132、【東】チーム、壊れる
――【火臣恭彦視点】
火臣恭彦は、妹の演技に圧倒されていた。
妹だけでなく、歌舞伎の御曹司や江良の甥と噂されるプロゲーマーも、圧倒的に上手い。
観客は湧き、会場から出ても興奮が冷めやらぬ様子で感想を語り合っている。
SNSのハッシュタグ『#八町大気演劇祭』も、投稿が爆増した。
公式サイトの「どちらのチームがよかったか」「どの役者がよかったか」というアンケートも、1秒1秒、投稿が増えていく……。
「恭彦、先ほどの公演はよかったな! お前ももっと感想を口に出せ! よかったな! な!」
父、火臣打犬が「よかった」を連呼して絡んでくる。
俺にライバルを絶賛しろと言うのか。拍手だけで勘弁してほしい。
「恭彦! グッズ売り場でグッズを買ってレストランで飯を食って帰ろう。パパは王司ちゃんグッズを買い占めたい……アッ、もちろん、恭彦のグッズも買い占めたぞ」
「買い占めるなよ。他の客の迷惑だろ……親父、俺は別のところに寄るから、レストランで待ち合わせしよう」
恭彦の視界には、緑石芽衣が見えていた。
三日目を欠席した彼女は、母親らしき女性と一緒にいる。
緑石芽衣は、落ち込んでいるに違いない。
自分がいない劇が、あんなに完璧に仕上がって絶賛されて「素晴らしかった」と絶賛するだけでいられるか?
恭彦は2人の近くに忍び寄って盗み聞きをした。
母親は、心配そうにしている。
「芽衣は、がんばってたじゃない。お母さん、応援しようと思ったところだったのよ。続けてみたら」
「私がいない方が、いい舞台になる。私、そんなにお芝居をがんばるつもり、なかったし。ちょっと試しにやってみよう、ぐらいの気持ちだったし。……みんながうまくて、自分みたいなのが混ざっているのがダメだって思うようになったから……」
緑石芽衣は、心が折れていた。
「もう、お芝居しない。……帰ろう、お母さん」
――あ。あの子、辞めるんだ。
恭彦の胸に、その言葉は深く刺さった。
なんだか、自分が挫折したような気分になった。
恭彦は、ふらふらと逃げ場を探してトイレの個室に引き篭もった。
親父なんて、ずっと待たせておけばいい。
いや、……かわいそうだから「用事ができたから先に帰ってて」ってメッセージ送っておくか。
親父だって多忙なわけだし。時間を無駄にさせるのは忍びない。
恭彦:親父、俺は用事ができた。一人で飯食って帰ってくれ
パパ:用事? どんな用事だ? パパと飯を食うより大事な用事とはなんだ?
パパ:具体的に教えなさい
めんどいな。
無視しておこう。もう返事をする気力がない。
個室は狭くて安心する。
誰も自分に気づかない。ずっと隠れていたくなる。ここに住みたい。
俺は、トイレの花子さんになりたい。花太郎さんか。
そんなことを考えながら、恭彦は「とにかく気を紛らわせよう」とスマホを眺めた。
いろんな人からのメッセージが届いている。
母。父。妹。先輩。パトラッシュ。先生――八町先生?
八町大気:突然ですまないが、四日目の演出変更についてミーティングをしたい。来れる人だけでいいから、来ておくれ。
ギクリとした。
自分の暴走が、みんなの前で咎められるのでは?
公開処刑されるのでは?
