120、ファミリーリングと美魔女様
葉室潤羽が娘と共に病院に着くと、ドアが開いた病室の内部には変態がいた。
着ぐるみの頭だけ取った姿の火臣打犬だ。
潤羽は、紳士に厳しい淑女である。
八町大気などは知的で上品な雰囲気もある。
なので、潤羽は八町大気を内心で『変態紳士』と呼ぶことにした。紳士がついているので、変態の中でも上品な部類だ。
しかし、この目の前の着ぐるみ男はダメ。ダメダメ、絶対ダメ。
どうしても四文字の称号を贈るなら、『変態変態』である。
「王司。お兄さんというのは『変態変態』のご令息なのね」
「うんうん、そうだよ」
傍らにいる娘に確認すると、王司は頷いた。
『変態変態』という二つ名は初めて使うが、問題なく伝わった。
伝わるということは、やはりあの男は『変態変態』の名にふさわしい。
『変態変態』こと火臣打犬は、たいそう整った顔立ちのイケおじだ。
国宝級の容姿を誇る上、実力派でもある。
だが、今現在の服装は謎の着ぐるみ姿(頭だけOFF)で、首にはタオルを巻いている。変だ。
彼は、病人の眠るベッドのそばで切々と独り言を垂れ流していた。
「恭彦……父さんが悪かった。弱っている寝顔も可愛いな。女優の先輩に世話を焼かれているのも、演劇祭の首脳が妙なことをしているのも、お前にとって役者としても男としても良い影響が見込めると思っていた……! 父さん触るぞ。ほら、脈を取ったり熱を測ったりする目的なんだ。それにしても顔がいい。ちゅっ」
ああ、倒れた「お兄さん」は彼の息子なのだ。
それであんなに取り乱して――そう思うと、潤羽の胸には親としての共感が湧いた。
ただ、たまに挟まれる妄言がノイズすぎるが。あれさえなければ、どんなにまともに聞こえるだろう……。
「それにしてもあの女は……悪魔憑きだと……そんな言い訳が通用するか。あれは単に弱っているうちの子にムラムラしたんだ。童貞が欲しいと言っていた。あんな衆人環視の場で襲うなんてヤバい女だ。しかし、考えてみれば父親の俺でもムラッとさせられるのだから他人の女などムラムラのムラだよな。そう考えると相手が被害者のようにも思えてしまう。ムラッとさせられた被害者だ。謝るべきか? 魔性の息子とはよく言ったものだ。魅力的すぎる罪がある」
何を言っているのかしら。
ご令息がヤバい女に襲われたの? ムラッとさせられた被害者ってなによ?
潤羽は怖くなり、自分の娘に囁いた。
「王司、今日はお見舞いを遠慮した方がいいんじゃないかしら。お邪魔できる空気じゃないわ」
ひそひそと言うが、娘は冷静だった。
王司はドアをコンコンとノックして、来訪していることに気付かせた。
「すいませーん。お見舞いに来ました。カットですー、お芝居、終わりましたお兄さん。あれは演技でしたよね。思い出してくださーい。カットカットカットー終わりー」
遠慮がない。しかも、寝ている病人によくわからない声かけをしている。
しかし、誰もこの子に「空気読め」とは言わない。
それどころか、打犬は驚き、喜んでいる。
この男は王司を自分の娘だと認めている。
SNSなどでも「俺の娘ちゃん♡」とアピールしまくっている。ファミリーリングも贈ってきたし。
「王司ちゃん! パパに会いに来たのかい」
「大切なことなので二度言いますけど、お見舞いに来ました」
潤羽は娘を打犬の視線から隠すように前に出た。
「火臣さん。ご令息はどうぞお大事に……見た感じ落ち着いていらっしゃるようなので、安心しましたわ」
ところでご令息、もしかして目が覚めてないかしら。
寝たふりをしてないかしら。
さっきから少しずつ掛け布団の下に潜るような動きをしていないかしら。
隠れようとしている? 恥ずかしいのかしら……?
