129、ドシリアスな謝罪の流れで大喜利を始めないで
見世物状態の八町大気は、すぐに私たちに気が付いたようで、スマホでメッセージを送ってきた。
「八町先生がスマホを見ていらっしゃるわ」
「何を見ているのかしら~」
「きっと秘書さんや編集さんとやり取りしていらっしゃるのだわ」
ご婦人方がはしゃいでいる。
みなさん、八町先生は私とLINEしてます。
八町大気:江良君、余裕だね?
八町大気:午後の準備はいいの?
葉室王司:そろそろ戻るよ
葉室王司:そうだ、情報共有しといてあげる
葉室王司:さっき八町が火臣打犬に火臣家の親子関係について話していただろ
葉室王司:私は恭彦に「君のお父さんは演技してないよ」って言ってわかってもらったよ
八町大気:なんでそんなことを?
「なんで」とは……?
「きゃあ、八町先生が出ていらしたわ」
お客さんの声が聞こえて顔をあげると、八町が透明ブースから出てくるところだった。
柔和な笑顔でお客さんに手を振り、八町は私たちが座るソファに向かってきた。
そして、恭彦と私の変装用眼鏡を順番に外し、自分が中央になるよう位置取って初耳すぎることを言い出した。
「みなさん、ご紹介します。僕の愛する『八町組』の役者たちです」
八町組? 前にも聞いた名前だな。
お客さんたちが「あ、あの変態二世兄妹」と囁いている。
うん、その覚え方、やめて。
「今までご心配をおかけしましたが、僕は気分を新たに作品制作に取り組んでまいりますので、どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます」
拍手が湧く中を、八町は私と恭彦の肩を抱いて写真撮影に応じた。
そして、「では、役者たちを部屋に送るので」と挨拶して私と恭彦を部屋の外へ連れて出た。
「江良く……、王司さん。演劇祭も三日目ともなると気も緩んでしまいがちだけど、そろそろリハーサルの時間だよね。【西】のメンバーのところに戻ったらどうかな?」
「そうします。ちなみに、八町組っていうグループについて私は初耳なんですけど? 八町先生が主催するお勉強会みたいなグループって認識でいいんでしょうか?」
「ふふっ。江良組でもいいんだけど、どっちがいいかな」
そのお返事、内容についての返事になってないよ、八町。
江良組はもう私が脳内で作ってるよ。
しかし、「脳内で勝手に江良組作ってる」なんて言うのも恥ずかしい気がするな。
私が躊躇していると、八町は恭彦に視線を移した。
「あと、恭彦君。正気に戻った様子だから改めて伝えるのだけど、君の奔放すぎる舞台演技は、うけているんだけど、他の役者への負担が大きいし、嫌がられてしまう恐れがあるかもしれないよ。『舞台は役者のもの』とはよく言うが、あまり無軌道すぎると台本や稽古をした意味がなくなってしまうし、共演NGされて舞台のお仕事に呼ばれなくなるリスクもある……」
「……み、皆さんに謝ります」
「いやいや、君の演技はとても刺激的で、人気ではあるんだ。僕もブレーキをかけなかったので、謝る必要はないのだよ、恭彦君。けれど、せっかく何日もある演劇祭だから、明日は稽古通りにしてみようか?」
「む……、がんばります」
言ってることは、まともだ。
見た感じ、信頼関係もできている様子――ここでライバルチームの新人役者に過ぎない私が口を挟むのも変かな。
「それでは八町先生、恭彦お兄さん。あと、トド。私はチームに戻ります」
八町は人前だとちょっと他人行儀で事務的だよな。
馴れ馴れしくしてもロリコン疑惑湧いちゃうからだろうけど。
私は別れを告げ、【西】チームに戻った。
部屋に入って少しすると、ミーティングが始まった。
「大切なお話があります」
猫屋敷座長は、着ぐるみ姿で頭を下げた。
しかも、隣にいる芽衣ちゃんも頭を下げている。
あれー? どうした?
