116、俺の子が可愛くて困る
火臣家に来るのは二度目だが、この家は前回と雰囲気が少し変わっていた。
まず、庭に変な小屋があり、住み込み記者が出入りしている。どういうことなの。
パジャマのおじさんとかいるよ。「バイトいってきまーす」「おつー」とか言ってるよ。
かと思えば「ただいまー」「お、おかえりー」って会話も聞こえる。
なんだ? ここは異世界か?
記者は家の中には入ってこないが、窓の外でカメラを構えて堂々と家の中を撮っている。
ローソンで買ってきた塩コンブをかじりながら窓枠にカメラ置いて「視線お願いしまーす」とか言ってくるんだよ?
おかしいだろ。夕食の食卓囲んでるだけなんだが?
「恭彦お兄さん。いつもこんな日常を過ごしているんですか?」
「葉室さん。慣れると気にならなくなりますよ」
「慣れない方がいいと思います。この家、おかしいよ……」
ちなみに、料理は美味しかった。
和食って感じだ。味付けが上品。火臣打犬は嫌いだが、料理に罪はない。美味しいものは美味しい。
「王司ちゃん、おかしいというのはね、個性という言葉で言い換えることもできる。この家は個性的だ。つまり世界一ということなのさ」
「なんで個性的イコール世界一になるのか」
打犬は迷言集を更新することに余念がない。スルーした方がいいと思うのだが、無視しにくいんだよな。
家の主だし。よくしゃべるし。遠慮とかしないんだよ、この男。
「王司ちゃん。メカジキはね、泳ぐスピードが凄まじい。何故かと言うと、筋肉が凄いんだ。王司ちゃんも『頑張る王司ちゃんシリーズ』でよく筋トレを頑張ってるね。えらいね。筋トレとメカジキどっちが好きだい? 俺は君が好きだな。愛してる」
「うわぁ……」
「王司ちゃんはどっちも好きか。とてもいいね。2つのうちどちらかを選ぶと、選ばれなかった方がしょんぼりしてしまうからな。博愛精神があるんだな」
「いや、答えた覚えがないんですが……あれえ……」
食事は美味しいのになあ。記者と打犬が気になるんだよなぁ。
恭彦は、と見てみるとメカジキを嫌そうに残して皿を遠ざけ、スマホを弄っている。
カジキ嫌いなのか。代わりに私が食べる? それ、美味しいんだよ。
「恭彦お兄さん。メカジキ苦手ですか? よかったら私、食べます? 前のラーメンのお礼に」
「俺はカジキを見ると鬱になるのです。ぜひ召し上がってください」
「なぜそこまで……」
美味しいのになあ。
打犬を見ると「好き嫌いもアレルギーもなかったと思うが」と首をかしげている。謎だよね。
「さては構ってちゃんだな。下の子ばかり構うと上の子が嫉妬するんだ。よし、パパが出前寿司を取ってやろう」
「親父。俺が自分でウーバー注文する」
「ん、そうか? では、好きなのを頼みなさい」
料理は美味しいけど、他人の家にいる感じがなかなか強い。
家族の手料理があるのにウーバー? なんか贅沢だな。
会話を聞き流していると、スマホに通知があった。星牙が配信してるみたいだ。
なんか炎上してないかな? 大丈夫かな?
とりあえず、夕食は完食だ。このあとウーバーが来るらしいけど。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて挨拶すると、記者たちが写真を撮ってくる。
これ毎日やってるの? それでネットの記事の話題に尽きないんだな。今日のことはどんな記事にされてしまうのだろう……。
私が食後のお皿を重ねて運ぼうとすると、これまた写真がたくさん撮られる。
変な家庭だ。ずっとドラマ撮影しているみたいな気分になる。ホームドラマかな……。
私が遠い目をしていると、恭彦が「俺が運びます」と言ってお皿を持って行った。
「葉室さん。宿題をするんでしたっけ?」
「そういえばそんな話をしたかもしれません」
この環境で宿題をするのか。記者たちも「まだネタをくれるのか!」って嬉しそうだよ。こういうのってお金もらえるんだろうか。
私生活を無料でだだ流しっておかしくない? 打犬?
