128、【重大ニュース】俺、娘に好かれてる
『次は国民の父を目指しましょう』
いつか、江良のマネージャーがそう言ったことがあった。
微妙な年頃だった江良は……傷ついた。
匿名系の呟き場所で「劣化した」「老いた」「しょぼくなった」と叩かれることが多くなっていて、恋愛ドラマや映画に出演すると「おじさんじゃん」と言われたりもしていたから、年齢を気にしてたんだ。
江良は大人になりきれないところがあった。
『太陽と鳥』を読んで家族に夢を見ていて、けれど家族のイメージをする時の自分は子供で、お父さんではなかった。
夢の中の江良には子供はいなくて、両親がいた。
彼氏から旦那へ。旦那から父親へ……。
歳を取ったんだ。自分は人生のステージを進んでいくんだ。
でも、江良は飢えていた。
親という存在に。
無条件に愛情を注いで守ってくれる、自分の絶対的な味方である家族に、飢えていた。
「……子供でいられる時間は、短いよ」
「葉室さん?」
「お兄さんは、思い込みが激しすぎるところがあると思うんです」
「急に……なんですか? 父のことなら、人間性の問題を帳消しにできるぐらい実力があるって世間に評価されているんですよ」
火臣恭彦に言うと、彼は眉を寄せた。
うんうん、君からすると唐突だよね。
「お兄さんは、お父さんがいつも……『息子を愛する父親』のイメージ作りのために演技していると思っているんじゃないですか?」
確認するように言ってまっすぐに見上げると、兄は困惑気味に「それはそうですが?」と肯定する。
彼にとって、それは「当たり前」のことなんだ。
言って通じるのか――意見を対立させる時、考えるべき点はそこだと思う。
話が通じないタイプの相手は存在する。
そんな相手には、何を言っても時間と労力が無駄になるし、関係が悪化するだけだ。
このお兄さんは、会話ができるけれど、本人の「これが絶対」と思い込みを変化させるのが難しいタイプだと思う。
なので、言うだけ無駄な気がしてならないのだが……。
「恭彦お兄さん。あなたのお父さんは、息子の前で演技なんてしてないですよ。あいつ、演技していても、お兄さんが可愛いとすぐに集中が解けて崩れてしまうもの。変態なんだ。いや、ド変態なんだ。あと、変態性のクズでもあるよ」
このお兄さんの興味深いところは、「父親の演技が下手だ」と言われたらむっとするくせに、「変態でクズだ」と言われても怒りが湧いてないっぽいところだ。
スマホで検索すると、目的の動画はすぐ出てきた。
タイトルは『父親の演技が下手すぎる応募者たちに審査員が困惑』。
懐かしい、江良の黒歴史だ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『父親の演技が下手すぎる応募者たちに審査員が困惑』
バラエティ番組の「ドラマNGシーン集」の中でおまけとして流れたVTRだ。ドラマのNGシーンじゃないのに、なんか「江良さんの意外な一面が見れる貴重映像だから」と紹介されちゃったんだ。
父親役のオーディションだったんだよね。
江良はやりたくなかったんだ。でも、マネージャーに「役の幅を広げましょうよ」と言われて渋々行ったんだよ。
そして、そこに――当時の江良は全然気にしてなかった俳優、火臣打犬もいたんだ。
「この人形を赤ん坊に見立てて、父親として自由に振る舞ってください」
全員が一斉に演技をする課題だった。
アグリーベイビーズとかいう名前の赤ん坊の人形が人数分転がっていて、可愛いというよりは不気味だった。
江良は、その時とても嫌な気分だったのを覚えている。
当時は「どうしてこんなに気分が乗らないんだろう」と思ったものだ。
赤ん坊の人形を見下ろし、「これを可愛がりたいと思わないんだよなあ」と考えていた。
「とりあえず抱っこか。どこを持つんだ。うわ、なんか生々しい感触だぞ。重い」
江良が赤ん坊の人形を嫌そうに持ち上げたり置いたりしていると、すぐ隣にいた火臣打犬が赤ん坊に手を伸ばした。
抱き慣れているとひと目でわかる抱え方だ。しかし、彼は赤ん坊を憎むように睨んでいた。
「そうかそうか、この赤ん坊は、俺に似てるか。この鼻のあたりなんてそっくりか……どこがだよ。全然似てない。間男の面影の方があるんじゃないか? 気のせいか? 男より妻に似ているか」
いや、お前の父親はどんな設定なんだよ、とツッコミを入れつつ、江良は気が楽になった。
相手が自分より年上で、『父親の自分』が嫌そうに思えたからだ。
こいつ、子持ちだったはずだけど、嫌なんだ?
