131、銀河鉄道の夜
――『海外フォーラム』
:偽マーカスを捕まえた役者、ナマで見てきたよ(画像)
:可愛いカップルですね
:彼はドラマで見たことがあるよ(画像)
:ジャパニーズシャイボーイじゃないか。彼のお父さんがこの映画に出てるよ(URL)
:この2人は兄妹なんだ
:ジャパンではヘンタイって呼ばれてる
:日本のヘンタイ文化は好きだよ
:現地組がうらやましいよ。アリスやってるんだって? ぼくは妻の実家でずっと義理の両親とマッドティーパーティーさ
:アリスは可愛いよ(画像)
:日本の女の子って可愛いよね。お人形みたいなんだ。
:ファック。演劇チケットを誰か譲ってくれないか? 売り切れてやがる。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『カンパネルラ/ 江良星牙』
薄暗い列車の中で、ジョバンニが窓を開ける。
そこに窓はないのに、ジョバンニが「窓がある」という表現をするから、星牙には窓が見えた。
自分たちは、舞台の上で演技をしている。
舞台演技だ。現実の人間の振る舞いよりも、大袈裟で不自然な演技だ。
なのに、ジョバンニは自然に思える。
視線も、空間の使い方も、声量も、舞台演技だ。
それなのに、舞台だということを忘れてしまいそうなほど、リアルなのだ。
ジョバンニが「カンパネルラ」と呼ぶ声を聞くたび、星牙の心がカンパネルラに染められていく。
――こんなのは、初めてだった。
【……食われる】
最初、星牙は、ジョバンニに恐怖した。
プライドみたいなのが「食われてたまるか、引っ張られるまま演技するのは癪だ」と反発した。
けれど、なぜだろう。
ジョバンニが嬉しそうで、無邪気で。
「僕たち、疎遠だったけど前みたいに楽しくやろうよ」という風に笑いかけるのを見ていたら、星牙は「自分みたいだ」と思ってしまった。
まるでジョバンニが自分で、ずっと会えなかった空譜ソラと話せて喜んでいるみたいに見えて、反発どころではなくなっていく。
目の前のジョバンニが、僕?
ならば、カンパネルラは空譜ソラなのだろうか?
「……ジョバンニ」
空譜ソラは、こんな風に友達に笑いかけるんだ。
「ああ、ソラっていい子だな」って思える柔らかさで、綺麗さで、笑うんだ。
そして、カンパネルラは思い出した。
僕は……死んだ。
溺れて、呼吸ができずに、死んだのだ。
カンパネルラは、「取り返しがつかないことになったな」と思った。
自分が死んだら、どうなってしまうだろう。
誰が、どのように思うだろう。
「お母さんは、僕を許してくださるだろうか」
ジョバンニは、何も言わなかった。
ジョバンニも母親のことを考えているからだ。
カンパネルラは、言葉を続けた。
「僕は、お母さんが本当に幸せになるなら、どんなことでもする。けれど……いったい、どんなことがお母さんのいちばんの幸せなんだろう」
お母さんは――お母さんは……。
カンパネルラの意識が、星牙の自我と混濁する。
『江良九足の甥だって血縁をアピールしたら、それだけで人気が出るんじゃない? 使える武器は使わなきゃ』
『僕、そーゆーの、いややねん』
火臣なにがしが、親父のおかげで話題になったり役をもらったりしてるのとか、不公平でずるっこく思えるねんな……。
「君のお母さんには、なんにもひどいこと、ないじゃないか」
一瞬の演技の揺らぎは、ジョバンニによって「ジョバンニの求めるカンパネルラ」へと引き戻された。
カンパネルラはジョバンニに返事をしなければいけない。
だって、友達との貴重な最後の語らいの時間なのだから。
そう――この旅は、生きているジョバンニと、天に召されるカンパネルラの旅だ。
生きている星牙と、死んでしまったソラの旅だ。
……きっと、葉室王司は「そういうお芝居を一緒にしよう」と星牙を誘ってくれている。
そうかあ。
僕がやりたかったのは、こういうのだ。
カンパネルラは、ソラの気持ちで心を打ち明けた。
