152、恭彦、盗んだバイクで走り出さない
受賞式の後は、会場を移動しての祝賀会だ。
私は14歳なので、ちょっとだけ参加して途中で帰宅する予定である。
祝賀会の会場は眩しいほどの明るさで、立食のブッフェ形式。ご馳走と人でいっぱいだ。
点々と設置された丸いテーブルはゆったりしたテーブルクロスが掛けられていて、テーブルごとに人の輪ができている。
動かずにテーブルで談笑する人たちもいれば、テーブル間を渡り歩いて挨拶してまわる人もいる。
「王司ちゃん、お兄ちゃんにご挨拶しようと思ったら見当たらないね」
美術賞を受賞した神崎凪沙さんが残念がっていた。
きっとトイレで嬉し泣きでもしているのかな。
微笑ましいではないか……まさか盗んだバイクで走り出したりはしてないよね? まさかね。
安否確認すべきかと思ってスマホでメッセージをフリック入力していると、動画の投稿通知が届いた。
パトラッシュ瀬川さんだ。
タイトルは『ファミリー賞をお祝いしようと思ったら走り出しちゃった』だって。
彼は火臣家に住み込みでせっせと日常を切り抜き動画にしている。
YouTubeの切り抜き動画チャンネル『火臣家の日常』は登録者数が8万人もいて、「なんで?」と思いながら私もチャンネル登録している。
しかし、祝賀会の最中に動画鑑賞はお行儀が悪いよな、さすがに。
帰りの車の中で見るかな。
料理はどれも美味しそうで、カレー風味のスパイシーポテトがある。料理人さんありがとう。わーい。
外はカリッと、中はホクホク、あったか。
カレー粉とチリパウダーをたっぷりまぶしてて、辛い!
美味しい! もうひとくち!
料理を追加していると、八町が談笑している声が聞こえてくる。
「恭彦君はGASにもノーモアマーカスと言われてね。家庭環境が劣悪で本人のメンタルも不安定と言われて指定を外されそうになっているんだ。それに、僕が紹介状を書いた仮面ライダーのオーディションも落ちてしまって……可哀想だなと思っていてねえ」
なにっ。そうだったのか。
そういえば私も八町のコネで学園ドラマへの出演が決まったんだけど、うっかり言わなくてよかった。
「二俣さんの演説の『演技以外の部分で印象を下げるのではなく演技自体をちゃんと見て評価すべき』というの、僕は激しく同感でしたよ」
「八町先生の『役柄上の家族設定なのに現実の家族みたいに皆が思っている』というのも、とても説得力がありました」
おっさん同士の褒め合いに、麗華お姉さんが割り込んでいく。
「うふふ、家庭教師はファミリーじゃないですよね。私ったら、一緒にファミリーな気持ちだったんですよ。焼肉も一緒に囲んだのに。やだぁ」
「れ、麗華くん……違うんだよ。君はアウォードの方で女優賞を受賞してただろう? サ、サレ妻の復讐劇で……」
「うふふふ。私は先生に評価してほしかったのに……うふふふ。ワンカップ~♪」
あー、麗華お姉さん。酔ってるな~。いいな、アルコール。飲まないけど。
カナッペの盛り合わせコーナーでクリームチーズの旨辛カナッペをチョイスして、中華コーナーで伊勢海老の四川香辣醤炒めをゲット。イナダの唐辛子蒸しもいただこう……。
「火臣さん、お子さんと3人で写真撮らせてくださいよ」
「もちろんOKです。うちの子はどこに行ったかな」
あっ、火臣打犬がいる。
「佐藤さん。共演NGの人が同じ会場にいるんですけど」
「それは、まあ、さすがにどうしようもないと言いますか……」
マネージャーの佐藤さんの言うことももっともだ。そりゃ同じ会場にいるよな。
身を屈めて佐藤さんの影に隠れると、打犬たち一行は「うちの子どこかなー」と右周りにテーブルを巡り始めた。
「佐藤さん、私、あの一行が通り過ぎた後のテーブルで料理を食べるので、近づいてきたら教えてください」
「そんなにパパが嫌なんですか? ハロウィンパーティで同席していたので、関係が改善したと思ってました」
一行が通過した直後のテーブルは、鈴木家のスタッフが集まっていた。加地監督もいるじゃないか。
「おー、王司ちゃん。さっきパパが探してたよ」
「はい。なので、隠れてたいんです。私を隠してください」
「あはは! みんな、肉壁になれー!」
スタッフは話がわかる人たちだ。安心して料理が楽しめる。うん、どれも辛くて美味しいよ。
「みんながいなくなって人手不足だよ。くそー、俺もそっちいこうかな?」
「監督かわいそう。おいでおいで」
「俺が炎上商法を強要したって疑惑が出ててさあ。してないよな~、みんな勝手に燃えたんだもんな~」
「いえ、割と強要してた印象があります」
「してたよねー」
遠慮がないスタッフたちも、監督も笑っている。
雰囲気の良さを感じながらドリンクに手を伸ばしてスパイシー・ジンジャーエールをすすると、炭酸が口の中を刺激して、辛味でいっぱいだった口の中がピリピリする。
「王司ちゃん、パパが一周して近づいてきましたよ」
おっと。奴が来たらしい。
「王司ちゃん、隠れて隠れて」
「テーブルの下行っちゃえば?」
「映画みたい。いいね~」
みんなノリノリだ。隠れるか。
テーブルクロスをめくり、中に潜り込むと、少しして打犬一行がやってきたらしき気配がする。
「どうも俺の娘ちゃんはかくれんぼが好きなんだな、前も隠れてた……」
あれ、これバレてないかな?