罪人の気分でトイレから出てミーティングルームに行くと、急な招集にも関わらず【東】チームのメンバーは全員が揃っていた。
【東】チームには、「ライバルを意識して勝利を目指そう」というムードが出来ている。
みんな、【西】チームが気になっていたんだ。
そして、おそらく「三日目の内容がすごかったが、自分たちはこのままでいいのだろうか」と感じていたに違いない。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ミーティングルームは、学校の教室みたいなものだ。
黒板の代わりに大きなスクリーンがあって、教師の代わりに八町大気がいる。八町大気はノートパソコンをデスクに置いていて、動画やパワーポイントをスクリーンに映して「これを見てね」と見せながら話すのだ。
恭彦はミーティングルームの端っこに座った。
一番目立たなくて、片側が通路で、安心できる席だ。
そこに落ち着いて父に「八町先生が招集をかけて、急にミーティングをすることになったから」と返事を送信すると、父は「八町先生には困ったものだ」と不満ながらも納得したようだった。
さて、「困ったものだ」と言われた八町大気は、上機嫌だった。
葉室王司の演技がお気に召したのだろう、と恭彦は思った。
八町大気が葉室王司を「江良君!」とか「僕の宝石」と呼んで執心していることは、みんなが知っている。
「みなさん、集まってくれてありがとう。いきなり本題に入るが、僕は【東】チームの演劇内容を少し変えてみてはどうかと思っている」
八町大気は、ミーティングルームのスクリーンに東西チームのSNSの反響と公式サイトの投票結果を表示した。
「2チームは、ここまで普通と違うことをしてインパクト重視の面白いショーをしてきた。けれど、三日目に【西】チームはイロモノから正統派にシフトして、しかも完成度が異様に高い。その変化はクチコミの波に乗り、四日目はさらに注目を集めるだろう。そのタイミングで、【東】チームも『実は、こっちも正統派ができるぞ』と足並み揃えて変化できるといいのではないか」
【東】チームの舞台が「普通と違うインパクト重視のイロモノ」になった原因は、恭彦だ。
自覚がありすぎるぐらいにあったので、恭彦は「ここは謝らなくては」と思い立った。
「お、俺が悪いのです。先生、皆さん、すみませんでした」
「おっと。恭彦君……君を責めているわけではないのだよ」
「いえ。いえ。いいえ」
謝りつつ、恭彦はちょっとだけ希望を感じていた。
八町大気は、「葉室王司、最高! 僕は大満足だよ。【西】の勝ちだね!」で終わったりしないのだ。
「葉室王司、最高。さて、【東】チームが対抗するにはどうしたらいいかな」と、【東】の味方をしてくれる。
『宝石を磨くには宝石を使うのがいいよね。僕の江良君の輝きが鈍ってしまったんだ。磨かないといけないものだから』
以前の言葉は、まるで【東】の役者たちが『僕の江良君』を磨くために使われるみたいな印象も受けた。
でも、今の八町大気を見ていると「他の宝石も、ちゃんと大切に育ててくれる気があるんだ」と思える。
嬉しい。
「せ……先生」
俺は、心が折れそうなんです。
俺は、あの妹に自分が敵わないと思ってしまうんです。
「俺は、勝ちたい、です……」
俺みたいなミジンコ野郎が、あの妹に勝ちたいと思ってしまうんです。
負けて当たり前なのに、それでいいやって思えないんです。
圧倒的に高くて、登れない壁がそびえたっていて、でも俺は諦めきれずに壁の中腹でしがみついているんです……。
こんな格好悪い俺を、みんなが見てる!
羞恥とプレッシャーで、呼吸が苦しくなる。
「恭彦君……」
「どうやったら、勝てますか。俺……なんでもします」
「……恭彦君のルイス・キャロルの演技は、よかったよ。あれは採用しようと思う」
なんだって。採用?
「恭彦君のいかれ帽子屋は、不在のシーンも多い。なので、出番がないシーンにルイス・キャロルとして遠巻きにアリスを見守ってもらおうと思う。アリスに会いたいのに会うことが許されず、耐えている寂しいルイスだよ」
八町大気はそう言って、音楽を再生した。ピアノ曲だ。
――♪
なんだか、すごく惹きこまれるメロディだ。
世界観が広がっていくような、想像力を何倍にも膨らませてくれるタイプの曲だ。
恭彦は、すぐにその曲の虜になった。
「知人に頼んで、恭彦君のために録ったんだ。シーンごとに曲調が変わっていくんだよ。君は音楽の創り出す世界観に乗るのが得意なんだよね。本番でも、イヤホンでこれを聞きながら演じるといい。……気に入った様子だね。音楽データも送るから、持ち帰って好きなだけ聞いておくれ」
この曲は、好きだ。
気持ちいい。ずっと浸っていたくなる。溺れていたくなる……。
この曲を聞きながら演じる? そんなの、簡単だ。
きっと楽しい。やりたい。
「ちなみに、演奏者は化賀美 速人というピアニストだよ。恭彦君の実のお父さんだね」
「……!」
――え?
