158、王司、ピカチュウを贈る
――『#葉室王司おぱんちゅ事件』
:王司ちゃんは絶対やってくれると思ってた!
:オーロラ「反省してまーす」ジュエル「謝っても許さない」バッチバチ
:鹿柄のショーツってあるんだな
:セクハラテレビ炎上中!
:いいぞもっとやれ
:生放送だし事故っただけだし
:うちの旦那が喜んでいました
:王司ちゃんはブレーキが故障してるから
:それ王司ちゃんのお兄ちゃんでは?
:ゆりゆりずの百合キス営業ももっと話題にしてあげて
:オーロラのCD買ってやるか
:俺はジュエルのCD買う
:戦え……戦え……
生放送の放送事故は、拡散されて翌日には『葉室王司おぱんちゅ事件』というタイトルでまとめ記事ができていた。
待って。そのタイトルだと私がおぱんちゅを晒したみたいに思われるよね。やめて?
自室のベッドで寝ころがってスマホを眺めていると、和風メイドのミヨさんがアマゾンの箱を持ってきてくれた。通販で買ったポストカードとシールが届いたらしい。
「お嬢様。推し活ですか?」
「うん、うん。匿名でファンレターを書くんだよ」
「匿名で……届くのでしょうか?」
「届いたことあるよ」
「さようでしたか」
封筒入りの手紙じゃなくてポストカードにしたのは、「安全だな」とわかりやすいから。あと、書く手間も少なくて済むからだ。
カラーペンで書くメッセージは一言だけ。嘘じゃなくて、本当に思っていることを書く。
『可愛いなっていつも見てます!』『応援してます!』『だいすき!』『歌をいっぱい練習してるのが伝わってきて好き』『ダンスが可愛い!』
「仕上げにシールを貼るんだよ」
「まあお嬢様。可愛いですねー!」
ミヨさんと一緒にプクプクしたシールやキラキラしたシールでポストカードをデコり、完成。
自分用に写真を撮って、郵便ポストへ。
みんな、届いたらどんな顔するかなー?
喜んでくれるといいな!
あと、忘れずにSNSでお気持ち表明しておこう。
葉室王司:このたびは申し訳ありませんでした
葉室王司:でも、ひとつだけ
葉室王司:『葉室王司おぱんちゅ事件』だと私がおぱんちゅ出したみたいに思われるので、やめてほしい
言ってやったぜ、とスッキリしていると、いつか「寿司屋では寿司を食え」と言ってきたアカウントが絡んできた。アカウント名を以前と変えている。『よっくん』だって。
このアカウント、二俣夜輝なんだよなー。よっくん呼び気に入ってるんだ?
よっくん:謝るときは謝るだけにしろおぱんちゅ
葉室王司:おぱんちゅって呼ぶのやめてくださーい
おっと、ついレスバしてしまった。
いけないいけない、ブロックしとこ。ぽちっ。
「王司。ママ、美容クリニックに行ってくるからね」
「はーい、いってらっしゃい」
ママは自分がこれからテレビに出るので、ここ数日は特に美容に力を入れている。楽しそうだ。自分を可愛くするのって、楽しいよね。わかるよ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――翌日。
『よっくん』をブロックしてスッキリした私は、中学校で二俣夜輝に捕まった。
「葉室。お前、またブロックしたな。だが、最近はSNSの仕様が変わったんだ、ばかめ。ブロックしてもお前の投稿は丸見えだ! ざまぁみろ。あとで解除しておけ。それにしても、生放送の体たらくは何だ」
お昼休みに激辛カレーを堪能していた私は、神妙な顔をした。おぱんちゅ事件のことだと思ったので。
「あれは事故だったんです。お姉さんへの悪意はなかったのですが、申し訳ないことをしたなと反省しています」
しかし、二俣は「その話じゃない」と首を横に振るではないか。
「バスケの話だ。お前、へっぽこにも程があるだろう。ふざけすぎだ。ボールの持ち方も投げ方も教えてないのかと学校にクレームが来たらどうするんだ、我が校の恥だ。俺は情けない気持ちになった。放課後、残れ。俺がバスケを教えてやる」
そんなことでクレーム来る?
