144、通訳さんは頑張っている
透過スクリーンの中で、人魚が海に潜っていき、海晴スピラが幻想的に退場する。火臣父子はそれを見て、安心した様子で息を吐いた。
「はあ」
「ふう」
どういう吐息なんだ、それは。
それにしても、日本嫌いのケストナー監督がよく日本のVtuberを採用したな。謎すぎる。
私が各関係者の心情を図りかねているうちに、司会の人はイベントを進行して私たちの未公開デビュー曲を紹介した。
「続いて、LOVEジュエル7の『最初で最後!』です!」
透過スクリーン(ポリッドスクリーン)にMVが映り、曲が始まる。
自分の曲がハロウィンパーティで流れるというのは、不思議な気分だ。
しかも、あざとく可愛くぶりっ子してるやつ。
両手でハートマークを作ってる自分がドアップで映って、なんか、なんか――なんか、恥ずかしいな……。
江良のときに決め顔で格好つけてた自分を大スクリーンで見たときと別の種類の恥ずかしさがあるよ。
周囲の反応をそーっと見てみると、「可愛い!」とウケている。
しかも、ママが扇をペンライトみたいに左右に振ってる。うわあ、わあ。トドが真似してぺろぺろキャンディを振り出したよ。
「♪一番好きなの、だ、あ、れ? わたしー!」
わぁ、歌を口ずさんでる。
やめてー、親ばかー、やめろー。
「王司ちゃん、真っ赤」
「アリサちゃん。恥ずかしくない? 主に親」
「うん、うん。親はね、たまにちょっと恥ずかしいよね」
アリサちゃんに羞恥心を受け止めてもらっているうちに、曲が終わって拍手が響いた。はー、終わってくれた。どきどきしたよ。
「可愛い曲ね~っ! アイドルって感じ。ママ、すごく好きだわ!」
ママの感想に、打犬がトドの頭をぶんぶん振って同意している。
「うんうん。とてもよかった。女の子の可愛さがこれでもかと詰め込まれていたね。ローティーンならではのピュアで汚れない感じが眩しいな。しかし、他の女の子だとご褒美に思えるが娘のスカートの長さや露出は気になるものなのだな。これが娘を持つ父親の気持ちか。ふっ……」
「まあ火臣さん。せっかく気分が良いのに耳を汚すことを仰らないでくださる?」
ママはテンションをジェットコースター並みに上下させ、「テレビでのお披露目も楽しみね!」と言ってくれた。
打犬はともかく、ママが嬉しそうにしているのはいいことだ。恥ずかしいけど。
司会の人は、「この曲は来週の木曜日に番組で公開予定です」と番組の宣伝もしてくれた。視聴率が上がりそう――こういうプロモーションは佐久間監督が好きそうだな。
「皆さんご注目の例のプロジェクトについても、近日詳細を発表予定です。そして、それに先駆けまして、本日は来日中のアカデミー賞映画監督、フレイミール・ケストナー氏が貴重なコメントを聞かせてくれますよ!」
――あれ? ケストナー監督が来てるの?
司会の方を見ると、白人で、彫りが深い厳しそうな顔立ちのケストナー監督本人が立っていた。
大柄で服を着ていてもわかる筋骨隆々とした体付きで、テレビやネット、雑誌でもよく見る姿だ。
そういえば息子のエーリッヒを見かけたな。息子が来ているのだから親もいるか。
ケストナー監督は、英語でスピーチをした。
外国人のお客さんは英語をそのまま聞き、日本人のお客さんは、女性の通訳さんが翻訳してくれる日本語に耳を澄ましている。
「日本のみなさん、こんにちは」
通訳さんは、ちょっと困り顔になった。
どうしたの。いや……ケストナー監督のスピーチ内容がきついのか。
「日本は文明開花の遅いダメダメダメな国です。ダメ。原始時代。しかし、そんなレトロな国を息子のエーリッヒはまあまあ気に入っているようで、今日はサムライに扮しています。息子に免じて私の貴重な時間を日本で消費しましょう」
おーい、責任者。この日本アンチをなぜ日本に呼んだ?
