172、俺は江良の子を産んでいたのか!
――【葉室王司視点】
三木カナミ:王司今日撮影?
葉室王司:カメオでワンシーンだけ~!
三木カナミ:カメ? がんばってね
葉室王司:ありがとう
三木カナミ:あたしもがんばる
葉室王司:カナミちゃんはいつもがんばってるよ
葉室王司:車着いたからまたね
撮影中の現場は、張り詰めた空気だった。
早めに来てよかった。
存在感を消して見学しているが、こういう空気は好きだ。背筋が伸びる。
八町は人材コレクターな一面があるので、スタッフは粒揃いだ。
見覚えのある人もいれば、初めて見る顔もいる。
そういえば、八町の映画に火臣打犬が出演するのは初めてだな。
一度「映画に出ない」と断ったらしいけど、なぜか「やっぱり出る」と言い出したのだとか。
迷惑な奴め。忙しい八町を振り回すな。
それにしてもカットがかからない。
来たときからずっとカメラが回っている気がする。
しかも、演じているのは主演だけ。
八町は『鈴木家』を真似していない人物がいるように思わせる表現を採用したのだ。
移動する主演に合わせて、2台のカメラが動いている。
……不思議な芝居だ。
「恋の仕方がわからない? へえ、俺が教えてやるよ。いや、変な意味じゃない。今からライブがあるから、ついてこい。誰もが恋するカリスマアイドルを見せてやるから。お前もきっと堕ちるぞ。最高なんだ」
実年齢よりも少し若い設定の『友人』役は、主演なのに助演のようだ。
視線は存在しない『主人公』に注がれていて、観客の注意を誘導し続けている。
表情は柔らかに変化して、聞こえない『主人公』の声が想像できる。
カメラを独占して長台詞を巧みに回している姿は、華がある。オーラがある。特別だと思わせる存在感がある。
光を一身に浴びていて、輝いている。……なのに、影のようだ。
『友人』が呼吸し、瞬きして、口を開いてしゃべるたびに、見えない『主人公』の存在感が増していく。
こんなにうるさいのに。
「あはは、俺がうるさい? お前はもっと声を張れ。俺はもっとうるさくするから」
そう。声が小さいんだ、主人公は。
友人がうるさくて、隠れちゃってるんだ。
これは……没入させられ、共感させられている。
観客をその背に乗せた『友人』が主人公の存在を大きく感じているから、観客は主人公を強く意識させられている?
あるいは、わかりやすい芝居で主人公が抱く感情と同じ感情を観客に抱かせ、まるで自分が主人公のような錯覚を起こさせている?
演劇祭で隙あれば主役になろうとしていた役者たちとは違う。
火臣打犬は、主役に奉仕し、引き立てる職人に徹している。
自分が影となり、相手を輝かせることに心から喜びを感じている。それが伝わってくる――とても良いバイプレイヤー(助演)だ。主演から好かれるタイプだ。
……いや、待て。お前は主演だ。
なんだか複雑な気分になる。
普段の素行のせいだろうか。
「お前はそんな風に引き立て役になるキャラだったのか、もっと『自分は宇宙一』って感じで図々しく主役面する奴じゃないのか?」と言いたくなるのだが?
「おっと、怒るなよ。俺が悪かった。……ああ、また明日な!」
カメラは止まらない。芝居は続いている。
ワンテイク撮影――カットせずにカメラを回し続ける撮影方法は、緊張感や映像の臨場感が旨味となるが、失敗すると最初からやり直しになるリスクがある。
八町はこれまで短いカットで繋ぐ撮り方を好む作家だった。珍しい冒険をしている。
そっと八町の横顔を見ると、新しい玩具を楽しむ少年みたいな眼をしていた……「この玩具、面白い!」みたいな。
八町。私もそれ、できるよ。古なじみの玩具も忘れないで。
スタッフ全員が息を呑む中、ロングテイクは終わりを迎えた。
「――カット……OK」
5分以上は確実に撮っていた。
スタッフが安堵の吐息をつく中、八町は機嫌よく声を張り上げた。
「次のシーンの準備を急いでください」
指示が出て、スタッフが一斉に動き出す。
その動線に無駄はなく、若手スタッフもテキパキとした動きで機材を片付けている……あ、八町がこっちに気付いたぞ。
「王司さん。おはようございます」
他人行儀だな。こっちも他人行儀にするけど。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【火臣打犬視点】
……娘がいる。
いつの間にか同じ現場に! きゃわいい娘がいる!
