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19、不倫俳優の迷言集

「ふむ、ふむ。……なるほど?」


 結論から言うと、左利きのママと右利きのママは双子の姉妹だ。

 

 左利きのママは、姉、葉室(はむろ)潤羽(うるは)

 右利きのママは、妹、葉室(はむろ)みやび。王司を産んだのは、妹だ。

  

 王司が生まれる前、葉室家の家長である葉室(はむろ)鷹祀(たかまつ)(ママの父であり王司の祖父)は、「将来は親族内で事業承継する(親族に自分の会社を継がせる)」と宣言した。

 後継候補は数人いて、姉妹も候補者に含まれていた。

 

 姉妹は2人とも優秀だったが、モチベーションには差があった。


 妹のみやびは野心と競争心が逞しく、姉への敵意があった。


 姉の潤羽は、「しんどいことが嫌で、とにかく楽したーい」という性格。

 姉は妹の野心と敵意に気付き、「私、競争から降りる。もっと普通で、平穏な人生がいい」という考えに至った。


「私は後を継ぐのに向いていません。他の親族に任せたいです」


 事件が起きる前に、姉の潤羽は親族会議でそう主張した。


 みやびは喜ぶ一方で、不満も抱いた。

 姉がすっきりした顔なのが面白くない。


 妹は、姉が嫌いだった。

 姉の評判を下げたくて仕方なかった。

  

 そんな中、みやびは既婚俳優の火臣(ひおみ)打犬(だけん)に出会った。

 

 同世代のライバル俳優が江良九足という天才のせいか、火臣打犬は俳優としてはいまいち売れていない。どちらかといえば存在感がなく、地味な脇役俳優だ。

 だが、ルックスは抜群で、実力がある。


 みやびは火臣が気に入った。

 同時に、彼を利用して姉に醜名を流してやろう、と考えた。


「初めまして、火臣さん。私のおじいさまの会社は新作ドラマのスポンサーをしているの」


 みやびは火臣に近付き、権力を傘に彼に圧力をかけた。

 人払いした控室を訪ねて壁に追い詰め、上着のボタンを外して胸板に指先を滑らせて、迫る。


「あなたは実力があるけど、今のままだと浮上できないわね。せっかくルックスも超一流で実力もあるのに、同年代には上位互換の江良さんがいるもの。私が世話をしてあげるから、言うことをお聞きなさい」

 

 火臣(ひおみ)は息子がいたが、妻との仲は微妙な時期だった。妻に浮気の疑惑があり、息子が浮気相手との間に生まれた子である疑いがあったのだ。最近よく言われている「托卵」である。


「いい経験になるわよ。メソッド演技というのだったかしら? 尊厳が踏みにじられる感情、背徳感、スリル。高揚、全てを芸の肥やしにするといいわ」


 メソッド演技は、過去に役者個人が覚えた感情を利用して、リアルな感情表現をする演技法だ。

 火臣打犬は演技熱心だったので、「芸の肥やし」という言葉に誘惑された。


「火臣さんのために、いい役を用意してあげる。バンドワゴン効果って知ってる? 目立つ場所で『一番いい商品!』と売り出すと、売れる。棚の奥に引っ込めてる商品は、埋もれて終わる。あなたには魅力があるのだから、目立つ場所に置いてあげる」


 最後に、強烈すぎる毒を、もうひとさじ。


「それに、こっそり教えてあげるわ。私の調査によると、あなたの子は、奥さんが別の男と作った子よ」


 後日、みやびは不倫を記者に暴かせた。

 週刊誌が発売する前に情報を掴んだ芸能事務所は、火臣を問い詰めた。


 みやびの指示により、火臣は台本通りに演じた。


「ストーカーみたいな令嬢が権力で脅してきたんだ。自分はレイプ被害者だ。家族が危ないと思って、自分が我慢すれば守れると思って耐えていたんだ」

 

