142、ハロウィンパーティでぺんぺん
――【三木カナミ視点】
演劇祭が終わった。
アイドル仲間の葉室王司と高槻アリサの楽屋の外まで来ていた三木カナミは、二人が兄と一緒に打ち上げ会場に移動する後ろ姿を順番に見送った。
手には、チョコレートコスモスの花束がある。
ファンや関係者の人混みの中にすっかり埋もれて、気付かれることなく、声をかけることもできず、2人との距離は開いていった。
(普通に、いつもみたいに近寄っていって声かければいいのに。あたし、なんで行けないんだろ)
答えは自分の中にある。
2人と自分が違う、と感じてしまったからだ。
舞台に立つ2人を見て。八町大気に誉めそやされる2人を見て。わからないはずがなかった。
俯きかけたカナミの鼻腔に、ふわっと柑橘系の香りが感じられる。いい匂いだ。
顔を上げると、見覚えのある『先生』がいた。
年齢不詳の先生は、美人だ。腕も脚もすらりとしていて、胸も大きくて、腰はキュッとくびれている。
お日様の光を溶かして流したような金髪はさらさらで、色付き眼鏡を持ち上げて見せてくれる意志が強そうな瞳は青空みたいに煌めいていた。
「SACHI先生」
声を発すると、先生はカナミに微笑んでくれた。大人の包容力を感じさせる、頼もしい味方って感じの。なんか安心させてくれる気配で。
「せっかく来たのに声かけねーの? 行こうぜ」
フレンドリーに言ってくれる。
手を握ってくれるから、カナミは一歩踏み出せた。
野外の打ち上げ会場に連れていってもらうと、夕暮れの空を背景にモンシロチョウがひらひらと飛んできた。
チョコレートコスモスに惹かれたのだろうか。寄ってきてまとわりついてくるのを、先生が手で払ってくれた。
「ほれ、あそこの長椅子にうちの息子といるわ。あの子また泣いてる。よく泣く子なんだわ。あたしが行くと嫌がるから……渡しておいで」
先生が苦笑気味に笑って背中を押してくれる。押された背中があったかい。
「……いってきます!」
カナミは花束を手に走り出し、王司とアリサの椅子に歩み寄った。
「あっ、カナミちゃーん」
「2人とも! あのね、舞台めっちゃよかったよ。頑張ったね! おつかれ……!」
花束を差し出すと、2人は嬉しそうに受け取ってくれた。
渡せてよかった――!
少し離れた場所では、八町大気が【東】チームの役者たちに囲まれている。
「江良君は、やっつけられなかったなぁ。うん。惜しかった」
「先生、ありがとうございました!」
「僕は、てっきり君たちが折れてしまうと思ったよ。でも、みんな元気だね。とてもいいことだ……またみんなで舞台しようね」
負けちゃったチームが青春してら。いい感じじゃん。
カナミはなんだか自分も「また頑張るか」って気分になった。
「……鷹祀さん、モンシロチョウに懐かれてますね」
「フェロモンでも出ておるのかな、ははは」
大人たちの声が楽しげだ。
お祭りは、楽しい時間だ。あたし、なんで落ち込んでたんだろ。バカみたい。楽しいじゃんね。生理前だからかな?
カナミはちょっと前までしょんぼりしていたのが嘘みたいに前向きな気分になって、友達2人に抱きついた。
「3人で写真撮ろー!」
「いいね!」
「お兄ちゃんたちも入ってー!」
楽しい思い出が、また一枚写真になる。
スマホの写真を見返して、カナミはニコニコした。
「あたしの宝物、また増えた!」
友達は2人とも「私も」「私も〜」と言ってくれた。
……先生のおかげだ。
お礼を言おうと視線を巡らせると、先生はニカっと白い歯を見せてサムズアップしてくれた。格好良くて、優しい先生だ。カナミは先生が好きだと思った。クズなやらかしで炎上したりアンチがいるところも、なんだか自分と似ている。
先生が俯かずに前を向いて生きているから、安心して自分も生きていける気がした。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
『【八町大気演劇祭】天才兄妹が激突!話題の「憑依型」俳優・火臣恭彦に江良九足が降臨?
