150、コンプラコンプラポリコレポリコレ
――【神崎凪沙視点】
神崎凪沙は、32歳の『元』会社員だ。
「ジュエルちゃんたち、可愛かったな……」
可愛らしいアイドルたちのパフォーマンスが終わり、神崎凪沙は恍惚とため息をついた。
照明の中で踊る10代の少女たちは煌めいていて、青くて眩しい感じがした。
自分が失った何かを思い出させてくれるような、そんな青春の権化みたいな少女たちだった。
『鈴木家』ドラマスタッフだった凪沙は、退職したばかりだ。
それは、勇気のいる選択だった。
どんな道を選んでも『まったく後悔がない道』なんてない。人生は甘くないとわかっている大人の心は、不安でいっぱいだ。
元々、凪沙は組織の一員であることにかけては優等生だった。
学生時代はクラスでも平凡な存在で、部活でも他人と揉めることなく、かといって抜きんでることもなく。
受験は合格率の高いところを選び、過去問を解いて、スムーズに合格。
就職もすんなりとできて、なんとなく「ぬるい」人生だと思っていた。
自分が優秀だから?
親のおかげ?
周囲の人に恵まれた?
とにかく、凪沙は組織の真ん中ぐらいの場所でぬくぬくとして、他人の言うとおりにするのが得意だった。
流されるがまま長いものに巻かれて周囲に同調して、輪を乱すことなく、埋没する。
組織の歯車として機能する。オーダー通りに作業する――映像関係の仕事はクリエイティブ分野のはずなのに、全然自分というものがなかった。
上の決定だから。
偉い人には逆らうものではないから。
それが当たり前の社会だ。
肯定しないと社会人失格の烙印を押されて輪の外へと弾き出されてしまう。
だから、なあなあで無難に日常を転がして生きていく――そんな凪沙を変えたのは、ドラマ『鈴木家』での仕事だった。
まず、凪沙の心に強すぎる刺激を与えたのは、火臣恭彦君だった。
えっちだったのだ。
凪沙のお姉さん心は、萌えた。
(まだ世間に出ていないお宝映像――最高にシコいシーンを、私がさらに磨き上げる! 役者が体を張った貴重すぎる演技を、映像作品として昇華させる! 素晴らしい作品を、彼の魅力を、大勢に届けるのが私の使命!)
そして、叱られた。
お前、何をエロエロに編集しとるんだと。性癖に走りすぎだろうと。
地上波に乗せられる低刺激物に編集しろと言ったのに、さらにスケベにしてどうするんだと。
お蔵入りにすると言われて、凪沙は泣いた。自業自得と言われれば、それはそうとしか言いようのない案件ではある。
しかし、さらに、スポンサーの横暴で役者が降板になったではないか。
しかも、降板になった彼は凪沙のお気に入り。
(恭彦きゅんがかわいそう! スポンサーがひどすぎる! 人の心ってもんがないよ! 歪な脚本で誤魔化すのは、嫌だ!)
反発心が高まって、ストレスが蓄積していく。
加地監督は自ら会社を辞めていき、「そうだ、その反発心は正しいんだぞ」と火に油を注いでくれた。
SNSだって、なんかよくわからない中学生たちだって、「いけないとおもいまーす」って同じ意見がいっぱいあるのだ。
葉室王司が「いない兄がいると誤魔化す演出、NO! 今はいないけどこれから戻ってくる演出をしよう!」とアドリブを演じたとき、凪沙は「そうだ! そうだ!」と思った。
それまで「得体の知れない天才少女」だった葉室王司は、そのとき凪沙の脳内で「ベテランの大人たちに囲まれているのに、お兄ちゃんのために勇気を振り絞った女の子」になった。健気で可愛くて最高の推しが爆誕した瞬間である。
(スタッフの心は、役者たちと共にある! スポンサーや会社の上層部のご意向は、気に入らない。間違っていると思う!)
