151、ミジンコとマグロ
ドラマアカデミー賞の発表の日。
私は純白のワンピースドレスに身を包み、17時にドラマ『鈴木家』の仲間と会場入りした。
『鈴木家』は受賞できるんだろうか。
気になるのは、ドラマ『鈴木家』の制作会社の不穏なニュースだ。
ドラマ制作チームのスタッフが何人も一斉に辞職。ドラマアウォードを逃して上から叱責を受けたという噂があって、労基署が「不適切な労働実態なのではないか」という疑いを持ち、調査が入ることになったらしい。
ちなみに、ライバルとして有力な作品は、『夏が溶けるまでにしたいこと』。
ドラマアウォードでも作品と主演女優の姉ヶ崎いずみが賞を取っていた、ブルーライト文芸をベースにした大人向けの余命モノだ。
車から降りるとすぐにいつもの記者さんが声をかけてくる。
お互いに慣れた距離感で、まるで親戚のおじさんみたい。
「王司ちゃん、今日は大人っぽいですね! 緊張してますか~?」
「今日はヒールが高い靴なので、緊張するというか、歩くのが大変です」
「あはは、初々しいー! お兄ちゃんにしっかりエスコートしてもらってくださいねー!」
用意してもらったドレスは足下が見えにくくて、靴もヒールが高めだ。
慣れていないと階段を降りるときが怖い。練習をしてきたが、苦手意識が強い。
女性は大変だな――エスコートは格好つけじゃないんだ。命綱みたいなものなんだ。
私の命綱は、火臣恭彦である。
ブランドスーツが似合っているが、なんかチャラい。中身はチャラくないと思うのだが、不思議だな。
じゃらじゃらと付けているアクセサリーのせいだろうか。
「お兄ちゃんも格好いいですね! 今日は調子がよさそうですね。なんだか江良さんみたいなカリスマオーラが出てますよ」
なんだって。記者さんは江良を何だと思ってるんだ?
でも、確かに今日の兄はいつもより自信を感じさせる堂々とした雰囲気だ。そしてチャラい。
二人を見比べていると、恭彦はイケメンにしか許されない類のキラキラした微笑を浮かべた。
風が都合よく吹いてサラサラと金髪を揺らすと、近くにいた女性記者さんが両手を合わせた。
お、拝まれている……。
「ありがとうございます。実は昨夜まで鬱々としていたのですが、今朝、目が覚めるときにフォースが囁いたんです。お前は大丈夫だ、フォースがついてる、シャウエッセンは焼くんじゃない、ボイルするんだと……」
「ははは、黄金の3分間ボイルですね。恭彦君。思うにそれ、フォースじゃなくてお父さんが料理しながら独り言を言ってたんじゃないですか?」
「えっ。どうやって俺の部屋で親父がシャウエッセンをボイルするんですか?」
記者さんとの会話がカオスなことになっている。
恭彦。正しいのは記者さんだ。私が今朝チェックしたSNSのタイムラインに、火臣打犬の投稿が流れてきたから。
奴は息子がソファで二度寝している写真や「シャウエッセンって焼くより茹でた方がいいのか。知らなかった」という呟きを投稿していたんだ……。
「レイア姫。フォースが俺を導いてくれるので、今日の俺は主人公な気がします。たぶん、受賞する……俺は今日、マグロに進化するのかも」
「あっ、あっ、記者さん。この発言は聞かなかったことにしてあげてください……恭彦お兄さん、お話はあとにして席に向かいましょう。ね、ねっ。あのねえ、レイア姫じゃないんですよねぇ」
完全にフラグだ。
自らネタになりに行ってるとしか思えない――記者さんの良心に期待しつつ、私は兄を引っ張った。
ホテルの会場にはカーペットが敷かれ、照明は控えめ。
とはいえ、階段さえ攻略できれば、もう何も怖くない……と思ってたら段差に躓いた。
「ひあ!」
「葉室さん。足元気を付けないと危ないですよ」
兄はしっかりと支えてくれた。
やはりエスコート役は命綱だ。助かる。
「サ、サンキューブラザー!」
「葉室さん。それは何かの役の影響ですか? 役を抜いてください」
「お兄さんが言うんですか、それ?」
「俺は今、目が覚めた気がします」
「い、今まで寝ぼけてたんだ……?」
出席者の座席は、審査員が前方中央に配置されていて、その後ろに受賞候補者や関係者が並ぶ。
壇上にはプレゼンター用のステージがあり、左右に大きなスクリーンが設置されていて、映像や登壇者の様子が映し出される予定だ。
『鈴木家』のメンバーが座る席は、真ん中くらいの位置だった。
