146、メスガキを演じる
八町はこそりと耳打ちした。
「会場にいる何人かの記者や業界関係者は、すでに脚本を知っているよ」
マイクを渡されながら、私は眉を寄せた。
注目されてパフォーマンスを披露するのは、好きだ。
自由度が高いというのは、わくわくする。
八町に無茶ぶりされるのは、嫌いではない。
長い付き合いの親友だからな。
ピアノの音は、心地よかった。
それほど音楽に精通していなくても「この演奏者は、なんか違うな」とわかる。心に寄り添ってくれる演奏だ。
私を邪魔することはなく、こちらの出方に合わせて、真夏の太陽にも極寒の吹雪にもなってくれる――そんな安心感のある表現力だ。
スポットライトは私を照らしていて、八町は「これからパフォーマンスを披露します」としか言っていない。
けれど、直前にスマホに送ってきたメッセージから考えると……。
「賞レースを戦ってケストナーに勝とう」「本命作品の下準備をしたい」「関係者の知名度をさらに引き上げる。できれば、火臣打犬の好感度を上げたい」「火臣打犬は渋っている」……やりたいことはわかる。
しかし、手段が好ましく思えないな。炎上商法だろ、これ?
しかも、スタープロモーションが最初に葉室王司にしようとしたような、「誰かを悪役にして悲劇の主人公として売る」ってやつじゃんか。
八町の顔を見ると、「君は僕の味方だよね」と信じて疑わない満面の笑顔だ。
うんうん、味方だよ。親友ってやつさ。
そして、俺が思う親友ってやつは、やべーことをしていたら「それはやめろ」と止めてあげる奴なんだ。
「私の名前は……メスガキちゃん。とっても可愛くて生意気なの。キャハハ!」
マイクを手に第一声を可愛く言い放つ。
お客さんがちょっと不思議そうな顔をしている。
メスガキを知らない人もいるだろうから、説明しよう。
「メスガキちゃんは、子役なの。調子に乗りまくってるの。世界で一番お姫様で、他人を踏み台にしてもなんとも思わない――でも、外面は完璧で、ファンに最高の夢を見せられるアイドルなの。おじさんを馬鹿にしてるの!」
八町を馬鹿にするように下から睨んで打犬の元へ行くと、奴は壁に背を預けてしゃがみこんでいた。
トドの着ぐるみの頭をもぎ取るのは2回めだ。
現れた顔に、会場の人がチラホラと「火臣打犬じゃないか」と声を上げる。
おじさんのことを、メスガキちゃんはバカにしているものなんだ。
「このおじさん、あたしのファンだって。あたしが子役の時から活躍を見てて、元気もらってんだって。歌ってやるから崇拝しろよ。ばあーか、ばーか、ざぁこ♡ざぁこ♡」
口悪く生意気に言って、アイドルダンスを踊り出す。
ピアノは察した様子でアップテンポの可愛い伴奏を奏でてくれた。
「何か言い返してみなよ。おじさん」
この「おじさん」は、元妻をどう思っているんだろうか?
そんなことを考えながら、メスガキちゃんはおじさんにマイクを投げた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【火臣打犬視点】
大袈裟な演技だ。だが、的を得ている。
サチは、本質的にそういう子役だった――火臣打犬は、娘の演技に舌を巻いた。
さらにサチらしさを加えるなら、その本質を彼女は奔放に出したり隠したりする。
彼女は、演技力が高いのだ。
会場は、ショーを披露するパフォーマーに注目を集めるために照明を落とし、一点に光を集めている。
その雰囲気は、火臣打犬に自分が引き篭もりだった時の記憶を思い出させた。
暗くて狭い部屋の中、モニターが明るく女の子を映していた夜を。
思い出す。
思い出す。思い出す。
自分よりも1歳年上のサチは、たくさんの番組に出演していた。
彼女は子役時代とアイドル時代とでキャラ変していたが、根っこの部分は変わらないのを、古参ファンの打犬は知っていた。
笑顔の目の奥に揺れる冷めた感じや、あざといスマイルがほんの一瞬だけ嘲りスマイルに見える瞬間。
他のニワカファンは気づかない本性が見えると、打犬は嬉しくなった。
飾り立てたアイドルの彼女を褒め称えるファンを見ると「わかってないな」と思った。
目の前の娘、葉室王司は、あの女の子によく似ていた。
とりあえず動画を撮った。そして、SNSで自慢した。
火臣打犬:娘はパパのことが好きなんだ、と俺は常々思っていたが、もはや疑いがない
火臣打犬:江良! 見ているか!