そして、ドラマは無事に完成した。スポンサーにも「ごめんなさい」と言わせられて溜飲は下がったのだが――またしても「モヤッ」とすることがあったのである。
ドラマは役者たちの熱意と大衆の正義感により一件落着したが、ケチをつける者がいたのだ。
それも、国際ドラマフェスティバルのドラマアウォードに関係することで。
ドラマアウォードは、1年間に放送されたテレビドラマ作品を対象に世界に見せたい日本のドラマを選出・表彰するアワードだ。『鈴木家』は、各種受賞を逃してしまった。
グランプリは仕方ない。
『フローズン・ドクター』――故・江良九足が脳外科医役、脚本は八町大気。演出家は八町の信奉者でもある38歳の銅親絵紀。主題歌が伊香瀬ノコだ。
優秀賞も、選出作品は間違いなく良かった。
『鈴木家』は途中、不自然な誤魔化し演出をして作品完成度に傷をつけたから、納得できる。
しかし、ファミリーものでファミリー賞を逃した点や、羽山修士の熱演が評価されなかった点、存在感がありすぎる新人の兄妹がキッズ&ヤング部門賞を取れなかった点について、会社の上層部は反省会で「当たり前だ。選ばれても辞退するべき作品だ」とノンデリ発言をしたのだ。
『鈴木家は不祥事炎上商法ドラマだ。利益や数字を求めるにしても、社会を悪い意味で巻き込んで騒乱を起こすような作品作りはいかん。そんなんで数字を取るのは、不正義だ。評価対象に上げるべきではない。良し悪しを評価する以前に、失格だ! 君たちは今回の件を反省し、倫理や道徳を重んじて、次回からはお茶の間に安心して届けることができてファミリーが勢ぞろいで何も心配なく視聴できる、教科書にだって載せられるようなコンプラを徹底した品行方正かつ面白いエンタメというものを作る努力をしてほしい。唱和しよう、コンプラコンプラポリコレポリコレ』
それは正義のような立派な言葉だったが、現場にいて目上の人たちの横暴や役者たちの苦難を目の当たりにしてきたスタッフにとっては、神経を逆なでされる悪意だった。
(はーーー!? お偉いさんのクソジジイは、騒動の時に何もしなかっただろうがよ! もっと現場を思いやった言葉選びってもんがあるだろうがよー! コンプラコンプラポリコレポリコレじゃねえんだよ!)
それまでちょっとずつ蓄積されてきたストレスが爆発した。キレた、というやつだ。
凪沙もキレたし、他のスタッフもキレた。集団ブチギレた結果、集団は辞職祭りを決行した。
そんな経緯で、辞めちゃったのである。
『ま、待ちたまえ君たち! 社会人なのだから、社会に作品をお届けする会社の建前としてコンプラコンプラポリコレポリコレが必要だとわかるだろう? 大人なのだから、な? な?』
(うっせえ、うっせえ、うっせえわ! 辞めてやるわ! 後悔しても、もう遅い!)
社会は本音・建前・偽善・偽悪が渦巻いている。
「これはデリケートで、社会人としては正しい答えを言わないといけない」という問題の解答がわかる。
以前の優等生な自分は、「そうですね、私個人の感情としては気に入らないですが、公に向ける社会人としては模範的な回答が理解できます」と答えられた。
でも、割り切って組織の一員になるには、自分の中に芽生えた「てめえらが悪いというものは、悪くねえわ!」という感覚が強く育ちすぎた。感情的な反発が強すぎた。
(あー、ささくれていた気持ちが癒される~ジュエルちゃん、最高~)
荒ぶるお姉さん心は、歌番組の観覧席で癒されていた。
観覧席では、他の出演者目当てで来ていたお客さんたちが笑顔になっている。
「今の曲、好きだな。なんか元気出る」
「あの子たち、可愛いね」
「ね、なんか応援したくなっちゃうよね」
(ふふっ、そうでしょ! 応援したくなるよね。わかる~~!)
リアルな反応を肌で感じて、凪沙は「私が会社を辞めたのは正解だ」と思った。
ジュエルちゃんのひとり、葉室王司とは仕事で縁があり、個人的な推しでもある。
(ピュアで可愛い女の子たち。どうか、そのまま真っすぐ育ってね……お姉さんみたいにならないでね……はぁ……)
冷静になると、「やっちまったなぁ」とも思うのだ。
集団で辞めたはいいが、何もしないで生活はできないわけで、次の職場探しをしないといけない。
(同じ業界は、もう無理かなー。こっちの気持ち的にも前みたいにいかないし、業界的にも下手したらブラック人材として情報共有されてて、どこを受けても再就職できないんじゃないかなー)
そんな彼女に、一通の封筒が届いた。
差し出し人は、なんと映画監督であり、映画制作会社の社長でもある八町大気。
彼は、引退宣言を撤回した後、精力的に活動を再開している。
2劇団を率いて自分名義での演劇祭を電撃開催し、海外からも注目される大成功を収めた。
さらに有名機関と連携してのプロジェクトに関わると同時に、2作品の企画を水面下ですでに立ち上げていて、先行する1作品目は低予算で迅速に制作予定だと業界関係者の間で噂になっている。
内容は――スカウトだ。
『優秀な人材が大変な苦境に立たされていると聞き、急いで手紙を書きました。ドラマアウォードは残念でしたね。しかし、僕は鈴木家のドラマも、スタッフたちも、高く評価しています。即戦力になるあなたをぜひ僕の会社にスカウトしたい……』
「――えっ、本当に?」
スカウトは、その噂を聞いていた凪沙の胸を躍らせた。
彼の会社が、業界の最前線だ。
世界と戦う現場に、自分は戦力として選ばれたのだ。
「じゃあ、私、……が、がんばろうかな……」
あの可愛らしい葉室王司は、八町大気の新たなエース俳優だ。
彼女の映像を、自分が最高の映像作品として世界に届ける。そんな未来を想うと、胸が熱くなった。
手紙には、続きがある。
『つきましては、入社式の代わりにこれから行われるドラマアカデミー賞の受賞式に出席してください。審査員の八町大気より』
しかも、この手紙……確認してみると、集団で辞めたスタッフたち全員に届いていた。
(なんか、なんか――何かが起こりそう)
それはきっと、自分たちが「報われた」と思えるハッピーなことに違いない。
凪沙はワクワクした。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
SNSでは、歌番組の反響がすごいことになっている。
:ジュエルちゃんが泣きだして一緒に号泣してしまった
:ピュアッピュアだった
:あんな子たちをいじめる先輩なんていねーよなー?(いる)
:オーロラは許されない
:カナミちゃんはどんどん歌が上手くなるな
:あの子は陰ですげー努力してる
:王司ちゃん→カナミちゃん→アリサちゃんのマイクリレーが可愛すぎて永遠に見てられる
:おじさんもジュエラーになります
:俺は嫌いだ!!!!
