141、王司、マグロを拾う
シャッフル公演が終わり、演劇祭は幕を下ろした。
最終日の夕食は、関係者全員での打ち上げパーティだ。
打ち上げムードに染まりかけた楽屋は、見覚えのある記者さんが何人も来ている。インタビューして記事を出してくれるのだ。いい記事を書いてもらおうではないか。
「王司ちゃん、初めての舞台はどうでしたか? さっき結果が出たけど、西チームが勝ったみたいだね」
中学校の文化祭で『未成年(?)の主張』をした記者さんは、親戚のおじさんみたいな顔をしていた。ニッコニコだ。
うんうん、結果は私も見ているよ。元気にお返事をしようではないか~。
「西チームがチームとしては勝利した形なんですか? わあ、嬉しいな……でも、勝ち負け関係なく、東西全員で楽しい演劇祭にできたのが1番よかったなって思います。このあとは打ち上げパーティなので、みんなで楽しみたいです!」
投票が締め切られた集計結果には、勝利チームと役者個人の得票順位がコメント付きで出ていたんだ。
西チームは無事に勝利したよ。あとで八町大気に「ねえねえ、勝たせたかった東が負けてどんな気持ち?」って聞いてあげたいよ。
優等生な笑顔を浮かべると、八町が隣に来る。すまし顔だが濡れタオルを頬に当てて、先生面でコメントしてくる。
「王司さんはあんまり競争意識がないんですよね。圧倒的に出来る子だからかな……先生としては、もっと貪欲になってくれてもいいかなと思ったりもするんですよ」
「八町先生。トラブルがあったとお聞きしましたが……そのお顔は痴情のもつれで火臣打犬さんに殴られたというのは本当ですか?」
「痴情はもつれていません。僕たちはちゃんと良好な関係ですよ。映画にも出演していただく予定です」
「おお……」
おお、じゃないよ。八町の適当な発言は記事にしなくていいよ。映画に出演ってなに? まさか江良で当て書きした役をさせたりしないだろうな、八町?
「役者個人としても、王司ちゃんは注目されてますよ。江良九足さんの演技に似ていると話題になってるんです。王司ちゃん、江良九足さんを意識したことはありますか? お兄さんに憑依したという話もありますが……?」
おっと、私に新たに質問してきたおじさんは、江良のときにも何度も話していた記者さんだ。いい人だよ。
ネットでは「江良がノコさんに愛を告げるために憑依型役者に憑依した」と話題でもある。そこは否定しよう。
「光栄です。お兄さんの憑依は気のせいだと思います」
「き、気のせい……」
「気のせいです!」
きっぱりと否定していると、佐久間監督と加地監督が花束を渡してくれた。2人もお祝いに来てくれたらしい。
「よかったよー」
「ありがとうございます!」
労ってくれた加地監督は、「恭彦君に江良九足が憑いたってのは本当なのか」と面白がるような視線をチラチラしている。
「あっちは盛り上がってるなあ。江良九足だもんなあ。本物として持ち上げるにせよ騙りとして叩くにせよ、ネタとして美味しすぎるわな。恭彦君は炎上の才能がある。お父さん譲りだな!」
その才能はどうなんだ? 嫌な「お父さん譲り」だな。
でも、本人は満更でもなさそうなんだよな。
「恭彦君。途中で江良九足さんが憑依したというのは本当ですか?」
「演じている時はどんな感じなんですか?」
インタビューのマイクを向けられて、火臣恭彦は首から下げたシルバー製のマグロのペンダントを指で撫でた。
「本当です。俺がマグロです」
受け答えがやばいぞ。しゃべらせて大丈夫か。
長い睫毛を物憂げに伏せてマグロにキスをする姿にカメラマンが喜んでパシャパシャと写真を撮っている。
どこに需要があるんだその写真。イケメンならなんでもありなのか? 世の中がわからない。
「俺が困っているときに江良さんが助けてくれました。彼は、困っている人に優しいんです。ヒーローみたいな俳優さんだと思います」
いや、江良は助けてないよ。
でも、褒められると悪い気がしないな。アイアムアヒーローだ。
「恭彦君、役者個人での応援投票はすごく惜しかったよね。さっき締め切ったところだけど、見た?」
記者は残念そうに質問をした。「悔しがってる姿を撮りたい」って下心がチラチラしてる目だ。
「一票差で2位でしたね……俺は思うのですが、競争って何でするんでしょう。みんな、ただ生まれちゃって仕方なく生きてるのに優劣つけないでほしい……俺が生きていてすみません。負けてるのに調子に乗ってしまって、恥ずかしいです。俺はなんて恥ずかしい生き物なんだろう。そうだ。俺、マグロじゃなかった……だから1位になれないんや」
おい、メンタルを急降下させるな。記者の人たちがびっくりしてるだろ!
