143、Waves of the Sky
「こんにちは、潤羽さん。ハロウィンの仮装姿の君も魅力的だね。君に捕食されてみたくなるよ。王司ちゃんはお母さんとお揃いの可愛い海の生き物コスチュームなのかな。よく似合ってるよ。写真撮っていいかな?」
トドは、火臣打犬の声で喋った。
それも無駄に爽やかで、声だけ聞けば教育番組のお兄さんでも通用しそう。だが、変態だ。
ママは「あら、やだ!」と私を隠すように仁王立ちした。
「誰かと思えば火臣さんではありませんの。うちの娘の写真は撮ってはいけません。見るのも禁止ですからね」
「もちろん。君がそう言うなら俺は君だけを見ているよ」
「トドの姿で歯の浮くようなことを言われてもシュールで困りますわ」
「トドじゃなければいいのかい。じゃあ、君のために着替えてこようかな」
声だけ聴いていると女性がキャーキャー言いそうなイケボなのだが、見た目はトドなのである。
それにしても調子のいいことを言う奴め。
「ママ、アリサちゃん。あっちにドリンクとフードがあるよ。取ってこようよ。……あっ、打犬さんはお留守番でいいです。来ないでほしい。ぺんぺん」
「王司ちゃん。今日も名前を呼んでくれたね。嬉しいな。パパって呼んでくれてもいいんだよ」
トドが体を左右に揺らして嬉しそうにしているが、構わないでおこう。
そういえば、恭彦は――置物みたいに微動だにしないな。
おーい、生きてるか―!
「恭彦お兄さん。こんにちはー、お料理を取りに行きませんか~?」
声をかけると、恭彦と思しきカジキマグロは、のそのそと全身をこちらに向けた。
この着ぐるみ、動きにくそうだな。
でも、思っていたより顔色がよくて目にも生気があるぞ。
「こんにちは、葉室さん。その仮装はペンギンですね。萌え袖をぱたぱたと振りながらぺたぺたと歩く姿がよく似ていると思います」
おお、喋った。褒めてくれているじゃないか。
「わぁ、ありがとうございます。わかってくださいましたか……! お兄さんの仮装は動きにくそうですね。ぺんぺん」
「これ、実は障害シミュレーション装具なんです。パーティに出席しつつ、体が不自由な体験もできて一石二鳥という優れものでして……」
なるほど。恭彦は体験学習ができるという理由で着ぐるみが気に入っているらしい。
その心は私もちょっとわかる気がするぞ。
自分を鍛えて育成する楽しさ――体力・筋力トレーニングをしたり、ゲームでレベルを上げる楽しさに通じるものがある。「修業楽しいー」ってやつだ。
いいことだと思う――体が不自由な体験をすると、不自由な人の大変さがわかって優しくなれるしね。
「ではでは、いきましょう!」
フードワゴンをセバスチャンと恭彦が押してくれるので、ママとアリサちゃんと一緒にお皿を乗せていく。
お皿には、フードコーナーにある料理を好きに盛るのだ。選び放題、食べ放題ってわくわくするよね。
「王司ちゃんが好きそうなのがあるよー」
魔女帽子のアリサちゃんが引っ張って見せてくれるのは、セイボリーコーナーにある紫のパンのスパイシーチキンサンドだ。
「わあ、美味しそう~。これ、食べる! ぺんぺん♪」
フードコーナーは、見た目もハロウィンっぽい料理がいっぱい。
かぼちゃのニョッキグラタンに、子犬にみたてたひとくちサイズのアメリカンドッグ。BBQポークを挟んだ黒いパンズのブリオッシュバーガー。
棺の形をしたサンドイッチはスモークサーモンが挟んである。
それに、可愛い手まり寿司も。
ひとくちサイズのミニ握り飯の上にカットチーズやのり、いくら、卵でゴーストやかぼちゃの飾り付きの寿司ネタ……わさびが山盛りの手まり寿司なんて、恭彦が好みそうだ。
「恭彦お兄さん。わさびがありますよ。ぺんぺん」
「いただきます。あと、いくらが載ってるのも」
アリサちゃんは、「お兄ちゃんがこういうの好きなんだよ」と言ってスイーツコーナーから『さつまいも掘りに夢中のモグラ』をイメージしたチョコレート細工菓子を持ってきた。わ~、可愛いな。
「王司ちゃん。スイーツいっぱい盛ろう~♪」
「わあ~、ハロウィンらしいお菓子がいっぱいだね、アリサちゃん!」
蜘蛛の巣をイメージしたチョコをトッピングした紫いものタルト、アーモンド入りのパンプキンマフィン、パンプキン味のチュロスにホワイトチョコの十字架が飾られた洋ナシのムースに、イチジクが乗っている和栗のモンブラン。
旬のブドウのゼリーに紅玉りんごのタルト、りんごとカシスの焼き菓子――ハロウィンスイーツがいっぱいだ。
ドリンクコーナーにはスパークリングゼリードリンクが並んでいる。
「アリサちゃん。コーラ&ストロベリーと洋ナシのスパークリングを飲み比べしてみない?」
「いいねー!」
ワゴンを押して席に戻ると、ちょうど司会が日本語と英語で挨拶するところだった。
司会の人は、天使の仮装かな? 白い羽根と天使の輪がいい味出してると思う。
挨拶の内容は、簡単にまとめると「パーティです。楽しんでね!」。
うんうん、すでに楽しんでいます。
「アリサちゃん。このスパイシーチキンすごく美味しよ!」
「王司ちゃん、モグラのチョコも食べて~」
モグラのチョコは食べるのがもったいなく思えちゃうな。写真撮ってからにしよう。パシャッ。
ついでに同じテーブルを囲むメンバーの仮装姿も写真に収めていると、司会がびっくりなことを言い出した。
「ここで会場から心地よいピアノを奏で続けてくれたピアニストを紹介しましょう。作曲家Qさんです」
えっ、作曲家Q?
