181、謙虚堅実をモットーに「そろそろ狩るか♠」を演じる
ショートドラマのペアが決まって各自の自由時間に移行すると、SACHI先生はずんだもんの読み上げボイスをOFFにした。
撮影するときに声が入らないようにするためだろう。
私のペア相手は、藤白レンだ。
元後輩。この体では先輩か。
スッキリしたシルエットの黒ジャケットに白シャツ、首元にはチェーンネックレスというコーデで、茶髪パーマのショートヘアをした『先輩』は、笑顔を浮かべた。
ファンの間で『レン様の上から誘惑スマイル』と呼ばれる必殺のキメ顔。男相手にはしない、女を落とすためにする肉食系スマイルだ。
まさか自分が後輩に誘惑される日が来るとは。
「葉室ちゃん。中学校って解放区のメンバーがいるんだっけ」
「はい、藤白先輩。楽しい中学校です」
「俺は学校が嫌いだった。葉室ちゃん、学校が楽しいって言えるのはすげーな。なんかさ、俺は詳しくないけど色々大変なんだって? 偉いよ。葉室ちゃん、頑張ってて偉い」
「ありがとうございます、藤白先輩。謙虚堅実をモットーに頑張ってます!」
いきなりめちゃくちゃ労ってくれる。声が優しい。
口説きテクニックなんだよな、知ってる。頭ぽんぽんしようとするな。
他のペアも相談を始めていて、何組かは部屋を出て行くようだった。
どこで撮っても自由だから、見栄えのいい場所を探したりするのかもしれない。
しかし、それだと『ステイ・イン・ラブ』の配信に映らないぞ。
「葉室ちゃん。台本なんだけど、俺の解釈を話してもいいか?」
「はい、お願いします、先輩」
書き込み用のペンを出すと、藤白は「可愛いペンだね」と褒めてくれた。
手を握ろうとしてきたので、遠慮しておこう。
「俺が思うに、これは……『ロケ場所、小物、編集、撮影技術……そういうのに頼らずに演技力一本で魅了してみせろや』って言われてるんじゃないか。『ステイ・イン・ラブ』の名前と掛けていて、ステイする奴を評価するんだよ。サチ先はそういう性格に違いない」
「わあ、深く考えてるんですね、藤白先輩!」
「俺、いい芝居を撮りたいんだ……葉室ちゃんはどう? 芝居、好き? 本当は嫌い?」
おっと……真剣な目だ。
下半身は緩いが、芝居に熱心な一面もあるんだよな。
「藤白先輩、私、お芝居が好きです」
「そうか、そうか。葉室ちゃん。実は俺……。ここらで一発、『レン様すげー!』って言わせたいんだ。火臣より評価されたい。君もそうだろ? 俺たちは、気が合うと思う。一緒に良い動画、撮ろうね」
必死な感じで言うじゃないか。
もしかして、結果を出さないと所属事務所に怒られるとか?
それに、火臣打犬より評価されたいって?
