140、俺は本マグロだったんだ!/寝取られてないわい!
――【火臣恭彦視点】
その時。
舞台の上でピアノの旋律を聴きながら、火臣恭彦は他人の思惑を敏感に察知していた。
八町大気は、『葉室王司に勝て』とけしかけている。
そして、【東】チームの仲間たちは、恭彦が葉室王司の対抗馬となって主役の座を強奪するのを期待している……。
恭彦はライバルを見た。
黒髪の少女、葉室王司は、初心者の友達と一緒に楽しそうにのびのびと遊んでいる。
2人揃って新人アイドルちゃんだ。女子中学生アイドルちゃんが2人でおてて繋いでキャッキャしてる姿は、微笑ましくて可愛らしい。
そんな舞台の下には――あれ? あのお姉さんは、引退した有名な歌手じゃないか。
変装してるけど、伊香瀬ノコだ。
彼女は、彼女は――江良九足の恋人だったっけ?
円城寺善一と伊香瀬ノコの件は、ライブ会場で暴露される現場に居合わせて目撃していた。
その後のゴシップ記事も見た。恭彦の頭の中では「江良が伊香瀬を寝取られて、しかも殺された」という事件として認識されている。
酷い事件だ。不憫な江良だ。江良は怒っていい。
そんな怒りが沸々と湧く中、舞台の上では、【西】チームの楽しそうな初心者の女子2人が、シャッフル公演の主役の座を欲しいままにしている。
「ジョバンニ♪」
「ジョバンニー!」
主役がNTRれてる――恭彦は、自分に江良を重ねた。
「俺が欲している主役の座が、妹に寝取られてる」
「ジョバンニ〜?」
「ジョバンニ!」
こんなの、演劇じゃない。
ただの「【西】チームのアイドルちゃんと遊ぶショー」だ。
演劇をしろよお前ら。膝抱えて座ってないで、演劇をしろよ俺。
俺に乗り移ってよ、江良九足。寝取られたままで死んでいるなよ。
奪い返せよ――奪い返そう。
世の中は競争ばかりだ。
生まれた環境は平等ではなくて、親ガチャって言葉や遺伝子レベルでの優劣の話も聞く。
それで不利に生まれて、恵まれない環境で育って、罰ゲームみたいに人生を過ごす――くそくらえ。
そう思ったから、江良は芸名を『えらくそく』にしたんだ。
ピアノ曲は、吹奏楽曲みたいにソロ旋律と厚みのある合奏を展開していた。
「次は俺の番」「次は私」みたいにソロを順番にリレーみたいに繋いでいって、全員で合奏する……。
それをやってくれ、と八町大気が言っている。役者仲間に頼られている。
「くそくらえだ」
火臣恭彦は、江良九足が主演の映画『Hero or Die』を思い出した。
求められている。
だから、俺はヒーローになろう。
「えらくそくだ」
俺が江良九足だ。観客は、俺の怒りを見るがいい。
「♪きらきらコウモリ おそらはくもり 俺の彼女は 伊香瀬ノコ NTR殺人犯は――許さない!」
注目を集めると、葉室王司が意表を突かれた顔をしてこちらを見た。
その視線、とても快いな――恭彦は、スポットライトを誘った。
俺を照らせ――なぜなら、俺の見せ場だからだ。
照らしたあとは、ついてこい。
挑戦的に笑って舞台から降りると、観客席の伊香瀬ノコが驚いた顔をしていた。
歌おう。これはショーだから。
「♪俺は進一 君にはわかる? わかってくれたら、嬉しいな」
「え……江良さん……? 江良さんの幽霊が、憑依してる、とか?」
彼女はわかってくれた。嬉しいな。
「……あの、……私、江良さんにずっと謝りたくて……」
一生懸命言ってくれる歌姫は、美人だ。
この美人を、俺という男は愛していたのだ。ここは歌わずにセリフで言おう。
「俺は君が好きだ。それを伝えたかっただけなんだ」
「そのためだけに……?」
「俺は純粋に好意を抱いていたんだ。ゲスな性欲とかではなく、本当に君が好きだった」
「え……江良さん……私……ごめん、なさい」
横抱きに抱き上げて舞台に上げてしまえば、観客も役者たちも驚いている。
独壇場だ。
けれど、俺は独りよがりにはならない。
ソロパートは、バトンリレーするんだ。
指名しよう。次は……。
「♪女王様は、俺にお怒り! その理由は……なぜだろう!」
流し目を送る先は、『先輩』……いや、『後輩』だ。
西園寺麗華――『後輩』の君に繋ぐ!
後輩の麗華は、目が合うまでは驚愕している様子で立ちすくんでいたが、すぐにギラギラとした気配になった。
闘争心がある――そして、麗華、君は優等生だ。
こんな時、任せられる安心感がある。さあ、俺の後に続いて演じてごらん。
一緒に楽しく遊ぼうじゃないか!
