106、お化け屋敷とカレーライス
――【葉室王司視点】
文化祭が始まり、お化け屋敷にお客さんがやってきた。
私はお化け役だ。
長い黒髪ウィッグをつけて、真っ白な貞子衣装に身を包み、屋敷(教室)の中に潜んでいる。
手元のスマホ画面では、『お化け通信』という名前のグループチャットでお化け屋敷スタッフ(生徒)が情報交換中だ。
教室の外で受付係をしている生徒が、スマホのグループチャットで内部の生徒に情報を共有してくれる。
:結構来てる
:朝イチでビビりに来るとは、やるな
:最初はママグループだよ
:いきます
一番乗りはママさんグループらしい。
教室の中は黒塗りの板や布で日光を遮っていて、最初に井戸のセットがある。段ボール製だ。
日本人形が中に置かれていて、人形の手だけ井戸の外に出しているのが、ホラー味を感じさせる。
「きゃっ、早速いるわね」
「このお人形、うちのよ。やだー、お祓いしないと家で飾れなくなっちゃうわ。ふふふ」
あ、この声は我が家のママじゃないかな?
潤羽ママだ。
高槻アリサ:貞子1号がおもてなしするね!
グループチャットで宣言して、アリサちゃんが「キャー!」という悲鳴をあげさせている。
悲鳴の後、ちょっと落ち着く時間を与えてから貞子2号だ。
3号、4号と続いて行って、ちょっとずつ「追い詰められている! もう逃げられないわ」と思わせて――最後に私がカレーをお勧めするんだよ。
長い黒髪ウイッグと真っ白な貞子ウェアで、いざゆかん。
ずるっ。べちゃっ。ずるずる。
「出たぁぁー!」
「きゃあああ!」
ママさんたちが怖がって逃げていく。
我が家の潤羽ママもいたよ。あと、緑石芽衣ちゃんもいるや。
逃げた先には、『カレーで休憩コーナー』がある。ここがゴールだよ。
特別スタッフで本物の悪魔のセバスチャンが段ボール箱から顔だけ出して苦悶にあふれた死に顔の演技をしてくれているよ。
「あら、我が家の執事が死んでるわ。そこの貞子は王司ね。ママは顔が見えなくてもわかるのよ。おほほ」
「えっ、ここでカレー食べるの?」
「食べずに出てもOKでーす」
「うちの子がカレーを練習してたのはコレだったのね」
ママさんたちは狐につままれたような顔でカレーを食べてくれた。からい、からい、と好評だ。
「お化け屋敷は楽しかったわ。カレーもおいひいわ、王司」
「お水をどうぞ、お客様。ママ、来てくれてありがとう!」
悲鳴もあがったし、カレーも出せたし、大成功だね!
お客さんを何組かおもてなしていると、グループチャットにアリサちゃんから「王司ちゃんのお兄さんが来たよ」という情報が入った。
兄、火臣恭彦は、パーカーフードを被っていて、眼鏡にマスクの変装姿だった。ピンクの風船と手提げ袋を持っている。
そういえば、インスタで「今日中にフォロワーを110人増やしたいかもしれない。どうしたらいいだろうか」なんて投稿してたけど、どうしたんだろう?
あと、ちょっとぐらい怖がって?
「貞子さん、お疲れ様です」
「労いありがとうございます、恭彦お兄さん。インスタ見ました」
「ひっ」
貞子よりインスタに怯えるとは、相変わらず心情が理解できないお兄さんである。
「恭彦お兄さん。今、なんで怯えたんですか?」
「いえ……見られてしまったんだな、と思いまして。そうそう、差し入れを持ってきました」
ちなみに、差し入れとして手提げ袋から出されたのは、Amazonギフトカードだった。
「お誕生日プレゼントも兼ねています。これでお好きなものを買ってください」
「わー。ありがとうございます」
「風船もどうぞ」
お礼を言ってカレー席を勧めると、恭彦は「これで一つ終わった」と安堵していた。ビジネス兄め。でも、プレゼントは嬉しい。わーい。
インスタのフォロワーは仕事関係だろうか。
影響力を気にするクライアントの場合、「フォロワー数何人以上」とか「〇〇ランキングに名前が出ていること」とか契約ラインが提示されることもある。
カレーを振る舞いながらチェックすると、フォロワーは減っていた。
ふーむ。力になってあげようかな?
堂々と手伝うと、よく思われない気がする。こっそり手伝おう。
とりあえずグループチャットかな。学校のクラスのと、アイドルグループ『LOVEジュエル7』と、アイドル部と。
葉室王司:みんな~
葉室王司:このインスタ(URL)兄です
葉室王司:これからこのアカウントに兄妹仲良し動画や写真を投稿します
葉室王司:フォローして楽しみにしてくださーい
葉室王司:お友だちにも拡散してねー
よし、あとは動画だ。
「恭彦お兄さん。動画を撮りましょう」
「俺はすでに今、撮っています」
おおっ、恭彦がスマホカメラを向けてくる。
学校行事の家族の動画を撮るタイプに思えないけど、やっぱり解像度の上がらない兄だな。
なかなか「兄はこんな人。絶対、間違ってない。完全に把握してる」と理解した気になれない。
「貞子でーす。貞子、接近中でーす」
「怖くないです……いや、ちょっと怖いかも」
貞子が這いつくばって接近する。
標的・恭彦は左手でカメラを向けたまま右手でカレーを食べている。
ぜんぜん怖がってないじゃないか。カレーは美味しいか?