羽山修士が蒼井キヨミと本物の夫婦みたいに仲睦まじく手をつないでいて、目のやり場に困る。
麗華お姉さんはシアーチュールトップス付きのブラックドレスがよく似合っていて、セクシーだ。
何も遮るものがない露出の肌より透け生地の方がアダルティに感じるのはなんでだろうな。えっちなんだ。
「麗華お姉さん、すごくえっ……、セクシーです!」
「あら、王司ちゃんありがとう。今えっちって言いかけたのかしら? んふふ。お姉さんはえっちよ! 王司ちゃんもお姉さんな感じで、背伸びしてる感じが可愛いわ。恭彦君は、なんかチャラいわね」
麗華お姉さんは私と同じ感想を抱いたようだった。
チャラい兄は、ハッと何かに思い至った顔で指輪がいくつも光る手を口元に当てた。
「俺、さっき……やばい発言をした気がするんです」
「気のせいですよ、お兄さん。過去よりも未来を見つめましょう」
私たちがリラックスムードを高めていると、授賞式が始まった。
「皆さま、本日はお忙しい中、ドラマアカデミー賞授賞式にお越しいただき、誠にありがとうございます。素晴らしい作品と演技が揃ったこの夏秋を振り返り、心からの敬意と感謝を込めて、本日ここに表彰の場を設けさせていただきました。それでは早速、輝かしい受賞者の皆さんをご紹介してまいりましょう!」
ドラマアカデミー賞は、ドラマアウォードよりも対象期間が短い。
夏から秋の作品が対象となる今回は、江良の出演作『フローズン・ドクター』がライバルにないので、受賞候補者たちは目をギラギラさせている。
賞は順に発表されていく。
主演男優賞が『夏が溶けるまでにしたいこと』の火臣打犬、助演女優賞が同作品の姉ヶ崎いずみ。なんと打犬が受賞してしまったではないか。羽山修士が「ああっ、取られたあ!」と悔しがっている……。
「葉室さん。俺には親父が本マグロに見えます」
恭彦はあやしいことを言いながら拍手していた。
「お兄さん。マグロじゃないです、人間です」
「葉室さん。親父は一番優秀だと認められたんですよ、すごいじゃないですか」
「あ……はい。そういう意味でしたか」
マグロって優秀という意味の隠語なの?
若者言葉、意味不明すぎる。今日も恭彦と私の間には厚い壁が聳えているな。
私が脳内辞書にマグロを追加していると、最優秀作品賞が発表された。
「――『夏が溶けるまでにしたいこと』!」
あっ。負けた。負けたなあ。
審査員のメンバーの中に二俣のお父さんや八町がいるから、実はちょっと期待しちゃったんだよな。
期待しちゃうと、がっかりしちゃうんだよな……。
拍手しながらチラチラと鈴木家のメンバーを見ると、やっぱりみんな「だめだったかー」と残念そうだ。
「『夏が溶けるまで』はドラマアウォードの方でも作品賞を取ってたもんね。泣けたし……うちの娘も大好きなんだ。あはは、娘が喜ぶよ」
羽山修士が穏やかながらもどこか寂しい声で言うと、恭彦はしおしおと項垂れた。
「すみません皆さん。俺のせいです」
「いやいや。恭彦君。気にしちゃいけない。気にさせちゃったならごめん」
「いえ、こちらこそすみません。気を使わせました。俺……頭を冷やしてきます」
あー、背中を丸めてコソコソと席を離れていく……そのまま帰ってしまいそうなションボリ姿だ。
う、打たれ弱いなあ。付いて行った方がいいかなあ?
迷っているうちに、次々と賞が発表されていく。
音楽賞、脚本賞、美術賞……『鈴木家のお父さんは死にました!』の神崎凪沙が呼ばれた。
おやっ?
「鈴木家のスタッフさんだ!」
「元スタッフさんね」
鈴木家のメンバーがホッとした様子で明るい表情になる。
全くの受賞なしではなかったか。よかった~。
「麗華お姉さん。私、お兄さんに教えてきますよ。美術賞が取れたよーって」
「そうね。恭彦君、自分のせいで誰も受賞できないって思っちゃってるみたいだし、きっと気が楽になると思うわ」
麗華お姉さんに言って暗がりの中をそーっと移動すると、「八町大気だ」という声が耳に届いた。
お? 八町?
見ると、会場の視線は前方の壇上に集まり、緊張した空気が張り詰めていた。
おやー? 辞めたスタッフさんが何人も登壇していないかー?
『鈴木家のお父さんは死にました!』の神崎凪沙は、辞めたスタッフ仲間に左右を囲まれ、守られるようにして、受賞コメントを堂々とマイクに向かって話していた。おやおや?
