115、味噌汁になめこも入ってる
星牙は稽古時間を医務室で過ごしたくせに、その日の夜のチーム練習に参加していた。
深夜に配信されたアーカイブを見ると、遅刻した上にぼろぼろのプレイをして仲間に怒られている。
敵からの攻撃を防ぐドームバリアを前に出すはずが後ろに出すような――ゲームに詳しくない私でも「あ、ミスしたんだな」とわかる変なミスをしていた。
本人は「実は体調が悪くて」みたいな言い訳をせず、ただ謝っていた。つ、つらい。
コメント欄では、チームや個人のファンの「足引っ張るな」「補欠と交代しろ」といったコメントが濁流のように流れて……炎上していた……。
無理してがんばってこれじゃあ、きついよね。ファンもチームメンバーもギスギスしちゃってるし。
練習後は睡眠を摂ったと思うけど、体調が改善しているといいなあ。
動画のコメント欄に応援メッセージ書いておこうかな。
葉室王司:星牙君、熱が39度もあるのに練習参加したんですか? 偉いなーと思いますけど、体調が悪い時はちゃんと休んでください。
:王司ちゃんだ
:あ、本物だ
:星牙と仲いいの?
:CMだけの付き合いじゃなくて本当にプライベートで応援してるんだ?
:39度ってなに? やばない?
:熱あったん?
:星牙、大丈夫?
ファンの反応が素早い。
ファンの人たち~、星牙に優しくしてあげて~。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
星牙を心配しながら学校に出席すると、アリサちゃんが風邪でお休みしていた。
スマホでメッセージを送ってみると、朝起きたら熱が出ていたんだって。
学校が終わった後、稽古に行く前にお見舞いに寄ると、高槻大吾が出てきた。
「アリサのお見舞いに来てくださったんですか、ありがとうございます。昨日は心配してましたが、王司さんが復調なさったご様子でよかったです」
アリサちゃんはベッドの上にパジャマ姿でちょこんと座っていた。
「もう熱は引いたから割と元気だよ。王司ちゃんは学校お休みしなかったの? えらいね!」
大吾お兄さんが「僕は稽古の支度をしてまいりますね」と部屋を出ていくと、アリサちゃんはひそひそと耳打ちして教えてくれた。
「でも、お稽古はお休みするね。あれなの」
あれというとアレだろうか。たぶん、そうなんだろう。
「うんうん、お休みするのがいいと思う」
声を潜めて言うと、アリサちゃんは「本番の日に急に生理になったらどうしよう」とこそこそと相談してきた。それは私も「どうしよう」だよ。困るよね。
「き、気合い?」
「王司ちゃん……」
「そ、そんな目で私を見ないで。薬でその日来ないようにするとか?」
「うーん」
「ネットで調べる?」
「うん、うん。みんなどうしてるんだろうね」
2人でこそこそと調べているうちに、稽古に行く時間になった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
文豪座劇場に到着すると、入り口にスタンド式の非接触検温器が置かれていた。熱がある人は入れないらしい。私はセーフだ。平熱です。
【西】チームの稽古が始まると、猫屋敷座長はピンクパンサーの着ぐるみ姿で欠席状況を共有して注意喚起した――【西】チームでは星牙が引き続きお休みしていて、【東】チームではアリサちゃんがお休みだ。
「風邪が流行りかけっぽいので、気を付けてくださぁい」
東西チームは、別々に稽古をした後で第三会場で合流するのが日常である。
本日も、その点は変わらない。
「あ~、なんかねえ。調子わるいねえ」
「大丈夫ですか、さくらお姉さん?」
「うーん。どうもねえ、悪化してきた気がするねえ」
「だ、大丈夫ですか……、さくらお姉さん……?」
稽古をして帰るまでの間に【西】チームではさくらお姉さんが風邪の症状を訴えて早退していった。
なんか、ちょっとわざとらしかったよ。
第三会場で【東】チームに合流してみると、【東】チームでも羽山修士が不調を訴えて早退したらしい。ふーむ?
【東】チームの子たちが噂している声が聞こえる。
「八町先生の仰ったことは、実は本当だったのでは」
「やっぱり、偉い先生の言うことだもの。資料まで作って真剣に伝えてくださっていたのですもの」
そんなばかな。
八町の「悪魔がいる」説が信ぴょう性を増しているだと……?