火臣打犬:俺の娘はパパを見下ろして、この近距離で俺専用みたいに踊って歌うんだ。これはご褒美ってやつだな。可愛いが、パパ以外にやってはいけないぞ
火臣打犬:会場には大勢の人がいるが、娘は俺だけを見ている。二人の世界ってやつだ
さて、会場の一部の客は、八町大気の脚本を知っている。
そのため、「これはサチの演技だろうか」という顔になっているようだった。
娘はそんな空気を気にする様子もなく、試すような目をして、マイクを渡してくる。
ああ――パパは受け取るよ、君のLOVEを!
可愛らしく腰に手をあててパパを見下す娘の顔には、怒りの感情が滲んでいる。
大人に怒っているんだな、君は。大人が汚くてごめんよ。もっと蔑んでくれ。
思春期の女の子は、潔癖だ。汚いものを毛嫌いするんだよな。
善良ではないものや、不正義や、理不尽が許せないんだ。可愛いな。ごめんね。
大切に扱わないといけないその心は、どこまでも綺麗で、ピュアで、愛おしい。愛してるよ。
娘の目の奥の光は、燃え盛る炎のような苛烈さがあって、江良に似ている。近づいて火傷したい。
綺羅星のごとく輝く推したちを、俺は遠くから見てばかりだ。眩しい。
どんなに世界が澱んで暗く沈んでも、君たちが光っているから、俺の見る世界は明るいんだ。でも、光っている当人たちはそういう一面に意外と鈍いんだよな。
ああ、江良を思い出す。
江良と共演したかったな――ハロウィンは、現世と来世を分ける境界が弱まる日。
死者の魂が家族のもとへ戻ってくる日――というのを聞いたことがある。
江良は、どこかにいるだろうか。そうだといいな。
「江良。俺は、生きている間に、お前に俺を知ってもらうことができなかった。それは俺の努力不足と、運みたいなものの結果だが、推しとファンとの距離とは、それでいいのかもしれないな。俺は、友人ではなくファンだったんだ」
マイクを通して声を発すると、娘はなぜか驚いた様子で目を見開いた。
可愛い顔だ。いい匂いもする。ぎゅっと抱きしめて家にお持ち帰りしたい。
江良、娘とはいいものだ。1秒1秒が「可愛い」でいっぱいなんだ。
この愛しい子は、俺が死んでも生きるんだ。それはすごいことだと、俺は思うんだ。
生まれてくれてありがとう。育ってくれてありがとう。
そんなパパ心を溢れさせつつ、言葉を連ねる。
「俺は思えば、妻に対してもそうだった。江良。お前はアイドルの側の人間だからピンと来ないかもしれないが、アイドルには人の人生を支えたり、変えたりするパワーがある。俺は、一時期不登校で引き篭もっていたし、友人もいなかった。親からは放置されていた。そんな中、ネットやテレビで知っている人物が毎日活動しているのが、心の支えになっていたよ」
トドの着ぐるみを着て、壁に背を預けて座り込んで、暗がりでマイクを持って誰も聞いてもいない自分語りをしている自分は、我ながら滑稽だ。
これは演技でもパフォーマンスでもなんでもない。
ただ、江良に見たてた娘に向かって自分の心を打ち明けている――自分のための、儀式みたいなものだ。
自分語りおじさんだ。
「自分を切り売りするのはいい。俺にも、もっと向上したい、いい作品を残したいという意欲はある。しかし、推しを貶めるのは、やだ」
俺の目の前に、江良がいる。
娘の姿をした江良は、話を聞いてくれるようだった。江良はヒーローだ。正義感が強くて、優しい男だ。
そんな江良が、俺は好きだ。
江良。お前は、浮いた話があまりなかったな。
なので、もしかして男女の機微などを話してもわからないだろうか――「俺は、子役時代からサチのファンだった。人生に行き詰って、孤独を拗らせて、世の中も自分も嫌になって腐っているときに、彼女の声や姿にどれだけ癒されたことだろう」――こんな気持ちなら、わかるだろうか。
彼女は、太陽のような存在だった。
バラエティでも、ドラマでも、歌番組でも、なんでも、彼女が出ている部分を何度も再生した。
青空のような瞳がキラキラしていて、カメラ目線に心臓が鷲掴みされたようになって、生を感じた。
俺と彼女は持っている色が違うのだ、と思った。豊かな色彩にあふれている世界は、美しいと思った。
「彼女が俺に愛を囁いたとき、嘘を吐かれていることも、愛がないことも、わかっていた気がする。そういう彼女を俺はよく知っていた。それに、逃げ場みたいなものを探しているのも薄々感じていた。この年になってみて共感できる感情を、当時の彼女はすでに強く感じていたようだったし――」
