122、舞台女子(生理)が大変すぎる
動画作成を見学した後、私は【西】チームの稽古場をちらっと覗いてから寝ることにした。
TAKU1さんと兵頭さんに、猫屋敷座長が着ぐるみ姿で指導している。
さくらお姉さんはルリちゃんとしんじくんに「もう寝る準備する時間よ」とママみたいに声をかけて、就寝用の会場に送っていった。
星牙はいない。彼は、配信しながらeスポーツ大会の練習をしているからだ。
歯を磨いて女子が布団を並べる就寝用の会場に行くと、アリサちゃんと芽衣ちゃんがタロットカードを並べていた。
文化祭の出店で「いいな」って思って、自分でも買ったんだって。
私も買おうかな?
私たちは三人並べてお布団を敷いていて、私は真ん中だ。
二人がタロットカードをひっくり返したりして「このカードはどういう意味?」「えっとねー」と解説本を調べたりしている間に、私はパジャマに着替えを済ませた。
お布団の上でストレッチをして、スマホでママに「もう寝るね、おやすみ」とメッセージを送ったところで、アリサちゃんが声をあげた。
「あー、お兄ちゃんの動画が増えてるー」
あの動画、もう演劇祭のHPで公開されたんだ。本当に仕事が早いな。
「お兄ちゃんは小さい頃から頑張り屋さんだよ。結構、本人はばれてないつもりだけど、周りの人はみんなわかってるよ」
アリサちゃんは動画を見てニコニコと笑い、お布団に潜り込んだ。
私も寝よう。もそもそとお布団をかぶると、芽衣ちゃんも隣で「おやすみなさい」と言いながらお布団の住人になっている。
「おやすみ、芽衣ちゃん、アリサちゃん」
「おやすみなさい、王司ちゃん!」
お友だちとお布団並べて寝るのって、なんかいいな。
お泊り会だ――合宿だけど。
「演劇祭、がんばろうね。別のチームだけど、同じお祭りだもの」
目を閉じてお布団の心地よさにぬくぬくと浸っていると、アリサちゃんがあったかいことを言ってくれる。
アリサちゃんは本当に心がきれいだな。
勝つとか負けるとかじゃないんだ。お祭りを一緒に盛り上げる仲間だよって思ってくれてるんだ。
「うん。がんばろうね!」
合宿の時間は、こんな風に平和に楽しく過ぎて行き――そして、演劇祭の日がやってきた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【演劇祭・初日】
初日の文豪座劇場は、朝から行列ができていた。
使用会場は、【東】チームの『不思議の国のアリス』が第一会場。、午前中に公演。
【西】チームの『銀河鉄道の夜』が第二会場、こちらは午後に公演だ。
自分のチームの準備やセバスチャンにお使いを頼むなど、することが地味に多い。
私は【東】チームのゲネプロ動画も初日の本番も観れていない。
でも、SNSをチラッと見た感じ、評判は良いみたい?
午前中はあっという間に過ぎていって、気づいたら午後だ。
スマホを見ると、友人知人――ママからも「観に来たよ」というメッセージが届いている。嬉しいな。
「皆さん、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
新川友大は、車いす姿だ。
もうひとりのジョバンニとザネリを兼役する私は、ザネリの衣装の上に黒いローブを羽織った。
他のみんなも衣装を着ていて、やる気と緊張でいっぱいって雰囲気だ。
「『ライバルは戦友であり、劇団は家族である!』」
円陣を組んで唱和して、私たちの初日は幕を開けた。
わーい、舞台だぞー。
とっても楽しみにしていた初日だけど、私は嬉しいようなつらいような気分だった。
生理と重なってしまったのである……。
「ふう……」
舞台の初日は、生理の三日目と重なった。
どうも私の生理は三日目と四日目で出しきる傾向にある。
幸い衣装的にちょっと漏れても目立ちにくいというか、なんとかなりそうなので、もう耐えるしかないだろう。
物事は考えようだ。
五日間ある演劇祭の初日と二日目だけ、ちょっとコンディションが悪い程度、ぜんぜん問題ないではないか。
「王司先輩。王司師匠」
私が自分を励ましていると、芽衣ちゃんが「師匠も緊張するんですね、安心しました」と言ってくる。
芽衣ちゃんは、私を気分で「先輩」と呼んだり「師匠」と呼んで慕ってくれるので、癒される。
「ふふっ、私も緊張くらいするよ。あと、お腹が痛いの」
「私もです」
芽衣ちゃんはこそこそとポーチを見せた。つまり、そういうことだね?
