストレッチしたり発声練習している王司ちゃんを見ると、「おじさんがいつも見てるからね♡がんばれ♡がんばれ♡」とコメントしたくなってしまい、腱鞘炎を発症して1文字打つのにビリッとした激痛が走るときでさえ、毎回コメントしてしまう。重症である。
「……ん?」
ふと車の外に見慣れた顔が見えて、三ノ浦は思考を止めた。
「あそこにいるの、火臣さんだ。それに、八町大気もいるじゃないか」
場所は、大病院の入り口だ。
そこに、現在トップ俳優の呼び声が高く、「抱かれたい俳優ナンバーワン」として女性たちの心を掴む火臣打犬が立っている。
彼の家は誰でもいつでも出入りできて、住み込み状態の貴社たちもいる変な家だ。第二の家みたいに思っている記者がたくさんいて、お互いに仲間意識みたいなものを抱いている。
最近はGASに選ばれなかった俳優たちもいて、食材を持って立ち寄ると情報交換しながらバーベキューや焼肉ができる。
王司ちゃんトークでも盛り上がれるので、三ノ浦は気に入っていた。
火臣打犬の傍らには、有名な映画監督の八町大気がいた。二人揃って変装しているが、間違いない。
「何で二人揃って、病院に……」
八町大気はかつて親友を亡くしたショックで自殺未遂を図った過去があり、その後も精神的に不安定な状態が続いていると噂されていた。
SNSでは「#八町先生おいたわしい」というハッシュタグがトレンド入りするほど、注目されている人物だ。
二人が一緒にいること自体は不思議ではない。
火臣打犬は八町大気の次回作に出演予定で、すでに撮影は始まっているからだ。撮影現場でトラブルでもあったのかもしれない。
「八町先生のおいたわしさをたっぷり詳しく暴露する記事もウケそうだよな」
車窓越しに見える八町大気はうつむきがちだが、火臣打犬は肩に手を置いて励ますような仕草を見せている。付き添いなのだろう。
やはり、八町大気は「おいたわしい」のだ。パシャッ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
葉室王司:カナミちゃん、カラオケバトル優勝おめでとう! 観てたよー!
三木カナミ:ありがとう王司!
スマホでお祝いのメッセージを送ると、カナミちゃんはすぐにお返事をしてくれた。
三木カナミ:王司はこれからドラマの撮影だっけ?
葉室王司:顔合わせだよ
葉室王司:本読みもあって3時間くらいの予定
三木カナミ:気を付けてね王司
三木カナミ:テレビ局、今結構やばいっぽい
三木カナミ:ニュースサイトで盛り上がってる
葉室王司:あー
ニュースサイトでは、「芸能界の闇を暴く!」系のタイトルの記事がホットコンテンツ化している。特にテレビ局が炎上中なんだ。
三木カナミ:まじで気を付けてね
葉室王司:ありがとう
葉室王司:カナミちゃんも気を付けてね
私が出演する予定の新ドラマは、『人狼ゲームxサイコパス』。
中高一貫の名門学園の生徒たちがデスゲームに巻き込まれる内容で、私はサイコパスな人狼役――悪役だ。
ドラマの顔合わせは、制作会社の会議室で行われた。
脚本兼監督は、銅親絵紀。
江良の記憶だと白っぽい服装が多かった気がするけど、今日は黒づくめだ。
彼は、八町の信奉者で、明るくて社交的な好人物だった。
『少年とテントウムシ』を観て「自分も八町大気の脚本を演出したい」と思って演出家を志した、というエピソードが有名。演出を担当した『フローズン・ドクター』でドラマアウォードのグランプリを取っているし、『最超バズ・PV数コンテスト』のショートドラマで優勝した実績がある。センスがいいんだ。
――ただ、人格面においては最近は不安定っぽい。
SNSやインタビューで過激な発言も目立っていて、有名なのが『最超バズ・PV数コンテスト』のインタビューだ。
『現代ネット社会の炎上マーケティングについてですが、「悪名は無名に勝る。もうやったもん勝ちなんだから、こっちもやったれ」って僕は思いました。
過激だったりあり得ないことをして、多数の人が話題にする。それで話題作になる――大衆は自らの正義感や倫理観に火を付けられ、踊らされ続ける。彼らは悪人に集団で石を投げるが、その石が積み重なると金塊の玉座になる。金塊の玉座に座ると、悪人は成功者になる……。
こういう時代を、僕たちは生きている。くそくらえ』
SNSのアカウントは現在消えていて、「突然謝罪してアカウント削除した」と噂されている……。
「本日はご多忙の中、『人狼ゲームxサイコパス』の顔合わせ説明会にお集まりいただき、まことにありがとうございます。総合演出監督の銅親絵紀です。今回の作品について説明する前に、皆さんに宣誓します」
銅親監督は、細面を沈痛な表情にして、深々とお辞儀した。
まるで謝罪記者会見みたいな雰囲気だ。
「宣誓。僕は不正や炎上商法を好みません。この現場は各種ハラスメントに気を付け、安全第一、ストレスフリーでクリーンな進行を心掛けます」
なんだって?