驚いていると、セバスチャンが早めに迎えに来た。
「お嬢様。お迎えマイリマシタ。ご無事でナニヨリ」
私が病み上がりなので、体調が悪化したときに備えて早めに来てくれたらしい。
「お迎えありがとう、セバスチャン。ちょっと八町のところに寄っていこうかな」
「カシコマリマシタ。ですが、お嬢様は余命わずかでもアルノデ、ご自愛クダサイ」
「その余命の嘘、もう私は見抜いてるよ。言い忘れてたね、ごめんね」
「え?」
八町にあてがわれた『八町先生を保護する部屋』に行くと、ちょうど火臣恭彦が中に入っていくところだった。
……あやしい。
ドラマとかだとドアに耳をつけたら中の声が聞こえたりするけど、聞こえないな。
「ふむむ。セバスチャン、中の会話って聞こえる?」
「フム」
主人の真似をするように隣でしゃがみこんでいたセバスチャンに尋ねると、セバスチャンはノートPCを床に置いて何かキー操作をした。
私がじっと作業を見ていると、「ヨシ」と言ってイヤホンを渡してくる。何?
耳につけろって?
イヤホンをつけると、会話が聞こえてきた。おお、八町と恭彦の声だ。
わぁ、盗聴してるー。
「八町先生。先ほど視聴なさっていた海外映画は『Master of the Game』ですか? 有名な作品と同タイトルだったのとDEF CONの決勝に進出したホワイトハッカーがクラッカー役をしたというので話題になった海外の独立映画ですよね。上映する映画館がかなり少なくて、レアなやつ」
恭彦の声が聞こえる。『Master of the Game』? シドニィ・シェルダンの同タイトルの作品なら知ってるけど、「有名な作品と同タイトルだった」とか「クラッカー役」とか言ってるから、タイトルが同じなだけで私の知らない作品かな?
八町は海外映画を観ていたのか。仕事はしなくていいのか八町。
「恭彦君、よく知ってるね。海外では話題になったけど、国内では知っている人があまりいないようなマイナーな作品だよ」
「海外旅行していて、観れたんです」
「あ、そうなんだ。ラッキーだったね」
普通の世間話みたいな雰囲気だ。
少しずつ盗聴している罪悪感が湧いてくる。
「恭彦君。そのホワイトハッカーはとても思い込み力の強い人物らしくてね。メソッド演技の果てにおかしくなって、本当にクラッカーになり、逃げてしまったんだ。闇墜ちだねえ……」
「そ、それは知りませんでした……」
メソッド演技の危険性を説こうとしているのかな?
というか、堂々とノックして会話に混ざっちゃおうかな。「おかしくなっちゃう役者は多いんですよね。お兄さんにも気を付けてほしいです」と加勢しようか。
イヤホンを耳から外そうと思った時、会話は展開した。
「そうそう、恭彦君を呼んだ用事なんだけど、今日、2人早退しただろう? あれはシークレットミッションなんだ。同じことを明日、君にしてほしい。みんなの前で少しずつ体調を悪化させて、最後は早退だ。演技の練習になるよ」
おっと、八町。黒だったか。
盗聴は継続しよう。なんで変なミッションやらせてるんだ。演技の練習?
「八町先生……ええと……体調不良は、演技なんですか? 全員?」
「いやいや、昨日から今朝にかけてのメンバーは本当に風邪だよ。風邪は本当に流行ってるみたいだね……星牙君が倒れた時にインスピレーションが湧いたんだ……」
八町の顔が目に浮かぶようだ。
きっと今、「僕の思い付き、最高」みたいに陶酔した顔をしているに違いない。
「実はね恭彦君。僕は役者陣の半分くらいには、『悪魔が本当にいるんだ』って思ってほしいんだ。そして、みんなで悪魔祓いをしたい……毒を持って毒を制すって言うだろう。迫真の悪魔祓いで悪魔を祓われた気分にしてやりたい」
「せ、先生……おっしゃることが、よくわかりません……」
「うまくいくと、3.6億ほど儲かるんだ。恭彦君」
「あの……ちょっと、理解できません……」
八町は今日もだめだ。壊れてる。
支離滅裂だ。恭彦が困ってるじゃないか。
私はイヤホンを外し、『八町先生を保護する部屋』に踏み込んだ。
「八町せんせーい」
バーンとドアを開けようとすると、鍵がかかってる。
ガチャガチャとドアノブを鳴らしていると、八町はドアを開けてくれた。
「江良く……王司さん。どうしたのかな? 君を呼んだ覚えはないよ?」
むっ。なんでちょっと冷たい感じに言うんだ、八町。
そっちがそう来るなら、こっちだって考えがあるよ。
「私も八町先生に用があったわけじゃないのですが、兄と帰ろうと思って迎えにきたんです。今日、お家にお邪魔する約束をしてたから」
「えっ? 葉室さん? 俺?」
恭彦が「そんな約束したっけ」って顔をしている。
うんうん、約束はしてないね。
「さあ恭彦お兄さん。帰りましょう。お家で宿題を見てもらう約束だったじゃないですか!」
「俺、そんな約束したかな……?」
「しました」
「そうだっけ……?」
「しました!」
セバスチャンに手伝ってもらって恭彦を『八町先生を保護する部屋』から引っ張り出した私は、そのまま彼を車に押し込んで家まで送った。スマホを見ると八町がメッセージを送ってきている。
八町大気:江良君、中学校の宿題に手間取ってるのかい?
