193、初詣。今年もよろしくお願いします
「ママ、おはよう。今年もよろしくお願いします」
「王司、おはよう。今年もよろしくね」
新年の朝。
葉室家の食卓には料理が並べられている。
甘くふんわりとした伊達巻は優しい味わい。
昆布巻の旨味が凝縮されていて、松葉蟹のカマボコは贅沢な甘みと弾力だ。
焼き目のついたお餅は砂糖醤油でいただいた。うーん、美味しい。
「お正月って感じだね、ママ」
「おほほ。王司。お年玉をあげるわ」
「わーい」
ママがくれたお年玉袋は、猫の絵が描いてあった。ミーコに似てるや。
「王司。こっちはおじいさまからよ。それとこっちは……」
「うん? ……サンタさんから……?」
このお年玉袋、「パパ」って文字の上から斜線引いて「サンタから」って書いてるよ。
絶対、火臣打犬だろ。
昨夜のモノポリーといい、ママとあの人はいつの間にか結構仲良くなってたりするのだろうか。
「王司。食べ終わったら初詣に行くわよ。お揃いの眼鏡を用意したわ」
「セバスチャンとミヨさんの分もあるかな?」
「もちろんよ」
あるんだ……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
お揃いの眼鏡で変装した私たちは、新宿の花園神社に出かけた。
朱塗りの鳥居をくぐると、甘酒の香りと焼きたてのたこ焼きの音が漂い、振袖や黒いコートが入り混じった行列が正月ムードを盛り上げていた。
私の変装はたぶんバレバレだけど、話しかけてくる人はいない。
優しい世界だ――いや、これ違うな。
見覚えのある金髪の青年と、彼の父――火臣恭彦と打犬がいる。あっちが注目を集めまくってるんだ。
「本物〜」
「あっちに火臣家いるし、撮影だよこれ! きゃー! こっち来たー!」
お揃い眼鏡は葉室家だけじゃなかったんだ。
眼鏡をつけた着物姿の火臣親子がこっちに来る。
しかも、住み込み記者もゾロゾロ連れてるよ。カメラ持ってるよ。あと、なぜか火臣家と記者たちは全員眼鏡だ。
「なんで全員、お揃いの眼鏡なの……?」
周りの人たちも同じ感想みたいで「やば、全員同じ眼鏡」「眼鏡の宣伝?」って騒いでるよ。
これはどう考えても親同士で打ち合わせしてたんだろう。
「潤羽さん。王司ちゃん。いやー、偶然だね。今年もよろしくね。せっかくだから一緒にどう? パパ、綿飴買ってきたんだ。これあげる。潤羽さんとメイドさんと執事さんにもお年玉あげる」
「どうも……」
打犬は袋入りの綿飴をくれた。恭彦は――あれ、お年玉くれるの?
「葉室さん。今年もよろしくお願いします」
「わあ~、恭彦お兄さん、ありがとうございます。じゃあ、私、あとでお守り買ってお返ししますよ」
打犬はカメラに向かって自慢するように胸を張った。
「見たか? パパってやつは、年頃の娘に冷たくされるものなんだ。で、冷たくされるのが快感になるんだな」
また変態なこと言ってる。普通の父親は快感を覚えないと思うぞ。
ミヨさんとママははそんな打犬が気にならない様子で、お年玉袋を手にカメラに向かって笑顔を向けている。
「私たち~、お年玉もらっちゃいました~」
「おほほほ」
二人揃って嬉しそうだな。
セバスチャンもお年玉袋を物珍しそうに眺めてるや。
「行列に並ぼう、みんな」
「行くわよ~」
新年早々、賑やかなことになった。
でも、GASに対しては「家族関係が良いでーす」ってアピールになりそう。
行列ができている朱塗りの階段の手すりには、白いおみくじがいっぱい結ばれている。
記者たちに前後を囲まれ、守られる形で家族は並び、行列はのんびり進んでいった。
待ってる間にスマホを見ると、SNSもグループチャットも新年の挨拶で賑わっていた。
昨日は「よいお年を」で今日は「あけましておめでとう」だ。挨拶シーズンだなあ。
私も挨拶しようっと。
みんなー、おめでとー。今年もよろしくねー!