下心チラチラさせてた記者さんも「そこまで落ち込まなくても」とおろおろしちゃってるよ。
「お、お兄さんはお疲れなんです! インタビューはこのへんで。さあさあ、打ち上げで美味しいご飯食べましょうねー!」
このお兄さんに長時間インタビューしては行けない。私は危機感を胸にインタビューを切り上げた。
楽屋を出る私の耳には八町の声が聞こえていた。
八町は記者たちを引き続き相手する様子で、生き生きとしていた。
「公平性に欠けると非難されるかもしれませんが、僕は【東】チームの子が勝たないとダメだなと思って指導に力を注いでいたのです。それぐらい彼らは追い詰められていて、自信を失っている子たちでした。負けてしまって心が折れてしまうかと申し訳なく思っていたのですが……意外にも東の子たちは折れることなく、悔しがっていて。見てろよ、これから上手くなるぞ、なんて言っている子もいたのが、嬉しい驚きでした」
八町は嬉しそうに、ちょっとだけまともなことを言っていた。
「生きていたら誰でも気づく瞬間があります。世界は自分を中心にできてない、自分はその他大勢の中の1人だと。恭彦君は嫌がっていましたが、競争社会はどうにもならない現実で、1位になれるのは1人だけ。他は全員、その他大勢です。みんなが当たり前にわかっている痛みや辛さを当たり前に『わかる』と言える――それって、いいことですよ。負けるって大事なことなんです。その他大勢の側に仲間がたくさんいる意識を忘れないでほしい……」
おお、八町。先生っぽいことを言うではないか。
恭彦の顔を見上げると、拗ねたような顔でマグロを噛んでいた。その瞳がこちらを見る。なにかな?
「俺は、そっちがいいです」
「お、おお……」
そっち? どっち? なんだ?
よくわからないが、恭彦は私の手を引いてずんずんと打ち上げ会場へ歩いていった。
「せっかく締め切り1分前まで同票で並んでたのに、最後に票を入れた奴がいるんですよ」
ほうほう。そんなギリギリを攻めた投票者がいるんだ。誰なんだろうなあ。私に入れてくれたのか。ありがたいなあ。
というか、そんなに気にしなくても。
「お兄さん。そういうの、気にしない方がいいと思うんですよ……」
「葉室さん。俺は気にするんです」
「あっ、はい」
レイア姫とは呼ばれなくなったみたいだし、まあ、いいか。
打ち上げ会場は、巨大な鍋にみんなして好き勝手に具を入れて煮込んでいるカオスな野外会場だった。芋煮? 闇鍋?