「大変だ。俺の娘がパパのお仕事を見学に来てる。可愛い」
「火臣さん。お嬢さんはカメオです」
「抱っこする」
「火臣さん。お宅、GASの要指導家庭にリストアップされてるのご存じですか?」
「ほおずりしたい」
「火臣さん」
「匂いだけでも」
スタッフが代わる代わる相槌を打ってくれるが、誰も「娘さん可愛いですね」と娘可愛いトークを一緒にしてくれない。
我が家で飼ってる記者たちなら「よかったですね」ぐらい言ってくれるのに。
八町監督の社員スタッフは社交辞令を知らないのか。
「ふーっ、ふーっ」
「火臣さん、邪魔です」
俺は主演だぞ。そんなに冷たくするな。13分の長回しだって一発で成功させたのに。
この現場には愛が足りない。
「愛を増量するべきだ」と監督に物申すか。
しかし、あの監督に下手なことを言うと「では息子さんをエキストラにしますか」と言い出しそうだ。
八町監督は息子を気に入っている……息子も八町監督に懐いている……先日は間違えて八町監督を「パパ」と呼びそうになっていた……!
どういうことだ恭彦。
パパはここにいるよ。パパを間違えちゃだめだよ。
パパがお前のやりたかった役を取ったからって拗ねるなよ。おこちゃまめ。
撮影が終わったら仲直りしよう。パパはお土産買って帰るよ。
パパの恭彦きゅんは何が欲しいんだい。新しい指輪かな?
「息子は繊細なんだ。困ったな。あんなんでデリカシーに欠ける若手とシェアハウスができるものか。恋愛リアリティショーなんて……うちの子の純情が見世物にされてたまるか。あの子は童貞なんだ。初恋はチェンソーマンのマキマさんだ。おっぱい触らせてくれるシーンで真っ赤になっていた。どうする、シェアハウスであんな風に迫ってくる女がいたら。パパは……見てみたいかもしれん……」
「火臣さん、静かにしてください。ほんとに邪魔です」
柱の影に隠れて悶々としていると、娘がセットの中で演技を始めた。
冬に向かう冷たい空気が、ふわりと春の気配を纏ったような錯覚をくれる。
そんな愛らしい少女が、愛娘の王司だ。
年齢は14歳になった。大きくなったね。愛してる。
肩まで伸びた黒髪と、白いシャツに紺のスカートが清楚だ。パパはスカートがもうちょっと長いといいと思うな。男子がどきどきするだろ。パパも動悸がする。更年期かな。
彼女の小さな体が放つオーラは圧倒的で、まるで江良が憑依しているかのようだ。
手の仕草、目線、表情。
その全てに無駄がなく、観る者を一瞬で引き込む力がある。
江良? いや、娘。
江良? いいや、俺の娘。
江良? 違う、俺の娘ちゃんだ!
生まれながらの主演女優。アイドル。ヒロイン。
それが俺の娘だ!
最高だ……見てくれ、江良。お前に似てる。
もしかしたらお前と俺の子なのかもしれない。
まさかそんな。まさか。
まさか……俺は江良の子を産んでいたのか!
目から熱い汁が出る。
近くにいた小道具さんがハンカチをくれた。そんな嫌そうな顔をするなよ。
ポケモンのハンカチか。
ヒトカゲとはわかってるな。俺も好きだ。
恭彦は最近ピカチュウにハマっているようだが、ピカチュウに炎はあるか?
