2、ネット配信番組だ
気付けば、ステージの上に立っていた。
国民的俳優、江良九足、38歳。独身。恋人なし。
それが俺だったはずだ。
直前まで、誰かに何かを伝えようとしていた気がする。
記憶が混乱している――どこだ、ここは?
視点が低い。この凄まじい全身の違和感はなんだ?
着ているのは、赤いジャージ?
ステージに設置された大型モニターに番組名が表示されている。
これ、三日後に出演する予定だったネット配信番組じゃないか。
「エントリーナンバー13番。役者志望の葉室王司くん」
聞き覚えのある女優の声がした。
首元から胸にかけてゆるふわウェーブの茶髪が垂れている、フェミニンな美人。
西園寺麗華――真面目な後輩だ。
「……っ?」
この雰囲気、まるで俺が葉室王司みたいじゃないか?
葉室王司は週刊誌やSNSで見た覚えがある名前だ。
華族の母親を持つ、お金持ちのお坊ちゃんとして世間に認知されている。
確かつい最近、SNSで学校のいじめだか女子を巡るトラブルだかで炎上してたような。
俺は悪夢でも見ているのだろうか。たぶん夢だよな。
それにしても――この体……?
ぺたぺたと触って確認し、服をめくってみる。
「ちょ、ちょっと! あなた……13番……葉室、王司くん……!」
苦しかった原因がわかる。
包帯がきつく巻かれていて、胸が締め付けられている。緩めると楽になって、はっきりと胸のふくらみがわかる。控えめなサイズの女子の胸だ。
そして、たぶん股間にあるはずの息子がない。
これは夢だな。
寝ている俺の体の上に飼い猫でも乗っているのだろう。あいつめ。
「女子だったの?」
西園寺麗華の呟きがマイクを通して会場に響いている。
観客もざわざわとしていた。あ、モニターに今の胸チラが映ったのか。
――――葉室王司は、女子だったんだなぁ。
ぼんやりと夢心地でいると、スタッフが俺を引っ張って退場させた。
「別室にてお話をお伺いします」
この夢、リアルだな。
そして、全然目が覚めない。
時間が経つにつれ、「もしや現実なのでは?」という思いが強くなる。
「葉室王司さんは失格です。お帰りください」
やがて、スタッフから失格が言い渡されて、ポイッと会場の外に放り出された。
外は暑くて、すぐに汗ばむ。
車の排気ガスの匂いがして、風が吹いて肌を撫でる感触が現実っぽい。
あれ? これ、現実?
俺はどうしたらいいんだ?
段々と「これは夢ではないのでは」と思えてきて唖然としていると、見知らぬ人たちが声をかけてきた。
「あのー、あなた、さっき出演してた子よね? 女の子なの?」
「葉室、お前、女だったのかよ!」
「ステージの上で胸チラカミングアウトってどういう脳みそしてんの」
あっ、ちょっと。服ひっぱらないで。
ごめん、今この子、中身が俺なんで。
知り合いに話しかけられてもわかんないんで。
というか、俺、王司ちゃんの家、わからないんだが……?
タクシー代あるかな。生徒手帳とかに住所書いてたりするのかな。
「なんか荷物漁ってるぞ」
「マイペースな子だな」
「近くで見ると結構可愛い」
うわ、財布の中身53円って何事だよ。
この子はお金持ちの家の子じゃないのかよ。
スマホは? おい、PINコードがわからんぞ。
生年月日とか? しかし俺、王司ちゃんの生年月日も知らん。
誰か助けてくれないだろうか。
こっちは中学生だし、周りにいる人たち結構好意的みたいだし?
「あ、あのう……私のお家、わかる人いますか? 帰りたいんですけど……家の住所も忘れちゃって……あ、生徒手帳あった。お金53円だけどタクシーで帰って親に払ってもらったりできそうかな?」
「家わからないってなに?」
「なんか変な子だな」
タクシーを捕まえて住所を告げる。この子の家は松濤にあった。
塀が高い家が並ぶ住宅街の一角でタクシーは止まり、俺は外に出た。
親は在宅だろうか。タクシー代を払いたいんだけど。
葉室家の表札を確認していると、男の声がした。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「おっ……?」
声をかけてきたのは、20代後半の外国人の男だ。
執事服を着ていて、赤毛の短髪。
彫りが深い顔立ちで、目が青い。
「執事さんは葉室家の関係者の人ですか?」
関係者ってなんだよ、と内心で自分につっこみをいれつつ問えば、執事さんは恭しく頭を下げた。
「アクマの執事でございます」
「……アニメの真似? 俺知ってるよソレ。黒執事だろ」
「セバスチャンデス」
「本名? なりきり?」
微妙にカタコトの発音のセバスチャンはタクシー代を払ってくれて、家の中に案内してくれた。ありがたい。
塀の内側は外国人が喜びそうな純和風の豪邸だ。
しかも玄関で別の使用人さんが出迎えてくれた。今度は長い髪のお姉さんだ。しかも、和風のメイド服を着ている。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「た……ただいま……?」
王司ちゃんの家は金持ちだ。間違いない。
セバスチャンは俺に王司ちゃんの部屋を教えてくれて、食事も運んでくれた。
食事は美味いし、部屋を漁るとスマホのPINコードも判明したが、俺はひとつ見過ごせない重大な問題に気が付いた。
王司ちゃんは、女子用ショーツを履いてない。ブリーフだ。
タンスの中の下着も、ブリーフしかない。
「ガチで男として日常過ごしてた?」
幼い頃はそれでよくても、さすがにこれくらいの年齢ともなれば、いろいろと厳しいのでは?
なんで男のふりをしてるんだろう。本人の意向? 家庭の事情?
なにより気になるのは、なんで俺はこの子になってるんだろう……。
本当に謎である。