「僕、わからない……。けれども、誰だって、本当にいいことをしたら一番幸せなんだよね。だから、お母さんは、僕を許してくださると思う」
心が定まった。
そう自覚したとき、車内が白く明るく変化する。
「カンパネルラ。外を見てごらんよ。きらきらしてる。それに、島があるよ」
「ジョバンニ。島の高いところを見て。真っ白な雪で作ったみたいな十字架が光ってる」
「本当だ。不思議だねえ」
二人で窓の外を見ていると、列車に新しい乗客がやってきた。
たくさん乗ってきた様子で、前の車両も後ろの車両も、賑やかだ。
「ハレルヤ、ハレルヤ」
彼らは全員、亡くなってしまった人たちだ。
列車に乗り込んで来た旅人たちは、黒い聖書を胸に当てたり、水晶の数珠をかけたり、指を組み合わせたりして、窓の外に見える真っ白な十字架に祈っている。
列車が進んで十字架から遠ざかると、旅人たちは静かになって席に着いた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『ジョバンニ/ 葉室王司』
劇が進んでいく。順調だ。
ジョバンニを演じる私は、手ごたえを感じていた。
当たり前のことだけど、演じるからには、舞台を成功させたい。よいものにするのだ。
「自分がいない方がやっぱりよかった」と芽衣ちゃんが気を悪くしないといいな、という気持ちはあるけれど……。
「カンパネルラ。さっきまで話していた人、いつの間にかいなくなっちゃったね」
ジョバンニな私は、首をかしげた。カンパネルラは、話しやすくてとても落ち着く。
理想の友達って感じだよ。
「どこへ行ったのだろう。どこでまた、会うのだろう。僕は、どうして、もう少し、あの人とちゃんと話さなかったのだろう」
「カンパネルラ。僕も、そう思っているよ」
「ジョバンニ。僕は、あの人が邪魔だなと思ったんだ。だから、……つらい」
カンパネルラは、善良だ。いいやつだ。
江良星牙は、私の理想のカンパネルラを演じてくれる。
イメージ通りで、とてもいい。
星牙がカンパネルラでよかった。
「ジョバンニ。リンゴのにおいがする」
「本当だね、カンパネルラ。野いばらの香りもするよ」
窓の外から漂う匂いを気にしていると、ひとり二役をする高槻大吾がしんじくんとルリちゃんを連れて登場した。
家庭教師のお兄さんと、教え子の『タダシ』と『かおる子』だ。
高槻大吾は、ザネリと全く別の人格をきちんと演じ分けていた。
佇まい、所作、表情、声。
すべてが別人だと思わせてくれる、丁寧な表現だ。
「ああ、僕たちは空へ来たんだ」
家庭教師は、独り言のように言ってから、無理に笑った。
額に深くしわを刻みながら作った笑顔は、「品行方正で、美しく、立派であろう」という心が伝わってくる。
「私たちは、天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは、天上のしるしです。私たちは、神様に召されているのです」
「僕」という一人称が、「私」に変わる。
教え子の子供たちが一緒だから、自分に「自分は、子供たちが安心して付いていける先生として振る舞おう」と言い聞かせているのだ。
「いいですか。これは、喜ばしいことなのですよ」
本当にそう思っているかどうかは、作り笑顔の演技で表現されている。
「高槻大吾が家庭教師の演技で笑顔を作っている」ではなく「家庭教師が作り笑顔をしている」と伝わるのが、上手い。
ルリちゃんとしんじくんは、ハンカチを目に当てて泣いている。
可愛らしく、子供らしい演技だ。
「年配者、子供、動物」……そういったカテゴリーの役は、大衆の心を特に動かしやすいと言われている。
その説を証明するように、観客は、子供2人が泣いている姿に強く惹き付けられていた。
祈る集団。
子供たちの様子。
それらは、少しずつ「この集団が意味するものは、もしかして」とジョバンニや観客に真実の形を見せてくる。
あれ? 乗客って、もしかして死んだ人たちなのかな?
あの人も、この人も?
では、この列車って死者があの世に行く旅をする列車なのだろうか?