父親はそれに気づく様子もなく、潤羽に頭を下げてきた。
「葉室さん。いえ――潤羽さん。見舞いに来てくださり、ありがとうございます」
ねえ。なんで今、名前呼びで距離をちょっと詰めたの?
疑問に思いつつ、潤羽は礼儀正しく頭を下げた。
と、その時、新たな見舞い客がやってきた。
普通に現れただけなのに、部屋がパッと明るくなったような華やかなオーラやカリスマ性を感じさせる女性だ。
潤羽はその女性を知っている。
潤羽が憧れていた同年代の元アイドルだ。
王司が「天使ちゃん」なら、こっちは「聖女ちゃん」――そんなイメージのアイドルだった。
40歳を越えた今でも、そのオーラや容姿には翳りがない。
『年齢という言葉が無意味なほど輝いている美魔女』というフレーズがあるが、まさにそれ。
スタイルがよくて美人。さらさらの金髪で、肌も綺麗だ。
なんだか見惚れてしまって、ずっと見ていたくなる雰囲気がある。
「聖女ちゃん」は「美魔女様」に成長したのだ……。
「息子の見舞いに来たんだけど、葉室家の母子がいるじゃない」
美魔女様の声は、アイドル時代よりも大人びている。
活舌がよくて、「耳が幸せ」と言いたくなる話し方だ。
王司が「SACHI先生、こんにちは」と挨拶をしている。
バラエティ番組の『アルファ・プロジェクト』で振り付けを習っているのだ。
「サチコ。見舞いに来てくれたのか。いいことだ。恭彦も喜ぶ。葉室家の方々は今来てくださった……」
「葉室家のお二人はあんたがいると嫌なんじゃない? いつも思うんだけど、どの面下げてパパとか言ってるのよ」
全くその通りだわ。
王司と二人で頷きつつベッド際にいると、SACHIは元夫を外に追い出した。
そして、寝ている令息の指にある指輪に「うわぁ」と顔をしかめて、指輪を抜き取った。
令息が実は起きているだろう、と推測している潤羽は、はらはらした。
推測は正しかった。
彼はそっと掛け布団から顔を出し、薄目を開けて母親を確認して、何かとても迷っている様子で眉を寄せてから目を閉じた。
母親のSACHIは――気づいていない。
「こんな指輪つけちゃって……ラブリングだっけ? どうかしてるわ。この子も判断力が溶けちゃって……」
言われるうちに、令息の表情が明らかに曇っていく。
傷付いている――その気配が伝わって、潤羽はそわそわした。
大人として、何かしないといけない気がする。
母親の言っていること自体には共感できるし、他所の家庭の事情でもあるので内容には物申しにくいが……言うとしたら「息子さん起きてますわよ。本人に聞こえる場所で言わない方がいいですわよ」かしら?
悩んでいるうちに、SACHIは窓を開けた。
外に指輪を捨てようとしているのだ。
「さすがにそれは」と思った時、王司が動いた。
「それ、ファミリーリングです、SACHI先生」
「ん?」
王司は、言うやいなや、SACHIの腕を掴み、指輪を奪っていた。
そして、びっくりすることを言い放った。
「ラブリングと似てるけど、違う指輪です、SACHI先生。私とママとお揃いなの。ママが贈りました」
「えっ?」
「は?」
「えっ?」は潤羽で、「は?」はSACHIだ。
娘は何を言い出したのか――王司?
ママ、口裏を合わせた方がいいの?
