112、ゴシップカメラマンと托卵母
――MV撮影が始まった。
しゃぼん玉が風に乗って流れる風景の中を全員で歩いて、踊る――雰囲気、ゆるい。
「カットぉ。おけえでーす」
カメラマンは、ジンバルを握って周囲をぐるぐると回ったり姿勢を低くしたり高くしたりしている。
いつものTV会社のカメラマンではなく、外部のカメラマンだ。
しかも、見たことのあるお兄さん――以前、スシローに火臣家と一緒に来ていた『瀬川さん』。パトラッシュとも呼ばれていた謎の人だ。
「普通にしてるだけで絵になるんすよね。素材がいいですからねー。可愛いっすねー。合法撮影の安心感もありますねー」
この瀬川さん、話を聞くと、普段は業が深い闇バイト系ゴシップカメラマンをしているらしく、息子経由で話を聞いたSACHI先生が「まともな仕事やるから来なさい」と引っ張ってきたのだとか。
ぜひ光の当たるカメラマン道を進んでほしいものである。
ところで息子って言うのは、もしかして火臣恭彦?
ネットで調べた情報によると、それっぽい。
「次アップでひとりずつ行きまーす」
「はーい」
「これはどういう意識でライティングしたん?」
「これはですねー、適当です」
聞こえてくる会話がゆるい。
趣味で楽しく撮ってます~ってノリだ。
撮った映像を見せてもらうと、エモい――「あ、いいな」と思っちゃう魅力みたいなのがある。いい感じだ。
「次、カナミちゃんは女の子特有のめんどくさい感じでお願いしまーす」
「その指示は伝わるのか?」と思っていると、カナミちゃんはわかったみたいで、ちょっと湿度が高くて重い女の子をフレームの中に映していた。
カナミちゃんは特別、演技のレッスンを受けたりはしていない。でも、陽キャ全開のカラッとした気配から一変してめんどくさい女子になれるんだな。
「女の子は生まれつきの女優」という言葉があるけど、すごい。
「王司。あたしのめんどいところ、ブサイクだったでしょ」
「カナミちゃん、可愛かったよ。あの指示ですぐできるんだ、すごいなーって見てたよ」
「え、え、そう? えへへ、照れる。うれしー」
カナミちゃんは感情がストレートでオープンで、可愛い。
アリサちゃんも「よかったよー」とスポーツドリンクを渡している。
「カナミちゃんは行動力もあるし、自分をさらけ出して生きていくって感じがすごいと思う」
「二人してあたしを調子に乗せて! 調子に乗っていいの? 乗るよ? えへへ」
カナミちゃんは真っ赤になって照れて、ペットボトルのキャップをコイントスするみたいに指で弾いてキャッチしてから、中身を飲んだ。
「この飲み方、CMが元で流行ってるんだよ」
「へえー?」
キャップ落としちゃったらどうするんだろ。
一気に全飲みするから関係ないってスタイル?
「移動しまーす」
「はーい」
ちょっと撮ってから、私たちは移動した。
次に降りた場所は、スポンサーでもあるファーストフード店の前だ。
有名なピアニストがストリートピアノを弾いているらしくて、人がピアノの方に流れて行く。
SACHI先生は「今だ、入れ」と私たちを店内に押し込んだ。
「いやー、うちの旦那が暇そうだったんで、客を引き付けといてって頼んだのよ。今あっちもYoutube用の『プロがストリートピアノしてみた』動画撮ってるわ」
SACHI先生の旦那さん、お疲れ様です。
でも、人を集めたら何かのきっかけでこっちに人が流れてくるリスクも高くなるんじゃ?