恭彦よ。パパはヒトカゲの尻尾の炎が好きだ。
雨が降るだろ。尻尾の炎が濡れるだろ。
守ってやりたくなるだろ。そこがいいんだ。
パパはヒトカゲの炎を守り隊の隊長なんだよ。
ちなみに、江良が副隊長だ! 今、任命した。
「あ……っ、なんだ、こりゃ」
ん? スタッフが変な声をあげたぞ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
カメオはワンシーンだけ、チラッと出て出番終了だ。撮影は問題なく終わるかと思ったのだが。
「幽霊?」
「え、心霊映像ですか? 撮れちゃったんですかっ?」
「わあ。えぐい。黒いもやもやが人に見えますね、やばいですね」
スタッフがざわざわしている。
どうも、田中さんというカメラマンさんが撮った映像に不審な黒いもやもやが映り込んでいるらしい。
「いやー、幽霊とかないでしょう……なんだろうなー、これ……なんか手振ってません?」
「や、やめてぇ。背筋がぞっとしちゃいました。大丈夫なんですかね」
「そのへんに何かいるってこと? え、……江良さんとか……?」
「や、やめてくださいよう!」
スタッフが段々と「幽霊=江良」説を唱え始めた。
いやいや、江良ではないよ。
これまた放置しておいたら「撮影現場に江良が!?」みたいに話題になりそうだ。
……ん?
複雑な心境で騒動を観ていた私は、ねっとりとした怪視線に気付いた。
「……うっ」
は、柱の陰で火臣打犬がこっちをじっと見つめている。
その表情は、デレデレしていた。見ないようにしよう。幽霊より怖い。
「皆さん。落ち着いてください。江良君が僕たちが楽しそうなのを見て、いたずら心を起こしたのでしょう。映りにきてくれたんだ。『八町、いい映画作ろうな』って声が聞こえた気がしますよ――少し失礼……」
八町はハンカチを目元に当てて、まるで「感極まって涙がこぼれそうなので」というように柱の影に身を隠した。
もともと柱の影に潜んでいた打犬を追い出した八町はサッと目薬を差し、涙を作った。
「皆さん……江良君は、編集せずそのまま出演させましょう! 彼は……幽霊になっても、映画に出たいんです!」
や、八町ーーー!?
心霊映像をそのまま活かすのか!?
その幽霊、江良じゃないけど!? 祟られないか!?
あと、なんかその言い方だと江良が「やだやだ。死んだけど映画もっと出たいもん!」って駄々こねてるみたい――実際そう思って今の体で映画に出ようとしているだけに、羞恥心が刺激されるのだが!
「や、八町先生……っ」
震える声で呼びかけて手を伸ばすと、八町は目薬がしたたる目をこちらに向けた。
その手が私の手を握り、さりげなく目薬を握らせる。
「嘘泣きだから心配しないでね」って言いたいのだろうか。誰が心配するか。
「亡き親友が幽霊になって出演!?」という話題性が魅力的なんだろう。お前ってやつは――。
「いいですね、王司さん。君は……優等生です。『幽霊なんていない』とか、『一緒に映るのがいやだ』とか、幽霊差別はしませんよね」
幽霊差別ってなんだよ。
演劇祭でファンタジーを否定したのは自分のくせに。
私の内心を知らず、現場は拍手に包まれた。
スタッフ全員が確信していることだろう。
「この作品は幽霊が友情出演した映画として伝説になる!」――と。
「俺の江良センサーはこの幽霊には反応しないのだが……どちらかといえば娘の方が江良が憑依したような演技を……」
「火臣さん、黙っててください」
火臣打犬はひとり異論を唱えてスタッフから冷たくあしらわれていた。
江良センサーすごいな。見直したぞ。
ところで打犬、現場で嫌われてるの?
主演なのに。演技すごかったのに……まあ、打犬だしな……。