仲間なんだね?
私たちは謎の仲間意識を高め、舞台の上で一緒に腹痛と集中力の低下とトイレに行きたい欲と戦った。
そして、トイレに行けるタイミングになったら一緒にトイレに行って、「ぎゃあ、すごいことになってる」とか「漏れてます」とか報告しあった。
さくらお姉さんは事態に気付いてくれて、あれやこれやと世話を焼いてサポートしてくれた。
泣きたい。
でも、ひとりじゃなくてよかった。
私たちの初日は、もうなんか演劇どころじゃなかった。
舞台女子、大変すぎる……。
「終わったあああ」
初日が終わった私たちは、二人一緒になってさくらお姉さんのサポートに改めて感謝した。
「さくらお姉さん、ありがとうございました!」
「いいのよ。よくあることだし、助け合いってやつよ。最後までやり切って二人とも偉かったわ」
このようにして女の子は結束するんだな。
なんか、「女子特有の共感性とか助け合いの雰囲気、謎」と思っていたけど、わかった気がするよ。
共通の敵(=生理)があるからだ。
その大変さがわかる者同士、相手に優しくなったり「助けなきゃ!」ってなったりするんだ。
生きづらい体だよ……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【観客視点・初日午後】
葉室潤羽がリーダーを務めるママ友グループは、ステージに近い良席(いわゆる関係者席)にいた。
空譜ソラのママと緑石芽衣のママは、あれから「グループ内でもちょっと心配なママたち」というポジションに落ち着いている。
「うちの子、大丈夫かしら……あのう……うちの子、生理だと思うの。娘がそういったわけではないのだけど」
芽衣のママは、遠慮がちに呟いた。
すると、葉室潤羽がカッと目を見開き、芽衣のママの手を握った。
「奇遇ですわね。うちもですの! うちの子は、今朝死にそうな顔をして『アッポーポイントを使おうかな、あれ、ポイントってもうないんだっけ?』とか意味不明な妄言を垂れ流していたのよ。ホントに大丈夫なのかしら……!」
経験豊富なベテラン役者ならまだしも、経験の少ない女子中学生コンビが初舞台で生理とは。
ママたちは「かわいそう」「大変ね、女の子は」と同情のささやきを交わし合った。
一方、ソラのママは、ぼんやりとリーフレットの『カンパネルラ役:星牙』という文字を見ていた。
「彼は、娘の遺書にも名前があったわ。娘の大切な友達で、ゲームのコーチだったの」
「僕に人の良さを求めるな」と言い放って炎上したらしいが、娘の配信をよく見ていたソラのママは、娘とコーチが「てぇてぇ」と言われる仲良し切り抜き動画を何個も作られていたことを知っている。
コーチの星牙のことは、良い人だと認識していた――ソラのママは、「娘が生きていたら応援したかったと思うから、代わりに星牙君を応援しようと思うの」と言って娘の遺影を両手で抱いていた。
「あ、始まったわよ」
ブザーが鳴り、ママたちがわくわくした顔で舞台に注目する。
会場は暗くなり――演劇が始まった。
最初のシーンは、学校の授業風景から始まる。
学校の教師が車いすに座っている。
西の柿座という劇団の看板役者らしいのだが、事故に遭ってしまって、リハビリ中らしい。
車いす姿でも自然に思える雰囲気ができあがっていて、違和感がない。
彼自身もだが、他の役者たちの協力が大きいだろう。
どちらかといえば、違和感はジョバンニにある。
ジョバンニ役の芽衣の近くに、黒い衣装の葉室王司がいる。
影のようにぴったりと寄り添う葉室王司は、ジョバンニのセリフを言う……。
最初は、「セリフを忘れた役者のサポートをしている黒子みたいな働きをしているの?」と思ったが……違う。
「あれは星だ。僕はわかるぞ」
「でも、僕、答えられない」
――ジョバンニとジョバンニが会話している。
あれは、イマジナリーフレンドみたいなもの?
自分自身の影?