「実は、今まで私情を挟んでしまっていました。この子、ボクの実の娘でして……離婚して親権を失って、面会もままならなかった子で。嬉しくて、つい甘々になってしまって……」
座長は、なんとこのタイミングで【西】チームのメンバーに複雑で重い家庭の事情を打ち明けた。
娘である芽衣ちゃんは、私に言ったのと同じように「自分が明らかにひとりだけ下手すぎて、お客さんからも不評で、足を引っ張っている」と言って謝った。
「私、もともと、パパに会いに来ただけで、お芝居に興味がなかった。皆さんは人生をかけて頑張ってるけど、私はそうじゃない。大切な舞台の機会を台無しにしてしまって、ごめんなさい」
【西】のメンバーが絶句する中、猫屋敷座長は土下座して「なんとか今日はジョバンニ一人でやってくれ」と頼み込んできた。
「今日は」ということは、私が最初に提案したように、今日一日お休みするのだろうか。
「い、いいです、いいですよ、座長。土下座なんてしないでください。私、できますから」
メンタルは体調に引きずられることもある。
芽衣ちゃんは体調も悪いのだし、初舞台で大変な思いをして疲労困憊なところにアンチコメントをもらったのだ。
まだ12歳だもの――「無理して舞台に立て」とか言わないよ。
「これはなあー、座長が悪いなあ」
「こら、星牙」
星牙は遠慮がなかったが、明るい声で笑っていた。
「けど、ぼくも迷惑はかけてるから、お互い様やなあ」
すると、車いすの新川友大が「自分も稽古中はリモート参加でしたし、本番も車いすで舞台に上がらせてもらっていて迷惑をかけています」と謝り、さくらお姉さんは「黙ってたけど最近彼氏ができて幸せでごめん」などと謝った。
TAKU1さんはさくらお姉さんに対抗するように「実は昨夜、夢の中でアイドルとデートして幸せ」と言い出し、兵頭さんは「それならこっちは現実世界で推しのお天気お姉さんとデートしてみせるわ」と言う。
ルリちゃんとしんじくんは「ぼくたち、わたしたち、付き合い始めました!」という可愛らしいカップル爆誕を告白してみんなをびっくりさせ、高槻大吾は「僕が格好良くて完璧な美男子ですみません」と謝った。
この流れはなんだ。大喜利?
ドシリアスな謝罪の流れで大喜利を始めないで。
私もこの流れに乗らないといけないのか。
結婚記者会見でするみたいに指輪を見せて「ファミリーリングです。えへへ。家族がいて幸せです」とか言う?
いやー、それはちょっとな。
あ、ミーコを見せるか。
「えっと、これ、うちのミーコです。今朝、野良猫と窓越しにお話してました」
飼い猫ミーコの動画を見せると、星牙が「彼氏やな! 去勢せな、交尾して赤ちゃんいっぱい生まれるで」と警告してきた。
生々しいことを言わないでほしい。同性の友達かもしれないだろ!
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『演劇祭三日目・午後・銀河鉄道の夜』
舞台が幕を開ける。
私はたったひとりのジョバンニ役として舞台に立つことになった。
ではザネリはどうするのかというと、高槻大吾が名乗りを上げてくれた。
「妹のアリサが【東】チームで目立っているなら、僕はもっと目立たないといけませんから」
妹へのライバル心を見せるので、驚いた。
芽衣ちゃんは私たちに深々と頭を下げて、申し訳なさそうに何度も謝った。
『葉室王司先輩がひとりジョバンニで舞台に登った方が、チームのためにいいと思うんです。演劇は完成度が上がって、お客さんも喜ぶ……』
舞台袖では、【西】チームのトラブルを報告されてやってきた八町が猫屋敷座長と一緒に見守っている。
座長も悪い人じゃないんだけど、今回はちょっと残念だったな。
火臣打犬といい、家族が絡むと調子を崩す人は多いんだ。
そう考えると、家族がいなかった江良って実は悪いことばかりでもなかったんだな、……なんて。
――あれこれ考えてしまうけど、ひとまず目の前の舞台に集中しよう。
幕が開けると、観客が「あれ?」という顔をしている。
初見客にせよ、リピーター客にせよ、「この劇のジョバンニは二人だ」と知った上で観に来ているからだ。
芽衣ちゃんを応援しにきたファンは、きっとガッカリするんだろうな。
芽衣ちゃんがへたくそなのを見て叩いていたアンチは喜ぶのだろうか?
……怒りが湧く。
こっちは股から血を垂れ流しながら頑張ってきたんだ。
……この気持ちは、私と芽衣ちゃんにしかわからないだろう。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【火臣恭彦視点】
――父が演技ではなく、俺を溺愛している、だって。
関係者席で【西】チームの開演時間を待ちながら、火臣恭彦は困っていた。
俺の心1「嬉しい。自分は愛されたかったんだ。ぱぱだいちゅき。おれのでちゅ」
俺の心2「いや、待て。たまに感じる『今、俺は親父に欲情されているのでは』が演技ではなくてマジなことになる。やばいだろ」
俺の心1「やばくないでちゅ。ばぶばぶ」
俺の心2「ワ、ワ、ワ……」
――自分の心がふたつあるってコト?
さては、俺はちいかわの世界の住人だったか。ハチワレ?
