13、どちらかしか選べない仕事
アリサちゃんに教えてもらった話によると、学校内では家柄や本人の能力や容姿によるヒエラルキーがあるらしい。人が集まると自然と派閥が生まれたり力関係ができていくよね。学校は社会の縮図だ……。
大企業グループの御曹司である二俣夜輝は、学校で一番の有力者。
円城寺誉は、何世代も続く政治家一族の令息で、二俣の幼馴染・親友でもあるナンバーツー。
では葉室王司は? と確認すると――言いにくそうに教えてくれた。
「王司ちゃんは……とうとい血筋で、おじいさまも凄いけど……お母様は未婚のシングルマザーでしょう。それも、その……無理やり、とか、問題になったって言うじゃない……?」
あー、ママの評判が悪いんだ。
それに加えて王司自身の態度や成績がふるわなかったので、軽んじられていたんだな。
「気分を悪くするようなこと言っちゃったかな? ごめんね……?」
「質問したのはこっちだから。教えてくれてありがとう、アリサちゃん」
気を使いながらも教えにくい真実を教えてくれるアリサちゃんは、いい友達だ。大切にしよう。
終業のベルが鳴る。
学校が終わって帰る時間になると、迎えの車が続々と校門に来る。
「アリサちゃんは歩いて帰るの?」
「うん。うち、近くだし」
「送っていくよ?」
車に乗せて家の前で降ろすと、アリサちゃんは元気いっぱいに手を振った。
「王司ちゃんの執事さんってかっこいいよね。いいな~、またね」
「かっこいいというか面白いタイプだと思う……またね」
セバスチャンを見ると、満更でもなさそうな顔をしていた。
褒められるのは嬉しいよな、わかるよ。
「お嬢様。このアトは、ママ様とスタープロモーション前で待ち合わせ。帰りはママ様と別の車ナリマス」
「うん。わかったよ。ちなみに、ゲームはどうだった?」
「泣きマシタ。アトデ実況動画アップシマス」
「実況者だったんだ……」
「これからナリマス」
芸能事務所・スタープロモーションに到着すると、ママがいた。
発売されたばかりらしい週刊誌を持っている。
「ママ、おつかれさまです」
「セーラー服は野暮ったいわね」
「えっ」
朝言われていた通り、ママは疲れているのかもしれない。
不愛想というか、冷たい。
渡された週刊誌のページを見ると『100年に1度の天才シンデレラガール誕生の予感!? かつてやらかした令嬢、毒親化していた――14年間の虐げられた日々……』と言う記事があるから、そのせいかもしれない。
熟読する暇はないけど、間違いなくママのことを悪く書いている。これは気まずい。
「時間が惜しいわ。行きましょう」
「あっ、はい」
スーツ姿のママの隣に行くと、ふわっと甘めの香水の匂いがした。ジルスチュアートのオードトワレ?
前は違う香りだったけど、香水で気分を切り替えたりするタイプなのかな?
スタープロモーションは、大きな事務所だ。
大手から分裂・独立して新事務所が設立されたりしてきた結果、現在、日本国内には二千以上の芸能事務所がある。
その中で有名タレントが所属していて経営もうまくいっている事務所は上位5%、数十社にも満たない。
その中の序列一桁にギリギリ入り込む業界9番手が、この事務所だ。
レッスンが充実していて、水着になる仕事などは、所属タレント側の意見を尊重する方向性。
演技方面をメインに幅広い年齢の役者、アイドル、クリエイターを抱えている。
地方支社などを含めると数千人規模だ。
仕事案件毎に書類選考やオーディションがあり、事務所内のライバルのレベルがかなり高い。
「この子は応募しても合格の目が薄い」と事務所に判断されるとオーディションに応募すらできない。
スカウトは特別じゃないので、特別扱いはない。
つまり――所属してレッスンを受けることはできるが、そのあと実力をしっかりつけないと、埋もれる。
仕事できるようになるまでが厳しい。
あと、この事務所は最近、稼ぎ頭と言えるエースのひとり、国民的俳優の江良九足を亡くしたばかり。
江良九足のデビューは10代後半で深夜ドラマだった。「逆から読んだらクソクラエ」って名前のセンスで一度話題になったんだよね。
ネーミングセンスの悪さで話題になったけど、そのおかげで注目されて演技を見てもらえたんだから俺のネーミングセンス大勝利では?
