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199/241

199、コツメカワウソは喋らない

 ――【八町大気視点】


 いつの間にか、意識が飛んでいたみたいだ。

 時計を見ると、0時をとっくに過ぎている。

 

「あっ。あれ? 僕、何してたんだったかな?」


 八町(やまち)大気(たいき)は暗闇の中で呆然とモニターを見つめた。


 何をしていたのか、思い出せない。まるっと記憶が抜けている。

 

 場所は自宅。ひとりだ。

 照明を落とした室内で、自分は椅子に座ってパソコンのモニターを見る姿勢だ。

 手にはスマホが握られている。モニターの脇には、ティーカップとコツメカワウソのティーバッグもある。モニターには『この配信は終了しました』という文字があって……配信を観ていた?

 

「まずいな。飲酒もしていないのに記憶がなくなるとは……我ながら『おいたわしい』案件だぞ」

 

 部屋の照明が切られているのは、「映画館のように暗くした部屋で鑑賞したいから」という理由で切ったのだろう。よくあることだ。

 

 部屋の照明を付けると、モニターの前に置かれたティーカップにしがみついているコツメカワウソのティーバッグと目が合った。

 今日も元気な笑顔だ。「何も心配することないよ」って言われている気分になる。


「疲れてるんだ。歳を取ると疲労が蓄積しやすくなって、困るね」

 

 自分に苦笑しながら視線を自分の手に握られたスマホに移動させると、待ち受け画面が表示されていた。

 

 配信を観ながら江良君にメッセージを送ろうとしていたんだっけ?

 それとも……?


「……GASのグループチャットで『評価シートに異議あり!』と文句を言おうとしてたんだったかな?」


 GASの教官たちの取り組みで、若手役者たちのメンタルや能力についての評価シートが上がっていたのだ。

 八町はこの評価結果に不満があった。


 評価は高い順にS、A、B、Cなのだが、江良――『葉室王司(はむろおうじ)』が体力と家庭環境でC評価、心身の安定性でB評価を付けられているのだ。ちなみに葉室王司の兄である火臣恭彦も家庭環境と心身の安定性でCを付けられている。


「恭彦君はともかく、江良君の心身の安定性はSだ。僕はそう書いたのに、どうしてケストナー監督のC評価と相殺してBにしてしまうんだ。僕は許さないよ。せめてAにしてもらわないと」


 でも体力は確かにないな。あの体。

 華奢な葉室王司の姿を思い出すと、そこから記憶が蘇り始めた。

 

 スキー配信の江良君はできないフリなんかして……スキーは過去に僕が教えてあげたのにさ。

 僕との思い出を上書きするみたいに、恭彦(きょうひこ)君にスキーを教わったんだ、君は。


 ……そうそう、恭彦君。

 スキー配信の直前にメッセージを送ってきたんだ。ちょっと思い出してきたぞ。


火臣恭彦:八町先生、俺、最近ホリキネの友だちと一緒に売名に勤しんでます。女性社長の接待会にも参加しようかと思ってるんです。全員でホストクラブみたいな演出をするらしいです。もっと実績も増やすので、映画の主役にしてください。


 (あや)ういことを書いていた。

 それで、慌てて「接待会はやめときなさい」と返事を送ったんだ。

 

 スキー配信後に恭彦君から返信が来た。長文だった。

 メッセージアプリを開いてみると、ログがある。


火臣恭彦:八町先生、スキーの後で

火臣恭彦:(削除済)

火臣恭彦:この旅館に『少年とテントウムシ』の展示があります。俺、思うんですけど、死って何も感じなくなるから幸せになれると思うのです。生きていても、苦しいことや辛いことがたくさんあるじゃないですか? それなのに、八町先生は一度死んだ主人公を死なないように過去改変するストーリーを描いて、それがハッピーエンドって言われている。八町先生、それって主人公に「生きている状態って幸せだよね」って押し付けていませんか? テントウムシの気持ちも俺にはわかるんです。エゴなんや。自分がそうあってほしいから他人を自分に都合よく変える、めちゃくちゃエゴエゴエゴなんや。でも主人公もむかつく。


 自分の返信も、ログに残っている。


八町大気:突然どうしたんだい? 配信観てたけど、楽しそうだったのに。長文の圧がすごいよ(汗)

八町大気:『少年とテントウムシ』かあ~、懐かしいな、あれは、僕にとっての黒歴史みたいなものだから

八町大気:あの作品について言うなら、主人公は事故死したというのがポイントかな。

八町大気:主人公には将来の夢もあったし、小学生から中学生になる時期で、まだまだ人生これからってタイミングじゃないか

八町大気:これが自殺願望持ちなら話が変わってきそうなものだけど

火臣恭彦:自殺願望まで行かなくても生きるのを諦めていたら?

八町大気:ああ、君の言いたいことがわかったかも……電話するよ。今ひとり?

