125、きらきら、コウモリ! おそらは、くもり!
――【演劇祭・三日目/ 葉室王司視点】
あっという間に迎えた三日目。
今日は、体調が改善されていた。出血が止まっているので、私は「勝った!」とガッツポーズをした。何に勝ったかというと、自分の体にかな……。
「……終わった。いや、待て。油断させておいて私のパンツを血の海にするつもりかもしれない。敵は気まぐれだ。私は警戒を怠らないぞ」
私は自分の体を警戒しつつ、文豪座劇場に向かった。
芽衣ちゃんに調子を聞くと、「よく眠れない日が続いていて、貧血も酷い」と言う。心配だ……。
鉄分サプリを勧めておこう。私も飲むよ。
自分には非がないはずなのに、「先に楽になっちゃってごめん」という謎の申し訳なさが湧いてくる。
別に謝ることはないはずなのに、謎の感情だ。
演劇祭の興行収入は、最初の二日間だと【西】チームが『ジョバンニが二人いる』と話題になったので優勢みたいだ。
国際指名手配犯の件もあり、盛況である。
ただ、私と芽衣ちゃんは、もはや『東西対抗』とか『兄妹対決』とかはどうでもよくなっていた。
「芽衣ちゃん、今日も乗り切ろうね」
「はい……!」
私たちにとっては、「無事に舞台に立ち続けて終わらせる」ことが全てになっている――ネットの記事か何かで『将棋の世界で女流棋士が身体コンディションに大きく影響を受けるので不利』というのを読んだことがあったけど、あれはマジだと思う。
二人で「せーの」でサプリを飲んでいると、スマホにカナミちゃんからのメッセージが届いていることに気付いた。
三木カナミ:王司~! 関係者席のチケットありがと、ジュエルのみんなで観に来たよー!
葉室王司:ありがとうカナミちゃん!
三木カナミ:あたしたち、午前の【東】観てランチして午後の【西】観る予定だよ
葉室王司:私、午前の【東】一緒に観るよ
三木カナミ:え、スケジュールとか平気なの?
葉室王司:昨日まではちょっと余裕がなかったんだけどねー、今日は平気! 午後から本番まではメイクや衣装の準備に簡単なリハーサルやシーンの確認があるから、早めにランチを済ませたいかな
三木カナミ:オーケー!
関係者席は、ステージがよく見える。
「さあや先輩、さすがに観劇の時はペンタブを持たないんですね……って思ったらスケブと鉛筆持ってる……」
「マナー違反だったらやめるよ?」
「やめときなよ、さあや。集中して観て」
「はーい」
「彼氏があっちの席にいるよー」
三木カナミちゃん、緑石芽衣ちゃん、月野さあや先輩、五十嵐ヒカリ先輩、こよみ聖先輩と「全員、勢ぞろい」な状態で集まると、賑やかだ。
こよみ聖先輩が教えてくれた「あっち」を見ると、海賊部のメンバーも勢ぞろいだった。
リーフレットを筒型にして持ち、偉そうにふんぞり返る二俣夜輝は、白シャツにベージュのジャケットを羽織っていて、下は赤パンツ姿。
つば広の帽子が膝の上に置かれている。
観劇の際に帽子を被っていると後ろの人の視界を遮ってしまうので、脱いでくれたようだ。マナーがいい。
隣に座る円城寺誉は、チェック柄パンツに無地のゆったりカーディガン姿で、どことなく『韓流アイドル』系のオーラがある瑞々しい美少年ぶりだ。ふんぞり返ったりもせず、お行儀がいい。優等生って雰囲気だ。
相山良介先輩は、白シャツに青のベスト、グレーのゆったりズボンで、こよみ聖先輩に蕩けそうな笑顔で手を振っていた。
そういえばチケットを渡したりしていなかったけど、お坊ちゃんたちは一般販売のチケットを買ってきたのか。いい奴らだな。
「昨日も可愛かったんだよー」
「私、今日が初めて!」
「毎日違うんだって。今日はどんな劇になるかな?」
観客席から、リピーターと初見の会話が聞こえてくる。
……「毎日違う」とは?