ライトの中へと招待すれば、女王陛下は強い感情を輝かせた。
「♪無礼な 無礼な 無礼者 気高く 尊い わたくしに スポットライトを お譲りなさい!」
いつの間にかピアノの音は聞こえなくなっている。
それが少しだけ寂しくて、安心した。
あのピアノは、好きだ。嫌いだ――いいや、そんなの、大したことじゃない。
大事なのは、『江良九足である俺』が仲間と演技をしているという、この現実だ。
そっか。俺は江良九足だったんだ。マグロだ。マグロの中のマグロだよ!
俺は本マグロだったんだ……!
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
「♪無礼な 無礼な 無礼者 気高く 尊い わたくしに スポットライトを お譲りなさい!」
【東】チームが演劇を始めたので、スポットライトが取られちゃった。
八町だ。あいつが変なことを始めたんだ。
思い返せば、芽衣ちゃんと2人でジブリッシュを楽しんでいた私の目には、会場の通路を悠々と歩いて最奥に向かう八町大気が見えていた。あれが始まりなんだな。
八町は、会場の一番奥で指揮棒を振り出した。
私はそれを見て「八町、ばか、お前……ぼっちで何やってるんだ。恥ずかしいよ。やめろ……」くらいに思っていたんだ。
しかし、指揮棒に指揮されたようにピアノ曲が流れ始めると、【東】チームの月組メンバーは集団演舞を始めた。
彼らは1人を引き立てるための動きをしていて、明らかに恭彦に「お前が目立て」みたいに主役を押し付けていた。
ピアノの音は、YOASOBIの曲に似ていた。
ストーリー性があって、世界観に引き込んでくれて、想像力を掻き立てるやつだ。
恭彦は曲と仲間たちの期待に煽られた様子で、立ち上がった。
そして、なんと江良を名乗って舞台を観に来ていた伊香瀬ノコに絡んだのだ。いやあ、びっくり。
「王司先輩。なんだか、みなさんがジブリッシュしてくれなくなりましたね。ライトもあっちに行っちゃった」
「うん。ジブリッシュの時間は終わりだね。芽衣ちゃん」
芽衣ちゃんは舞台に立っていることに慣れたようだった。
嫌な思いをして休んだあとって、再開するハードルが高くなるんだ。休み明けの学校みたいなものだよ。
だから、再開できたことが一番いいことだと私は思う。
なので、芽衣ちゃんについてはいいとして。
「ノコさん、まさかと思ったら本当に舞台を観に来てくれてたんだぁ。嬉しいな」
変装していた彼女は、以前よりも顔色がよかった。
ちょっと太ったかも。でも、健康的でいいと思う。女性は太るのを嫌がるが、江良は棒切れみたいに細い脚を見てると折れそうで心配になっていたので。
「王司先輩の推しの先輩アイドルさんですね」
「芽衣ちゃん、ノコさんはアイドルじゃなくて歌手だよ」
それにしても、恭彦の江良の演技は酷くないか。
伊香瀬ノコが好きなのは合っているが、恋愛的な意味での『好き』だと解釈されて、しかも殺人犯にNTRれたと思われている――。
ね、ね、寝取られてないわい!
解釈違いだよ! ノコさんをいつまで抱っこしてるんだ!
しかも、私の耳にはノコさんの声がバッチリ聞こえたんだ。
「え……江良さん……? 江良さんの幽霊が、憑依してる、とか?」
ノコさんってば、恭彦に江良が憑依していると勘違いしちゃったんだよ。
あれか? 最近SNSやネットニュースで『火臣恭彦君は憑依型の俳優』と言われ始めたからか?
しかし、ノコさん! 江良の憑依先は恭彦じゃないよ。
江良はここにいるんだよ……!
スポットライトを西園寺麗華に引き継いだ恭彦は、ノコさんに勝手なことを吹き込んでいる。
「君が好きだ。それを伝えたかっただけなんだ」
「江良さん。そ、そのためだけに……?」
「俺は純粋に好意を抱いていたんだ。性欲とかではなく、本当に君が好きだった――君が……可哀想だから。不憫な子を助けるヒロイック願望みたいなのを拗らせていた……」
「え……江良さん……私……ごめん、なさい」
おい、江良を装ってノコさんを口説くな!
ヒロイック願望ってなんだよ! 英雄願望?
「俺は元々、可哀想な女性を救いたいという欲があって……性癖みたいなものなんだ」
「江良さんって、女性に紳士って言われてたものね」
あ~、それは江良の性癖だよ。正しい!
演技ノートだ。確かに演技ノートに書いた!