思わずカレーを食べる手を止めてポカンとしてしまう私に、円城寺は優しく微笑んだ。
「葉室王司ちゃんはバスケットボールが重かったんだよね。お嬢様だもんね、僕、わかるよ。そうだ、スプーン重くない? 僕、食べさせてあげようか」
このニコイチコンビめ。
お前らにバスケの何がわかると言うんだ。こっちは漫画全巻読破してるんだぞ。舐めるな。
私は制服の胸ポケットから変装用に愛用している黒縁眼鏡を取り出して装備した。
度は入ってない。しかし、眼鏡をかけると賢そうに見えるんだ。
クイッと眼鏡を指で持ち上げ、私は冷ややかに言ってあげた。
「お二人とも。何か誤解なさってますね。私はアイドルで女優なんですよ? 生放送に出演するにあたって、当然……多少なり、演技をするわけです。クイッ。本当はシュートを決めるのは簡単でした。クイッ。手を抜いたんです。私の戦闘力は53万です。クイクイッ」
「は、葉室……そうだったのか……お前」
「本当かなぁ。僕、嘘だと思う」
気高きお嬢様風に「それでは、カレーをいただきますのでごきげんよう」と話を終わらせてカレーを口に運ぶと、極上の辛味か最高だった。
給食を作ってくれる人、いつもありがとう。
「よっくん、約束取り付けなくていいの? 僕は葉室王司ちゃんは嘘をついていると思うよ?」
「……はっ。俺としたことが……葉室。そんな嘘をついても誤魔化されないぞ。おい、放課後、待ってるからな」
二俣は偉そうに言って去って行った。
でも、「待ってる」という割りに待ち合わせ場所言うの忘れてるぞ。
わざわざ確認する気にもならないのでスルーするけど、いい?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『おまけ枠の火臣恭彦』
大変だ。大変なことが起きた。
――夜。
ドアの鍵をしっかりとかけ、カーテンを閉めて、火臣恭彦は自室の床に正座した。
そろそろと取り出すのは、ピカチュウのポストカード。
なんとこれ、自分宛てに届いたファンレターなのである。
ファンレターが届くのは、初めてではない。
あんな騒動やこんな騒動で目立ちながら露出しまくってきた恭彦には、当然、ファンやアンチが出来ている。
普段はマネージャーがせっせと「これはファンだけど本人に見せない方がいい」「これはアンチだから本人に見せない方がいい」と仕分けをしていて、結果、ほとんど「見せない方がいい」と判断されているらしい。
アンチはわかるが「ファンだけど見せない方がいい」とは一体……気になって仕方ない恭彦に、この日はポストカードが一枚、渡されたのである。
「珍しく超健全なものが届きましたよ。いいことです!」
いつもは健全じゃないものが届いているんだ?
そんな質問を飲みこみつつ、恭彦はポストカードを受け取った。
ポストカードはピカチュウのイラストが描いてあって、恭彦はあの日、妹に対抗して食べたピカチュウを思い出した。
運命的なものを感じる……ピカチュウは、やっぱり俺の相棒なんやな。
しかも、しかも、このピカチュウのカードは……デコられている。
「可愛い文字にシール。ハートマークもいっぱい。匿名ですけど、これきっと女の子のファンですね、恭彦君。嬉しいですね~、いつもおじさんからのお手紙が多いから心配してたんです」
いつもはおじさんからの手紙が多いのか……軽くショックを受けつつ、恭彦はそっとカードを仕舞いこんだ。
コレ、オレノ、オタカラ。
誰も見ていない完全プライベート空間で、たっぷりと鑑賞したい。
「オレ、カエリマス」
「大丈夫ですか恭彦君。なんかロボットみたいになってますよ。顔真っ赤ですよ」
「オレ、ダイジョウブデス」
そして、帰宅して部屋に駆け込んだのである。別に疚しいことは何もないはずだが、父が留守でなんとなくほっとした。
なぜかエロ本を買って読むときの気分に似ている。
この独特の高揚。そして、恥ずかしさ。
「おお……」
お宝を汚してはいけない。
手袋を装着し、両手で大切にポストカードをつまみ、部屋の照明の下でじっくりと見てみると、カードには可愛らしいシールが何枚も貼ってあった。立体的で、触るとぷにぷにする。形はハートや星で、単色ではなくチェック柄やドット柄。
女子の気配を感じる。いや、もしかしたら男子かもしれない。可愛いのが好きな男子だっているだろ、性別を決めつけるな。しかし、女子のオーラみたいなものを感じる。マネージャーさんも『きっと女の子のファン』って言ってた。
「おお……」
書かれた文字も、カラフルなカラーペンで書かれている。
メッセージは短いが、丁寧に描かれていた。
『応援してます!』
俺は、応援されてるんだ。
こんな俺を、応援してくれる女子がいるんだ。
しかも匿名だなんて。なんて奥ゆかしい子なんだろう。
このファンの子を喜ばせるためにも、俺は新しい仕事をゲットしないといけないのではないだろうか?