「えー、ゴシップカメラマンの血が騒いじゃうんですが。撮りに行って『托卵について一言ください』ってインタビューしてきてもいいですか?」
瀬川さんが物騒な血を騒がせている。やめてあげて。
奥さん目の前にいるから。SACHI先生が黒い笑顔になってるよ。
「瀬川君。雇い主になんか言いたいことありそうね。旦那より先に私にインタビューしてもいいよ? すっげー炎上しそうな発言してあげようか?」
「あっ、なんか怖いんですけど撮ります」
「撮るなって言いたかったんだけど、伝わらんね。あはは。いいよ」
瀬川さんは骨の髄までゴシップに染まってるな。
怖がりつつ「托卵を非難する声がネットに多数ありますが、どう思ってますか?」と本当に質問した。
SACHI先生は「貴様、やるな」と鬼軍曹みたいな顔で言ってから、純真無垢な元アイドル様の顔へと表情と雰囲気を一変させた。
突然、カメラを向けられてびっくりしたみたいに目を丸くして。
怯えるように眉を下げて、一歩引いて、両手を胸にあてて。声は、いつもよりワントーン高くて、ウィスパーボイスだ。
「えっ、なんのことですか……? そんなことあったかな。あったとしても多分、言っちゃだめなことだと思うし。ノーコメントです、ごめんなさい……!」
――「可愛い」。
なんだろう……ちょっと可哀想な背景がありそうで、「この子、きっと悪い大人に騙されちゃったんだな」ってなるような――雰囲気が少女っぽいと思わせてくれるキャラだ。
ノコさんと違って、「作ってません。天然です」ってオーラがある、可愛くて無垢なキャラだ。「この人、とっても心が綺麗な人なんだろうな」って思っちゃう雰囲気だ。
キラキラしていて、魅力的だ。
「楽しい気分、元気なエネルギーを感じたかったら、この人を見よう」って思わせてくれるカリスマオーラみたいなのがある。アイドルオーラだ。
100%作ってるキャラだと思うんだけど、「作ってない」ってその瞬間は思ってしまうような……説得力みたいなのがある。
目の前で豹変しなかったら、「この人は演技じゃなくてそういう人なんだな」って思っていたに違いない。
演技って感じもあんまりしないんだ。変な感じ。人格スイッチが切り替わったみたいな。
感心しつつ店内に入ると、撮影用の設定が共有された。
私はウーバーイーツの配達用バッグを渡された。
「葉室王司、三木カナミ、高槻アリサはウーバー配達。月野さあや、こよみ聖、五十嵐ヒカリは店員。緑石芽衣、先生とお客さんな」
SACHI先生は芽衣ちゃんの手を引いて席に座った。
この時には、もう元の先生キャラに戻っている。
うーん、鳥肌が立った。なんだ、この人は。女優の実績はないはずだけどなぁ。
「先生はママ役だよ」
「はい、先生」
謎の設定付きである。SACHI先生もMV出演するの?
「彼氏が迎えに来たのでかえりまーす、という設定でーす」
こよみ聖先輩は、彼氏が迎えに来る設定らしい。
彼氏は金持ちで、送迎車付き――アイドルのMVで彼氏とキスするって斬新すぎるだろ。
ウーバー配達員組が配達バッグを背負い、店を出るまでで撮影完了。
あっ、店の外に人が出待ちしている。
「ジュエルちゃんだー!」
「ほんとにいた!」
SNSで話題になっているらしい。
興奮気味に黄色い声があがると、その騒ぎでまた人が増える。
「応援ありがとうございます! 失礼しますー!」
「道開けてくださーい」
少数精鋭のスタッフさんが全身を肉壁にして守ろうとしてくれるけど、数の暴力が凄まじい。
ロケバスまで人をかき分けて進んでいると、伸びてきた手が体をかすったりするので、結構怖い。
こういう時に自分の体が小さいと、恐怖心がより大きいんだな。
ひええ。おさわり禁止でお願いします。
「♪太陽に手を伸ばせ 鳥が飛んでいく 大空にGOGOGO」
怖がりつつ進んでいると、ストリートピアノの方からアイドルソングが大音量で聞こえてきた。
20年くらい前のヒットソングだ。江良も知ってる。
「サチの声だ!」
「そういえばサチもいるんだっけ」
「あっちにサチがいるってー!」
これ、たぶん旦那さんが「そっちじゃなくて、こっちに来い」って人寄せしてくれてるんだな。
ちょっとだけ周囲の圧が軽くなったので、私たちは「今だ!」とバスに乗り込んだ。
「人を集めさせる場所をもっと遠くにするべきだったかな!」
SACHI先生は明るく言って、私たちを自宅に連れて行った。