前は「他人と必死に競うとか趣味じゃないっす」とか言ってた気がするけど、変わったんだな。
「葉室ちゃんはキスシーンとか初めてだよね? 台本的にキスで締めるといいと思うんだ。俺が教えてあげるよ。大丈夫、本当にしなくてもいいんだ。してるように見せかければいい……撮り方教えるよ。がんばろう」
そうか――君の気持ちは、わかった。
私はスーッと息を吸って、大きな声でリピテーションを仕掛けた。
「――やる気がある!」
リピテーション、あるいはレペテションは、2人1組で相手を観察して、「目に見えるもの、自分が感じたこと、相手が思っていると自分が思ったこと」を口にしていく練習方法だ。
役を演じる本番前に「悲しいな!」「悲しい!」「悲しいな!」「悲しい!」と言い聞かせて感情を作ったりすることもある。アゲアゲにアゲていこう。
「……やる気がある!」
藤白レンは、意図を察して乗ってきた。
いいぞ。これより熱血俳優塾を始める。
「元気!」
「元気!」
「パッション!」
「パッション!」
互いに熱量を上げ合うように、声量を上げていく。
「がんばる!」
「がんばる!」
この掛け声は配信映えしそうだな。見せプレイとしても上出来だ。
「やるぞー!」
「やるぞーー!」
ふう、高まった。
でも、詳細を詰めるのは、これからなんだよね。
「葉室ちゃん。シチュエーションだけど、俺はこのセリフ、運動部の選手とマネージャーを想像したんだ」
「あー、いいですね。レギュラーが決まったとか、試合に勝ったとか、そんな前提があって『やったじゃない』でスタートするんですね」
「そういうこと!」
藤白レンは、白い歯を見せて笑った。
元気が出たのはいいけど、さりげなく肩を抱き寄せようとするのは勘弁して。
「藤白先輩。セリフ、マネージャーからスタートして交互に言う感じですよね?」
「そうなるね」
ふむ、ふむ。それでは、こういうことか。
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マネージャー「やったじゃない!」
レン「君のおかげだよ」
マネージャー「ずっと好きだった」
レン「俺もだよ」
マネージャー「キスをして」
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告白もキスをせがむのもマネージャー側なんだ。
グイグイ迫る系女子? 姉さん女房? お姫様?
スマホを置いた藤白が「演ってみるか」と言うので、頷く。
「とりあえず演ってみる精神」は、大事だ。
「何回か撮って、良さそうなのが撮れたら提出しましょう、藤白先輩」
「いいね。俺がリードするから付いておいで、葉室ちゃん」
おう、こっちがリードしてやるよ。
グイグイ迫る姉さん女房マネージャーだぞ。
「私のセリフからですよね、藤白先輩。では、付いてきてください。はい、アクショーン」
自分の両手をカチンコに見立てて撮影開始のアイコンをタップし、役に入る。
「レン……っ」
私がイメージするマネージャーは、自分もサッカーが好きだった子だ。
小さいときはレンと一緒にやっていた。
レンより上手かった。
でも、成長するにつれて、レンは追いついてきた。
追い抜かされて行って、置いていかれそうになって、男女の性差を強く意識した――悔しい。
私が男だったら負けないのに。
でも、レンはいい友達で、嫌いになったりは出来なかった。
私はレンを応援する側になった。
マネージャーとして、彼をサポートする道を選んだんだ。
……そして今、彼の成功を心から喜ぶことができている。
「――やったじゃない!」
自分よりも遥かに伸びた身長。
日々の練習により培われた、筋肉。私にはない、喉ぼとけ。
女子にモテる、イケメンな顔。
私にだけ見せる、幼馴染の目。
自分にとって特別な彼が、今、レギュラーだか試合だかわからないが、とにかく成功したのだ。
「お前のおかげだよ」
喜びと感謝の気持ちを感じさせる声だ。
そして、レンは、思わせぶりに何かを続けて言いかけて、躊躇した。
「いつもと違う、もしかして告白してくる?」「でも迷ってて、言ってくれない。もどかしい」ってなる演技だ。いいね。
私たちはお互いに、なんとなーく「両想い」って確信みたいなものを抱いているんだと思う。
しかし、曖昧で不安定な関係がずっと続いているんだ。
女の立場としては、ひとこと「好きだ」と言ってほしいよね。
ちゃんと言ってくれないと、不安になるから。
さあ、言って。レン。
マネージャーは待ってるんだよ。
「……」
しかし、彼は言ってくれない。もどかしい。
しょうがないな。待っていたけど来ないんだもの。
そろそろ狩るか♠
こうしてマネージャーは上目遣いで睨むのである。
「ずっと好きだったんだよ?」
どうだレン、この上目遣い?
『レン様の上から誘惑スマイル』に対抗して『姉属性幼馴染マネージャーの恥じらい上目遣い、ツンデレ風味』と名付けようか? 属性盛りすぎか?
「マネージャー……、俺もだよ」
レンは物凄く真剣な顔で一歩分、距離を詰めてきた。
名前で呼ばないのは、こっちがリアクションを繋げやすくするためのフックかな?