通訳さんは頑張って言葉を選ぼうとして、なんか諦めたようだった。たぶん、「躊躇してる間にどんどん喋るから迷ってられないわ」と思ったのだろう。覚悟を決めた様子でどんどん翻訳していく。
「日本の演技レベルは低いと思っていましたが、危機感を持っていたようでプロジェクトが計画中だとか。私も知りました。向上心があっていいことです。褒めてあげるよ。しかし、ダメダメダメ。スクールで教えたり仕事を与えるんじゃダメ。日本人は根っこの気質がダメ。シャイでコミュニケーションがダメ。人間力が低いの。それに八町大気に先生役は無理ね。彼は独身で家庭を持ってない。子供たちの面倒見るのに適してないよ」
なんかすごいことを言われているぞ。通訳さん大変だな。頑張ってるな。
「八町大気は新作を作るらしいが、彼のお気に入りのエース俳優は亡くなった。痛ましいことだが、彼は終わりだよ。これを日本ではオワコンというらしいね。オワコン」
これはネット記事に「日本嫌いのケストナー監督、ハロウィン国際交流パーティで日本を酷評!」とか張り切って書かれるやつだ。
「ピックアップ予定のメンバー見たけど、マーカスを忘れるなと言いたい。ノーモアマーカスよ。メンタル不安のある子は役者を辞めさせなさい。家庭環境は大事よ。演技より家庭をチェックして指導しなさいよ。日本は、ばかね。黙ってたらプロジェクトで自殺者が出るから口出ししてあげます。AFI映画学校とSAG-AFTRA財団を経由して企画を渡すからアメリカの世話になるといいですね」
なんとも強気に言い放って、ケストナー監督は「フンッ」と鼻息をマイクに吹き込んだ。
豪快にスピーチした後にフンッと鼻息音をノイズにして響かせるのは、ケストナー監督の特徴だ。
『フンフンおじさん』というニックネームまである。
「ケストナー節が出ましたね」
「相変わらず日本嫌いだな」
「彼は悪口を言いに来たんですか?」
お客さんも苦笑しているよ。どうするんだ、この空気。
サムライコスチュームの息子、エーリッヒ・ケストナーを見ると、なんか薔薇の花束を持っていた。
目が合うとこちらに近寄ってくる。なにかな、なにかな。
噂の息子が動いたので、マイクを握っている父親のケストナー監督もお客さんも注目してるよ。
「ヘイ。オージー。コニチワ」
なんか話しかけてきたよ。
「こにちわ……?」
「オージー、ウタ」
「ウタ? 歌?」
「ヨカター」
おお、歌を褒めてくれているらしい。
薔薇の花束を差し出してくれたよ。これは私にくれるのかな。
「オージー、カワヨー」
「ありがと……」
薔薇の花束を受け取ると、エーリッヒはポッとほおを染めた。
「オージー、ケコーンシマショウ。I love you!」
……。
????
なんて?
お客さんたちが目をぎらぎらさせて「おい、聞いたか」とか言ってる。
外国人特有のジョーク? わからん。とりあえず断ろう。
「ノーサンキュー」
「オウ⁉︎」
「ばいばーい。ばいばーい」
花束を返すと、彼はびっくりしたような顔で私と花束を見比べた。
いや、びっくりなのはこっちだよ。
エーリッヒは普段拒絶されることがないのだろうか――早口の英語でペラペラと「自分は普段言い寄られる側なんだぞ、自分に好かれるのは光栄なんだぞ」といったニュアンスのことをまくしたてて、最後に日本語で「ヤリナオセ!」と言う言葉で締めくくった。
えーっ?