 みやびは姉に泣きついた。


「お姉様。私は後継者になりたいの。でも、ゴシップのダメージが致命的になってしまうわ。お姉様は後継者になりたくないのでしょう? だったら、助けて」

 

 潤羽は、優しい姉だった。

 同時に、「これはチャンスだ」という計算もあった。


 妹に恩を売り、競争からも降りる。

 それにより、妹からの敵意は完全になくなるだろう。後継ぎに担ぎ上げられる可能性も減る。

 妹のために泥をかぶる姉、という、両親の心証的に「なんて優しい姉なんだ」というプラスの印象上昇効果だって見込める。


 その後は、世間の目こそ厳しくなるかもしれないが、太い実家に強固に守ってもらえて、のびのび、ゆったりとした人生を送れるのではないか!


「条件がひとつあるの。みやび、妊娠した子は産むのよね? 私に育てさせてくれないかしら」

 

 潤羽は子ども好きだった。

 けれど、男性は好きではなく、性交への拒否感があった。

 もっと言うなら、出産は怖かった。

 痛かったり苦しかったりするのが嫌だ。


 子供は好きなので育ててみたくて「ママ」と呼ばれたいが、自分が産むと考えると「絶対無理」と思っていたのである。


 「自分が性交したり出産しなくても自分の子どもが手に入る。それって、ラッキーよね」


 お人形遊びのお人形を欲するような、軽いノリ。

 お嬢様の気紛れだ。

 

 その件を巡って両親と家族会議をした際に、葉室(はむろ)潤羽(うるは)は「自分が俳優をレイプしたことにしてほしい、みやびを守る」と希望したと記録されている。


 自分は後継者になるつもりもなく、みやびは後継者候補だ。

 なので、みやびは綺麗なままで、自分が汚れ役をする――そんな主張だった。

 

 話し合いの結果、潤羽(うるは)の希望は通り、「令嬢がイケメン俳優を襲い、妊娠。同意なしで勝手に出産し、赤ちゃんを抱いて認知を迫る」の令嬢=潤羽になった。


「お姉様は最悪の令嬢として未婚子持ちの傷モノになったわ! ざまぁみろ!」


 みやびは大喜び――。



   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆

 

「……えぐい」


 USBメモリのデータを調べると、火臣とみやびのチャットログや通話記録、家族会議の通話録音、しまいには防犯カメラが収めたらしき様々な映像記録まで出てきた。


「これ、どうやってゲットしたのセバスチャン?」

「アクマで執事ですから」

「そっか……いやいや……うん……」


 教えるつもりはないらしい。


 ともあれ、事情はわかった。

 関係者の心情に共感できない部分も多く、胸糞案件だ。

 火臣(ひおみ)に関しては――『正直、いい気分はしない』。


 生前、彼とはあまり関わったことがないが、役を奪われたことはある。

 

 ドラマ『太陽と鳥』のオーディションを受けていた時のことだ。


 最終選考まで進んだ江良は、オーディションの白紙を告げられた。


『スポンサー企業の要望があり、オーディションからの採用をやめて企業ブランドアンバサダーに演じさせることになりました』

 

 企業ブランドアンバサダーというのは、企業の広告塔としてブランドの魅力を伝え、認知度を高めるために発信する契約をした者のこと。


 火臣はその時、その企業のアンバサダーだった。

 そのため、役を獲得した。

 ……つまり、それがみやびの「いい役を用意してあげる」だ。

 

 みやびに限った話ではなく、スポンサー企業の物言いで役が決まるのはよくあることだ。炎上した俳優なんかは、よくテレビに出してもらえなくなる。


 スポンサーが金を出し、制作費が確保できて、作品が制作できる。

 スポンサー名がクレジットされたりCMが挟まれる作品が視聴されることで、企業名や商品の認知度やイメージがアップし、商品が売れる――金が儲かる。

 それによりスポンサーは企業活動を継続できて、従業員は給与を貰えて、生活できるのである。

 