名前を聞いた瞬間、吐き気が湧いた。
「ぐっふ」
驚愕か、拒絶反応か、ショックだったのか。
恭彦は堪えきれず、胃の中のものを吐いた。
「――……げえっ」
げえげえと吐き散らして、ミーティングルームを大混乱に陥らせた。
「えっ」
「きゃあああ!」
本当に申し訳ない。名前だけでゲロってしまうとは。
――俺の心が弱すぎる……なんだ、この心は。
どん底の気分になって、そこからピアノの旋律に浮かれて高く浮き上がって、名前ひとつで一気に底の底まで落ちてしまった。
役者仲間も八町大気も大慌てだ。
なんだか、いつも周囲に迷惑をかけているな。
「す、……すみません。驚きのあまりに出てしまったようです。俺のゲロがすみません」
「きょ、恭彦君……大丈夫かな……!? なんかごめんね。君がそんなにショックを受けるとは思わなかった。謝るよ。演技も、無理しなくていいよ。やめようか」
八町大気は「さすがにいかん」と思った様子で、曲を止めて謝り、休ませようとしてきた。
このまま「やっぱりなし」で終わったら、俺は才能を磨かれる機会を逸してしまう。
ゲロっておいてすまんが、やめないで。俺をちゃんと磨いて。
「い、いいえ! いいえ。俺は、やります。やらせてください……せ、せんせい。逃げないで」
「ま、待ちたまえ、恭彦君。落ち着きたまえ」
逃げないで。捨てないで。見放さないで。
ゲロぐらい、誰でも出るよ。ドン引きしないでくれよ。ちょっとびっくりしただけやねん……。
「う、う、うわっ」
八町大気の足にすがりつくと、彼はバランスを崩してゲロの中に尻餅をついた。
ああ、ごめんなさい。でも、もう逃がさない。
「ひ……」
足から上へ。腰へ、肩へ、手を移動させ、俺は八町大気を捕まえた。
彼は、恐怖体験に出くわしたみたいな顔をしている。
そんなに怖がらなくても、いいじゃないか。
俺、俺、俺、俺ですよ先生。ただの俺です。
「はぁ、はぁ……せんせい……」
それにしても、臭い。
人間の吐しゃ物は、どうしてこんなにヤベー匂いがするんだろう。
「俺を指導してよ、先生」
臭いものに蓋をするという言葉があるが、人間は綺麗なのは外見だけで、中身は臭くてグロいんだ。
皮をはがして内臓を見たら、人間みんな似たようなもんなんじゃないか。
「俺に勝たせてよ。俺、ゲロ吐いても血吐いても、壊れても死んでも構わんから。むしろ、壊れたい、死にたい。別の生き物になりたい。ああ、そうだ。俺を違う俺にしてよ。なんとかしてよ。俺をなんとかしてよ……俺は、壊れる……! そうや。俺は、もっと壊れたいんや!」
我ながら正気を失っている。
そう思いながら八町大気に迫っていると、意外にも【東】チームの役者たちは共感を示してくれた。
「そうよ! 私だって、もっと上手くなりんたいんです、先生。私もゲロが吐けます、先生! おしっこを漏らしてもいいです! 私をぼろぼろにして、スパルタ指導してくださいよ! 私を育ててくださいよ!」
「僕も精神的に追い詰められながら上を目指したいです。コンプラとか人権とかいいんで、僕を天才にしてください!」
「八町先生! オレも壊れる覚悟があります……!」
なんだ、このチーム。
連鎖反応起こすみたいに、俺色に染まっていく。
「つらいんだ」
「そうだ、つらいんだ」
「私も!」
「でも、諦めたくない」
「そうなんだ。諦めたくないんだ」
「私もよ!」
全員、俺と同じ気持ちになってくれる。
俺が負け犬の気持ちになって「諦めたくない、這い上がりたい」と遠吠えしたら、みんなも「おれもおれも」って遠吠えしてくれるんだ。
「な、な、なんだ。これは。みんな? 正気に戻ってくれたまえ……落ち着いてくれたまえ……ああ、さては恭彦君をまず戻す必要があるのか、これは」
八町大気は、大困惑していた。
彼は、よく「おいたわしや」と言われているくせに、こんなときは正気だ。
そして、みんながおかしくなった原因が俺だと気付いている。
八町大気は蒼褪めながら叫んだ。
「ぼ、僕は、君たちを勝たせるよ! 見捨てないよ! 勝たせるよ!」
いつも優雅で紳士な先生が、めちゃくちゃ必死になっている。
それが、なんだか滑稽だ。
「わあああっ!」
「みんなで勝つぞ……!」
【東】の役者たちは、歓声を上げた。気持ち悪いほど盛り上がった。
恭彦は、仲間たちとハイタッチを交わしながら、そんな自分たちを「なんだ、このチーム。おかしくなってんな」と俯瞰していた。
自分がおかしくなって、みんなに影響を与えたのだ。
ごめん、みんな。
なんか、よくわからんが、壊しちゃった。
俺、みんなを壊しちゃった……。
こうして、俺たちの四日目の舞台に向けた稽古が始まった――。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「……正気ではなかった。俺は、どうにかしていたのです」
稽古を終えて自宅に帰る俺は、冷静になっていた。
謝ると、ぼろぼろにくたびれた八町大気は「いいんだ」と弱々しく微笑んだ。
「舞台がよくなるなら、僕も本望さ。役者がずたぼろになるんだ。僕だってぐしゃぐしゃのどろどろになろう」
八町先生は、いい人だ――恭彦は、そう思った。