八町大気演劇祭で、憑依型俳優として知られる火臣恭彦が、故人の名優・江良九足に「憑依された」とネットで話題騒然。兄妹対決も注目を集め、火臣の妹・天才女優である葉室王司が観客投票で兄を破った。二人は東西チームに分かれ、それぞれの演劇興行でも王司のチームが勝利を収めた。
SNSでは、王司の卓越した演技力と江良の憑依の信憑性が話題に。また、兄妹二人は国際交流を兼ねたハロウィンパーティへの出席も予定されている。
海外に対抗するために演劇関係機関が複数でプロジェクトを立ち上げる話もあり、若き役者たちと演劇業界の今後に期待が高まっている』
「王司、会場に着いたわよ」
「はーい、ママ」
紅葉に色づく木々が聳えるホテルの前に、高級車が連なっている。
今日はハロウィンパーティだ。
昼間から夜までたっぷり仮装して過ごす予定。
カボチャの馬車が飾られている会場の入り口は、入場手続きの段階でみんなして仮装しているのが楽しい。
「ハッピーハロウィーン!」
「トリックオアトリート!」
招待状を確認したパーティスタッフさんが、挨拶と一緒にお菓子を詰めた袋をくれた。紫のリボンがついていて、ハロウィンムードを高めてくれるアイテムだ。
「おい、葉室家の母娘だ」
「撮れ。撮っておけ」
外にいた記者がカメラを向けてくると、ママは「ふっ」と嬉しそうに扇を広げてポーズを撮った。今日の扇は青地に黒薔薇の柄が散りばめられている。Adoのオフィシャルショップで買った3000円の扇だって。
「王司ちゃんの仮装はがうる・ぐらかな? お母様は……何の仮装かな?」
「うーん。アナと雪の女王?」
「ああ。エルサか。なるほど」
いや、全然違うよ記者さんたち。記事に書かれる前に訂正しておこう。
「私はペンギンさんでママはサメさんです、ぺんぺん」
「おーほほほ! サメの女王ですわ!」
ママが楽しそうでなによりだ。
ペンギンさんの萌え袖をフリフリしながら記者さんたちに「またねー、ぺんぺん」と挨拶をして会場内部に入ると、広々としていて明るい空間が広がっていた。
高い天井には白銀の輝きを放つシャンデリアが豪奢に並んでいて、高級感たっぷり。
中央のスペースは飲食スペースで、ドリンクやフードがバイキング形式で盛り盛りだ。
壁際にはグランドピアノがあって、白いゴーストの仮装をした演奏者がいて、ハロウィンメドレーを奏でている。
「アリサちゃんたちはどこかな、ぺんぺん。人がいっぱいだなー、ぺんぺん」
「王司。予約席に行けば会えるわよ。ねえ、その喋り方はなに? ペンギンだからぺんぺんなの? ママもサメサメ言ったほうがいい?」
みんな仮装しているから、人探しが大変だ。
あ、文豪座劇場で見かけた海外の子もいるじゃないか。あのエーリッヒとかいう子だ。目が合ったら即座に逸らされたけど。
「葉室」
ん? この声は。
振り返ると、二俣夜輝がいた。吸血鬼っぽい仮装をしていて、似合っている。
ニコイチコンビの円城寺誉も一緒で、人狼っぽいつけ耳と尻尾姿だ。可愛いな。
「こんにちはぺんぺん、二俣さんと円城寺さん……」
「こんにちは、葉室王司ちゃん。何の仮装かわからないけど、可愛いね」
「ペンギンです、円城寺さん。円城寺さんも可愛い人狼さんですね、ぺんぺん」
「ありがとう。尻尾がフサフサのモフモフで気に入っているんだよ……わんわん」
円城寺は狼の尻尾を触らせてくれた。ほう、ふっさふさ。柔らかい。修学旅行のお土産のキーホルダーにこういう尻尾キーホルダーあったな。木刀とセットで売れてそうなやつ。
私が尻尾を堪能していると、二俣が顔を顰めた。
「葉室。お前、俺が出席する場所にいちいち来るな」
「別にお二人がいるから来ているわけではありません。ぺんぺん」
「まあ。お二人とも、ごきげんよう。いつも王司がお世話になっておりますわ。サメサメ」
ママが淑女のスマイルで挨拶をすると、二俣と円城寺は完璧な礼儀作法で挨拶をしてみせた。お坊ちゃん力の高いコンビである。私も必殺カーテシーができるのだが、あれを対抗して披露するか悩むところである。
相手が二俣と円城寺だもんな。必殺カーテシーはもったいないよな。
「ついに親公認の仲か」
おっと、二俣があやしい発言をしているぞ。こいつ、変な勘違いを深めていないだろうな。
「偶然に遭遇して挨拶しただけですよ、二俣さん。それではさようなら。ぺんぺん」
「あっ。おい、葉室。俺たちの席が空いてる……」
「私たちは高槻家に招待してもらったんですーっ、ぺんぺん」
「葉室。まだお菓子を交換してないぞ。可愛い喋り方しやがって」
「交換するお菓子がないです。他の人と交換してください。ぺんぺん」
あまり長く会話してはいけない。
長く会話すると「まあ、あの方々、いつもお話してて親密」と誤解されるからだ。私はママの袖を引き、ニコイチコンビから距離を取った。
「王司。親公認の仲ってどういうことなの? お付き合いしているの? サメサメ?」
「してないよママ! 勘違いされてるだけだよ、ぺんぺん」
「まあ……訴える? サメサメ?」
なにを?