首をかしげていると、銅親絵紀監督は追い詰められた気配で切々と語り始めた。
「皆さんもご存じかと思いますが、昨年から今年にかけて、次々と業界の不祥事が明かされました。とても申し訳ないことに、僕が務めるこのテレビ局も上層部の性接待が話題です。スポンサーは出資を渋っていますし、何社かは撤退しています。火の付きやすいご時世に怯えて、かの八町大気監督も暴君映画監督のそしりを受けないよう、クオリティへの拘りを捨てた――自暴自棄になってノーリテイクの長回し一発撮りで映画を作り始めた、と囁かれているくらいです」
えっ。「クオリティへの拘りを捨てた」はデマだよ。
八町のノーリテイク一発撮りは、火臣打犬で遊んでいるだけだよ。
「僕は少し前まで『炎上上等』といった過激な発言をしていたので、今、立場が非常に危ういです。もちろん、不正や性犯罪、薬物には手を染めていませんが――妻にも叱られ、SNSで謝罪をしてアカウントを削除しました。大変申し訳ございません」
銅親監督は、頭を一回上げてからもう一回下げた。
完全に謝罪モードだ。
うわあ……みんな困惑してる。
息子の銅親水貴が真っ赤になって俯いちゃってるじゃないか。なんか可哀想。
しかし、父親である銅親監督は語り続ける。
「実は、同じテレビ局で先週開始したばかりのドラマ『不倫して何が悪いんですか!』は、すでに役者陣が逃げていきました。そのため、早期打ち切りが決定しています。このドラマの制作も、今、微妙な状況です。まだ留まってくださっているスポンサーのうち最大手の三日自動車からは、『問題を起こさないように』と言い含められていますが……制作会社とテレビ局も揉めていまして、ストライキも起こされています! 制作会社に協力を断られたので、自局の制作部だけで作ることになる始末……」
き、厳しい状況なのか。
監督は、残念そうに語った。
「評判の低下している問題テレビ局で仕事をすることで、皆さんの世間的イメージが低下するリスクがあります。また、余裕のある制作ができず低質な作品を世に出すことになり、キャリアに傷を付けてしまう恐れもあります。もし、出演を取りやめたい方がいましたら、今すぐご退室くださって結構です。通常、降板すると違約金が発生しますが、今回は請求いたしません」
最後まで説明して、銅親監督は役者たちの反応を待った。
わあ、わあ。大変な事態じゃないか。適当な対応はできないよ。
こういう時は、世間から「正しい」と言われる対応を選ばないといけない。
人狼ゲームと同じだ。
やり玉にあがっていて処刑される人と味方っぽい立ち位置にいると、次は自分が危険になる。
ライン切りをして、村人サイドの発言をしないといけない。
そうすることで、村の一員として生き続けることを許されるのだ。
なので、「不祥事はよくないと思います」という主張は基本姿勢として必須となる。
「よくないと思うので、降ります」が、わかりやすく無難だ。
「……」
銅親絵紀監督はたっぷりと時間を置いて反応を探った。
これ、誰かが「じゃあ降ります」って言ったら連鎖するんだろうな。
そして、制作中止まっしぐらだ。ひええ。
降りた方がいいかもしれない。しかし、演じたい。
みんな、きっとそんな葛藤を抱えてるんだろう。
かく言う私もこのドラマを楽しみにしてきたんだ。
そして、 中学生で、葉室家のお嬢様の肩書きを持つ私だからこそ出来る発言があると思う。
よし、手を上げて発言しよう。
「銅親監督。ご発言よろしいでしょうか?」
「葉室王司さんですね……どうぞ」
「はいっ」
立ち上がると、注目が集まる。
最初だし、自己紹介しようかな?