「息子さんもいないんですか、火臣さん?」
おっ、いいぞ、加地監督が注意を恭彦に逸らそうとしてくれている。
そうだそうだ、息子を構っておけー。
「うちの息子は反抗期なんだ。さっき飼い犬が動画を投稿していた」
「飼い犬?」
「この動画だよこの動画」
「ああー、パトラッシュ瀬川君。この子、八町先生の会社に内定決まったらしいですよ」
「へえー、春から仲間ですね」
パトラッシュ、内定決まってたんだ。おめでとう。
ところで君、火臣家で犬扱いされてるの? 人権大丈夫?
テーブルクロスの外では打犬が居座って動画鑑賞を始めたようだ。
むむ。こっちも動画を観るか。イヤホンで小さめに音を聴こう。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『ファミリー賞をお祝いしようと思ったら走り出しちゃった』
撮影者:パトラッシュ瀬川
暗くなるのが早くなった。そう感じる雨の夜空の映像から撮影は始まっていた。
場所は……会場があるホテルの外かな?
「恭彦君。恭彦君。……祝賀会を楽しんできたらどうっすか? 業界の人と交流するの結構大事だと思うっすよ」
「帰ったらシャウエッセンをボイルしようと思うんです。シャウエッセンをボイルしたおかげだと思うから」
フォースは? 恭彦? フォースが導いてくれたおかげにはならないのか恭彦?
心の中でつっこみが止まらないが、動画なので伝えようがない。
よし、コメントでつっこみしておこう。
葉室王司:フォースの導きは? あと、シャウエッセンをボイルしたのはお父さんでは?
「恭彦君。さっきからなんか聴いてます? 音漏れが……」
イヤホンから漏れ聞こえるのは、またしても尾崎豊だ。
また15の夜か。お前は19だろ。
「俺は最近、尾崎の気分なんです」
恭彦はレインコートを着てフードをかぶり、駐輪場に向かった。
尾崎豊の15の夜は、バイクを盗んで走り出すフレーズが有名だ。
尾崎気分でバイクを盗むのか? だめだぞ。犯罪だぞ。
私の気持ちを、パトラッシュが代弁してくれた。
「まさか恭彦君。バイク盗むんすか?」
「え、それは犯罪ですよ。しませんよ」
おっと、倫理的だ。ちゃんとしてる。
「パトラッシュ。俺は今日、このためにチャリで来ました」
「……そうだったんすか……俺、カメラ持って並走するっす……」
2人は夜の街を走り出した。
ちゃんとママチャリのライトも付けてて偉いな。
ところで、すれ違った一般人の人たちが黄色い声を上げたり走ってついてきたりしてるけど?