司会の声に、会場がざわりとする。
「Qって、亡くなったと思ってたけどアイドルの曲を手掛けるとわかってトレンドになった人?」
「10年くらい前に活動的にネットに楽曲を投稿していたボカロPだよ」
私もびっくりだ。
作曲家Qは、10年くらい前に活動的にネットに楽曲を投稿していたボカロPで、ずっと「死んだ」と言われていた人だ。
でも、私とアリサちゃんが所属する女性アイドルグループLOVEジュエル7の作曲家さんとして抜擢されてSNSで「生きてたんだ!?」と大騒ぎされた人だよ。
仮装しているから顔はわからないけど、生身で動いているのを見ると「あの人、実在する生身の人間だったんだな!」って気持ちが湧く。謎の感動ってやつだ。
それに、ピアノの近くに透過スクリーン(ポリッドスクリーン)が用意されていて、気づけば見たことのないVtuberが映っているのが気になる。3Dアバターで、人魚の女の子だ。
星粒をまぶしたようなエフェクトが煌めく水色の髪が毛先に向かうにつれ深い青色になっていて、耳は魚のひれ耳。豊かな胸元は白い貝で覆われていて、下半身は鱗の一枚一枚が宝石みたいにキラキラしている綺麗な魚の尾だ。
目は、印象的な赤紫。アバターなのに、惹きこまれる目力がすごい……。
司会の人は、彼女を紹介してくれた。
「本日は新しいスターも紹介しようと思います。新人Vtuberシンガー……来年、フレイミール・ケストナー監督の新作映画のメインテーマ曲でデビューする予定の海晴スピラさんです!」
彼女は、海晴スピラというらしい。
にっこりと笑う顔は、誰かに似ていた。誰だろう? すぐに思い出せない。
「本日は海晴スピラさんのデビュー曲、そして、そちらにいる葉室王司さんをセンターとするアイドルグループLOVEジュエル7のデビュー曲の2曲を、この会場の皆様限定で先行公開させていただきます!」
ワアアッと歓声と拍手が湧く中、私とアリサちゃんは「えっ?」と目を丸くして顔を見合わせた。
私たちのデビュー曲は来週の番組収録で初公開の予定なんだけど、限定公開とはいえ、こんなフライングあるんだ?
同じ作曲家というのも大きいのだろうか――作曲家Qってすごいんだな。
透過スクリーン(ポリッドスクリーン)に海晴スピラのデビュー曲のMVが流れる。
タイトルは『Waves of the Sky』というらしい。
ストーリー仕立てで、生まれた場所や自分が嫌な人魚が主人公。
深海から陸へ、陸から空へと心を飛翔させるけど体はずっと海の中にいる――そんな切ない感じのお話だ。でも、独特のワクワク感や、強気な感じ、陽気なオーラみたいなのがある。
歌声はとても表現力豊かで、パワフルだ。
心が飛翔していく部分は「喜びと希望でいっぱい、元気溌剌!」って感じ。
かと思えば、実はずっと海の中でした、とわかる部分は、聞いていて心が張り裂けそうになる。
この歌は――この歌は?
SACHI先生じゃないか?
アイドルに詳しくない私でも、「ん?」ってなったし、会場のお客さんも「サチ?」と呟いているよ。
あと、私たちの席には元夫と息子がいるのだが。
こっそり2人を見ると、トドは拍手していた。
「とてもよかった」って気配で、着ぐるみのせいもあってか、外から見た限りは平静に見える。
恭彦は皿に盛ってきたいくらの手まり寿司をチマチマと父親の皿に箸で移していた。
目が合うと、「親父はいくらが好きなんで」だって。
あのう、たぶん、お母さんの歌が流れてるけど?
新人Vtuberとか言われてるけど?
お客さんたちがみんなして「サチ?」「サチだよね?」と確信しているけど?
この疑問を言葉にしてぶつけていいものかと迷っていると、恭彦はスマホでメッセージを送ってきた。
火臣恭彦:事前に知らされてました
ああ、そうか。先に教えてもらってたから動揺がないんだな。
そうか、そうか……ということは、あのVtuberはやっぱりSACHI先生なんだ。
Vtuberの良いところって、ノコさんの時もそうだったけど「たぶん、あの人」と推測されても、Vtuberキャラクターとして扱われるところだよね。それこそ「着ぐるみの中の人」状態なんだ。
元アイドルのSACHI先生は実年齢を聞いても耳を疑っちゃうくらい若々しくて綺麗だけど、それでも同じ人間として活動しているとどうしてもあれこれ言われるだろう。それが、たぶん大きく軽減される。
外見がアバターだから、リアルの容姿も気にしなくていい。年齢や容姿に足を引っ張られずに歌だけで勝負できるんだ。
歌唱力をメイン武器にして活動するなら、すごく良さそうだな。
「王司ちゃん。あのVtuberさんってSACHI先生なのかな? 色々挑戦してるんだね、すごいねーっ!」
「アリサちゃん。たぶん先生だと思う。すごいね、ぺんぺん!」
アリサちゃんは顔を寄せてナイショ話みたいにヒソヒソとお話してくる。恐らく火臣父子を気遣ったのだろう。
こういうさりげない気遣いスキルを見せてくれるのが、アリサちゃんのいいところだ。
優しいんだよね。