内心で狼狽えつつ、潤羽は扇を開いた。
この扇というアイテムは大変便利で、優雅だったり高貴だったりなオーラを出しつつ、顔を隠すことができるのである。
「おほほ。SACHI先生。ファミリーリングをご存じありませんの?」
私も詳しくないけれど、という本音は隠しておこう。
潤羽は扇で顔を隠しながら、娘を見た。
そして、寝たふりどころではなくなって起き上がっている火臣恭彦に気付いた。
気まずそうな顔をしている。
この子、両親の事情が複雑すぎて可哀想よね――潤羽は同情的な気分になった。
「お兄さん、はい、指輪」
王司が指輪を返すと、お礼を言って自分の手で指輪を填めている。
潤羽はそれを見て対応を決めた。
「ファミリーリングはあたくしが贈りましたの。おほほほ! だって、王司と兄妹として売っているものですから。つまり、あたくしの息子も同然ってことですの。打犬さんも了承していますのよ。SACHI先生もほしければ、お揃いのを贈って差し上げますわ。我が葉室家は、『家族だと思えば家族』という主義ですからね!」
SACHIは息子と潤羽を見比べ、「なんだそりゃ。わからん」と首をかしげた。
「まあ、よくわからんがめんどい。考えるエネルギーも時間ももったいないわ」
SACHIはそう言って指輪の存在を忘れたように息子に手を伸ばした。
その仕草が、美しい。
指先、爪先まで、芸術品か何かのように潤羽には見えた。
ああ、美魔女、すごいわ。
私も美容には気を使っているけど、なんだか敵う気がしない。
シミもケアしているのにできちゃったし、小じわも気になるの。
「熱は下がったの? 季節の変わり目は冷えるから、体調をいつもより気にするようにしなさい。夜更かししないのよ」
美魔女な母親は、言っている内容もまともで、声色も「優しい母親」という雰囲気だ。
耳心地のいい揺り籠みたいな声で、潤羽は自分が乳児になって彼女にあやされたい、という願望までうっすらと抱いてしまった。
それほど、気持ちのいいバブみに溢れた母親ぶりだったのだ。
息子である火臣恭彦も不自然な様子はなく、どちらかというと葉室母子の視線を気にして照れている様子に見える。
潤羽は娘の手を引いた。
「王司、お見舞いできたから帰りましょう。お母様との時間を邪魔してはいけないわ。それに、このままいるとママがバブみに目覚めちゃう」
「うん。お兄さん、お大事に。またね……ママ、バブみって、どうしたの? なんかあった?」
「ううん。ママ、変なことを言ったわね。たまにポロっと言うけど気にしないで、王司」
「ああ、うん。そういう時、あるよね。わかるよ」
結局、ファミリーリングを火臣打犬に返すことはできなかった。
それどころか「指輪を贈ったのは私!」ということにしてしまった。
「ママ、お話を合わせてくれてありがとう。あのね……」
娘、王司は少し言葉を選ぶようにして、その心を伝えてくれる。
「ママが悪いとかじゃないんだけど、私、家族関係に憧れみたいなのがあってね。ママのことは本当のママだと思っていて、お兄さんのこともお兄さんだと思っているんだよ。それでね、あのお兄さんは、自分が私や打犬さんと家族じゃないんだってすごく気にしていてね、目に見える形みたいなので家族の証があるのとないのとだと、違ってくるのかなって思う……私もママとお揃いのファミリーリングは嬉しいなって思ったものだから……」
潤羽を気遣って言葉を選びつつ、お兄さんを思いやっている。
この子はなんて優しいのだろう。
本当に「天使ちゃん」だわ。
「王司、いいのよ。ママがプレゼントしたことにするわ」
「むぎゅっ」
娘をぎゅうっと抱きしめると、香水の匂いがした。
若い子に人気の……『彼女に付けてほしい香水ナンバーワン』の香水だ。潤羽はそれがちょっと気になった。
言葉は悪いが、「色気づいている」みたいに思ってしまう親心がある。
「王司、彼氏を作るにはまだ早いわ。でも、気になる子がいたら教えるのよ」
「あはは。作るつもりないよ」
娘はそう言って笑ったので、潤羽はホッとした。
「今日はママの会社の心配事も解決したから、ステーキを食べに行きましょう」
「わーい」
外食に向かう葉室家の車の中で、娘は「演劇祭の公式HPが更新されたよ」と見せてくる。
見て見て、と目をキラキラさせているのが、本当に可愛い。
「まあ。これは、すごいわね。【東】チームだけみたいだけど、役者さんひとりひとりの動画があるなんて」
「【西】チームも作るよ! ママ、私の動画に出てね」
「ママが動画に出ていいの? 素敵……!」
潤羽はもう一度娘をぎゅうぎゅうと抱きしめて、「うちの子が一番可愛い!」という幸せに浸ったのだった。