首をかしげていると、可愛いくて不思議な演劇が幕を開けた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
『不思議の国のアリス』は、30歳の数学者ルイス・キャロルが10歳のアリス・リデルに即興のお話をして、「このお話を本にして」とおねだりされて「OK」と約束したのがきっかけで出来たお話だ。
ちなみに「ルイスはリデル家と疎遠になり、アリスが成長して結婚した際、その結婚式にも呼ばれなかった」というエピソードがある。
アリスは金髪のイラストで描かれることが多いけど、リデルは黒髪だった。
アリスを演じる高槻アリサちゃんは、黒髪のアリスだ。大きな黒リボンが動くたびにピョコピョコ揺れて、まるで黒うさぎだ。
「うさぎさん待ってえ……ひゃあああ」
水色のエプロン・ワンピースをひるがえして『白うさぎさん』を追いかけて穴に落ちるオープニングが、可愛いエフェクト音付きで、可愛らしい。
お話が進むテンポは速めで、リズミカルで、シーンもアリスの感情もどんどん変わる。
「へんてこりんがどんどこりん!」
ちょっと幼い感じ。無邪気でとっても可愛らしい。
そんなアリスが、大きくなったり小さくなったり。
びっくりして、困ってしまって、わんわん泣いて、歌を歌って、不思議な生き物たちと大騒ぎ!
「ドードー鳥さん、わちゃわちゃしてる!」
「よーい、どん! かけっこ終わり! アリス、賞品をくれくれよ。くれくれくれ、なんかくれ」
「指ぬきがあるわ、はい、これ、どーぞ!」
見ていると「可愛い、楽しい」という感情でいっぱいになっていく。
あんまり深く考え込んだりしない感じだ。
アリスが「わかんない!」と言うから、見ている私も「私もわかんない、あはは!」ってニコニコできる。
「わかんない!」な不思議な世界を、「不思議! 変なの!」と楽しめる――これは、そういうショーだと思う。
「ばかにしている? そんなつもりじゃありません! だってあなた、怒りっぽいんだもの!」
感情がストレートで、子供っぽい。
ああ、これがアリスなんだ――観ている私はルイスの気持ちになってきた。
ロリコン……いやいや、大人目線で子供を微笑ましく眩しく見守る気持ちだよ。
慈しむ方向性だよ。いやらしくないよ。健全です。
「自分がわからないんです。わたし、自分じゃなくなっているんです」
アリスは、自分より大きなキノコの傘に両手を置いて、背伸びした。うーん可愛い。
キノコの上にいる青虫さんとの会話シーンは、会話のテンポが気持ちよかった。
赤ん坊をあやす公爵夫人のお部屋では、暖炉の前に羽山修士のチェシャ猫がインパクト抜群のイロモノ姿でねそべっている。
SNSでも感想を見かけたけど、羽山修士のチェシャ猫は「ずるい」と思う。存在が面白いんだもの。
「どうしておたくの猫は、あんな風にニヤニヤ笑っているのですか?」
「あれはチェシャ猫だからだよ!」
「チェシャ猫さん、ここからどこへ行けばいいでしょう?」
チェシャ猫は二つの行先を教えてくれた。
「あっちに行くと、いかれた帽子屋。こっちに行くと、おかしな三月うさぎ!」
原作では「狂った」という言葉が多く使われているが、舞台では現代コンプラを意識して表現回避されているのかもしれない。ところどころ、言い回しが違ってる。
「いかれていたり、おかしな人のところには行きたくないわ」
「ここじゃあ、みんないかれてて、おかしいんだ。くるくるしてる。俺も君もくるくるだ」
くるくるはセーフなのか。羽山修士?
「どうしてわたしがくるくるってわかるの?」
「さもなきゃ、こんなところに来ないだろ?」
くるくるで伝わるのか、観客に?