私は思わずママの顔を見た。本気で何かを訴えられると考えている様子の目をしていた。訴える場合の罪状は何になるんだろう……。
虚を突かれていると、のほほんとした執事の声がした。一緒に連れていている葉室家の赤毛の執事、セバスチャンだ。
「お嬢様、ママ様。イタズラ、シナイデスカ?」
セバスチャンは、赤毛に付け毛を足して村娘風の仮装をしている。本人は「ベロニカ」と言っていた。最近ドラクエ11をプレイ中だもんな。
「セバスチャン。ここはお菓子でいっぱいの会場だよ。イタズラはしなくていいと思う……そうだ、ドラクエの進捗はどう? ベロニカ元気? ぺんぺん?」
様子を窺うと、セバスチャンは悲しそうな目を見せた。
「ドラクエ……ヤメマス。あのゲームハ、心を傷つける……」
「辞めないで。続けて。ぺんぺん」
進捗を聞いてよかった。私がゲームを続けるよう執事を説得していると、高槻兄妹が声をかけてきた。
「王司ちゃん、ペンギンさん? 可愛いー!」
「アリサちゃんは魔女さんかな? 可愛い! ぺんぺん」
「王司ちゃん。どうしてぺんぺんって言うの?」
大きな魔女帽子を被ったアリサちゃんは私の仮装をすぐわかってくれた。さすがだよ。
高槻大吾は、西洋貴族風の衣装で頭に王冠を載せている。王様? 王子様?
「こんにちは、王司さん。あなたの僕です。キラっ」
「あっ、はい。こんにちは。ぺんぺん」
「僕はあなたにイタズラをしてほしいと思いながらハロウィンクッキーを焼いてきました。お菓子を差し上げますが、ぜひイタズラもしてください」
「クッキーありがとうございます。イタズラはうちの執事がするかもしれません。さっきやりたそうだったので。ぺんぺん」
「いえっ、執事さんのイタズラは結構です」
高槻兄妹は、ジャック・オー・ランタンが並ぶ予約席に連れて行ってくれた。
すると、予約席には珍妙な先客がいた。
白塗りに紅隈の歌舞伎役者――高槻兄妹の父親と、頭まで完全武装の着ぐるみのトド。そして、カジキマグロである。
トドとカジキはどう考えても私の知っている父子なのだが、君たちはルックスの良さが売りだろうに揃って何をしているのか。
「ふざけている。やれ息子が可愛いだの愛しているだの……浮ついた炎上役者と同席なんてストレスが溜まる。席を変えてくれ」
あっ、高槻父がスタッフに文句を言っているよ。本人の目の前で嫌悪感丸出しだ。でも相手が火臣父子で着ぐるみペアだからな……「そうですね」って頷いてしまいたくなるな……。
「お父さん。お二人は僕が招待したのです。お嫌でしたら、お父さん一人で別の席に移動なさってください。ほら、カボチャのモニュメントが飾られているあの席とかお勧めです。お父さんの愚痴は人間に聞かせるにはしょうもなさすぎるので、人間の代わりにカボチャのモニュメントに聞いてもらいましょう」
あっ、高槻大吾が王子様スマイルで父親にそんなことを。キラキラの笑顔だけど言ってることは結構えぐいぞ。
「大吾。お前、父親を何だと思っているんだ。まして、今は家の外だと言うのに。子供のような反抗はやめなさい」
「お父さんが子供のように空気を読まないわがままを仰るからです。僕は恥ずかしくなってしまい、我が家の恥、臭いものに蓋をしないと、と思っただけです」
「大吾! 父さんを恥だの臭いだのとよく言ったな!」
親子喧嘩が始まったじゃないか。
なんだ、なんだ。高槻家の父子は険悪な仲なのか?
「ごめんね王司ちゃん。恭彦さんも。スタッフさんが席をもう1組用意してくれたから、私たちはあっちに座ろう」
「あ、アリサちゃん……私は気にしないよ。なんか、大変だね。ぺんぺんとか言ってる場合じゃないね」
「ううん。気にしないでぺんぺんして」
結局、高槻父子を残して他のメンバーが新しい席に移動することになった。あの父子はほっといていいのだろうか。まあ、アリサちゃんが「気にしないで」と言うから気にしないでおこうか……ぺんぺん……。