:↑トーヤの裏アカ疑惑がある人だ……
:ドラマアウォードは残念だったよね鈴木家
おっと、ドラマアウォードの話題もある。うん、うん。残念だったね。
『鈴木家』のドラマは、ドラマアウォードで評価されなかったんだ。
1年間の作品が評価される賞なのでライバル作も多かったし、江良の出演作があったからね。
江良の最後の出演作はグランプリを取っていた。八町も脚本賞を取ってきて、インタビューで江良を偲ぶコメントをして世間の涙を誘ってくれたよ。『江良君は生きている』って。そうだね、生きてるね……。
中学校に登校して教室の入り口に行くと、クラスの子が盛り上がっていた。
「ハッシュタグで『#江良さん受賞おめでとう』って追悼するお祭りしてるね」
「見た見た。写真いっぱい」
「江良さん格好いい。あたしこの角度のキメ顔が好き」
「おじさんじゃん」
「あっ、王司ちゃんだ。おはよー!」
私が教室に入ってきたことに気付いて、みんなが江良の話をやめた。まさかドラマアウォードを取れなかったから気を遣われている?
中学生の優しさが染みるんだ……。
ところで「おじさんじゃん」って言った子、おじさんの心に君の一言は刺さったよ。
江良は悲しいです。でも中学生だからな……思ったことを言っただけなんだよな。悪意はないよな。
自分の席に着くと、先生より先に二俣夜輝がやってきた。
円城寺誉もセットだ。君たちは本当に仲がいいな。こっちに来るな。
「二俣様よ」
「やっぱり葉室さんと特別な仲なのね」
「映画祭にも行ったって。薔薇の花を贈ったって」
贈られてないよ。どこから出たんだ、その噂。
私が否定しようとした時、二俣は腕を組み、見下ろしてきた。
「葉室。お前、さては落ち込んでいるのだろう」
「はっ」
なんて?
「皆まで言うな。俺にはわかってる」
「なにが……?」
「年間は敵が強かったな。冬から春にかけて江良に対抗する力作も揃っていた」
「あ、ドラマのお話ですか」
「次はドラマアカデミー賞の発表だろう。お前は、過去よりも未来を見つめろ」
なんか熱血教師みたいな物言いなんだよな。なんだこいつは。
「じゃあ、私は未来を見つめて授業の準備をします。小テストもあるし」
「そうか。ところで葉室、知っているか。俺の親父はドラマアカデミー賞で審査員を……」
二俣が何か言いかけたとき、ベルがなって先生がやってきた。
二俣は「しまった」と舌打ちをして、慌てて教室を去って行った。円城寺も一緒だ――こいつ、本当に「ついてきた」だけだったな。
そして、たぶんあの2人はそろって遅刻扱いにされることだろう……。
「王司ちゃん、これ」
アリサちゃんが私の机に桃柄のメモ用紙を載せてくる。カラーペンで文字が書いてある。なになに?
『王司ちゃん、ドラマアカデミー賞の発表、楽しみだね。ドラマアカデミー賞はきっと取れるよ』
アリサちゃんは「残念だったね」じゃなくて「楽しみだね」と言ってくれる。
過去よりも未来を見つめているんだな。偉い。
アリサちゃんありがとう。
「八町が変なことをしないといいな」と思っていたけど、授賞式が楽しみになったよ。