「二人のときは名前で呼んでって言ってるじゃない」
レンはモテ男だ。告白だけで安心してはいけない。
「ごめん、王司」
そんな軽い謝罪で済ませたりしない。
私はジェスチャーでレンに身を屈ませ、頬に手を当てた。
「……キスをして」
甘く挑発して、目を閉じる。
スマホカメラの角度的に、顔を近づけるだけで「キスしてるように見える」角度だ。
ちょっとドキドキハラハラするのは、マネージャーのキス待ち心と藤白への信頼のなさのせいか。
軽いノリで「つい本当にキスしちゃった、ごめんごー!」とか言いそうだもんな。
するなよ、するなよ――これがキスシーンを嫌がる女子の心理か。
自分がされる身になってみないとわからないものだなあ。
「王司……!」
レンが顔を近づけてくる気配。
顎をクイッと持ち上げられる。
うわー、気分は肉食動物に肉薄された草食動物だ。
でもこの草食動物、捕まえてほしいんです。むしろこっちが食っちゃうぞ。
に・が・さ・な・い。
「うおっ!?」
「うふふ」
不意を突き、カッと目を開く。
相手がたじろいた隙に胸板を押すと、レンは押されるまま尻餅をついた。
カメラアングルを意識して、上から覆いかぶさるように唇を奪う……ように見せかける。
後輩よ。
これがファンに好評だった『江良様の愛情に飢えた肉食系の目&優しく捕食するキス演技』だ。
女の気分を味わうがいい。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【藤白レン視点】
まさかこういうキャラで来るとは――マネージャーは肉食系だったんだ。
藤白レンは、尻餅をついて葉室王司の演技に完全に飲まれていた。
上から見下ろす女子中学生の目は深い渇望と切なさを帯び、まるで愛を懇願するかのような雰囲気を醸し出している。
いや、違う。これは「愛をクレクレと求める」目ではない。
「飢えてる私の目の前に無力なご馳走がある。食べる」という猛獣の目だ。
俺はさっきまで自分が捕食者だと思っていたが、違った。
俺は、俺は……女子中学生に食われるウサギちゃんだ!
レンの全身から抗う気力が奪われていく――精神的に、屈服させられる。
反発の余地なく、「相手の演技が正解だから合わせないといけない」と引きずり込まれていく。
王司はレンの胸板にそっと手を置き、そのまま屈み込んできた。
彼女につけてほしい香水ナンバーワンの匂いがする。いい匂いだ。きゅんとする。
心臓の上に指が置かれて、どきどきする。
ウサギちゃんは、彼女に食べてほしいんだ!
ああっ、役の心が降ろされる――俺は、もう……逃げられない……!
顔を近づける際、彼女はわざと躊躇するように一瞬止まった。
じ、焦らしやがる――早くしてくれ。もう、待てない……。
心の中で「欲しがった」瞬間、それを見透かしたように王司はふっと口元を笑ませた。
カッと顔が熱くなる。恥ずかしい――しかし、顔が近づいて来る。
待望のキスが与えられる予感に、脳が痺れる。
何も考えられなくなっていく。
吐息が微かにレンの唇に触れると、心臓がばくばくと騒いで苦しくなる。
全身が熱い。
この百戦錬磨のレン様が、迫られただけでこんな腰砕けにされるなんて。
葉室王司は、唇をほんの数ミリ手前で止めた。寸止めだ。
計算された角度で頭を傾け、まるでキスが成立したかのような絶妙な距離感で、角度を変えて「キスを深めていくフリ」をしている。慣れを感じる。おかしいだろ。こんな芝居が中学生女子にできるのかよ。
そう、これは――演劇界の頂点を飾るような、完璧な演技だ……!
俺にはわかる。
この女の子は……本物の天才だ――――!
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『撮影後のインタビュー』
――藤白君、なんかポーっとしてます? 大丈夫? 立てる? 顔真っ赤だよ?
「こ……腰が抜け……、ハッ、いや、全然。だ、だ、大丈夫っす……」
:藤白レン、陥落
:レ、レン様ーーーーーーー!!
葉室王司「レンは私が食った」