そーっと観客を見てみたら、もう「ちょっとぐらいわからなくても、そういう劇なんだ!」って顔でニコニコしていた。
それにしても、アリサちゃんはすごいな。
ずっと出ずっぱりで、オンリーワン主人公だ。たいしたものだ。
すごいのに、「普通」な感じ――でも、絶対に普通ではない。
「大きなテーブル。でも、お茶会の参加者さんは端っこに集まってて、変!」
おっと、おかしなお茶会だ。
自宅を燃やしかけた火臣恭彦が帽子屋ルックで三月うさぎのぬいぐるみを振り回してる。
ひと目でわかる「変なキャラ」なのに、なんだかおしゃれで格好いい。
しかも、あまり力が入っていない脱力系で、色気もあるものだから、ほーら、会場の女性たちが「かっこいい」とため息をついて見惚れているぞ。
アリスの世界観や、西洋茶会服の帽子屋のキャラは、もともと人気コンテンツだ。
pixivで検索すると女子ウケする美男子で描かれてる。
そして目の前の帽子屋は、女子の理想が具現化したようなキャラだった。
メイクも似合っていて、金髪の毛先を紫にグラデーション染めしていたりする。
「ビジュアル系」という単語を連想する――。
「ワインをどうぞ! 可愛いアリス」
これは三月うさぎのセリフのはずだが、帽子屋は腹話術みたいに言った。さては一人二役か?
「ワインなんて見当たらないけど? お人形屋さん」
「ないからね。あと、俺は帽子屋さんだよ、小さなアリス」
アリスは腹話術を見抜いていて、つまりこれは「三月うさぎのぬいぐるみで腹話術する帽子屋さん」というヘンテコな帽子屋さんなんだな。
と思っていると、帽子屋はぬいぐるみをポイっと投げた。
「どうして投げたの? 可哀想!」
「どうしてだろう。時計が止まっているからかな。止まった時計は遅れた時計より役に立つ」
「おもしろくなってきたわ! なぞなぞね!」
間を置かずにポンポンと交わされる会話はハイテンポで、噛み合ってるような噛み合ってないような不思議な二人だ。
私はなぜか、ふと二人を見ていてルイスとアリス・リデルを想像した。
30歳と10歳の会話は、どんな感じだったんだろうな。ルイスは「ロリコン」と呼ばれることも多いけど、実際はどうだったのだろう。
思えば、少女って人気コンテンツというか、魅力があって人を惹き付けるんだ。
性的に惹き付ける方向性は昨今の倫理観ではよろしくないと言われるが、健全な方向性で「青春」とか「まっすぐでピュアで綺麗」とか、なんか特別なんだ。もちろん、少年もそうだとは思うけど。
だから、宮崎駿監督なども「少女趣味」とか言われたりするくらい10代キャラを描いているし、ネットの絵師たちもロリチックなデフォルメの萌え絵少女を「可愛い、好き」というパッションと拘りをこめて描いたりする……。
私が思考に溺れかけている間にも、帽子屋とアリスはイチャイチャしていた。
「もう、ほんと~に失礼ねっ」
アリスは失礼だったりいかれている帽子屋にぷんぷん怒ったりしていたが、帽子屋が寂しそうだったり悲しそうだったりと翳がある顔を見せると心配そうに寄り添ってあげたりもする。優しいな。
「あなた、いつもそうしてるの?」
「してないさ!」
帽子屋は、「時間さんと喧嘩をしたんだ」と打ち明ける。
彼は女王の不興を買って断罪されたのだ。
「♪きらきら、コウモリ! ♪おそらは、くもり! 飛ぶよ、ぼんぼん、おそらのお盆! この歌を知ってるよね、アリス?」
両手を広げて歌う姿が、実に「壊れてる」感じがある。
あと、歌が上手い――全観客がうっとりしてるよ。ファンが増えるんじゃないか、我が兄よ。
「こんな風に続くんだよね」
あっ、メロディがぐずぐずに崩れて犬の遠吠えみたいになっていく……。これはファンが減るかもしれないな、兄よ。
「♪きゃんきゃん! きゃいーん、飛ぶよポンポン! お空にお盆、きーらきら!」
うん、壊れてる。「そーれ!」と言ってお皿を投げたりもしてるよ。
黒子が慌ててキャッチしてる。がんばって。
観客の中には耳を手で塞いだり、ちょっと「なんだかあの人、怖い。普通じゃない」って引いちゃった様子の人もいる。
普通じゃないんだ、帽子屋さんは。
ついでに言うとたぶん演じてるお兄さん自身も、割と普通じゃないかもしれない。
「女王陛下が叫ばれたんだ。あの調子っぱずれは、時間を殺害しておるゆえ、断罪する!」