そうだよな、父親になれって言われても、なあ。
……そう思ったら、「これ以上は、いいや」と思えた。
「俺、考えてみたら子供なんて作った覚えなかったや。坊や、本物のお父さんにあやしてもらいな」
江良は「父親役なんて無理してやる必要ないや」と結論を下した。
やりたくなったらやる。でも、自分の心が拒絶反応を示すのだから、今はいい。
「……江良さん?」
「すみません、俺、帰ります。なんか、父親じゃなかったんで」
「えっ。それは、えーと……役が憑依しなかったという意味ですか?」
今になって見返すと、我ながらなかなか酷いオーディション応募者だ。
よく干されなかったな、俺。
江良は審査員にお辞儀して赤ん坊に背を向けると、火臣打犬が「では、俺も……じゃあな、間男の子……」と言うのが聞こえた。
やっぱり、やる気がなかったんだ。
仲間だな、よし、帰ろうぜ。そう思ってチラッと振り返った江良は、絶句した。
「おぎゃああ。おぎゃああ。ぱぱ、いなああい……」
火臣打犬が赤ん坊の泣きまねを始めているではないか。
何やってんだ?
赤ん坊から父親役に戻った打犬は、渋くコメントをした。
「赤ん坊は泣くんだ。こいつは弱いから、泣いて保護を求めているんだな。俺を父親だと思ってるんだ。可哀想になあ。お前のパパはいないんだぞ。……いないんだ」
謎すぎる、ド真剣な演技だった。
これは、今思えば――演技じゃなかったんだな。
彼と江良は、「他の演技は絶賛されてるのに、父親演技だけドヘタクソ」とネタにされた。
「男ってそんなもんですよ。父親より子供でいたいの」
「江良さんは受かる気があったんでしょうか? 何がしたかったの、彼」
「江良さんって憑依型の俳優と言われてますし、降りてこなかったんでしょうねえ、父親」
コメンテーターは好き勝手言って笑っていた。
正直、『父親より子供でいたい』は図星であった。
すまん。江良はパパよりベビベビしたかったの。よちよちするより、よちよちされたかったの――江良ファンが知ったら幻滅されること請け合いの本音であった。
バラエティでの映像使用許諾と使用料については事務所を通して事前に打診されていて、江良はOKしていた。
しかし、この映像が笑われていると知るとなんとも嫌な気分になり、見ないようにして黒歴史として記憶から抹消したのだった。
「くっ……、黒歴史、つらい」
「なぜ動画を見せた葉室さんがダメージを受けてるんです?」
「気にしないでくだしゃい……動画の内容の方を気にしてください」
私は黒歴史に心を抉られながら、次の動画を見せた。
「さあ、次はこの動画ですよ、お兄さん」
「俺は何に付き合わされているのでしょう……」
次に再生したのは、未だに「この動画、やばい」と再生&拡散され続けている火臣打犬の出産動画だ。
自分の黒歴史もメンタルに来るが、こっちもきつい。
まず、火臣打犬が息子にベビー服を着せて口に哺乳瓶突っ込んでる絵面が無理だ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『火臣打犬の出産動画』
「いっぱい飲んでえらいでちゅねえ」
「……はぁ、はぁ……」
「ぎ、ぎぶあっ……」
「うっ、陣痛が……恭彦。妹が生まれるぞ! 父さん、今から産んでくる」
「まじで?」
心を虚無にして映像を観ていると、隣で恭彦が逃げようとしている。
きついよな、自分の授乳プレイ動画。
しかも相手が父親だもんな。
この「でちゅね」しゃべりは、犯罪だろ。
