17、子役と落語
花火大会が終わってすぐに、王司のマネージャーが決まった。
「葉室さん初めまして! 佐藤リカです」
スタープロモーションの事務所の一室で自己紹介してくれたのは、王司は初対面だが江良が知っている人物だった。
女性のマネージャーさんで、佐藤さんと言う眼鏡のお姉さんだ。
彼女は、いわゆるヤングケアラーみたいに育った苦労人。
パンツルックに、黒髪のポニーテールをしている。
親しみやすい雰囲気で、事務所のマネージャーの中では中堅の人だが、『子役リトマス試験紙』という異名を持つ。
どういう異名かというと、子役への好感度が比較的わかりやすく、その好感度で子役の性格や将来性……「業界でやっていける子か、ダメダメな子か」がわかるのだ。
絶対に好感度を高く抱いてもらわないといけない。
「葉室王司です。よろしくお願いします」
手探りな会話が続き、紙の資料を渡される。
ノートパソコンで見せてくれるのは、エクセルファイルのレッスン表と募集中の案件リストだ。
演技指導、ボイストレーニング、ダンス、ウォーキング、マナー、メイク、落語、パントマイム、楽器演奏、オーディション対策の自己PRや礼儀作法……。
それぞれのレッスンは初級、中級、上級とあり、事務所所属タレントは好きなレッスンを申し込める。
「葉室さんは学校もあるから大変ですよね」
「いえ……」
「芸名じゃなくて本名で活動されるの、少し心配です。本名で人気が出てるのはわかるのですが、変更しなくて平気ですか?」
「はい。本名も芸名みたいなものですし」
ここで下手な答え方をすると、彼女の好感度は下がる。
彼女、金持ちの親に甘やかされて育ち、仕事や会社員を舐めた態度のアイドル志願のキッズは嫌いなのだ。
佐藤さん好みの答え方は、こう。
「うちはママがシングルマザーで、毎日頑張って働いてくれてます。ママの大変さを思えば、私が大変なんて言えません……私、早くお仕事をして、ママに『お金稼げるようになったよ』って言いたいです」
返答は佐藤さんの好みだったようだ。
目つきがグッと優しくなった。
「葉室さん、同期や先輩たちが活躍してるのを見ると焦って結果を求めてしまう人も多いけど、お仕事を継続して生活するためにはしっかりとした地力が大切だから、無理したり焦ったりしないで頑張りましょう! まだ中学生だもん。いいのよ、働かなくて。親の脛が太いんだから」
この佐藤さんは、「親の脛かじれるんで遠慮なくかじります、自分、許されるんで!」と言うと「甘えるな。親が可哀想」と怒るが、「親に申し訳なくて……早く自分で稼がなきゃ……」というと「いいのよ、頑張らなくて……」と優しくなるのである。
人の心って複雑だな……。
さて、佐藤さんは好意的に助言をしてくれるようになった。
「葉室さんは、きちんと学んだことがないと聞いています。基本は大事ですから初級からがおすすめですよ」
大事なのは、マネージャーの心象だ。
1人で配信したり作品制作をするクリエイターと違い、ドラマや映画への出演を志すタレントは組織の中で仕事をこなす組織人、社会人なのである。
ここは自分の考えを言ったりせず、素直に返事をしようではないか。
「はい。私のことを考えておすすめしてくださって、ありがとうございます。佐藤さんのおすすめ通り、頑張ります!」
佐藤さんの好感度が上がる音が聞こえるようだ。
ここで能力アピールもしておこう。
でも、鼻に付かないように気を付けて。
「あの、ご参考までに、レッスンを受ける前に自主トレをしてきました」
「やる気があって素晴らしいですね葉室さん!」
「これ、トレーニング管理アプリです。毎日何をしたかを記録してます。あと、落語をしてるところを動画に撮ったりもしてみました。もしよかったら見てください」
「落語も自主的に学んでるの? わあ、すごく上手……この演目、飴買い幽霊? 公式動画チャンネルで公開しましょうか」
悪く思われなかったようだ。オーケーオーケー。
ところで、観葉植物の葉っぱに隠されるようにして小型のカメラがある。
ドッキリとかでよく見るやつだけど、今ドッキリでも仕掛けられてるのだろうか?