八町大気:君、成績は良かったと記憶しているけど。やっぱり何年も前だと忘れちゃうよね
八町大気:内容的に今と昔、大きく違っていたりする? どんな宿題なのか興味があるな。
八町大気:僕も混ざってもいい?
何を言ってるんだ。宿題なんて嘘だよ。八町はわかってないな。
葉室王司:あのね八町
葉室王司:私は、変なミッションをやらせているのがよくないと思ってお兄さんを連れ出したんだよ
八町大気:僕の演出指導の邪魔がしたかったのかい?
葉室王司:演技の練習になるっていうのもわかるけど
葉室王司:悪魔とか言って変に不安を煽らなくてもいいと思うんだ
八町大気:(ファイル送信)
八町大気:(ファイル削除)
むむ? なんかPDFファイルを送信してきたぞ。なんだ?
あ、ダウンロードする前に削除された。誤操作?
しばらくログを見ていたけど八町は静かになったので、いったん放置しておこう。
それより、隣で居心地悪そうにしている恭彦だ。
「私はバッチリ会話を聞いていました、恭彦お兄さん。シークレットミッションはしなくてもいいと思います」
「そうですね……俺は先生のおっしゃりたいことがよく理解できなかったのですが……」
恭彦は微妙な反応だ。考え込んでいる?
「俺……体調不良の演技に挑戦して、自分の演技で周囲を騙せるか試してみたい気もします」
「えーっ」
「こほ、こほっ」
恭彦は咳をしてみせた。うん、わざとらしいよ。
「こほ、こほっ。どうも風邪を引いたようです」
「説明的ですね、お兄さん」
「俺、熱が上がってきた気がします」
「どれどれ。あー、平熱です、お兄さん……健康です」
演技が通じるか試したいって気持ちがあるのは良いことに思えるけど……車のシートに怠そうにもたれかかる姿は、体調不良というより「はー、かったるい。世の中クソだ。やってらんね」って感じに見える。
怠そうには見えるけど、健康そうだ。
ところで、車がお家に到着したよ。
「葉室さん。いえ、執事さん。肩を貸していただけますか。俺は病人なので、ひとりで部屋まで行けないかも……こほっ、こほっ」
「説明的なんですよね……あと、咳がわざとらしいです。全体的に、具合が悪い人というより、素行が悪い人みたいな……当たり屋みたいな演技になってるかも……」
「どうすれば改善できるでしょうか……?」
私たちが車から出て「どうすれば当たり屋が病人になるか」の検討会を始めていると、火臣家の玄関が開いて奴が飛び出してきた。うわぁ、火臣打犬だ。
エプロンつけてる。謎に似合っているのがむかつくぞ。
「可愛い子が我が家の外にいると思ったら、パパの王司ちゃんじゃないか。あ、あ、遊びに来たのかい? き……奇遇だね、ここはパパの家なんだ。ゆ、夕食を食べていくかい? メカジキのおろし煮に、大根としいたけのステーキに……わかめご飯もあるよ……味噌汁になめこも入ってる……」
おい、落ち着け。
あと、庭の物干し竿にトドの着ぐるみが干されてるのが気になるよ。
それは息子に見られたらまずいんじゃないのか。トドバレするぞ。
「……ハッ」
私が半眼を向けていると、打犬は息子に目を向けた。
そして、慌てた様子で息子の肩を抱いた。
「どうした恭彦。具合が悪いのか? 腹を押さえているな。腹が痛いのか? 歩けるか?」
こ、こいつ、当たり屋風の仮病に騙されているだと――?
あっ、恭彦が顔を背けて袖で口元を隠している。
さては今「俺の演技が通用した!」と喜んでいるな。
待て、恭彦。相手が悪い。
相手は目が曇りまくっている親バカだから。
「親父……ちょっと立ち眩みがしただけなんだ。もう治まったから平気。そうそう、葉室さんの宿題を見る約束をしてるんだ」
宿題は八町に言った適当な嘘だったのだけど、数分後、私は火臣家の門をくぐっていた。
……ママに「夕食いらない」って電話しなきゃ。