「このたびは、名誉ある賞をいただき、ありがとうございます。まずは制作に関わった仲間たちに深く感謝を申し上げます。共に作品を作り上げたあの時間があったからこそ、今日のこの受賞につながったのだと思います。制作期間中も、終わってからも、時に苦しい瞬間もありましたが、チーム一丸となって走り抜けた日々は私にとってかけがえのない財産です。新たな一歩を踏み出した仲間たちと共に、これまでの経験を力に変えて、さらに高い場所を目指していきたいと考えています。これからもどうぞ応援のほど、よろしくお願いいたします」
『制作期間中も、終わってからも』『苦しい瞬間もありました』――思わせぶりに聞こえた。近くにいた記者たちが「上層部のパワハラの件だ」「間違いないな」と囁きを交わしている……。
八町は、中途半端に通路にいる私を見つけて目を丸くしてから、マイクを手に朗らかに宣言した。
「彼らは、今日から我が社の社員です。優秀な人材を獲得できて嬉しいです……それと、今回は審査員一同で話し合いまして、特別賞とサプライズ賞も追加で用意したのですが……」
なんだって、と会場がざわめく中、八町が意味深なアイコンタクトを送ってくる。その心は――わかった。
おお、親友。くれるのか、賞を。
ちょっとだけ待って。うちの兄が逃げちゃったから。
口パクと身振り手振りで意思疎通して、会場を後にすると、八町は察してくれた様子で「その前に、我々審査員が思う賞の意義――作品の社会的意義や、キャストやスタッフの特別な貢献についてなど、二俣さんに熱く語ってもらいたいと思いますが、いかがでしょうか」ととんでもないキラーパスを放っていた。
すまん、がんばれ、二俣のお父さん。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
薄暗い階段を慣れないヒールでコソコソと上がるのは、結構つらい。
途中で「靴を脱いで素足で移動した方が楽なのでは」と思いながら理性をキープして分厚い扉の外に出てみると、恭彦は結構目立っていて、すぐ見つかった。
記者とファンが絶妙な距離を開けて囲んでいるんだもの。ああ……。
「恭彦君、お父さんが受賞したんだって? おめでとう……」
「しっ、今きっと江良さんが憑依しているんだ」
取り巻きが変なことを言ってる。いや、江良は憑依してないよ。
異様な空気の中、本人は外に出て行った。ぞろぞろと集団が付いていくんだコレ。変な行列出来ちゃってるよ。
「すいませーん。通りまーす」
「あ、妹ちゃんだ」
集団をかき分けて近寄ると、恭彦はイヤホンで音楽を再生しながら見知らぬバイクをじっと見つめていた。
「恭彦お兄さん、何をしてるんですか。雨降ってますよ。風邪引きますよ」
声をかける私の耳には、なにやら懐かしい音楽が音漏れして聞こえた。
お、尾崎豊だ。
盗んだバイクで走り出しちゃうやつだ。
なんと、兄と私の世代の壁が消えただと――い、いや。それどころではないな。
「お兄さん」
兄の耳からイヤホンを外して呼び掛けると、音楽の世界観に染まっていた目がようやくこちらを見た。
理性の色が戻ってくるので、安堵する。
「葉室さん。俺はミジンコです。カジキだなんて、思い上がっていました」
や、やめろ。
その雨に打たれた哀れなチワワみたいなオーラ。
「お兄さん! 鈴木家は、これから受賞します。すでに美術賞をもらいました。なので、戻りましょう」
「……へっ」
手を取ってグイグイと引っ張っていくと、パシャパシャと写真を撮られた。
「お兄ちゃんを心配して呼びにきたんだ、王司ちゃん。いつ見ても仲のいい兄妹だなあ。これはいい記事が書けるぞー」
記者さんの嬉しそうな声を聞きながら会場に戻ると、八町は「待ってました」とばかりに特別作品賞とサプライズの新人賞とファミリー賞を読み上げた。
「――特別作品賞、『鈴木家のお父さんは死にました!』、新人賞、葉室王司さん。ファミリー賞、羽山修士さん、蒼井キヨミさん、火臣恭彦さん」
作品名と役者が呼ばれると、拍手が湧く。
ずいぶんと大判振る舞いだ。あと、私の賞と恭彦の賞は逆の方がふさわしい気がするけど――贅沢は言うまい。
審査員さんたち、ありがとう。
「わああっ、やったー!」
「キャー!」
鈴木家のメンバーが喜んでいる。
こういう光景は、いいものだ――あっ、そうだ。マグロのペンダントを授与しよう。
「お兄さん、マグロですよ」
首から下げていたペンダントを渡すと、恭彦はおずおずと受け取ってくれた。
目を赤くしている。
それは嬉しい涙だよね。よかったね。