「えっと、皆さん、こんにちは。兎堂舞花役の葉室王司です。私、このドラマに出たいです。台本も読んで、役作りもしてきました」
できるだけピュアな感じで可愛く言おう。お嬢様っぽく。
「でも、炎上している問題をスルーするのもダメだと思いますし~、私、おじいさまにおねだりしてみます」
台本を両手で持ち、口元を隠して銅親監督を見上げると、監督はぎょっとした顔をして後退った。
「お、おじいさまにおねだり……? おじいさまって、最近になって『財界の天皇』と呼ばれるようになった葉室鷹祀さん?」
その呼び名は初めて聞いたよ。ちょっとびっくりしたよ。
「……はいっ。たぶん、そんなおじいさまです。私はあんまり詳しくないんですけど、おじいさまは、いろんな会社を持っているし、株とか経営のことにお詳しいので、おねだりしたらテレビ局を買ってくれないかなって思うんです」
「えっ……いや、テレビ局はね、そんなネットショッピングみたいにおねだり出来るものではないと思うけど……出来ちゃうのかな……?」
「監督。私のおじいさま、株を買うの、お得意です」
「お得意そうですね……」
「テレビ局を買う」はハッタリにしても、なにかしら影響力の行使は期待できるだろう。
やはり、おじいさまという存在はこういう時に光る。
江良にはなかった最強の家族コネクションだよ。
私が家族コネクションの頼もしさを噛みしめていると、他の役者も「なんかいけそう」と思ったのか、意思表明し始めた。
「学園教師の天城麗華役、西園寺麗華です。私は、『ピンチはチャンス』という言葉を愛しています。長年この業界にいますが、どんな現場でも自分の役目を果たすのが役者の責任だと思っています。それに、今回の役は当て書きしてくださったと聞いて、感激していたんです。私は最後までやり抜きます!」
「デスゲーム運営スタッフ、白峰いずみ役の姉ヶ崎いずみです。人狼ゲームが好きです。麗華ちゃんが劇で悪役をしていて、私も悪の華を演じたいと思ってました。ここで降りたら、もう二度とチャンスは巡ってこない気がします。私も当て書きをしていただいていて、オファーがとても嬉しかったです。死んでもこの役を手放しません!」
次々と役者たちが「自分も残る」「降りない」と表明していく。
「さすがに死にそうになったら役は手放してください」
銅親監督はちょっとおろおろしながらも嬉しそうだ。
監督が「僕のエース」と呼ぶ星牙も、やる気を見せてくれた。
「荒れてるっちゅーことは、注目もされやすい! 監督のエースであるぼくは、注目されるのが大好物の承認欲求の塊やねん。テレビドラマで主役させてくれるって、そりゃ残るわー、『お前船降りろ』って言われても降りんわー! アッハッハ!」
星牙はひまわりのように元気に笑い、他の役者に「そやろー!」「残るよなー!」と絡んでいった。新人なのに遠慮が全くないのが星牙らしいや。
そういえば、もう一言いい?
「銅親監督~! あと、三日自動車の御曹司、相山先輩は私の先輩でもあります。先輩にも『スポンサー降りないで』ってお願いしておきますね」
「ウ、ウワア……?」
あっ、銅親監督がチイカワみたいになっちゃった。
泣かないで。
「帰る」「降りる」って言い出す役者はいないようだし、ドラマ撮ろうよ。
「監督の脚本、過去の作品とちょっと作風が変わっていて刺激的で、過激だけど面白くて、自分の役も魅力的な子で、私はすごく『演じてみたい』って思ったんです。ぜひ、いいドラマを作りましょう!」
励ますように言うと、銅親監督はテントウムシ柄のハンカチで涙を拭った。可愛いハンカチだな。あっ、洟かんだ。
「ずびっ……皆さん、残ってくださり、ありがとうございます。先ほども申しましたが、同じテレビ局で先週開始したばかりのドラマが早期打ち切りになりそうです。編成部では過去のドラマを再放送して繋ぐ対応も考えていますが、可能ならばこのドラマの放送予定を早めて穴埋めできないか、という要望も来ています」
えっ。それだと、放送開始が1か月以上……下手したらもっと早まるのでは?
スケジュールがかなりタイトになりそう。人によっては、他の仕事の兼ね合いで「無理です」と言い出す人も出てきそうな。
「放送枠に生じる穴を埋めるコンテンツを作る、とにかく形にして放送する……それが我々の使命です。余裕がなくて恐縮ですが、もしよろしければ、どうぞご協力をよろしくお願いします!」
銅親監督が必死な声で懇願する。
多忙な売れっ子女優や男性アイドルが「そういうことなら、やっぱり帰ります」と言い出さないかとヒヤヒヤしたけど、帰る人は出なかった――よかった。