あれを熟読して江良を解釈したんだな。なるほど、なるほど。
その解釈は――あ、……合ってるかもしれないな……。
「王司先輩。舞台、不思議の国のアリスになっちゃった」
芽衣ちゃんが「私たち、もう出番終わる?」と舞台袖に退場するか聞いて来る。
「芽衣ちゃん。私たちはまだ退かないよ」
私はにっこりと笑った。
解釈が合っているとしても――江良は私だ。
舞台の主役は、渡さない。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
江良九足は、もう引っ込んでしまったのだろうか。
伊香瀬ノコを王子様よろしく掻っ攫っていったが、今は舞台袖で愛を語らっているのだろうか。
観客は、江良九足の憑依という奇跡に興奮しつつ、【東】チームが不思議の国のアリスのカラーを強めていく舞台を楽しんでいた。
「クビよ、クビ。クビクビクビッ」
舞台の上で女王が次々と気に入らない役者をクビにしていく。
西園寺麗華は四日間、大人びたセクシーな女王を演じていたが、シャッフル公演はなんだか自棄になって地団駄を踏んでいるみたいで、可愛い。
そこに、少年の声が響いた。
劇の流れを引き寄せて強引に軌道を変えるように、強く響く声だった。
「そんなに簡単に人の命を奪って。女王は酷い人だ」
少年は、少女だ――葉室王司だ。
その存在は、スター性を帯びていた。
観客はわくわくした。彼女の演技は、きらきらと輝いて人を魅了するのだ。
観客の期待に応えるように、スポットライトはサッと葉室王司を映し出した。
彼女はそうして照らされるのがとてもよく似合っていて、光の中で立っていると、このシャッフル公演が最初から彼女のために用意された筋書きと舞台であるように錯覚させるのだった。
「簡単に断罪してしまう彼女は、まるでジョバンニをからかっていた、ちょっと前までの僕ではないか」
これはザネリだ。
銀河鉄道の夜の愛する観客の中に、演技を理解する者が出てきた。
彼らは前のめりになり、葉室王司がザネリを演じるのを楽しんだ。
「ザネリ。怒っているの?」
緑石芽衣がジョバンニをしている。
一度心が折れた初心者の12歳の彼女がもう一度演技をしている。それは、なんだかとても心を揺さぶる事件だった。
「僕のせいで、カンパネルラが死んだんだ」
不思議の国のアリスは、いつの間にか銀河鉄道の夜に舞台を奪われていた。
【東】チームの月組の役者たちが悔しそうにする中、ザネリは「いかれ帽子屋のお兄さん!」と叫んだ。
なんだか、とても怒っている。
それも、子どもっぽくて可愛らしい怒り方だ。
『いかれ帽子屋のお兄さん』は、江良九足が先ほど憑依した火臣恭彦が演じる役だ。
なので、観客は期待に胸を躍らせ、彼を待った。
憑依型の役者が魅せてくれる破天荒で刺激的な演技。それは、とてもリアルタイムで鑑賞する価値の高いものだ。観客たちは虜になっていた。
「お兄さん! お兄さん! 女王は酷いと思いませんか! 妹が怒って呼んでいるのだから、お兄さんは味方しないとだめなんだ!」
ザネリは、妹になった。
とても可愛い妹だ。観客は「変態二世兄妹」をよく知っていたので、にやにやとした。
兄妹は、仲がいいのだ。
怒る妹に呼ばれて――兄は、出てきた。
「処刑された魂は、どこへ行く? 汽車に乗って、あの世に行くのさ。ならば、この銀河鉄道の汽車にみんなが乗っているのだろう」
兄は、いかれ帽子屋の顔になっていた。
江良九足が観たかった観客はがっかりしたが、帽子屋が観たかった客はにんまりだ。
「おいで、愉快な死人たち。みんなみんな、ハレルヤだ! けれどせっかく集っているのだから、あの世に行くまでにスカッとしよう! そうしよう?」
汽車の中で帽子屋は【東】チームの仲間を呼んだ。
彼の意思を察した仲間たちは、女王に「クビよ、クビ!」と断罪された役者たちだ。
彼らは怒りをあらわにして、女王を睨んだ。
「女王様を、やっつけろ!」
「俺たちを処刑した女王に、やり返せ!」
そして、女王は自身がこれまでに処刑してきた死者たちの報復に遭い、チェシャ猫に笑われながらボロボロになって許しを請い、後悔し、反省して――倒されてしまった。
観客の中のスカッとファンだか女王アンチだかは、外人4コマみたいにガッツポーズして興奮していた。
中には、麗華ファンの中のマニアックニキ――「俺の麗華は強気&自信満々でイキってるけど、そんな麗華がたまに弱って曇るのが最高にシコい。いとをかし」という層もいたかもしれない。
ストーリー的にも、悪役に虐げられたキャラたちが団結して悪役に報復するというわかりやすいカタルシスを見せることができているので、マニアックじゃない観客も「ああ、これってこういうストーリーだったのね」みたいな理解顔で納得している。
そんな成功舞台を締めくくるのが、変態二世兄妹であった。
「『やられたらやり返せ』、『自分が勝利するまで戦え』、『妹がたこ揚げをたこ焼きだと言っても否定するな』とは、火臣家の家訓なのです!」
兄の恭彦が火臣家の家訓を言うと、妹の王司は兄の手を握り、「ばんざーい」と両手を上げた。
「西チームと東チームは、仲良しでーす!」
うむ。なんだかよくわからないが、仲良しで可愛い。これは、そういうショーだったのだな。
観客はほっこりとしながら拍手した。