 仕方ない。


 その後、『太陽と鳥』は炎上騒動も起こしたが、それもまたよくあること――正直、いい気分はしなかったが。


 その程度の「ちょっと嫌な思い出のある人物」が、江良にとっての火臣だ。


 セバスチャンがくれた資料は、そんな火臣に対してもう一度『正直、いい気分はしない』という感想を抱かせてくれた。


 微妙と言えば微妙な事件ではあるよ。

 力関係で言うとスポンサー令嬢の方が上で、売れてない俳優に「言うこと聞いたら仕事斡旋してあげるわよ」と関係を迫ったんだから、悪いのはみやびだ。

 托卵被害者で精神的に追い詰められてただろうというのも、同情の余地はあるし。


 でも、そのせいで潤羽ママは世間から「レイプ犯」とか「推しの子を強引に孕んで産んだ」とか白眼視されていて、みやびが「計画通り!」とほくそ笑んでいるのは面白くない。

 正義感というわけじゃないけど、「実際はこんな顛末だったんですよ!」って世の中に知らしめてやりたい。


 みやびが気に入らないよ、みやびが。

 

 この資料の素晴らしい点に、各関係者の連絡先までまとめられているという点がある。

 私はもらった名刺を取り出し、順に電話をかけた。

 

 最初は潤羽(うるは)ママに。次はスタープロモーションの佐藤マネージャーに。そして、あのクマのチャームを拾ってくれた記者にも。


 潤羽(うるは)ママからみやびさんと祖父に話してもらい、記者の名刺も使い――後日、火臣(ひおみ)打犬(だけん)に関するニュースが世間を騒がせることになった。


 ママは渋っていたけど、可愛い娘が目を潤ませて「ママが悪くないのに悪いと思われてるのやだ!」と言えば、折れてくれた。

 名誉回復しよう、ママ。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


  

『15年も前の記事が、子世代の成長と露出に伴い最近思い出されている。

 そんな折、記者は衝撃的なニュースを入手した――』 

 

 会話のログや動画の一部が公開されると、真偽は不明だが不倫相手の女性が何人も出てきた。


自称不倫相手A子:私も火臣さんに「自分の子がほしい」って口説かれたことあります

自称不倫相手B子:あたし、火臣さんホテルに誘われたことがあります


 これもよくあることだ。

 サンドバッグが用意されると、寄ってたかって「わー、こいつを叩けー」「もっと汚点を探せー」って騒ぎだす……。ちょっと可哀想。


 そんな大衆の動きに対して、火臣打犬の反応は。


火臣打犬:あの時は若かった


自称不倫相手B子:あたし、つい3か月前に寝た!



火臣打犬:3か月前も若かったんだよ!


 おい、便乗愉快犯にたかられてるのかと思ったら、本当に抱いてるのかよ!

 お、お前……真っ黒じゃん。

  

生まれたての火臣アンチ:それって全部真実だと認めてる発言ですよね

火臣打犬:俺だって自分の遺伝子残したい

火臣打犬:不倫くらい許せよ


ショックを受けた火臣ファン:ファンに対する裏切りです!


火臣打犬:ファンは応援してくれるからファンなんだぜ。足を引っ張らないで応援してよ


「言わんとすることがわかるような気もするけど、応援される側がやらかしたときにファンにそれ言っちゃだめだろ……?」


火臣打犬:ファンは応援してくれるからファンなんだぜ。足を引っ張らないで応援してよ(リポスト120)


「あっ、すごい。1秒ごとに拡散数が増えていく」


火臣打犬:ファンは応援してくれるからファンなんだぜ。足を引っ張らないで応援してよ(リポスト1.5k)


「え、炎上してるぞ火臣打犬。お前……ばか……」


火臣打犬:ファンは応援してくれるからファンなんだぜ。足を引っ張らないで応援してよ(リポスト3.2k)


