145、僕は君と遊びたい
「王司。この動画の男の子、さっきの子よね?」
「あっ、ママ。観てたの」
なんとなくイヤホンつけて動画を再生したけど、同じテーブルを囲むメンバーたちはバッチリ目撃していたみたいだ。
音が聞こえなくても察するに余りある映像だったようで、みんなして自分のスマホで検索を始めてる。
「メイド服だー」
「うわ……」
アリサちゃんは悪意のない無垢な目を注いでいて、恭彦はドン引きだ。
あれ、今気づいたけど打犬がいない。トイレ? まあいいか。
みんなが動画に夢中になっている間に、八町の新作の脚本を読ませてもらおう。
どれどれ――最初の方は男性視点だ。小説で読んだことがある話だな。
『これで断筆? 「映画化もしません」――八町大気、亡き友人に捧げる最後の一冊』って煽り文句で出された小説だ。
しかし、最初のシーンが過ぎるとメイン視点キャラが交代して……大きく設定も展開も変わっている?
タイトルは……『君が消える日、君に愛されていた僕と別れる日(仮)』?
仮とはいえ登場人物の名前が……どう見ても実在の人物です……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『君が消える日、君に愛されていた僕と別れる日(仮)概要』
サチは、外国人の父親と日本人の母親を持つハーフだ。兄が1人いる。
3歳の時に両親が離婚して、サチは日本で母親に育てられた。母は医師だったので多忙を極めていたが、それでも愛情を注ぎ、育ててくれた。
兄は父親と一緒にアメリカに留まったので、兄妹は縁が遠い。ほぼ他人だ。
サチは3歳から11歳まで子役として子供向け教育番組やCM、バラエティ番組に出演していたが、母親は問題に気付いた。
子役の仕事やレッスンをしながら学業をこなす多忙さ。
どうしても膨れ上がってしまう自尊心、自意識。
身もふたもない表現をするなら、性格がネジくれ曲がっていて、「だめな子役」のテンプレみたいになってしまっていた。
サチという娘は、「あたし、すごいのよ。それに比べてあなたたちは、程度が低い。愚かだ。どうしてあたしはこんなに優れていてあなたたちは劣っているのだろう」と他の子との違いを鼻にかけ、尊大で不器用なコミュニケーションを取るようになってしまっている(ように母の目には見える)。
当然、友達がいないし、大人からの評判も悪い。
母は「まずい」と思い、12歳の時に子役を辞めさせた。
母は、サチに「他人とうまく付き合えるようになってほしい。普通の女の子になろう?」とオーダーした。
「いい、サチ。あなたは確かにすごいけど、他人へのリスペクトを忘れてはいけないの。人生ってね、他人がいっぱいいる中で組織の一員としてうまくやっていかないといけないの。みんなと仲良くして、社会に適応してほしいの。ママもお手伝いするから、今からでも間に合うから……ね……?」
「うん。ママ。大丈夫。お手伝いはいらないよ」
サチは優等生を演じるようになった。
彼女はその時、すでに優れた演技力を備えていて、他人に喜ばれる自分を演じることなんて簡単になっていた。
その心は、普通の女の子とは違っていた――普通の子が喜んだり悲しんだりする気持ちが、サチにはわからなかった。
けれど、彼女は器用で、他人をよくよく観察し、ひとつひとつの情動を「こうなのだろう」と分析・理解して、普通を演じることができた。
そうしているうちに、母は突然、亡くなった。交通事故だった。
「悲しい」という気持ちが起きない自分を、サチはその頃には異常だと自認していた。
けれど、異常な自分を悲しく思う気持ちすらなかった。
全ては無感動な事実に過ぎず、その心は平坦で、波がない。凪いでいて、冷静すぎる心だった。
(私は人間になれなかった、人間ではない何かだ)
サチはそう思った。
(でも、成績はいいし、容姿もいい。人を騙すことも簡単だ。人間ではないけど、客観的に考えて他人より優れている)
「君は、アイドルに向いていると思うんだ」
サチは子役を辞めていたが、家には芸能事務所からのオファーがよく届いたし、街を歩いていてもスカウトマンに日常的に声をかけられた。