でも、黒い衣装のジョバンニは陽気で、軽快に動き回っていて、雄弁だ。
縮こまっていて無口なジョバンニの方が、まるで影のよう――途中で交代したり、日ごとに交代するダブルキャストだと思っていたのだが、この劇はちょっと面白い演出をしているみたい……あっ、芽衣がセリフを噛んで、言い直そうとして、また噛んでしまった。
――芽衣。がんばって……。
芽衣のママは、しょんぼりとしている娘を応援した。
なんだか、泣いてしまいそうなほど目が熱くなる。鼻がつんとする。
がんばって。がんばって。がんばって。
物語は順調に進む――黒い衣装の葉室王司がくるくると舞い、ザネリに一瞬で早変わりする。
わぁ、別人のよう……すごい。
観客は、舞台の上のどこを見ても自由だ。
けれど、葉室王司が舞台にいると、つい彼女ばかりを見てしまう。
「何も心配いらないよ、大丈夫!」という安心感をくれて、なんだかすごいものを見ている気分になって、高揚する。
すごい。安心だ。
大丈夫だ。あの子がいるから、この舞台は心配いらないのだ。
そんな感情でいっぱいになる。
「やーい、ジョバンニー!」
一瞬前までは、委縮したジョバンニを励ます優しくて勇敢な『もうひとりの自分』だったのに。
ザネリは嫌な子で、未熟な子供だ。
少年の演技がとても巧みで、「そういえば、あの子はちょっと前まで男の子のふりをしていたんだ」という事実を皆が思い出していた。
ああ、葉室王司に夢中になっていたら、芽衣がよろけて転んでしまいそうになった。
支えてもらって転ばずに済んだけど、危なかった。
芽衣のママは、娘がセリフを忘れたり、立ち位置を間違えたりして困ってしまう瞬間に幾度となく気づき、はらはらした。
けれど、その都度、一緒にジョバンニをする葉室王司が「僕は今、こういうことを言おうとしてたんだ。そうだよね?」とセリフを思い出させてくれたり、手を引いて誘導してくれたりする。
まるでヒーローだ。
娘と1歳しか違わないのに。
世間では「葉室王司は天才だ」「熟達した役者のようだ」という声が多く聞かれるが、みんなが天才と呼ぶ気持ちがわかる気がした。
「本当に、天才なのね……」
熱を籠めて呟くと、葉室王司の母である潤羽が扇で口元を隠して嬉しそうにしている。
葉室母子は、劇祭の公式サイトでは、「母子仲良し」の動画がアップされて「可愛い」「あったかい気分になる」とSNSで話題になっていた。
潤羽という母親は、血が繋がっていない娘のことを本当の娘だと思い、自分の人生を捧げて育ててきたのだ。
芽衣のママは――彼女に比べると、自分が「あまりよくない親だ」という気持ちが強くなった。
この演劇だって、ママ友たちに「絶対に行くべきよ!」と言われなければ、「元夫が関わっている劇なんて、観たくない」と言ってスルーしていたと思う。
演劇にも興味がなかったし、娘にも、「アイドルになりたいんじゃなかったの。お芝居は、アイドル活動なの? お仕事だっていう理由をつけてパパに会いたいんでしょ?」とめんどくさい絡み方をしてしまった。
来てよかった。
もしスルーしていたら、娘があんなに失敗して、慌てて、落ち込んで、それでも仲間に支えられて舞台に立ち続けて頑張っている姿を、観ることができなかった。
――ごめんね、芽衣。
芽衣のママは、そっと心の中で謝罪した。
ママ、反省する。芽衣があんなに頑張っているんだもの。
ママは、変わるわ。
『銀河鉄道の夜』の物語世界が、進んでいく。
幻想的で穏やかな旅を終えたジョバンニは、現実の時間を再び歩き始め、母親のもとへと帰っていく。
父親も帰ってきたかもしれない……。
「素敵だったわね」
「ええ、ええ。……うちの子が倒れたりしなくてよかったわ」
「元気で終わってくれるのが一番いいことよね!」
ママ友たちが興奮気味に感想を語り合い、拍手している。
芽衣のママも拍手をした。
手がじんじんと熱を持って痛くなるほどに大きく両手を打ち合わせ――夫のことを想った。
彼は、こんな物語や役者たちを人々に見せたかったんだ。
こんな風に助け合い、一生懸命になって全員でひとつの劇を作る役者たちを育てているんだ。
そういえば結婚していた時も、キッズチャンネルの動画作りに生き生きとしていて、人を楽しませるのが好きだとか、演劇を観に行かないかとか、劇団があるとか言っていた気がする。
そんな彼に、自分は?
――なんだか、あまり興味を持たず、彼の話を「ふーん」程度に流してしまっていた。
それが、今になって、「私、もったいないことをしていたんじゃないかしら」と思えたのだった。