帽子屋さんは憂い顔でしょんぼりした。
手に持ったティーポットからは、紅茶がこぼれて床を濡らしてる。もったいない。
「時計さんとは喧嘩したけど、俺は今朝夢の中でパパと会ったよ。パパはね、俺が小さい頃に作った帽子を持っていてくれたんだ。いや待てよ。あれは今朝だったかな? 昨日だったかもしれない!」
3秒前まで憂い顔だったのに、パパの話をし始めると帽子屋は嬉しそうになった。
そして、「そうそう、さっきのぬいぐるみどこいった? あれ、わたあめでできてるんだ」と付け足している。そうかと思えば、「アリスは可愛いね。実は俺の妹なんじゃないか」とか言い出した。
話に脈絡がなくて、本当にフリーダムだな。
相手する役者が大変そう。でも、アリスは何の苦労もない様子で自然に可愛く会話していた。
「そうなの、大変ね。わたし、なんとかしてあげたい」
「あれ、まだいたの? 君はだれだっけ。俺は帽子屋!」
「わたし、今あなたを可哀想って思ったのよ。困ったひとね! もう知らない!」
アリスはむすっとして機嫌を損ね、お茶会を後にする――その怒り方が子供っぽくて、本当に可愛い。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
やがて、アリスはカラフルなお花畑と噴水があるお庭にたどり着いた。
庭師たちがペンキで白いバラを赤く塗っている。
赤いバラを植えないといけなかったのに、間違えて白いバラを植えてしまったからだ。
彼らが言うには、女王様はとっても怖いのだとか。
「女王様だ! 女王様だ!」
話しているうちに、女王様がやってくる。
わあ、西園寺麗華がセクシーなドレスを纏って、悪役メイクでヴィランをしている。
成熟した大人なお姉さんな魅力があるよ。
あと、迫力があって、ちゃんと「この女王様は怖い人だ」って思えるね。
「首を刎ねよ!」
女王様はすぐ怒る。
彼女が怒ると、作中世界のモブが「ひいい~」って言いながら処刑される。
カナミちゃんは「怖っ」とお化け屋敷のお化けを楽しむみたいな怖がり方で怯えていた。楽しそうだ。
――物語世界に、いつの間にかすっかり入り込んでいる。
「クロッケーってなーに? わかんない!」
アリスは女王様のクロッケーに参加して、フラミンゴ(の抱き枕)を抱っこした。抱き枕はグッズ販売されていて、売れ行きがとてもいいらしい。確かに、劇中でアリスが抱っこしているのを見ると欲しくなるや。あとで買おう。
その後の展開は、またジェットコースターのようだった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
そして、演劇は、ついにクライマックスといえる法廷のシーンまで進んだ。
それまでに登場した色々なキャラクターたちが大集合していて、舞台の上が賑やかだ。
『ハートの女王、タルトを焼いた。ハートのジャック、食べちゃった』
トランプ兵のハートのジャックが罪人だ。
命乞いするジャックには、妻と子供がいるらしい。
証人が次々呼ばれ、いかれ帽子屋が登場すると、観客席が拍手した。
「恭彦君出てきた」
「帽子屋さーん」
みんな「何か変なことをしてくれるんだろう?」って感じのワクワクした視線を注いでいる。
なんだ、このショーは。
台本通りに進まないことを期待されているのか。
みんなの「ワクワク」を一身に浴びたいかれ帽子屋は、ふわふわと酩酊しているような顔でアリスに呼びかけた。
「♪きらきら、コウモリ! おそらは、くもり!」
なんで歌い出す? 帽子屋?
ここは証言するシーンだぞ?
「夢の終わりが近づいてるよ。俺たちはいかれたアリスの夢に過ぎない。この後、俺は自分が処刑されそうになるんだろ。俺が連れて行かれたあと、君は夢から醒めるんだ。なんて酷いんだろう。夢の主がいなくなったら俺たち、終わり? 人権がないよ、人権が!」
なんか、めちゃくちゃメタなことを言っている。
いいの、これ?
私は周囲の様子を確認した。
「今日はどう収拾を付けるんだろう」
誰かが囁いた言葉が、耳に残る。
役者がそろっている賑やかなステージ。
あとはもう、アリスが夢から醒めるだけ。
そんなクライマックスでネタバラシをされた観客は、他の役者が存在しないかのように、ただひとりだけに注目していた。