赤い布を敷いた長椅子が用意されていて、「自由に座ってお召し上がりください」だって。
「王司さん。ご一緒しましょう。その手にあるカレーのルーはご自分のお椀だけにしていただいて」
「あ、大吾お兄さん……」
「さあさあ、僕のお隣へどうぞ。恭彦君は隣に来なくていいですからね」
「お兄ちゃん、意地悪言わないの。王司ちゃん、私の隣空いてるよー」
私がカレーのルーを入れようとすると、なんと高槻兄妹に止められた。高槻兄妹は揃って浴衣姿で、2人の周辺だけ和風情緒みたいなものが漂っている。座る順番としては、高槻大吾の隣にアリサちゃん。アリサちゃんの隣に私。その隣に恭彦だ。
お椀に盛られたお鍋の具は、豚肉やにんじん、じゃがいもが見える。スープは和風で、美味しい。カレーのルーは合わないな。
私がカレーのルーをお持ち帰り決定していると、アリサちゃんはスマホを見せてきた。
イヤホンも片方渡してくれるので、耳につけてみる。
「王司ちゃん、これ見て」
「アリサちゃん、これなーに」
スマホの画面で再生されたのは、火臣打犬の配信だった。リアルタイムではなく、終わった後のアーカイブだ。
タイトルは、前にも見た覚えがする――『駄犬パパの変態的子煩悩クズライフ』。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『駄犬パパの変態的子煩悩クズライフ』
火臣打犬は、悩んでいた。
「見てくれ。役者個人への応援投票というものがある。これがもうすぐ締め切りなのだが……」
配信画面にスマホの投票画面を見せてくる。
「俺の子が同じ得票数で並んでいるんだ。この投票というのが、1人1回しかできないのだが」
リスナーがどんどん増えて、何もしていないのにコメントが盛り上がっていく。
:配信観に来ました
:こんにちはー
:駄犬がまた何かやらかすのか
:まだ何もしてない
:今日も顔がいい
:八町大気を殴ったという噂は本当ですか
:許されないことをしてしまったな
:火臣さんドラマ最高でした!
:変態クズだぞ
:演劇祭の感想トーク?
:投票で悩んでるらしい
:投票締め切りもうすぐですよ
:王司ちゃんと恭彦君が並んでるんだ
:あっ(察し)
:どっちを選ぶでショー?
:王司ちゃん可愛いよ王司ちゃん
コメントが濁流のごとく流れていく。
打犬は眉間に深い皺を寄せた。悩める哲学者のような深刻な顔付きだった。なんなら顔だけではなく『考える人』のポーズまで取った。様になっている。
国民的問題俳優は、渋く言い放った。
「応援コメントを見てくれ。恭彦の応援コメントに『江良が憑依した』と書いてあるだろう……俺は、この感想に反発心を覚えてならない。俺の江良アンテナはあれは江良ではないと訴えてくるんだ。俺は江良の違いがわかる男だ。江良の目利きには自信がある。世界中の誰もが江良だと言っても俺だけは違うと叫びたい。解釈違いだ。江良は女に告白しない。江良という男はもっと……どちらかと言えば俺が江良を感じたのは……」
:恭彦君の演技はパパ的には解釈違いらしい
:厳しいな
:江良アンテナ???
:変態キターー
:迷言集がまた厚くなる
:江良の目利きってなんだよ
:解釈違いと言われても(困惑)
:あたし江良さんに告白されたことある~
時間が迫ってくる。
打犬は「今、許されない発言をした奴が出たな。しかし俺は君のことも愛すよ」と言って「あたし江良さんに告白されたことある~」の発言を削除した。
:消すんかい
:愛とは一体……
:俺も江良さんに告白されたことあるー
:私は江良さんと深い仲だったよ♡
:実は江良の父です
コメント欄が混沌とした江良大喜利に染まる中、打犬は「1分前か」と時計を見た。そして、葛藤した。
「王司ちゃんはメンタルが強い。ポジティブだ。友達と舞台を楽しんでいて、明るい。あの子は順位で負けても気にしないだろう。だが、恭彦はメンタルが弱い。パパに演技を解釈違いだと否定されたら傷つくだろうな。妹をライバル視しているから負けたら辛い思いをするだろう。勝ちたがっているんだ。俺は知っている。そのために努力をしてきた……」
30秒前。
打犬は震える指を噛んだ。
「人生にはこういう瞬間がある。伸るか反るか。勝つか負けるか。選ばれるか選ばれないか。パパの1票で決まるんだ。選ばれ、肯定されて輝かしい喜びにあふれた明日か、否定された悲しみに暮れて自己肯定感を泥沼に沈めるか。重い。あまりにも、重い。いや、わかっている。わかってるんだ。勝たせてやればいい」
:もう時間ないぞパパ
:お前の1票で決めろ
:はよ
:投票急げ
:20秒前
:火臣さん、男を見せて
:選べーーー
:パパ!
:恭彦君泣いちゃうよ!