でも、逃げないで。
私は恭彦の腕をがっしりとホールドして逃亡を阻止した。
「火臣さーん。一緒にがんばりましょうねー、さっさと終わりましょうねー」
「バブ……」
よし、ここで動画を止めよう。はあ、きっつい。
「ふう……お兄さん、メンタルは無事ですか? 解説タイムをしますよ」
「いっそ殺してください。しんどい」
「生きて。お兄さん、いいですか。この演技、普段の火臣打犬と比べると、ふざけてんのかってぐらい下手ですよ。しかも最後のバブって、完全に役が崩壊してるじゃないですか。妊婦じゃなくなってます」
「それは確かに」
おおっ、精神的にえぐいものを見せたのが効果的だったのか、思い込みの激しすぎる恭彦が良い反応を返してきたぞ。
いけるかもしれない。
「火臣打犬は、父親演技がドヘタでしたよ。ずーっと、他はできるのに、それだけは下手って言われてたんですよ。それは、今考えると、彼の境遇が理由だと思うんですが……」
「アンチは最大のファン」という言葉がある。
嫌いな相手を叩くために追いかけた結果、相手の情報をめちゃくちゃ熟知しているからだ。
それを体現するようで微妙な気持ちになるが、私は打犬の言動をたくさん知ってしまった。細々とよく覚えている。
それで――パズルのピースが揃ったみたいに、奴の心情がわかってきた気がしてならない。
「彼は、あなたが自分の子じゃないという疑いを抱いていた時期があり、疑いが事実になったタイミングがある。でも、あなたは彼を父親として慕っていた。それを見て、彼はあなたを可愛いと思う気持ちが芽生えた――残念ながらちょっとマニアックで変態的なフェチズムもセットだったようですが……変態の自覚はあったので、隠していたわけですよね。奥さんへの反発心も、あったのかもしれません」
ここまでがひとつ。
トドを見ると、なんか正座してスマホをいじってる。
着ぐるみハンドでスマホいじれるんだ? 器用だな。
SNSで何か呟いてるのか? 話聞いてる?
スマホで恭彦に「あれ、親父のだ」ってばれたりしないの?
まあ、いいか。
恭彦も黙って耳を傾けてくれるようだし、続けよう。
「彼は、家庭が崩壊して独りになった当初は、たぶん――パフォーマンスとして情けないクズを演じた。この時の配信は……自棄になっていたりした? 炎上商法的に、SNSの数字を伸ばし、自分の価値を高めて芸能界で生き残ろうという意図もあったのかもしれませんね。そして、ちょっと不確かですが――あなたが父親の変態クズ性を知った上で自分から家に戻って指輪も受け入れたので……隠さないでオープンに溺愛し始めた……?」
トドを見ると、両手で頬を押さえるポーズをしていた。
いや、それ、中の人を想像すると気持ち悪いって。
あー、またいそいそとSNSに何か文章を投稿してるよ。あとで見るからなお前。
絶対気持ち悪いことを書いただろ、今。
私はトドから視線を外し、恭彦を見た。
八町は、あれでも善良な奴だ。
きっと恭彦が拗らせすぎたり、病んでいる姿を見せるから、メンタル管理に乗り出したのではなかろうか。
……言ってみたいセリフを調子に乗って言っちゃっただけかもしれないけど……。
「お兄さん。親はいつか死ぬし、子供は自立するものです。一緒にいる時間は限られているんですよ。なのにずっとわかってなくて、すれ違っていて、本当にタイパが悪いと思うんですよ、私は」
「タ、タイパ……?」
私は「うん」と頷き、トドの頭を掴んだ。
この着ぐるみめ。中の人、寝てたりしないだろうな?