 火臣打犬の迷言は炎上した。


 その後は沈黙したので、所属事務所に怒られたのだと思われる。


 発言は削除されたが削除前の発言のスクリーンショットはネット上に残り、数日間SNSのトレンドに彼の名前と迷言集が上がっていた。


 『不倫俳優の迷言集』というまとめサイトまで爆誕した。


 長年の付き合いであったスポンサーのうち数社は彼との契約を切り、不祥事による違約金と事後処理費用請求をしたと噂されている。


 日頃から「顔良し・演技良し・家庭良し」と謳われていた彼に嫉妬していたアンチは「ざまぁみろ、これからお前は転落する一方だろう」と大喜びだ。


 そしてスポンサーのうち1社は謝罪し、後継者候補の令嬢みやびを退社させたと説明した。今後は会社の経営に関わらせることはなく、スポンサー令嬢としての権力行使もさせない、というのである。

 

「王司ちゃん。大人の世界は怖いけど、強く生きてね。何かあったらお姉さんが愚痴を聞くわ。お酒が飲めるようになったら一緒に飲みましょうね」


 醜聞が耳に届いたらしき西園寺麗華は、DMで優しく励ましてくれた。いい先輩だな。


 いつか一緒に酒を飲む日、来るんだろうか。


 そんなことを考えながら、私はお菓子と元飼い猫の好物の猫缶を江良のマネージャーに送った。お見舞いである。



   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 

――【葉室みやび視点】


 葉室みやびは、中国小説が好きだ。


 軍師系キャラが策略を巡らせ、敵を陥れる瞬間が好きだ。

 計略、最高。自分が頭がいい、と思うと、気持ちよくて仕方なかった。


 幸いにも、みやびが生まれた家庭は「遊び」をするのに持ってこいの環境だった。


 姉は性根がふにゃふにゃと緩み切っていて、平和主義というか、平和ぼけ。

 父は強い家長だが多忙で不在がちで、金を使い切れないくらい与える、金使って好きなことしとけ、みたいなタイプ。

 母は大人しく気弱なところがあって、ちょっと自己中心的なところもあって、視野は狭い。


 お金持ちのお嬢様としてぬくぬくと育ったせいか、姉はお人よしのばかだ。

 右の頬をビンタすると、左の頬もどうぞと叩かせてくれる。たぶん、「手が痛まない?」とか心配しちゃうぐらいのばかだと思う。


 社会に適応するために幼い頃から幼稚園や学校で集団生活をさせられて気づいたが、みやびは女王蜂になりたい。


 自分以外の女が嫌いだ。

 世界に女は自分だけでいい。他は、全部男だといい。

 でも、さすがにそんな願いはかなえられないので、残念だ。


 かつて、まだ若かったころ。

 火臣打犬という俳優を目にしたみやびは、「推しを抱いて遺伝子をゲットする」野心と、「姉を陥れる」という野望を抱き、成し遂げた。

 

 お姉さまって変ね、子供を育てたいですって。

 じゃあ、あげる。私、子ども嫌いだし。

 最高の遺伝子持ってるし、せいぜい格好良いイケメン俳優二世に育ててちょうだい。


 全部、私の手のうちで上手く転がった。

 私、天才なのだわ。悪事の才能がある。悪女よ。

 物語に出てくるような、最高の悪女。

 

 人生ってイージーね。

 なんでも思うがままじゃない!

 ……と、思っていたのに。

 

「みやび、お前を経営者一族から追放する」


 ……どうして? ありえない。


 今さらじゃない。このゴシップ記事はなによ。

 どうやったって入手できるはずのない、ばれるはずのないことまで情報が発掘されてるじゃない。

 凄腕クラッカーの仕業? 


「いや。もうちょっとだったのに。来年にはまた出世して後継者としての存在感をアピールできたのに」


 いや、いや、いやだ。

 どうして、どうして、どうして。


 ……あともうちょっとで、誰にも地位を揺るがせない高みまで昇れたのに!


「お前も大事な娘だった。せめて、家族への悪意がなければ……」




 いやだあああああああああああああああああああああああああああっ!




 葉室みやびは転落した。


 その野心は、最終的には「自滅」というエンディングに自分を突き落としてしまったのだった。  

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