「お、順番が来たぞ」
挨拶をしているうちに、順番が巡ってきた。
二礼、二拍手、お祈り――いっぱい祈ろう。思うことはたくさんある。
そういえば、悪魔が神様に祈るのって変だよね――セバスチャン?
一礼してセバスチャンを見ると、赤毛の悪魔は真面目な顔でみんなの真似をしてお祈りしていた。シュールだな。
セバスチャンを見守っていると、メイドのミヨさんが袖を引いた。なーに?
「お嬢様。おみくじを引きたいです」
ミヨさんは「引きましょう」じゃなくて「引きたいです」なんだ。可愛いな。
「引こう、引こう。はい、ここだよ。せーので引こう。せーの」
「せーの……まあ! お嬢様、大吉ですね! 私は中吉でしたよ~」
ミヨさんとおみくじを引いていると、セバスチャンが「どれどれ」と混ざりにきて、大凶を引き当てた。
「Oh……」
なんでちょっとショック受けた顔してるんだよ、悪魔のくせに。
「セバスチャン、くじを結ぼう。教えてあげるよ。こうだよ」
くじを結んでいると、火臣打犬がカメラに向かって熱弁を奮っていた。
「いいか、大吉以外を引いた人。俺が今から君のおみくじに魔法をかける。大凶って書いてても、そのおみくじは大吉になるのさ。いくぞ。3、2、1、テクマクマヤコン!」
テクマクマヤコンはかなり古いぞ。44歳のおっさんが魔法少女になるな。
しかし、私は釣られない。スルー力は大事だ。
屋台でフランクフルトを買おう。ケチャップとカラシが湯気に包まれていて、美味しそう。
「お嬢様、カラスが狙ってますから気をつけてくださいね」
「ありがとうミヨさん。カラスいるねえ」
恭彦がおみくじを握りしめてやってきた。
「はあ……」
ため息をついて結ぶくじは、立派な大凶だった。
私の大吉を交換してあげたくなる。
「恭彦お兄さん、お守りを買いましょう。私、プレゼントしますよ」
芸道成就守と赤い錦守を買ってあげると、恭彦は同じお守りを私にも買ってくれた。
「葉室さん。気を使っていただいてこういうことを言うのは、気が引けるのですが……」
「なんでしょうかお兄さん? 兄妹間で気を使う必要はありませんよ、どんどん思ったことを言ってください。聞きますよ。あと、そこの屋台で売ってたフランクフルトもあげます。あーん」
「あーんはちょっと……いえ、いただきます」
兄はフランクフルトをパクリと食べてから、真剣な調子で言った。
「葉室さん。八町先生の新作映画の主演は、俺だと言わせてみせます」
思い出したのは、演劇祭だ。
『俺は相手にする価値もない。……そうですよね。自分が恥ずかしいです。失言でした』――あのときは失敗しちゃったんだよね。今回は……間違えない。
「……お兄さん。ライバルですね。私、負けません」
向けられるのと同じだけの熱量を視線と声で返すと、兄は少し恥ずかしそうで、けれど間違いなく嬉しそうな微笑を浮かべた。口元にケチャップ付いてるけど。
「お兄さん、ライバルの握手をしましょう」
「はい」
「お兄さん、ライバルはお口を拭いてあげます」
「はい?」
さりげなくハンカチで拭い、本人が気付かないうちに仕舞って、私はミヨさんとセバスチャンの腕を引いた。
「ミヨさんとセバスチャンにもお守りを買ってあげる。いつもありがとう」
「あら王司。ママもお揃いにするわ」
「うん。ママもお揃いにしよう! ……あっ」
みんなでお揃いのお守りを買っていると、少し離れた場所でカラスが参拝客のたこ焼きを奪うのが見えた。鮮やかな強奪劇だ。
「きゃあ! 獲られたぁ、あははは!」