「ラストは家でお勉強会とピザパーティしてるっぽいシーン! デリバリーね、私料理しないから。撮影使用料は無料! 食費も請求しないから打ち上げだと思って食べて帰って!」
SACHI先生の自宅はタワーマンションの高層階だった。
エレベーターで一気に上がると、耳がきんとなる。広い部屋はテーブルの周辺が一段低くなっていた。
「こっちの部屋は今から宅配ピザ並べるから、並べてる間にお勉強風景撮ってて」
SACHI先生に案内されて、ジュエルたちはコネクティングルームに移動した。
ローテーブルと可愛いクッションが並ぶ部屋には中学校や高校の教科書やノートが用意されていて、みんなしてテーブルを囲んで学生ごっこするみたいに教科書をめくったりノートにラクガキする映像が撮影された。
「ピザ用意できたよー、全員、手を洗ってー」
次は、洗面所で並んで手を洗うシーン。
そして、ピザパーティだ。
「全員でピザ囲もう。いただきまーす」
カメラマンの瀬川さんもカメラを固定してフレーム外でピザに手を伸ばしている。
「みんな順番にカメラに近付いて~、ホームビデオみたいに」
「はーい」
ガラスのコップにオレンジジュースとグレープジュースが注がれて、みんなでガラスを持ち上げて「かんぱーい」と声を揃えると、もう打ち上げの雰囲気だ。
ピザカッターで切り分けたときにカットした部分のチーズが伸びて落ちるのが、「ピザだなー!」って感じ。
「いただきまーす」
「ごちそうになりまーす」
ピザをつまむと、指が火傷しそうなほど熱い。
口に運ぶと、やっぱり熱い。
チーズの脂とベーコンの脂がトマトケチャップとタバスコに混ざり、独特の酸味と燻製肉の味を主張している。輪切りにされたピーマンの苦みがちょうどいい塩梅で、生地は薄めだ。
「あっつ……美味しい」
食べているうちに、撮影は終わった。
SACHI先生は「終わり終わり、おつかれー!」と終了ムードでテレビをつけて寛いでいる。
「食べかけのピザは最後まで食べてって。食べたら全員まとめてロケバスで家まで送りまーす」
「はーい」
テレビでは、文学フリマが話題にされていた。
『本日、都内で出店者が自ら作った作品を自ら手売りするフリーマーケット形式のイベントが行われました』
会場の風景が映し出される。
すごい人だ。賑わっている――ピザ、もう一切れいただこう。タバスコいっぱいかけよう。
『この行列、すごいですねー! 短歌が人気なようです。私も買ってまいります……えっ、高槻大吾さんですか?』
んっ? 高槻大吾?
ピザを食べる手を止めてテレビを見ると、本当に高槻大吾が映っていた。
アリサちゃんも「あ、お兄ちゃんだ―」と声をあげている。
『歌舞伎役者さんですよね? あのう、歌舞伎界のプリンス様って呼ばれていらっしゃる……?』
『いかにも、僕が歌舞伎界のイケメンプリンスランキング4位、高槻大吾です』
高槻大吾は晴れやかな笑顔で短歌集をカメラにアピールした。
タイトルが『ヨッ』。200円だって。
『おすすめは13ページからの「ふられたけどこれから好きになってもらうぞという気持ちを詠んだ短歌」からの「彼女のお兄さんに睨まれてるけど怖くないぞという気持ちでケーキを一緒に作った短歌」です』
なんだその短歌。気になるよ。
「相変わらずクリエイティブなお兄ちゃんだね、アリサちゃん」
「お兄ちゃんは忙しいはずなのに、気づいたらいろんなことしてるんだよー。あの本、たぶんお家に在庫があると思う。今度見せるね、王司ちゃん」
「見なくてもいいかなぁ……」
食べ終えて帰る時、SACHI先生はひとりひとりにプレゼントをくれた。デビューの前祝いで、アップルカードだ。
「葉室と高槻は演劇祭もあるんだって? 先生、応援に行くわ。今度はチケット買えそうだし」
「あ、プレゼントしますよ、チケット」
アリサちゃんがSACHI先生にチケットを贈る約束をしている。ふーむ。ちょっと踏み込んでみようか。
「息子さんも出演しますし、応援したいですよね、お母さんとしては?」
勇気を出して聞いてみると、SACHI先生は軽ーいノリで「そうそう。うちの子、舞台なんてできんのかしら。びびって逃げ出さないか心配だわー」と笑った。か、軽いな。
「それじゃあ、ばいばーい、王司ちゃん。また学校でね」
「うん、ばいばーい」
一対どんなMVが完成するのだろう……楽しみだなぁ。