原作を知らない初見の観客も、そんな真実に気付き始めた様子で、腕をさすったりしている。
「わかると怖い」ってやつだ。
ジョバンニは、観客が問いかけたい言葉を問いかけた。
「あなた方は、どちらから……いらっしゃったのですか。どうなさったのですか」
「氷山にぶつかって、船が沈みましてね……」
ほうら、どうやら、この人たち、溺死してしまったみたいだぞ。
その話す内容から、「この人たちはタイタニック号が沈没する際に救命ボートに乗ることができず、死んでしまった人たちなのだ」とわかってくる。
「もう、なんにも悲しいことはないのです。私たちは、こんなにいいところを旅して、じきに神様のところへ行くのです。そこは、本当に明るくて、かぐわしい香りがして、立派な人たちでいっぱいです……」
家庭教師が子供たちに言うのは、慰めだ。
「死にたくなかったですね。悲しいですね。つらいですね」なんて言っても、どうにもならなくて、救われない。
「いいことなのですよ。これから幸せになれますよ」と言い、信仰に縋ることで、子供たちの心を慰め、励ましているのだ。
家庭教師は作り笑顔をしていて、笑いながらも眉間にしわを寄せていて、時折、子供たちの目を盗んでつらそうにする。
彼は子供たちを思いやり、天への旅で立派な保護者であろうと心がけているが、ひとりの青年でもあった。
本当は悩んだり苦しんだりしていて、悲鳴を上げかけては堪えている。
嘆く代わりに、子供たちを励ましている。
高槻大吾はそんな人格を表現して、「観客のみなさん。家庭教師は、このような人物なのです。魅力的なのです。そう思いませんか!」と観客の心に役を刻みつけている。
彼は自己主張の激しい役者だ。堂々としていて、清々しい。
気を抜くと「僕が主役ですが?」と舞台を持って行きそうなので、共演していて楽しい。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『カンパネルラ/ 江良星牙』
ジョバンニの心の声が響いている。
「どうして、僕は、こんなに悲しいのだろう……」
その言葉に、星牙は空譜ソラを思い出した。
ソラも、つらかったり悲しかったりしていたのだろう。
「ソラってほんま、いい子やなぁ」と言ったとき、彼女は「違うよ」「演じてるんだ」と教えてくれた。
いい子を演じていた彼女は、あのとき、最後に本当の自分を教えてくれた――自分をわかってほしかったんだ。
ジョバンニは、寂しそうに呟いた。
「どこまでもどこまでも、ぼくといっしょに行く人は、いないだろうか」
――そんな人がいないことに気づいたから、そんなことを言っているのだ。
原作を読んだとき、星牙は「かおる子とカンパネルラが仲良く話しているものだから、ジョバンニは、カンパネルラが取られたような気分になって面白くないんやな!」と解釈していた。
「はーん。嫉妬やな~! ガキくさ!」と思ったものだ。
しかし、葉室王司の演技を目の前で見ていると、星牙は切ない気持ちになった。
かおる子もカンパネルラも、死んでいる。
ジョバンニは死んでいなくて、お別れの旅ですら、カンパネルラを独占できない。
切ないやんか?
【ソラは、僕と一緒に生きてくれなかったなあ】
寂しいな。
言葉で心を伝えても、他人の心はつかみにくくて、すぐにわからなかったりするんやな。
そうして、「わからんなー」「わかってもらえんなー」って距離の遠さを感じながら、僕たちは「自分と他人は別の人生を歩んでいて、近くにいてもどーしようもなく遠いんや。他人は思い通りにならないから他人なんや。自分のこともわかってもらえるなんて、思い上がりすぎやな。そんなん、無理ゲーすぎる」と悲しくなるねんな。
僕たち、仲が良くても、離れ離れや。
違う命で、脳みそも心も違ってて、死ぬ時期もばらばらや。
みんなみんな、たまたま今という時間をちょっとだけニアミスしてるだけの――お互い孤独な、他人様やな。
【なあ、ソラ。僕、好きやってん】
劇が進んでいく。
別れの時間は、近づいてくる。
「カンパネルラ、僕はもう、あのサソリのように、みんなの幸せのためならば、体なんか、百回焼いてもかまわない」
「うん。僕だって、そうだ」
ソラは、他人のためになることをする自分が好きだったように思う。
いい子な自分でいることが、彼女にとっては価値のあることだった。
立派なことだ、と思う。
「自分は他人のためになることをしたい」と言う女の子に、「いいね」と言わない人は、いないだろう。
優等生だ。模範生だ――すごく。
「けれども、本当の幸せは、いったいなんだろう」