デビュー翌年は、朝ドラマで初主演を果たし、『国民の初恋』と呼ばれた。その勢いのまま、映画にも出演。
翌年は大河ドラマに出演し、ゴールデンタイムドラマでも初主演を果たした。
さらに翌年は初舞台と初主演映画が公開される。この頃には『視聴率のプリンス』『国民の彼氏』の異名で呼ばれるようになった。
以降、途切れることなくドラマや映画に出演し続けて、日本アカデミー賞優秀主演男優賞や助演男優賞を数回受賞している。「出過ぎてまたお前か、って気になる」と言われるほど仕事をした。
特に、作家兼映画監督の八町 大気に気に入られていて、当て書き(演劇や映画などで、その役を演じる俳優をあらかじめ決めておいてから脚本を書くこと)で小説を書かれるほど。
――八町は子どものころからの親友なんだ。あいつは天才で、親友のコネクションのおかげで江良の俳優人生は順風満帆だった。ありがたい。
女性向け雑誌社が定期的に発表する「〇〇な芸能人ランキング」でも人気を証明し続け、国内外で彼を知らない者がいないほどの一世を風靡した人材になり……そして突然の死……。はぁ……。
振り返ると他人のように思えるのが、ふしぎである。
この体に魂が順応しつつあるのかもしれない。
「葉室様でございますね。応接間にお通しいたします」
勝手知った事務所だけど、初めてのふりをして案内についていくと、応接間に通された。
出された煎茶が香り高くて美味しい。
契約の案内をするのは、生配信中に大胆スカウトをしてくれた新人スカウトマンの樋口さんだ。
そして、おそらくママを警戒気味と思われる代表取締役の田川社長もいた。
田川社長は何社か大手プロダクションを渡り歩いた末に「理想の会社は自分で作る!」と言って企業した人物だ。
年齢は初老で、「じいじと呼んでくれてもいいよ」なんて愛想よく笑ってくれているが、若い頃は「理想に向けて突っ走る!」ってタイプの性格だったらしい。
人柄はいい。
所属している子のことをよく考えてくれていて、特に「問題を抱えている子」に誠実に向き合うひとだ。
がんばっていれば目をかけてくれるし、労わってもくれる。
悪いことはするなよ、と叱ってくれる。
売上のために無理させたりもしない。
契約内容は特に問題なく、ママは大人しく説明を聞いて右手でペンを執り、契約書の保護者欄にサインしてくれた。
「ほら、王司も書きなさい」
「はい」
本人が書く欄にサラサラと名前を書くと、田川社長は目を細めた。
「江良君に字が似てるよ。この時期に君みたいな子と出会えたのは、きっと彼が事務所のためを思って引き合わせてくれたのかもしれないね……」
田川社長の目が潤んでいるのを見て、不覚にも泣きそうになってしまった。
「あ、あの。お葬式をするなら……花を捧げたいです」
「うん。出席するといいよ。彼と親しかった人や関係があった人も呼ぶから、みんなで送ろう。彼、家族はいなかったから……事務所のみんなが家族だよ」
「……」
そういえば、おばあちゃんのお葬式もある。田中君のも?
なんだか、葬式ラッシュな世の中だ。
しんみりしていると、田川社長は「歳を取ると涙腺が弱くなっていけないね」とハンカチで目元を拭い、微笑んだ。
「王司ちゃん。人生は悲しかったり辛いときもいっぱいあるけど、そんなときにタレントは心に寄り添ったり、気持ちを代弁したり、気を紛らわせて癒したり元気づけたりできるんだ。お金を稼がないとご飯が食べられないから会社はお金稼ぎを重視する側面もあるけど、あったかい部分も忘れないでね」
はい、と頷く声は、我ながら心が籠っていたと思う。
初心忘れるべからずという言葉があるけど、この業界は入ったときの気持ちを保ち続けるのが難しい。
傲慢になったり、堕落したり、病んでしまったり。
いかんせん、心がやられやすい――拗らせやすい仕事なのだ。
樋口さんはそんな空気の中、嬉しい知らせをくれた。
「実はもうオファーも来てるんですよ。2つもです! なかなかないことですよコレ、すごいなぁ。ドラマとバラエティで、どちらも同じ曜日と時間帯なのでどちらかしか選べませんけどね」
驚いたことに、オファーがあるらしい。
あの配信や、出たばかりの週刊誌が好感度を上げたのだとか。
TV番組に出演するときには業界の暗黙の了解があって、同じ時間帯の他TV局の裏番組に同時出演ができない。
そのタレントのファンが分散して、視聴率が落ちてしまう可能性がある。そして、その可能性を嫌がるスポンサーがいるからだ。
業界用語で「裏かぶり」と言う。タブーだ。
新人の身分でやらかすと、たぶん干される。
なので、せっかく2つ来たありがたいオファーはどちらかしか選べない。
「王司ちゃんがやりたいお仕事を選んでいいよ。じいじは応援するから、のびのびと挑戦してみなさい。失敗しても、いい経験になる」
普通に考えればドラマだ。迷う余地がない。
ただ、バラエティの方に「共演者、伊香瀬ノコ(確定)」ってあるんだよ。
これ絶対、生配信で「ノコさんの歌が好きです」って言ったからだよな。
彼女のことはすごく気になる。
だって、刺された後のことを知ってるはずだし。
しかし、ドラマもすごく美味しい話すぎて、チャンスを逃したくない……!
「ど、ど、ドラ、ドラ……う、ううん。うーん……」
ぐぬぬ、と迷っている隣で、ママと田川社長は真剣な顔で「葉室王司の売り方」の話をしていた。
「お母様にとってはご不快かもしれませんが、大衆は可哀想な境遇のシンデレラガールが好きなんですよ。この記事はよくわかってる……追い風になる記事なので、もみ消さずに発売してもらいました」
「……ふん。あたくしが悪役になって王司が売れるなら、お好きになされば? 児童相談所が踏み込んできたら困りますけど」
「そのあたりは弊社が手をまわしておきますので。あくまで営業上のイメージ戦略ということで」
ママは我が子の引き立て役、悪役になるというのだろうか。
それ、大丈夫なんだろうか……?