197、ホワイトアウト、謎配信
『少年とテントウムシ』の展示がされている部屋の二重窓からは、外の雪景色が見えている。
外は雪が降っていて、真っ白だ。道路はホワイトアウトと呼ばれる状態らしい。
昼間、晴れていてよかったな。
恭彦は展示室の窓際に配信用のカメラを置きながら、思い出語りをしてくれた。
「俺は当時、母親のコネで撮影を見学できました。このソファに西園寺先輩と姉ヶ崎先輩が座っていたんです」
「おお……」
「休憩時間にソファで話しているお二人に混ぜてもらいました」
「き、貴重な体験ですね」
相手が恭彦じゃなかったら「両親が芸能人で子供時代から業界知ってるんだぜ」ってマウントかと思うところだ。でも、このお兄さんだからな。
恭彦が促すのでソファに座ってみると、ちょうどアーチを正面から眺める位置になっていた。
配信はまだ始めないのかな? 準備中かな? お手伝いは必要ないかな?
「葉室さんの方位磁針で思い出したんです。『少年とテントウムシ』の主人公のイマジナリーフレンドだったテントウムシが実体を得て、門をくぐるシーンがありましたよね」
「主人公を助けて消えるシーンですね、恭彦お兄さん」
えっ、一番「ネタバレ注意」なシーンじゃないか。
不思議なことが何も起こらないってちょっとずつわからせられてきた子どもたちと視聴者の前で、突然「実は、不思議なことは起きるんです!」ってやるエピソードだよ。
『少年とテントウムシ』の主人公の少年、江藤シンイチ君は小学生だ。
シンイチ君は絵を描くのが好きで、スケッチブックに描いたテントウムシがイマジナリーフレンドだった。
シンイチ君の友だちもオカルトやファンタジーが好きな子たちで、みんなで都市伝説スポットを巡ったり、肝試しをしたりしていた。
今眺めている『青薔薇の門』も、『方位磁針を手にして南側に立ち、門をくぐると過去に行ける』という都市伝説がある門だ。
でも、子どもたちは都市伝説を一個一個巡って、「何も起きなかったね」「世の中に不思議なことなんてなにもないんだねー」と少しずつ諦めて、大人になっていく。
イマジナリーフレンドも忘れられる。
そんな中、シンイチ君は事故で死んでしまう。
「主人公が死んでしまってどうなるんだ?」と思っていると、なんとイマジナリーフレンドのテントウムシが具現化するという超展開。
テントウムシは南側から門をくぐって過去に行き、シンイチ君の命を救う。
そして、消えてしまうんだ。
「葉室さん。俺、テントウムシの絵が描いてあるスケッチブックを見せてもらったんです。それで……『テントウムシが動きだしそう』って言ったら、本当に動き出したんです」
「ふ……む?」
何を言い出したのかな? このお兄さんは?
「葉室さん。タネも仕掛けもなかったんです」
「あ、はい」
目が本気っぽいぞ。
「絵が動いたんです」
「ふ、ふむ」
なんか、熱がこもっている。笑い飛ばしたらいけない雰囲気だ。
「それで、飛びました」
「はい……」
恭彦はしばらく「いかにテントウムシの絵が動いたか」を身振り手振りを交えて話した。
とにかく動いたんだな、わかったよ。
ところで配信するんじゃなかったの? お話に夢中で忘れてない?
「それで、門に向かってひゅーんって飛んでいって、ふっと消えたんですよ」
「……わ、わあ~」
「それが本当に起きたことなんです。不思議な出来事ってあるんです」
うん、うん、と頷いて聞いているうちに、だんだんと瞼が重くなってくる。
室温が結構暖かくて、お風呂上がりというのもあって……眠気が。
「俺、ちょっと前までは、思い出しても白昼夢を見ただけだと思っていたのです。しかし、赤リンゴアプリという奇跡みたいなものが現実にあるとわかった今になって、もしかしたらアレは本当だったのか、なんて……」
意識が朦朧とする中、恭彦の声は続いた。
これまた、語る声が耳に心地いいんだ。
「赤リンゴアプリの件ですが……」
「……」
「……お願いしたいことが……」
「……」
意識が沈む。
ふわふわとした休息の感覚が気持ちいい。
「――……」
声は、もう聞こえない。
自分の体がなんだかフワフワした感覚だ。
夢を見ている感じがする――たぶん、今、寝てるんだ、私は。
なんとなくだけど、飛ぼうと思えば、飛べる気がする。
空を飛んだりする夢って、江良の頃からよく見るんだよね。
――ほら。
飛べた。
私はふわりと浮かび、部屋の天井に張り付いてみた。
そして、大きな青薔薇の門に気付いた。
青薔薇の花びらが風もないのに微かに揺れている。
それに、アーチの向こう側がなんだか白く光って見える。
さすが夢だ、幻想的だな。このアーチは、ただのアーチじゃないんだ。
――アーチ、くぐってみようか。
私はひらひらと飛び、アーチをくぐった。
白い光は、ちょっと眩しい。
夢の中なのに眩しいって変だけど、視界が真っ白だ。
窓の外に見えていた、遠くが全く見通せない真っ白な吹雪にも似ている。
アーチをくぐった私は、そんな風に白く広がる無限の空間に漂っていた。
地平線もなく、足元も空も境界が曖昧だ。
居心地は悪くない。怖いとか、不快な感じもない。
あ……、誰かがいる。
ぼんやりと立ち尽くしている『誰か』は、はっきりと姿形を認識できないが、人間なのはわかった。
怖い人ではない。どっちかというと、迷子みたいな頼りない感じだ。
「……どうしたの?」
声をかけてみると、相手はゆっくりと顔を上げた。
こちらの声は、相手に届いたようだった。
性別も、年齢もわからない。背が高いのか、低いのかもわからない。
認識がぼんやりとしているけれど、確かに目が合った……と、思う。
顔立ちもわからないのに目が合ったと思えるなんて、不思議だけど。
「……どこに行けばいいのかわからなくて」
声が高いか低いかも、これまたよくわからない。
でも、途方に暮れた声だな、困ってるんだな、と思った。
それに――夢だからだろうか?