  

 返信はなくて、八町は電話をしなかった。

 その時の自分は「そっとしておいた方がいいかも」と思ったのかもしれないし、「この子の相手は、ちょっと重い」と逃げ腰になったのかもしれない。

 

 ログはそこで止まったままだ。

 

 恭彦君は、感情を炸裂させて長文で自分の心を吐露したあと、賢者モードになっているのかもしれない。

 一方的にまくしたてておいて返事をスルーする態度は、人によっては立腹ものだろう。

 だが、本心を隠した浅く無難な付き合いが多い八町としては、ナマの感情をむき出しにしてぶつけてくる『悩める青少年』という生き物は好ましい。

 青さや未成熟さは、人によっては苛立つかもしれないが――八町は安心する。

  

「ふう……ちょっとずつ意識が飛ぶ前のことを思い出してきたぞ。返信を待っていたら、次の配信が始まったんだ。配信主は火臣さんだったな」

 

 火臣打犬は、いつもの何倍もはしゃいでいた。

 娘や息子と温泉旅館に宿泊しているのを自慢しまくり、繊細な息子を引きずるようにして貸し切り風呂に向かった。

 そして、カメラマンのパトラッシュ瀬川に撮られながら親子で背中を流し合った。

 

 僕がメンターをしなくても、恭彦君の周りには、たくさん大人がいる。

 だから、ほっといていいんだ。

 ――そんな風に思った気がする。

 

 湯舟に浸かった火臣打犬は、カメラに向かってそれはもう嬉しそうに言ったものだ。


「幸せだなあ。パパは幸せだよ。みんな聞いてくれ、俺は満たされている……これが幸せってやつなんだ」


 コメント欄は「浮かれ切っている」「恭彦が無理してる」「通報~!」と盛り上がっていた。

 

 八町はそのとき、複雑な心境だった。

 

 ――僕だったらこういう配信はちょっと嫌だなあ。

 でも、恭彦君は頑張ってる。偉いなあ。

 偉いよ、とメッセージを送ってあげようかな――と考えていた気がする。送るのを忘れていたようだが。

 

 風呂の後は、カメラマンのパトラッシュ瀬川が「今夜はそんな幸せな火臣打犬さんを徹底的に撮りまくるっす」と言い出して、火臣打犬と一対一で足湯に浸かったり岩盤浴をしながら攻めた映像を撮っていた。

 女性ファンが大いに喜んでいたが、八町は……。


「ああ……そうだった。僕、恭彦君の配信を観に行ったんだ」


 でも、申し訳ないことに配信の記憶はない。

 おそらく、配信にアクセスした後に寝落ちして、目覚めたときには終わってしまっていた――というのが真相なのでは?

 

 真相を推理して、八町はスッキリした。

 わからないままだとモヤモヤするし、不安になる。わかってよかった。


八町大気:恭彦君。偉かったね、お疲れ様

 

 メッセージを送ってから、「実は配信は寝落ちしていて観れてないんだけど」「目標達成シートも届いているよ」といったメッセージを追加しようか迷う。

 とにかく繊細な相手だから、褒めるときは他の情報を削いで、褒めるだけにした方がいいかもしれない。

 

 八町が閲覧権限を持つGASの評価シートが収納されたフォルダには、各メンバーが自分で考えて書いた目標達成シートも入っている。

 

 江良君は「八町大気先生の映画で主演を務めて映画賞を取る」だって。ふふふ。

 同じ目標を恭彦君とアリサさんも書いているから、3人で相談してお揃いにしたのかな?

 

「青春って感じだね、江良君。3人で主役争奪戦をさせてあげようかな?」


 若手の役者たちがキラキラと輝いて思えるのは、八町が知る大人の世界がどんよりと(よど)んでいるからだろうか。

 

 ネットニュースサイトでは『焼肉事件』と言われる円城寺(えんじょうじ)善一(ぜんいち)の事件をきっかけに芋づる式に「セクハラ」「パワハラ」といったテレビ局の不祥事が発覚し、話題になっている。

 試しに開いてみると、ほら、新しいニュースが追加されていて――「ホリキネの若手俳優を集めた接待会で女社長が突然のご乱心・俳優たちを巻き込んでの自殺未遂騒動発生。何が起きたのか」――えぇ……。


「闇が深い」

 

 時代が変わった。そんな感じがする。

 ――テレビ局で仕事をしている後輩を思い出す。

 

『八町先生。僕には、まだまだ修行が足りません。テレビで実績を作ってきます。賞を取って実力で有名になって八町先生の会社に転職志願します。待っていてください!』


 ……最近、すさんでしまったという銅親(どうおや)絵紀(えのり)

 彼のドラマに、江良君――『葉室王司』は出演するらしい。

 

「銅親君、僕の会社で働きたいと言ってたのになぁ」


 志願してくるどころか、こっちから「一緒にやらないか」と声掛けしてもスルーされている。

 人は変わる生き物なんだ。悲しいなあ。


 そうだ、江良君にもメッセージを送ろう。

 江良君はもう寝てるかな? 


八町大気:江良君。スキーお疲れ様。ドラマ撮影も頑張ってね


『八町先生のテントウムシが、好きなんです……!』

  

 いつかの銅親(どうおや)絵紀(えのり)の声が、なぜか思い出されてならない。

 思えば銅親君が「好きだ」と言ってくれたのは、何十年も前のふわふわした作風の僕じゃないか。

 僕のテントウムシは、もうずっと前に消えてしまったよ。


「ああ……」


 あの頃は、例えばコツメカワウソのティーバッグを見つめていると、コツメカワウソが喋ってくれたように思う。

 けれど、今の僕は、冷たくて重い現実の(かせ)が「ただのティーバッグじゃないか。喋るわけない。あり得ない」と訴えかけてくる。


「……君は、喋らないね」

  

 ――コツメカワウソのティーバッグは、喋らない。


「無口な子なんだ。僕はね、僕は……」


 僕は、枯れ葉みたいだ。

 落ちたくなくて、枝に必死にしがみついている。

 けれど、落ちたいような気もする……。


 八町大気は心の中で感情を煮詰め、作業フォルダを開いて脚本の続きに取り掛かった。

 

 葉室王司、火臣恭彦、高槻アリサ――八町の空想に命を吹き込んでくれる役者たち。

 そんな彼らが「主役をやりたい」と希望している新作の形は、未だに不透明で、不確かだ。

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