カンパネルラの星牙は、泣きたくなった。
なんとなくで生きていくのは簡単だ。
でも、そうしているうちに、なんだか「これ、どう考えて、どう処理したらいいのだろう?」と思うことに大量に出くわしてしまう。
それを見逃して、つかみ損ねて、「今のなし。拾いたい」と思っても、道を戻ることができない。
「ちょっと待って。長考させて」と立ち止まることも、できない。
全て、容赦なく、流れていく。
そんな時間の流れに流されて、人生を先へ、先へと進んでいく。
ああ、ジョバンニが「ソラがこの後も一緒にいるんだ」と思いたい星牙に重なる。
ジョバンニは、言うのだ。
「カンパネルラ。僕はもう、あんな大きな暗い穴の中だって怖くない。きっと、みんなの本当の幸せを探しに行く。どこまでも、僕たち、一緒に進んで行こう」
ソラは――カンパネルラは、「いいや。お別れだよ」とは返事をしない。
いい子の笑顔で、近いのに遠い心で、返事をするのだ。
「……ああ、きっと行くよ」
窓の外を見る。
その視線で、観客に視界を共有して見せてあげるように。
「あそこの野原は、なんて綺麗なんだろう。みんなが集まっているね。あそこが本当の天上なんだ。あっ……あそこにいるの、僕のお母さんだよ」
演出スタッフの腕の見せ所だ。
照明が調整され、自然に暗くなっていく。
そして、カンパネルラの視界を鮮やかに映して、次はジョバンニの視界に移行する。
カンパネルラには「なんて綺麗なんだろう」という景色が見える。
しかし、ジョバンニの見る景色は、ぼんやり白く煙っているのだ。
「カンパネルラ? 僕には、君の言う景色が見えないよ……」
寂しい。
後ろ髪を引かれるように感じられる。
――ソラも、こんな気分だったのかな。
「カンパネルラ。僕たち、一緒に行こうね」
ジョバンニは、カンパネルラが今までと変わらずに自分のそばにいると思って話しかける。
しかし、振り返ると、カンパネルラはいなくなっていた。
列車の中には、もはやジョバンニしかいない。
それに気付いて、ジョバンニは窓の外に体を乗り出した。
「うああああああ……!」
舞台が暗く、暗くなっていく。
真っ暗な中、ジョバンニの泣き叫ぶ声が悲痛に響いている。
――僕が泣いてる。
ソラは、消えた。
こんな風にして、僕から去って行ったんや。
「……っ」
星牙は舞台袖で座り込み、頭を抱え込んだ。
自分の泣き声が聞こえて、涙があふれて、とまらなくなる。
僕の心が、形になった。
僕の心が、表現された。
葉室王司が、手伝ってくれたのだ。
ソラ。僕な、好きやってん。
そばにいたくて、ずっと一緒にいられると思っていて、君がいなくなって、悲しいねん。
切なく美しい音楽が舞台を演出して、シーンは現実へと移り変わる。
ジョバンニは現実世界に帰り、星空の下、丘を走っていく。
お母さんのことを思い出し、牛乳のびんをもらいにいき、受け取って――なんだか騒ぎが起きていることに気付く。
「子供が水へ落ちたんですよ」
「ザネリが船から川に落ちたんだ。そうしたら、カンパネルラが飛び込んで、助けたんだ……」
「もう、だめです。落ちてから45分、経ちましたから」
カンパネルラのお父さんが、息子の生存が絶望的だと言っている。
「あなたは、ジョバンニさんでしたね。あなたのお父さんは、もうお家に帰っていますか?」
「いいえ」
「一昨日、彼から大変元気な手紙があったんですよ。今日あたり、もう着く頃なんだが」
カンパネルラのお父さんは、川をじっと見つめている。
その姿に背を向けて、ジョバンニは一歩を踏み出した。
「……僕、帰らないと」
ジョバンニは顔を上げ、母親に届ける牛乳びんと、父親の帰還の情報を胸に、家へと向かって走り出した。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「星牙、どうした? 大丈夫か?」
座り込んで泣いている星牙を、チームメンバーや座長が心配してくれている。
――ああ、僕も、立ち上がらな。
「……ん。平気。ぼく、いい演技ができたやろ」
星牙は涙を拭き、仲間たちに笑顔を見せて、立ち上がった。
「……葉室王司のおかげでな……」
観客は、幕が下りてからもしばらくの間、拍手をし続けていた。
三日目の【西】チームの舞台は、こうして成功した。
座長にしがみつくようにして最後まで見届けた演劇初心者の緑石芽衣は観客と一緒に一生懸命拍手をして、泣き笑いみたいな顔をしていた。
星牙はその姿に「きっとみんなの手前、気丈に振る舞っているけれど、この子もつらいやろうな」と思うのだった。