サチはハーフということもあり、目立つ容姿をしていた。
スタイルもよく、顔立ちは奇跡みたいな美少女だ。
歩いていると誰もが振り返り、足を止め、「あの子、可愛い」と言う。
中には「子役だった子じゃない?」と呟く人もいた。
大人たちにとって、3歳からテレビに出ていたサチは親戚の子供みたいなものだった。
「スカウトマンさん。私も、自分はアイドルに向いてると思う。それに、前よりも上手くできるよ」
(もう母もいない。私の人生は私のものだ。何をしてもいい。それなら、幼い頃からずっと浸かっていた芸能界へ帰ろう)
サチは、スカウトマンの手を取った。
3歳からずっと浸かってきた芸能界は、サチにとって居心地のいい自分の居場所だ。
大人たちが「こうしてね」「ああしてね」と期待することが、サチには全部出来る。
スキルがあるなら、それを発揮しないともったいない。
母のように、自分の能力でお金を稼いで生きていくのだ。自立している強い女の生き方だ。母も喜ぶのでは。
サチはアイドルグループにねじ込まれ、最年少でセンターになった。
最初、仲間たちは強烈に嫉妬して、嫌がらせをしてきた。
しかし、子役時代から妬まれたり嫌われたりすることに慣れているサチには、痛くも痒くもない。
「好感度マイナススタート。彼女たちの身になって想像すれば、自然な反応だ。では、どうするか。そうね……私を嫌っているこの子たちを、私の信者にしよう」
女の子たちひとりひとりの性格、好き嫌い、趣味をリサーチ。
相手が気に入る言動をして、相手への好意を口にして、距離を詰めていく。
母親のオーダーのおかげだ――以前の自分とは違う。
ちょろい。イージーゲームだ。
(それにしても、他の人間と自分はどうしてこんなに違うんだろう)
サチがちょっと練習しただけで出来ることが、メンバーには難しい。
ちょっと調べたり考えればわかることが、メンバーにはわからない。自分で解決する方法を思いつけなくて、調べるという発想もなくて、いつまでもわからないままでいる。アドバイスをしても、実行しない。
私以外の人間は、バカばかりだ。みんなレベルが低い――サチは、そう思った。
蔑む気持ちはなかった。喜びも悲しみもなかった。ただ、サチの世界には孤独があった。
私と同じように物事を観たり、考えたりする人間が、周囲にいない。
もしかしたら、その人も自分のように演技をして、人間社会に溶け込んでいるのかもしれない――そう思って社会を見るようになったサチは、偶然、葉室鷹祀と出会った。彼は二重人格のような症状を抱えている人物で、サチと同じように真人間であるかのように装っていた。
それを知って、サチの心は弾んだ。それは、喜びという感情だった。
二人は歳が離れていたが、よい友人になった。
友人を得て少し人間らしくなったサチだったが、それでも真人間とは遠い日々が続く。
「サチさん。子役時代からファンでした!」
アイドルやアーティストと一緒に会話をしながらチェキカメラで写真を撮ることができる「チェキ会」に足しげく通ってくるファンも、なんだか薄っぺらで、顔も名前も覚える気にもならない。
札束みたいなものだ。お札が行列作って話しかけてくるのだ。
アイドルはファンあっての存在なのでファンサはするが、お札は人間ではない。
「諭吉さん。今日も来てくれてありがとうー」
「火臣です。火臣打犬です」
ファンの中でも強火で、信者力が高い筆頭が火臣打犬という年下の駆け出し俳優だった。
彼はイケメンで俳優として人気があるのに、インタビューでも「サチさんが好きです。ガチ恋勢です。子役時代からの本物です」と公言しているガチオタだ。
そのせいで人気に影を落としていても、構わないらしい。変人だ。
ライブでは最前列にいて、出待ちもする。
冗談のように本気度の高い姿は業界でも有名になりつつあって周囲も話題にするので、サチはその男だけは名前と顔をちゃんと覚えた――「私の人気を支えてくれるインフルエンサー信者だ」と。
そんな風に打犬を「利用価値のある信者」認定をした頃、サチは化賀美速人に出会った。
初対面の時、彼はストリートピアノを弾いていた。
その奏でる旋律は、美しかった。