「……Erich!」
あっ、マイクを握りしめたケストナー監督がやってきて息子を引きずっていったぞ。
呆然と見送る私の耳には、親たちが憤慨する声が届いていた。
「いくら王司ちゃんが可愛いと言っても父親に挨拶もなく娘に結婚を申し込むのはあり得ないだろ。ケストナーめ、息子にどんな教育をしているのだ。日本アンチスピーチといい、不愉快だな」
「火臣さん。うちの子の父親面しないでくださる?」
会場はしばらくざわめいていたが、やがて司会の人の努力と作曲家Qの演奏により楽しいムードを取り戻した。
それにしても、ケストナー父子が強烈すぎた。
八町にLINEを送っておくか。
葉室王司:八町~
葉室王司:ケストナーが八町をボロクソに言ってたよ
八町大気:ああ、彼。こういう動画も拡散されてるよ(動画URL)
八町大気:動画を見た後でいいのだけど、僕の新作の脚本を送信するから見てね
ふむふむ。先に動画ね。お菓子食べながら観るか。
……『ケストナーの息子エーリッヒ君(15歳)、日本文化に魅了されて大暴走。パパ大慌て』?
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『ケストナーの息子エーリッヒ君(15歳)、日本文化に魅了されて大暴走。パパ大慌て』(日本語翻訳版)
動画の主役は、白人の男性……ゴールデンラズベリー賞の常連である海外監督グレイ・ジャーマンだ。
黒人の女性の肩を抱き、二人一緒に手を振っている。場所はどこかのホテル内部。客室のドアが並ぶ通路だ。
「やあ、ファンの皆さんこんにちは! ゴールデンラズベリー賞常連の映画監督、グレイ・ジャーマンです。ボクは今、日本のホテルに来ているよ。こっちはボクの愛する奥さんアマラだよ」
ジャーマンは妻に熱烈なキスをしてから動画の趣旨を小声で説明した。
「このホテル、フレイミール・ケストナーも滞在中なんだ。これから彼の部屋を訪ねるぞー!」
ジャーマン夫妻は意気揚々とケストナーが宿泊している部屋のドアを叩いた。
事前に約束していたのだろう。
ドアはすぐに開き――部屋の中には、フレイミール・ケストナーがいた。ラフなシャツ姿だ。
「やあケストナー。トリックオアトリート?」
「ハロー、ジャーマン。待っていたよ。イタズラでジャパンをけちょんけちょんに罵ってもいいのかい?」
ケストナーはやる気満々だ。この男はどうしてこんなに日本が嫌いなんだろう。
しかし、ジャーマンが答えるより先に部屋の奥――コネクティングルームの方からジャカジャカジャンジャンと騒音が聴こえてきた。
「おや、息子さんかな。日本の夜をエンジョイしているようだね」
「ああ、エーリッヒはずっと遊び呆けてて、なにやら爆買いしてきたんだ。何をやってるんだか……」
ケストナーは肩をすくめ、コネクティングルームのドアを叩いた。息子に振り回されている姿は、普通の父親って感じだ。
「エーリッヒ。客が来ているんだ。少し静かにしなさい……」
ガチャ、とコネクティングドアを開けたケストナーの言葉が途切れる。
そこには、ピンクのメイド服と白い猫耳カチューシャをつけたエーリッヒがいた。
ペンライトを片手に持っていて、ノートパソコンに向かって振っている。部屋中、演劇祭のグッズでいっぱいだ。ご購入ありがとう。
彼が大音量で再生しているのは……?
『♪可愛くてありがとう? あざとくてありがとう? くしゃみ助かる? どんどん褒めて!』
あっ。
『♪LOVE LOVE きゅんきゅん♡ LOVE きゅんきゅん♡』
葉室王司があざとく可愛く踊っている文化祭のアイドルステージだ……。
「モエモエキュンキュンモエモエ……っ、パ、パパ! 勝手にドアを開けないでよ! プライバシーの侵害だ!」
「エ、エ、エーリッヒ! お前、何をやってるんだ! 頭がジャパンに毒されたか……っ⁉︎ なんだ、そのクレイジーな格好は!」
父子の言い争う声を背景に、映像はプツリと終わった。
完全に放送事故だった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「再生数がどんどん増えてる。うわぁ……」
本人たちは離れた席で「何やってるんだエーリッヒ。ジャパンアイドルオタクはやめなさい!」「パパのツンデレ日本アンチ芸も恥ずかしいよ!」とか喧々囂々やりあっている。
……うん、あまり関わらないでおこうかな……。