恭彦はスマホを取り出し、送信先一覧の中からコネとして有効そうな名前を探した。
八町大気先生は、「ごめんね、またね」と言われてから連絡を取っていない。
父親は、ここ数日は「恭彦。焦らなくていいんだ。パパが安心安全な仕事を選んでやるからな。GASも、別に無理に参加する必要ないんじゃないか。パパと風呂に入ろう。背中を流してやる」しか言わない。
母親は、父親同様、業界にコネがある。しかし、最近はLINEに「恭彦。ママにお返事はいつしてくれるのかなあ? パパにはお返事するのかなあ? まさかね、ママをスルーするならパパもスルーしてるよね」系のうんざりするメッセージを連投してくるので、全力でスルーしている。
「あった。加地監督……」
縁のある監督の名は、まるで砂漠で見つけたオアシスのようだった。
恭彦は加地監督にメールをしたためた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
拝啓 加地監督
加地監督おひとりが、俺のたのみでございます。
監督のご厚情は、骨身にしみてわかっております。
俺は、役者としての精進を重ねてまいりました。
多くを犠牲にし、自分を削り、ただ役者として一人前になりたい、その一心で生きてまいりました。
俺の暮らしも、日常も、すべてがこの夢に支配されているのです。
それほど、必死です。監督、俺に、どうか機会をくださいませ。
俺の妹は、今やオーディションを経ずとも仕事が舞い込み、テレビにも雑誌にも頻繁に取り上げられています。
父は、俺より妹に執心で、ことによれば僕の仕事の話が来ても、勝手に断っているかもしれません。
母には、今さら語る言葉もありません。
ただ、俺は役者としての人生を歩んでいきたいのです。そのために努力しているのです。誰より、誰よりも。
若輩で未熟ではありますが、このまま誰にも認められず、再び闇の中をさまよわなければならないのかと思うと、心が引き裂かれそうです。
監督、この俺を、どうかお見捨てなさらないでください。
監督おひとりが、俺にとって最後の頼みなのです。
俺を忘れないでください。俺を見殺しにしないでください。俺にはどうしても、テレビに出るという夢を叶えたいのです。
どうかどうか、俺に役をくださいませ。
監督のお情けに、きっと俺は泣くことでございましょう。
敬具
火臣恭彦
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
力作ができた。
ちなみに懇願する文章をどう書いたらいいか悩み、参考にしたのは、太宰治が芥川賞を泣いておねだりする手紙であった。
加地監督はきっとネタに気づいてくれるだろう。
わくわくしながら送信すると、監督は数分で「長っ」という2文字の返信を送ってきた。
とてもあっさりした返事で「これで終わりか」と意気消沈した恭彦だったが、監督はいい人だったので、仕事をくれた。
「恭彦君。お正月の特別放送なんだ。守秘義務を守ってね。お仕事のことは、お父さんにもないしょだよ」
「わん」
犬であれば全力で尻尾を振っている。
そんな気分で受け取った台本には、「ヒモ男に憑依した太宰治(憑依してもやっぱりヒモ状態)」と書いてあった。
「俳優が緊急入院しちゃってさ。あのメールを見てビビッと来たよ。実にタイミングがよかった。君は綺麗なお姉さんのペットだ。恭彦君」
「わん」
この仕事、ファンの子が観たらなんて言うだろう。
『恭彦。焦らなくていいんだ。パパが安心安全な仕事を選んでやるからな』
脳内に父の言葉が蘇る。
「恭彦君。くれぐれも、守秘義務を守ってね。特にお父さんにはないしょだよ。おじさん、怒られちゃう」
「わん」
こっそりと後悔しつつ、恭彦は新しいドラマでヒモワンコを演じた。
たぶん、正月に放送されるかもしれない――。