「2人とも。パパは邪魔にならないように記者たちと一緒に動画を撮るよ」
打犬はいそいそと窓から外に出て、記者たちと一緒にビールで乾杯した。
「うちの子に乾杯……今夜は飲もう」
いや、その対応はおかしいだろ。ビール羨ましいな。
しかし、記者の前で揉めるのも悪手か? 大人しくしておくか? さりげなく一杯もらえないか?
「葉室さん。あれはビールです」
「あ、はい」
「ウーロン茶をどうぞ」
「ありがとうございます。宿題は明日までなんですけど、忙しくて手付かずでした。間に合うかな」
食事が片付けられた居間のテーブルに数学の問題集を置くと、恭彦は死んだカジキのような眼で数字を見た。
「葉室さん。これを解く時間で演技の練習した方がお互い有益じゃないですか?」
すごく本音っぽい声色だ。気持ちはわかる。わかってしまう……しかも他人の宿題だしね。
恭彦はスマホで「これを使ったら速く終わるんじゃないですか」と宿題代行AIを見せてきた。
それはだめだろ。いや、ありかな? ありかもしれん。
私は中学生二回目なわけで。多忙なわけで。テストのときは自力で解けばいいわけで。いや、でもなぁ~。
「試しに1問……うっわぁ、回答出た。うわぁ」
写真撮ったら答えてくれるんだ。なんて便利なんだAI。
ズルだこれ。こんな便利でいいのか。不安になる便利さだ。
これは記者さんに記事にしてもらったらいいんじゃないか。
「お勉強、自分で考える必要がなくなっちゃいました。いいんでしょうか?」って。
私がAIの便利さに脳内問題提起していると、ビールを飲んでいた打犬が寄ってきた。
「王司ちゃん、宿題は自分の力で解こう。思考能力を鍛えたり、時間をかけて面倒な作業を最後までやり通すトレーニングだよ。やるべきことをちゃんとやる自己管理能力も培われる。そういう地道な素養が社会生活で役に立つんだ。パパが終わるまで隣で腕立て伏せするから一緒に頑張ろう」
なんか暑苦しくて説教臭いが、困ったことに「そうかも」と思えてしまうではないか。打犬のくせに。
「ふむむ。腕立て伏せはしなくていいですけど、自力で解きます」
「偉いぞ王司ちゃん。間違えてもいいんだ。自力でやるのが大事なのさ。ところで、ほっぺにチュウしていいかな?」
「絶対イヤです」
「王司ちゃん。ちょっと試しに俺のことをパパって呼んでみないか? お小遣いあげるよ」
「その言葉、だめなやつだよ……」
数学の問題集を解いていると、ウーバーの配達員さんがやってきた。
恭彦が受け取りに行くので、ついていってみた。変態と残されるのがいやだったので。待ってー。あの人と一緒の空間に置いてかないでー。
「おつかれさまでーす」
「配達にきました。……あれっ、へ、変態にせ……」
配達員さん、今「変態二世兄妹」って言おうとした?
まさかね?
ところで、運ばれてきたのは寿司じゃないな。なんかおしゃれなスイーツの箱だ。
中身は……赤いハート型のチョコチップが散りばめられていて、パステルピンクのクリームの薔薇が咲いたカップケーキだ。可愛い。
赤いプレート付きで、白い文字で「happy birthday」って書いてある。おや?