胸の奥をぐっと揺さぶるパワーがあって、音の粒がキラキラと光輝いて転がっているみたいで、心が強烈に惹き付けられた。
気付けば、目の端から熱い滴が落ちていた。
(私、演技でもなんでもなく、泣いてる)
サチは自分に驚愕し、感動を覚えた。
人間らしい情動が自分にある。それが感じられる。
あたたかい――熱い。じっとしていられない感覚がある。
私という存在は、人間だ。こんなに脈がどくどくと打っている。
太陽が眩しくて、青空は明るくて、地面に足の裏がしっかり着いているのが強く意識される。
――自分は、この世界に普通に生きている。世界は広くて、なんだかすごくて、自分はちっぽけだ。
その感覚が、愛しい。
この心を、彼がわからせてくれたのだ。
……この男は特別だ。
「あの――」
気付けば、声をかけていた。頬が熱い。喉はからからに乾いていた。
長めの前髪を揺らし、自分を見る彼の目は、宇宙みたいに神秘的で呑み込まれそうな気がした。その瞳が自分を見ているのだ、と思うと、ドキドキした。
「え、え、はい。俺に声をかけました? な、なんです……? ピアノがうるさかったとか? ごめんなさい……死にます」
「はっ?」
驚いた。
彼は才能はあるのに生きるのが下手なタイプのようで、「なんか、何をやってもうまくいかないし、世界が嫌いだなって思えてきて、死のうと思う」などと言う。会話してみると、明らかにちょっと普通の受け答えができないタイプで、これでは普通の仕事も務まらないだろうと思われた。
けれど、ピアノはとても素晴らしいのだ……。
「最期にピアノを褒めてもらえて、まあ、お世辞でしょうけど、はは。ありがとうございました。素人のギャルはなんでもいいねいいねって言うから、褒めてもらえるかなって思ってここで弾いてたんです。卑しいな……生きていてすみません。早くこの世から消えてしまわなきゃ」
「待て、待て。待って」
不思議な使命感のようなものを抱いて、サチは彼の支援者になった。
「あなたには才能がある」と熱弁をふるって励ましたり、資金援助したり、先生を紹介したり。
そして、気づけば肉体関係になっていた。
お互い愛を告げることはなく、ただなんとなくの関係だった。薄い胸板に顔を寄せ、キスをすると、自分がただの動物的なメスになったみたいで、不思議な気分だ。自分は単なる動物に過ぎないのだ。まあまあ良い気分だった。
けれど、彼は単なるオスではいけない。
この天才は、飛翔するのだ。
そんな考えも、強く抱いていた。
「速人。海外のいい先生が手配できたわ。きっとあなたのためになる」
「サチは、一緒に行かないの?」
ただのオスみたいなことを言われると、「駄目だ」と思った。
堕落させるファムファタールには、ならない。
そんな想いが胸に灯っていた。
――あるいは、自分のどこかに「自分は普通ではなくて、相手にふさわしくない」とか「普通の男女みたいな関係でいるのが怖い」という純情な乙女がいたのかもしれない。女心は複雑で、制御が難しい感情の波がある。
リセット症候群とか、マリッジブルーみたいな……関係を成熟させて幸せなはずなのに、白紙にしたくなる厄介なやつだ。
成熟したサチは、そんな風に自己分析していた。
「私は、ただの後援者。あなたを慰める必要に応じて性欲を満たしてあげたセフレみたいなものよ。でも、あなたはこれから世界にその才能を羽ばたかせる人なのだから、こういうのはもう辞めましょう」
「ええ……?」
相手はショックを受けたようだったが、彼も彼でちょっと情動が普通の人とは違うタイプの人だったので「そうですよね。調子に乗っちゃって勘違いしてすみません、恥ずかしいです」と関係を切ってくれた。
実は子供ができていたが、彼には知らせなかった。
中絶することも考えたが、「自分が子供を産む」という体験にサチは心惹かれるものがあった。
しかし同時に、「自分が子育てをしたら子供は不幸になる」という予想もあった。
例えば「毒親に育てられた子が、自分が親になった時にやっぱり毒親になる」みたいな。そんな話を、たくさん聞いていた。
「自分がまともじゃない歪んだ人間だ」という自覚があるだけに、子供には「まともな」父親を与えてあげたかった。