たこ焼きを奪われた参拝客がびっくりした様子で悲鳴をあげて笑っている。カラスって、たこ焼き食べるんだなぁ。
賑やかな初詣集団は現地で解散して、葉室家一同は帰宅した。
「王司。楽しかったけど、疲れたわね。テレビを見てごろごろしましょう。お正月の特別放送、どれを観ようかしら」
「なにが放送されてるかなー?」
ママと一緒にチャンネルを変えて番組をチェックしていると、見慣れた人物が突然映し出された。
黒髪の火臣恭彦だ。
「あれ。恭彦お兄さんだ」
「まあ。本当ね」
新春特別ドラマに出演してたんだ。教えてくれればよかったのに。
画面の中の舞台は、現代日本っぽい雰囲気だ。姉ヶ崎いずみと一緒にいる。
姉ヶ崎いずみはスーツ姿で、「仕事ができるお姉さん」って感じ。
恭彦は大正時代の書生風? 文豪みたいな和装だ。ちょっとだらしない感じで着物を乱して、気だるげにソファに寝そべっている。
「どうして俺に、この退屈な人生の消化という義務を押しつけるんだ……。死ねないくらいなら、生きなくて済む薬が欲しいよ」
恭彦は、陰鬱な風情で呟いた。ただ、声は陶酔した気配もある。
カーテンの隙間から差し込む午後の光に浮き彫りにされた青年の姿は、どこか壊れたような脆さを感じさせた。
「死ぬなんてダメに決まってるでしょっ。生きてれば楽しいことだってあるのよ!」
目の前の死にたがり屋を心配して、「死なせちゃいけない!」と焦っている声と表情だ。
姉ヶ崎いずみが演じるお姉さんはたぶん良い人なんだろうな。
たった一言のセリフで、それがちゃんと伝わった。
リアクションタイプの姉ヶ崎と自発感情で他者を感化する恭彦は相性がよさそうだね。
恭彦は身を起こし、憂いを帯びた笑みを湛えて、自分の手をゆっくりと姉ヶ崎の頬に伸ばした。
姉ヶ崎は指に驚いた様子で身を強張らせ、息を吐いてソファに座りこむ。
「冷たい指……あのね、私、忙しいの。あなたを養うために働いてるから」
「君は俺を捨てることはできないよ。だって、君の中にも俺の影がいるからさ」
「そんなことない! 私は……」
「俺をひとりにしないでくれ……。君がいないと、この薄っぺらい世界で俺は風のように消えてしまう」
「心中もしないからね」
姉ヶ崎は彼の手を払おうとしたが、恭彦の瞳に捉えられると、動けなくなった。
恭彦は低く甘ったるい声で彼女を呼んだ。さっちゃん?
そして、姉ヶ崎の右手の手首をつかんで自分の口元に寄せ、彼女の指先を妖しく舐めた。恭彦が微かに伏し目がちになり、唇に触れる指がゆっくりと動く様子がスローモーションのように感じられて、官能的だ。
なんだ、このドラマ――チャンネル変える?
私が焦っていると、恭彦の唇が退廃的な微笑を湛えた。
彼は姉ヶ崎の膝に自分の頭を載せ、甘ったるく吐息を零した。
やってることは膝枕なんだけど、なんかすごく倒錯的に見える。
親と観るには気まずい雰囲気かもしれないぞ。
私がそう思った瞬間、ママはチャンネルを変えた。
「今のドラマは大人向けね、王司。大人になってから観なさい」
「あっ、はい」
内容を振り返るとソファで膝枕しただけなのだが、あれはママの目から見て大人向けだったらしい。
異議はない。
……それにしても、恭彦はいい演技をしていたな。
うかうかしていると、本当に八町映画の主演を取られるかも。
兄に負けないよう、がんばろう。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
このあとは月金更新に戻ります。次回更新は1月3日(金)12時予定です。