「葉室さん。このカード。1枚はあなたの分です。1枚は親父に渡してください」
「ふぁい?」
恭彦はカードを渡してきた。これはバースデーカードだね。2枚あるね。
「葉室さん。こちらを見てください」
「……おお」
カードを眺めていると、今度はスマホを見せてくる。
これは、火臣打犬のSNSアカウントだね。なるほど、誕生日なんだね。
恭彦は「渡してください」と頼んでくる。なんだって。私に奴を祝えと言うのか。
「俺は紅茶を淹れるので、葉室さんがケーキとカードを渡してください」
3回も「渡してください」と言われたよ。そんなに頼まれたら断りにくいじゃないか。
「だ……打犬さーん」
テーブルの上にケーキを出すと、腕立て伏せをしていた打犬がガバッと飛び起きた。素早い。
「今パパを呼んだのか? おい、記者の中に動画を撮っている人はいるか? あとでデータをくれ」
名前呼んだだけで大騒ぎしないで。カード渡しにくくなるよ。
打犬はいそいそと近寄って来て、ケーキを見てきっかり3秒間静止した。
そして、「でれでれ」としか形容できないニンマリスマイルを浮かべて両手で覆い隠した。
今、顔面が蕩け切ってたぞお前。イケメン俳優がしてはいけない感じの顔だったぞ。顔隠して戻せ。
「……パパ、ちょっとシャワー浴びてくる」
「……いってらっしゃい。あの、カードもあるよ」
「刺激が強いな。俺を殺す気か。ぜひくれ」
「おめでとう」
「くっ……ありがとう……ハグしていいかな?」
「イヤです」
ハグを拒絶すると、打犬は表情をクールに整えてカードを受け取って部屋を出て行った。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお」
なんか遠くから雄叫びが聞こえたよ。情緒は無事か。落ち着いたらちゃんと戻ってくるんだぞ。
「今日はネタが豊富っすね」
「娘ちゃんのサプライズ! 最高じゃないですか火臣さん」
記者たちも大喜びだ。サプライズは娘ちゃんからじゃないよ、息子くんからだよ。
「あのー、記者さん。ケーキとカードを手配したのはお兄さんですよー」
「意外と仲がいいんだなあ。もっと毛虫みたいに嫌われてると思ってた」
「あのー、記者さん。私、すっごくあの人のこと嫌いですよ。共演NGにしてもらってるくらいです」
その夜、私は火臣家でバースデーケーキをデザートにいただき、車で送ってもらって自宅に帰った。
寝る前にネットをチェックすると、仕事の早い記者はすでにネット記事を上げている。
『国民的俳優の火臣打犬、44歳の誕生日に娘に祝われて大喜び!』
おお、写真もばっちり撮れている。
料理中。夕食中。宿題中。
筋トレ中。バースデーケーキとカードを持って喜び中。
パトラッシュ瀬川さんが一部始終の動画を編集して公開している。やはりあのカメラマン、腕がいい。
なんか「理想のホームドラマ」みたいなムードで仕上がっている。謎の技術だ。
本人のSNSを見てみると、迷言集をまた更新していた。
火臣打犬:44という数字が不吉だとか縁起が悪いという奴がいるが間違いだ
火臣打犬:4は喜びなんだ。4と4が合わさり幸せになる、44はそんな数字なんだよ
火臣打犬:ところでこの動画を見てくれ、うちのパトラッシュが撮ったんだ
火臣打犬:俺は誕生日を子供に祝ってもらえるパパなんだ
火臣打犬:愛されている
火臣打犬:愛を感じる
火臣打犬:どうしよう俺の子が可愛くて困る
火臣打犬:娘が可愛くてどうしよう
火臣打犬:息子が可愛くてどうしよう
火臣打犬:子供からのモテ期が来ている
火臣打犬:俺は今うちの子系ハーレム主人公の気分だ
火臣打犬:新しいジャンルを開拓してしまったな
火臣打犬:うちの子に乾杯!
火臣打犬:新しい指輪も買ってみた
火臣打犬:今回はサンタになって寝てる恭彦の指に填めてみようと思う
火臣打犬:あいつは絶対気づかない
火臣打犬:それか寝てるふりをする
火臣打犬:パパのことが好きなんだ
火臣打犬:そのまま添い寝してくるよ
火臣打犬:おやすみ……チュッ♡
「うわぁ…………」
誕生日おめでとう。寝る前に通報しておくね。