こういう時に「これ、なんですか?」と言うと番組企画が台無しになって「勘のいい(しかも空気が読めない)子供は嫌いだよ」と言われちゃう危険性がある。
……気づかないふりをしておこう。
「それと、葉室さん。ご検討中のオファーの件ですが……バラエティのオファーはあちらの都合で取り下げると言われまして、埋め合わせにファッション誌の読者モデルの仕事を紹介してもらいました」
「えっ?」
この取り下げられたバラエティが番組内企画で番組初のアイドルグループ育成企画とかドッキリをしたりするんだよ。
あやしいな……。
「えっと、あちらにもご都合があると思うので、仕方ないと思います。オファーくださっただけでも嬉しかったです。また機会があれば、ぜひお仕事したいです!」
隠しカメラの方は見ないようにしながら言うと、佐藤さんは満足そうに微笑んだ。
これ、絶対ドッキリだ。
しかし、その日は「ドッキリでしたー!」のネタ明かしがされることなく打ち合わせが終わり、葉室王司のお仕事予定にはドラマの脇役とファッション誌の読者モデルが追加された。
「そうだ、葉室さん。ファンからのプレゼントが届いてますよ。ほらっ、これがメッセージカード。『前世からのファンです』だって。ファンとの距離感には気を付けていきましょうね」
「わあー!」
佐藤さんは帰り際に事務所側で安全確認済みのファンからのプレゼントを持たせてくれた。
奈良公園の鹿せんべいと、紫色をした小さなクマのぬいぐるみチャームのセットだ。
ファンネームQさんだって。
紫のクマのチャームをバッグにつけてみると、見た目は可愛くて気に入ったのに歩いて5分でチェーンが外れて落としてしまった。
「落ちましたよ」
「あっ、ありがとうございます」
「葉室王司さんですよね。応援してます」
「ありがとうございます!」
拾ってくれたのは記者で、名刺をくれた。名刺入れ買おうかな?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【佐藤リカ視点】
佐藤リカは、自分が担当することになった中学生、葉室王司に驚いていた。
リカは、直接話すまで「葉室さんは性格的に問題のある子供に違いない」と思っていた。
例えばマネージャーを奴隷みたいに思ってるとか。
世界が自分を接待するために存在すると思っているとか。
自分はほんのわずかでも嫌な気分をするべきではないとか。
一般常識も業界マナーも自分だけは守らなくていいと思ってるとか――話をしようとしても、会話が成立しないとか。
そんなタイプだと思っていた。
だって、生い立ちが特殊すぎる。
葉室王司の母親は会社を経営していて、めんどくさい女傑と聞いていたからだ。
本人は金持ちの家のお嬢様で、父親に認知されていない子。
男として育てられ、名前も『王子』を意識したであろう『王司』。
どんな気持ちで14年間を過ごしてきたのだか――性格が歪んでも仕方のない。
そういう「こういう過去なら歪んでも仕方ない」という子は、たくさんいる。
生い立ちのせいで歪んだ人格形成がされてしまうのは、本人のせいと言い切れない。
仕方ない。
そう理解しつつ、「世間一般の良識が通用しなくても、特例として、悪く思わずに許してあげてください」なんて言われると、イラッとする。
マネージャーは奴隷ではない。もう昭和の時代ではないのだ。
でも、葉室王司は違った。
どちらかと言うと「あなた、その年齢でそんなこと考えなくていいのよ……!?」という健気なタイプだ。
「葉室さんがいい子でよかった……!」
マネージャーは相手に寄り添い、相手のことを日常的に考え、その職業人生に寄り添う仕事だもの。
その相手が嫌悪感を抱く相手より、好きだと思えて、尽くしたい、相手を成功させたい、喜ばせたいと自然と思える方がいい。
「葉室さん。私、全力であなたをマネジメントします。これからよろしくお願いしますね!」
それにしても、この落語の動画はよく撮れている。
自分の部屋で撮ったのか、パジャマ姿でベッドの上に正座しているのが絵的に可愛い。
『飴買い幽霊』あるいは『子育て幽霊』とも言われる演目――あらすじとしては、こうだ。
毎晩、飴屋に飴を買いに来る女がいる。
ある夜、金がなくなったので羽織りを差し出すと言われて飴屋の主人が物々交換に応じると、翌日羽織を見た偉い人が「それは死んだ娘のものだ」と声をかけてくる。
娘の墓に行くと赤ちゃんがいて、飴を食べて生きながらえていた――舞台が京都高台寺になっており、最後に幽霊が「子が大事(高台寺)」と言うのがオチになっている落語である。
台本も見ず、すらすらと語っている。
間もいいし抑揚もいい。素人離れしている。
おそらく、いいものが撮れるまで夜中に何度も頑張ったのだろう……と思うと、胸が熱くなった。
葉室王司の新設公式動画チャンネルで動画を公開すると、「可愛い」「頑張ってる」と話題になった。
そうだ、頑張っている姿をどんどん公開したらいいんじゃないかしら?
佐藤リカは思いつき、本人に相談してOKをもらってから、葉室王司の自宅やレッスン場での稽古の様子を動画に撮り、「頑張る王司ちゃんシリーズ」という再生リストを作り、ショート動画をどんどん追加した。
動画チャンネルは、登録数が爆増してネットニュースでも話題になった。