「えいやっ」と頭を取ると、恭彦が息を呑む気配がした。
ほーら。中の人を見なさい。
あなたのお父さんですよ。
なんか恥ずかしそうに真っ赤になってますよ。
「お、…………親父……」
中の人、火臣打犬は、気まずそうに視線を逸らしていたけど、逃げたりはしないようだった。
「着ぐるみの中の人をばらすなんて、無粋なことして、ごめんなさい。でも、このトド、いっつもお兄さんに優しくて、『好きだよ好きだよ』って言ってたじゃない。火臣打犬のイメージのためなら、着ぐるみで正体を隠してそんなことするメリットはないんですよ」
これでどうだ。
なかなか説得力が出たのではないか。
着ぐるみの頭を返すと、打犬はトド頭を着用した。
こいつ、一言もしゃべらないな。別にいいけど。
「お兄さん。この変態さんは、演技じゃなくて普通にあなたを溺愛してますよ。私が言いたかったのはそれだけです……はあ、喉が渇いちゃった。第三会場でドリンクを飲みましょう」
恭彦はこっくりと頷き、「そういえば、筆跡が父に似てるなと思ったこともあったのでした」と呟いた。
それでなんで今日まで気づかなかったの。顔、赤いよ。嬉しいの?
まあ……気付いていないふりをしてあげよう。
このお兄さんのメンタルが上向きになるのは、いいことだ――たぶん。
「お兄さん。この前、お家に行ったときなんて、この着ぐるみが物干しざおで干されてましたよ?」
「それは気づきませんでした。うちは色んな人が出入りしていて、変なものが干されてるのは、よくあるんで」
「よくあるんだ……」
火臣家、やばい。
そんな事実を再確認しつつ、私は第三会場のドアを開けた。
第三会場は不思議な空間と化していた。
飲食店みたいな雰囲気で、スタッフが注文を取って軽食とドリンクを出している。
お客さんはソファでくつろいだり立ち見しているのだが、彼らの視線は部屋の隅にある透明ブースに注がれていた。
透明ブースの中には、サヴィル・クリフォードのスリーピースを着た八町大気がいる。チェック柄のスリーピースに、白っぽいピンクのネクタイがよく似合っていて、なかなかの紳士ぶりだ。
八町は、注目を一身に集めながら黙々とノートパソコンに向かい、執筆作業をしていた。
お客さんは、八町のファンが多い。
「先生が何か書いていらっしゃるわ。新作かしら」
「あ、手を止めてコーヒーをすすったわ」
「大声を出したらだめよ。静かに見守らなきゃ」
動物園で珍しい動物が日常を過ごす様子を檻の外から眺めるのに感覚が近い気がする……。
それにしても、ジュエルのみんながいないなー?
みんな、もう移動しちゃったのかな?
恭彦とトドと一緒にソファに座り、ドリンクを頼んだ私は、待ち時間でSNSをチェックした。
思った通り、トドがなんか投稿してるよ。
火臣打犬:全世界の民よ、聞け
火臣打犬:俺の目の前で娘と息子がパパを取り合って喧嘩してる、なう
火臣打犬:息子、パパの演技が下手だとディスられて怒ってくれる
火臣打犬:娘、俺の心を理解している
火臣打犬:この気持ちがお前らにわかるか
火臣打犬:たぶんお前らがわからなくても娘はわかってる
火臣打犬:娘、パパに興味があったんだ
火臣打犬:娘、パパのことが好きだったりする?
火臣打犬:たぶん愛されてる気がする
火臣打犬:【朗報】俺、うちの子からモテモテ
火臣打犬:【重大ニュース】俺、娘に好かれてる
火臣打犬:会話を文章にしてchatgptに感想聞いてみた
「う、うぜえ……」
思わず声に出して言うと、恭彦はスマホを覗き込んだ。
そして、「うぜえ」と共感を示してくれた。
「ブロックしましょう、葉室さん」
「それがいいですね、お兄さん」
二人そろってSNSをブロックすると、トドは寂しそうなオーラを出していた。
知るか!