愛情深く。どんなに冷たくされても、報われなくても、愛し続ける。そんな情深い男は、身近にいた。
社会的にまあまあ「すごい」と尊敬される地位にもあり、金もある。ルックスもいい――自分の信者だ。
「サチさん、今日はお疲れなのでしょうか。ゆっくり休んでくださいね」
悩んでいるとき、目の前に「信者」が来た。
信者は心配そうに、好意全開で挨拶をしてきた。
この男は利用できる。サチはそう思って、彼と寝た。クズだ。自覚はある。確信犯だ。
彼の女になると「演技」すると、彼は大喜びで恋人面をした。ちょろかった。幸せそうな彼を見て、サチは「バカな男」と内心で見下した。
「子供ができたみたいなの」
そうして彼女は彼に我が子を押し付けた。
哀れな信者は、やがて真実を知る……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
八町大気:「君とお別れをするのがこんなに悲しくて辛いのは、君を惜しんでいる痛みだけでなく、君に愛されていた自分自身が消失する痛みもあるのだろう」これが決めセリフだ
八町大気:関係者に聞いて許可をもらった。ほとんど実話だよ
葉室王司:八町……
葉室王司:江良で当て書きしてくれた小説と全然違う話になってるし、よりによって打犬を主役みたいにするなんて
八町大気:江良君が変わってしまったから、僕も変わるのさ
八町大気:僕は銀河鉄道の夜で自分がジョバンニの気持ちで、カンパネルラの江良君とお別れする気持ちだったんだ
八町大気:でも君はジョバンニをした。だから、僕は江良君とまだお別れできていないんだな
八町大気:ちゃんと過去の江良君にさようならをしてあげようと思う
困ったな。八町が何を言っているかわからない。
「どうしたの王司ちゃん。眉間にすごい皺が寄ってるよ。だいじょぶ?」
「うん、アリサちゃん。だいじょうぶ……」
八町大気:江良君。僕は君を主役にしてもう一作作るつもりだ
八町大気:僕たちの本命はそっちになる。君の望み通り、賞レースを戦ってケストナーに勝とう
八町大気:その作品の下準備として、ただいまの作品を使いたい。観た人に怒りの感情を覚えた方が印象を強く残せるから、低予算で炎上させつつ、関係者の知名度をさらに引き上げようかと考えている。できれば、火臣打犬の好感度を上げたいね。助演枠で本命作品に使いたいんだ
八町大気:このコンセプトに火臣打犬は渋っているけど、他の関係者はオーケーしてくれた。君も同意してくれると、心強い
八町大気:君なりにアレンジして構わないから
八町大気:僕と遊ぼう。僕は君と遊びたい
何を言ってるんだ、八町。
アレンジとは?
返信メッセージをフリック入力していると、会場の照明がパッと落ちた。おや?
「皆さん。ケストナー監督に好き放題言われてばかりではつまらないですよね。ここは日本だというのに、我々のホームでここまで彼にコケにされて黙っていられますか」
マイクを通した八町の声が響いて、スポットライトが一点を照らし出す。
お客さんたちが歓声を上げる中……照らされていたのは、私だった。
正確に言うなら、私と――いつの間にか私の隣にいる八町だ。
八町は怪盗の仮装をしていて、目元だけを覆うタイプの仮面をつけた顔を好戦的にケストナーに向けていた。
「ケストナー監督は、優雅ではありませんね。彼はそもそも、ハロウィンパーティなのに仮装すらしていない――イベントのドレスコードも理解しないお猿さんではありませんか」
八町は敵意をむき出しに言って、お気に入りの指揮杖を振った。
お前、それ恥ずかしいよ――いつも見るたび思うのだが、本人も八町のファンも「格好いい」と思っているらしき指揮杖だ。
「僕の新しいエース俳優が、これからパフォーマンスを披露します。……ご紹介しましょう。我が国の誇る『国民の妹』葉室王司さんです」
ひらひらと白い蝶々が飛んできて、八町の指揮杖に留まる。幻想的な演出だ。その蝶々、本物?
そして私が「パフォーマンス」だって。遊びというが、随分と唐突じゃないか。
会場の隅には打犬がいて、トドの着ぐるみ姿で静かにこちらを見つめている。
私はなんだか、それがとても気になった。