「ふう……」
ママチャリは、彼が通っているらしき大学の前で停まった。
「ここからは徒歩です。俺、ロッカーに荷物を預けておいたんで」
「えー、大学の中に入っていくようです。計画的犯行の匂いがしてきました。建物の中に入れちゃいましたっす」
パトラッシュが奇行を実況してくれる。
実況がないと訳が分からないと思うので、とても助かる。グッジョブだ。
「皆さん。えー、恭彦君は、15の夜をやりたいみたいっす。最初は落書きの教科書っすか。あー、ロッカーから出てきたのはシラバスっす。シラバスに落書きが仕込んであるっす。視線は超高層ビルの上の方を見て届かない夢を見てるっす」
恭彦。
これ元の歌を知らない人が見たら何やってるかわからないと思う。
あと、付いてきた一般人の老若男女どうするんだ。そのまま引き連れていくのか。
私は扉を蹴破るふりをして手で開ける兄をなんともいえない気分で鑑賞した。
お行儀がよろしい。
取り巻きたちが「格好いい」とか言ってる。扉を開けただけなのに。
外に出た恭彦は、シガーチョコをパトラッシュと分け合った。取り巻きはスルーか。
これも解説がないと意味不明だが、校舎の裏で煙草をふかしている演技らしい。
「パトラッシュ。俺たちは見つかれば逃げ場がありません」
「いやー、恭彦君。せめて電子タバコとかにしません? チョコは美味いっすけど」
恭彦はダメ出しをスルーして、カメラ目線で大人たちを睨んだ。
こういうときは意見しても無駄なんだ。演技プランは丁寧だと思います。
「パトラッシュ。俺たち、家出しましょう」
「あー、今そこまで進んだっすね」
取り巻きのお姉さんが「うちに来る?」と声をかけてスルーされていた。
仲間と家出の計画をたてた恭彦は、再びママチャリに乗って走り出す。
取り巻きがなぜか24時間テレビのテーマソングを歌い出した。
たぶんこれ、そういう番組じゃないと思う。方向性が真逆だと思うよ、みなさん。
恭彦は途中の「気になる娘の家の横」をすっ飛ばした。
そして、自動販売機に寄って100円玉を投入口に突っ込んだ。
「……」
100円でぬくもりは買えない。
恭彦は無言で10円玉を追加し、熱い缶コーヒーを握りしめた。
雨がずっと降っているので、缶コーヒーを握りしめる手が濡れている。パトラッシュはその映像が気に入ったようで、エモく撮っていた。
「パトラッシュ。大人達は心を捨てろと言うが……俺は……いやだ。たこ揚げはたこ焼きじゃない。たこ揚げだと言いたい。なんで妹を否定したらあかんねん」
「恭彦君。家訓に抑圧されているんすね。あ、またシガーチョコっすか」
二人はシガーチョコをくわえて星空を見つめた。
取り巻きたちも一緒になって空を見上げている。君たちはなんなの。
「雨が降ってるんだよなあ」
「星……見えないな……」
取り巻きたちが寂しそうに呟く中、恭彦は希少な宝物を見つけた少年のような眼でみんなを見て、空の一点を指さした。
「あそこに、ある」
カメラが指さした方に向くと、分厚い雨雲が風に流されて、隠されていた星がひとつ、小さな輝きを放って姿を現していた。
私はそっとコメントを投稿した。
葉室王司:拘りとかないんで、別にたこ揚げでいいです
葉室王司:雨の夜は冷えるので風邪引かないように気を付けてくださいね
ついでに本人に直接LINEも送るか。動画のURL付けて。
葉室王司:お兄さん。妹を否定していいです。兄妹喧嘩しましょう
火臣恭彦:俺が負けました
葉室王司:早くない?
火臣恭彦:俺が負けました
あ、これはまたBOTなのではないか?
BOT疑惑を抱きつつ、私はメッセージを付け足した。
葉室王司:お兄さん。ノーモアマーカスの件ですが
火臣恭彦:俺が負けました
葉室王司:近いうちに芸能界ファミリー大集合な特番があるじゃないですか?
火臣恭彦:俺が負けました
葉室王司:あれにねじ込んでもらって
火臣恭彦:俺が負けました
葉室王司:家庭環境に問題ありませんよー、家族仲良し、安全安心ですよーってアピールすればいいんです!
火臣恭彦:俺が負けました
葉室王司:私とママも協力するから、やりましょう!
火臣恭彦:俺が負けました
葉室王司:おい、中の人出てこい
ふと現実に意識を戻すと、テーブルクロスの外の会話が静かになっている。
打犬がいなくなったかな?
「王司ちゃん。そろそろ出てきても大丈夫よん。パパ行っちゃったぜ」
加地監督が声をかけてくれたので、外に出よう。
そろそろ帰る時間でもあるし、スタッフさんたちに隠してもらいながら会場を出ようではないか。
そーっとテーブルクロスをめくって這い出すと、パシャッとフラッシュが瞬いた。うん?
「大成功!」
あっ。ドッキリだ。
目の前にはカメラと看板があって、いろんな人が満面の笑みを浮かべていた。
そうか、これドッキリだったんだ。
そうだよな、いくら恭彦でも奇行が過ぎると思ってたんだ。
全部ドッキリの指示だったんだよな。
「すっかり騙されました。えへへ。私、お兄さんが変なことしてるーって思ってツッコミのコメント投稿しちゃった。あはは」
「王司ちゃん。息子の動画は本物なんだ」
あっ、そうなんですか……。