打犬はカッと目を見開いた。
彼は震える指先で文字をなぞった。
『恭彦君泣いちゃうよ!』という文字だ。それは、彼にとってのキラーフレーズだ。
ただし、普通の子煩悩パパとは真逆に作用する。
「お、俺は息子の泣き顔フェチなんだぞ。泣かせたくなるだろう。息子が可哀想だと可愛いんだ。萌えてしまうんだ。くっ……誘惑をするな……っ、え、江良! 俺にお前の解釈違いを肯定する勇気を……!」
10秒前。
「恭彦ぉぉっ、パパは泣き顔フェチズムに負けないぞおおお!」
その指は、火臣恭彦に1票を投じた。
:おおおおおおおおおお
:やったやん
:パパーーー
:解釈違いに勝った
:ごめんこれなんの祭り?ちょっとわかんない
:恭彦の勝ちだー
:パパが選んだぞ恭彦きゅん!
:王司ちゃん可哀想
:残り5秒
:じゃあ俺は王司ちゃんに入れますんで
:あれ?
:4秒
:票が増えていくw
:入れてない奴が駆け込んでるね
:俺もいれるぞ
:わたしも
:残り3秒
:2秒
:1
「あっ…………」
打犬は呆然とした。
駆け込み票が両者に大量に入り、順位は逆転して葉室王司が1位になっていた……。
:あっ
:あ……
:あwwww
:やったな
:やってもーたな
:事故った
:王司ちゃんおめでとう!
:泣き顔が見れるぞ悦べよ
:あー
:これは仕方ないよ!w
:投票は全世界誰でもできるから
:しゃあない
:王司ちゃんおめでとー!w
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
なにやってんだ。
私が呆れた目で画面を見ていると、隣から低い声が聞こえた。
「解釈違い……?」
あっ、恭彦。
音は聞こえていないはずだけど、コメント欄で事態を察したのか、恭彦は雨に打たれた仔犬のような気配に沈み込んでいった。
「あ、あの、お兄さん。お父さん、お兄さんに票を入れてくれてましたよ」
「解釈違い……」
「お兄さんの江良さん、よ、よかったんじゃないかなーって私は思いますよ」
私はなぜ解釈違いの江良演技を肯定しているんだ。
自分につっこみを入れていると、アリサちゃんが助け舟を出してくれた。
「あのね、演劇祭が終わったら、お兄ちゃんと一緒にお誘いしたいね~って思ってたことがあるの」
話題を変えてくれるんだね。ありがとうアリサちゃん。
「わあ~、なにかな、アリサちゃん?」
「えっとね、お父さんの知り合いの外交官さんが、国際交流ハロウィンパーティに招待してくれててね。私はいつも欠席してたんだけど、今年は参加しようかなーって思ったの。王司ちゃんと恭彦さんも、もしよかったら……」
アリサちゃんは二通の招待状をくれた。
黒のシルエットで描かれた建物やお墓、コウモリに、夜空が下の方がオレンジで上にいくほど紫になるグラデーションの招待状は、『Happy Halloween!』と書いてある。
裏面には会場の場所とか、仮装推奨のドレスコードについての記述とかが書いてあった。
「恭彦お兄さん。このパーティに行きましょう。仮装、私が考えてあげますよ」
「俺にはカジキマグロの着ぐるみが似合うと思います」
「本気で言ってるんですか、それ?」
恭彦はマグロのペンダントを外して「さようなら」と呟いて土に埋めた。なんで?
「俺に君は似合わないから……」
まるで最愛の彼女と別れるような顔をして、恭彦は涙を落とした。
相手はマグロのペンダントなのだが、なんだか恋愛ドラマの最終回みたいに切なく美しい空気が漂っていて、芋煮に興じていた人々が「なんだろう、泣ける」と釣られて目を赤くしたほどだ。なんで。
全く意味がわからない。しかし、こんな意味不明な兄にも慣れてきたように思う。
私はめげずにハロウィンパーティの約束を取り付けた。
そして、土を掘り返してマグロを回収してあげた。
「恭彦お兄さん。いらないなら、これ、私がもらっときますね」
「葉室さんは優しいんですね。捨てられたマグロを拾ってあげるなんて……」
捨てられたマグロを拾うことで兄の好感度が上がった……?
本当に謎である。