私には、なんとなく「あっちに行けばいい」というのがわかった。
「私、わかるよ。教えてあげる。あっちだよ」
教えてあげると、相手はぽつりと呟いた。
「あ、……あのときの……」
うん? なーに?
首をかしげたとき、肩が揺さぶられる。
「――さん」
恭彦の声だ。
起こしてくれている。
そう思った途端に、フワッと意識が覚醒した。やっぱ夢だったんだなあ。
「葉室さん?」
「ふぁい……寝てました……」
恭彦が心配そうに私を覗き込んでいる。
「俺の話が長くてつまらなかったですね、すみません。大丈夫ですか?」
「あ、いえいえ、お兄さん。面白い夢でしたよ」
「……」
恭彦は少し考えてから、「配信はできそうですか?」と聞いてきた。
そういえば、配信するんだっけ?
コクリと頷くと、恭彦は即興劇の設定メモをくれた。
タイトルは、Reenactment……再現? 再演?
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タイトル:Reenactment
設定:あなたの大切な人が病気で余命宣告されました。
あなたは奇跡を欲していて、テントウムシに助けを求めたいと思い、ここに来ました。
そんなあなたのスマホに、赤リンゴアプリが現れました。
この設定で、演技をしてください。
====
ふうむ……?
設定に釣られた気分で自分のスマホを開くと、見覚えのあるアプリがあった。
「あれっ」
――赤リンゴアプリだ。
「こ、これ……」
なんでまたあるの? 即興劇と関係ある?
さすがに眠気を飛ばして驚いていると、恭彦の緊張気味な声がした。
「葉室さん。配信、スタートします」
理解が追いつかないまま、恭彦は配信を開始した。
その目には、謎の必死さがある。
この配信の目的はなんだろう?
演技の練習がしたい?
フォロワーを増やしたい?
「葉室さん。俺は、個人的にやりたいことがあるんです。ですが、ひとりではそれが難しいので、手伝っていただきたいのです。けして、悪いことをしようというわけではないんです」
詳しく言う気はなさそうだけど、なんか頼られてるのはわかったよ。
「お兄さんは良い人ですから、悪いことをしようとしてるなんて思いませんよ」
安心させるように笑ってあげると、恭彦は頭を下げた。礼儀正しい好青年ぶりである。
「お願いします」
「おっけーですよ、お兄さん。目も覚めました。ばっちり、お手伝いできますよ。演技の練習はいつでも大歓迎です。妹を頼ってください! 役者仲間ですし、家族は助け合うものなのですっ」
どやぁーっとした顔で言うと、兄は申し訳なさそうな顔で頷いた。
「大切な人……例えば、葉室さんの仲のいい高槻アリサさんが余命宣告されたと思って演じてみてください。それか、過去に体験した似た出来事があれば、それを思い出して……」
「お兄さんが大好きなメソッド演技ですね。アリサちゃんを余命モノのヒロインにするのは気が引けるので、お兄さんにしようかな。目の前にいるし」
「えっ。俺?」
「えっ、そ、そんな――お兄さん、余命三か月なんですかっ?」
「あ……はい。俺が死にます」
恭彦は片手で口元を押さえている。
血を吐く演技をしてもいいぞ。
ところで、配信は観られてる?
チラッと確認すると、コメントが早速流れていた。
:突然配信通知が来て見に来たら王司ちゃんがいるだと?
:こんばんは
:兄妹配信キターー!
:なにやってんの?
:兄妹揃って浴衣じゃないですか
:配信の概要に『お願い』があるよ
:『お願い:アーカイブは残しません。この配信のことは、他言しないでください』
:こんばんはー
:なんか恭彦君、死ぬんだって
:???
:余命三か月だって
:なんだって
「……まだ19歳なのに。これからの人生なのに。お酒の味も知らないで……そういえばお兄さん、お誕生日はいつでしたっけ?」
「2月です」
アッ、じゃあ、お酒の味は知ってから死ねるね……。
「せめて、お酒を飲んでから死にましょうね……」
「俺、それほど飲みたいと思わないのですが」
こんなに演技にはまってくれたのに。
やっとできた家族なのに。
「せっかく演技が好きになってくれたのに。才能があるのに――家族になってくれたのに……」
目に涙を溜めて、するりと泣いてみた。
:嘘だああ
:え、ガチなんですかこれ?
:王司ちゃんが泣いてる
:騙されるな、この子は芝居が上手いんや
:ドッキリを仕掛けられている?
:あー
:恭彦君死んじゃうの?
:1、本当に病気 2、ドッキリを仕掛けられてて王司ちゃんが信じてる 3、ワイらが兄妹にドッキリを仕掛けられている
:4、新しいドラマの番宣
:5、脚本は八町大気
:大喜利を始めるな
:嘘だと言ってええええ(涙)
:王司ちゃんの涙は本物だと思う
:悲しみが伝わってくる……
:これが演技なはずない
ごめん、演技です。
これ――「即興劇です」って早めにネタバラシした方がいいんじゃないの?
視線を向けると、恭彦は――真剣な顔で、食い入るように私の演技を観ていた。
そのまま続けてくれ、って雰囲気だ。ふーむ?