ストーカーと言われても反論できないぐらいに彼女をずっと見てきたから、わかることが幾つもあった。
この年になってみて共感できる感情――彼女が加齢を意識していたことだ。
それに、葉室鷹祀やピアニストとの交友関係があったこと。
ある時を境に、2人と関係を断ったこと。
無敵のように思える彼女にも弱い部分は当然ある。人間なのだから。
「俺は……幸せだったよ」
言葉は、自然と口を突いて出た。
八町大気の脚本に感じた違和感を、今なら言語化できる気がする。
江良が引き出してくれる。
かつて、エキストラ出演中に先輩に虐められていた俺を助けてくれた時のように、江良が助けてくれるんだ。
「君が愛さなくても、俺が愛すよ。君に愛されてないのは、たぶん最初からわかってた気がするんだ。君が愛していないのは、俺だけじゃなかった。世界中の全員だったと思う。君は、自分自身さえも愛していなかった。君という子は、そういう子だった。他の誰もがわからなくても、俺は知っていた。でも、そんな君を俺は君の分も愛すんだ。それが気持ちいいんだ」
――ただの変態だ。
愛することが、気持ちいいんだ。
自己陶酔だ。
「君に愛されていた俺なんて最初からいなかったのだから、消えようがないよな。俺は、他人に愛されなくても、自分で自分を愛しているから、辛くないのさ。だから、八町大気の脚本は解釈違いだ」
床に転がっていたトドの頭を拾い上げ、被り直してトドになる。
マイクを江良に渡すと、江良は娘になった。
我ながら頭がどうかしている。
――途中から、俺は本当に心の底から娘を江良だと認識して話していたのだ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
火臣打犬は、絶妙なラインを突いた演説をした。
サチという人物を擁護もせず、批難もせず。事実を否定せず。
しかし、自分を可哀想だという方向に持ち上げようとするのは違う、と線を引いたのだ。
途中、「江良」と呼ばれた時は焦ったが、バレているわけでもなさそうだ。
あれだな。推しを祀る神棚に向かって話しかけるようなノリだったんだな。
八町の隣に移動して、私はマイクを通して声を響かせた。
「皆さんの中には、八町大気の脚本をご存じの方もいらっしゃるでしょう。このパフォーマンスは、『八町先生が解釈違いで脚本を書いてしまったのでこれから書き直します』というパフォーマンスでした。がんばってくださいね、先生」
「えっ」
マイクを押し付けると、八町が慌てた様子で「もう書き直しなんて……」と言いかけた。
「がんばってくださいね、先生」
「あ……うん」
よし、「うん」と言わせたぞ。会場の皆さん、聞きましたね。書き直しさせますからね。
にっこりとお辞儀をして元いた席に戻ると、司会の人が後を引き継いでくれる。
照明も、元通りに会場全体を明るくしてくれた。
「王司ちゃん、おかえり~」
アリサちゃんは「なんか、よくわからなかったけど、良かったと思う」と聞いてきた。
アリサちゃんは全肯定聖女様かな?
「王司の演技は可愛かったけど、なんだか、反応に困るパフォーマンスだったわ。王司、お仕事は選びなさいな……」
「はーい、ママ。ごめんなさい」
パフォーマンスで喉が渇いたのでドリンクを口に含んで甘味に癒されていると、恭彦が視線を向けてきた。
「葉室さん」
なんですか。お父さん関連ですか。
首をかしげて「なんですか」と話を促してみると、兄はビールジョッキを遠ざけた。
いや、今は別に「ビール飲みたいな」なんて思ってなかったよ。何を警戒してるんだ、何を。
「葉室さん。親父にしゃべらせてくれて、ありがとうございました。マグロは元気ですか?」
「はあ。私も解釈違いはよろしくないと思いましたので……マグロさんは、部屋で寝てます。返します?」
「今の俺にはまだ早いので、いつか俺がもっとマグロになれたら」
恭彦はよくわからないことを言って首から下げているペンダントを見せてくれた。
ペンダントトップには、カジキマグロがぶら下がっていた。
カジキマグロを見ると憂うつになるとか言ってたくせに、買ったんだ?
兄の心は難解である。