「つらい。親父、俺は死のうと思う」
あまりにも自分がしんどい。
自分とは恥ずかしい生き物であると常々思っていたが、ここまでとは。
「ど、どうした恭彦……? お前、ただ座っているだけで、なぜ死にたくなってしまったんだ? 強く生きろ。パパがついてる……」
悩ましい溜息をついていると、隣に座っている父は腕を伸ばして肩を抱いてくるではないか。
親父、やめろ。
周囲の観客が――二人組のきれいなお姉さんたちが「ねえ、あれって火臣父子だよね」「普通にあの距離感なんだ。やば」とか言ってるだろ。
お姉さんたち、びっくりだろ。
この距離感が普通だよ。いつもべたべたしてるよ俺たちは。
文句あるか。俺はある。
「親父、暑苦しい。あと、見られてる」
「恭彦はシャイだな。まあ、そうだな。年頃だからな。ちなみに、お前の好みのお姉さんはどっちの子だ? おっ、ほら、始まったぞ」
どっちかと言えば右のお姉さんかな……そんなことを考えている間に、幕が上がる。
本日は三日目になるが、恭彦は初日と二日目を役に深く没入した状態で過ごしていた。
その間の自意識は曖昧で、記憶は薄っすら、ぼんやりとしている。
意識がはっきりとした状態でライバルチームの舞台を観るのは、これが初めてだ。
【西】チームの演劇が始まって観客の前に姿を現したのは、ジョバンニだ。
妹、葉室王司は、なぜだか、観客に向けた怒りを抱えているように見えた。
抑えきれないほど膨らんだ感情が、全身から溢れているように感じられた。
他の登場人物と会話するジョバンニは、緑石芽衣が演じていたはず。
葉室王司は黒い衣装を着ていて、ジョバンニにしか見えない「もうひとりの自分」を演じていたはずだった。
でも、今はひとりだ。
そして、その眼差しには鬱屈とした仄暗い負の感情と、自分を取り巻く環境への怒りが宿っている。
【……この観客全員の心を、私の演技で屈服させてやる】
そんな心の声が聞こえたように思えて、 恭彦はぞくりと背筋を震わせた。
「…………江良っぽい演技だな……」
隣に座っている父親が、小声を漏らす。
ハッとして横顔を見ると、父は自宅で何度も見た顔になっていた。
敬愛する俳優、江良九足の出演するドラマや映画を飽きずに何度も再生して、「これが江良だ」「この演技がいいんだ」と夢中になる父だ。
恭彦は、幼い頃からこんな父の背中や横顔を見てきたことを思い出した。
父の袖をつまもうと手を伸ばして、「今、江良がいいところなんだ。邪魔するな」と言われることを恐れてひっこめたことを思い出した。
……こいつは、子供の頃は俺を自分の子じゃないと疑っていて、置き去りにしたりもしていて、俺はずっと「愛されてない」「自分の出来が悪いからだ」と思ってたんだ。それが、それが……いまさら、愛しているだって?
思えば、あんまりではないか。
そして、「愛している」と言っておいて、より大きくて熱い愛を葉室王司に向けている。
――やっぱり、葉室王司は俺の上を行くんだ。
彼女の演技は、俺よりも江良っぽく「怒ってる」。
江良に似てる――悔しいな。
俺はやっぱり、妹に敵わないんだ。
気付けば、目が熱くなっていた。
敗北感で泣きそうになっているのだ――自分で自分の情けなさに驚いた。
なんて心が弱いのか。
なんてみっともないのか。
ここで泣いてたまるものか――ぐっと奥歯を噛みしめて落涙を堪えていると、隣で父が洟をすすった。
――あ?
「ふう。俺の娘が大舞台でがんばってりゅ……ずびっ、パパ、見てるよ王司ちゃん。お兄ちゃんもいるぞお」
な……泣いちゃった。
父が、恥じらいもなく泣いちゃった。
開始3分でティッシュに手を伸ばし、ずびずびと洟をすすって他の観客に「うわあ……」と驚愕されている。
――あ……、あぶねえ。
父子で泣いてドン引きされるところだった。
「お、お、親父……他のお客さんの迷惑になってる」
「ずびっ、……ぐすっ。ほら、恭彦も言いなさい」
「……なにを?」
「お兄ちゃんが見てるぞって。小声でいいから。大事な儀式だぞ」
「なんだその儀式。きも……」
父の痴態のショックで涙が引っ込んでよかった。
――それにしても、葉室さんはどうしてあんなに怒っているのだろう。
もうひとりのジョバンニ役もいない。
トラブルがあったのだろうと思われる。
――俺は、トラブルで大変な本番中の妹に嫉妬したのか。情けない兄貴だな。
応援しよう。
彼女は、俺の舞台を観てくれていたじゃないか。
役に溺れていた時の記憶では、妹は心配そうに観てくれていた。
さっきだって、俺がひとりで思い違いをして拗らせているのを見かねて、一生懸命「ちゃんと愛されてるよ」と教えてくれたんだ。
優しくて家族想いの、いい子なんだ……。
でも、「お兄ちゃんが見てるぞ」はハードルが高いな。恥ずかしくね?
そんなセリフを言う自分を想像しただけで、俺は100回恥ずか死ぬ。無理だ。
すまない葉室さん。
俺は「お兄ちゃんが見てるぞ」の儀式はできないが、嫉妬にまみれてハンカチを嚙みながら君の舞台を応援します。
兄なので。