「お兄さん、つ、か、ま、え、た」
足首をがしっと掴むと、「でんぐり返しとかしたほうがいいですか?」と真面目な声で問いかけてくる。
「それは貞子DXですね、恭彦お兄さん。ぜひお願いします。私が撮りますから」
撮影役を代わると、恭彦は「捕まったので死にまーす」と言って華麗にでんぐり返しをしてくれた。
「今の貞子カレーでんぐり返し動画、ショート動画にして投稿してくださいね」
「いいですよ」
よしよし、と投稿を見守っていると、恭彦はTikTokに動画を投稿した。
NO~~! そっちじゃないよ!
お兄さんがフォロワー増やしたいのはインスタでしょうに!
「お兄さん! もっと短いのを私が加工して用意しますから、インスタにも投稿してください!」
「あっ……承知しました……あれ? フォロワー数が減る前の数字に戻ってる」
増えてるね。嬉しそうだね。よかったね。
動画を投稿した恭彦は、「それでは俺は演劇鑑賞に行くので」と言ってお化け屋敷を去って行った。
演劇か~、TSピーターパンの時間だよね。
今日は時間が合わないから、明日観てみよう。
あ、アリサちゃんからメッセージが届いてる。
高槻アリサ:王司ちゃん、私のお兄ちゃんもお化け屋敷にきたよー
葉室王司:今私のお兄さんが帰ったところだよ。入れ違いだね
高槻大吾は変装なしでイケメンルックスをさらけ出していた。道中で引っかけたのか、最初から連れてきたのかわからないが、女子が数人付いてきている。
「可愛い貞子さんに会いに来ました」
高槻大吾は私の手を取り、芝居がかった仕草で手の甲にキスをするフリをした。
恭彦といい、高槻大吾といい、お兄さんたちはお化け屋敷を何だと思っているのか。
ぜんぜん怖がってないので、ちょっと悔しい。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室潤羽視点】
葉室潤羽は、未婚のシングルマザーだ。
それも、自分が産んだわけではない子どもを育ててきた出産未経験マザーだ。なんなら処女である。
最初の方はお人形遊び気分だった時期もあるが、今では「産んではいないけど、私はママよ」と心の底から思っている。
『葉室王司ちゃんと高槻アリサちゃんが貞子に変装しておどかしてくれるお化け屋敷があるらしい』
SNSを見ると、まるでコンセプトカフェみたいに噂がされている。
しかし、この学校の文化祭は誰でも入れるわけではないので、『なにそれ行ってみたい』『チケットほしい』『行けなくて悔しい』というチャットが次々と投稿されていく。
「うふふ」
潤羽はニンマリとした。
娘、王司は芸能人だ。とても人気がある。
うちの子が人気で嬉しい親心。限られた者しか入れない空間に入れる選民感、優越感。
SNSを見るたびに気持ちよくなってしまうので、最近では「SNSは午前と午後合計して5時間まで」と自分に制限を設けているくらいだ。
「王司ちゃんママじゃないですか~、おはようございます~!」
「あら、ごきげんよう!」
入場しようとすると、顔見知りママが「ご一緒していいですか?」と声をかけてくる。顔見知りママが知り合いを見かけて声をかけ。ぼっちで不安そうなママに「ご一緒しない?」と声をかけ……立派なママ友グループの出来上がりだ。
「王司ちゃんママは本当に偉いと思いますわ。仲の悪い妹さんの子を1人で育てていて」
知り合ったばかりのママが同情的に言ってくれる。
潤羽は感動した。ママたちは、腹を痛めて出産している。だから、出産経験のない潤羽を「自分たちとは違う」と言って仲間扱いしてくれないのではないかと思っていたのだ。
この同情的な対応は、「潤羽は酷い女」と思われていた頃には見られなかった――潤羽自身は、別にそう思われていてもいいと思っていたが。
娘、王司が真実を暴き、「潤羽は妹の子を育てる良い姉」と印象を覆してくれたおかげだ。
「おほほ……。でもねえ、わたくし、恥ずかしながら男性が苦手ですの。子どもは好きだけれど、普通の結婚や出産をする自分がずっとイメージできなかったものだから、ちょうどよかったの。産んでこそいないけど、自分の子だと思っていますわ。神様からの贈り物ね」
「わかりますわ。私も家の都合で主人と結婚しましたが、愛はありませんの。出産はしましたが、女は子どもを産む道具じゃないのよってずっと思っていましたわ! でも、子どもは可愛いのです。私は出産をしていますが、王司ちゃんママのお気持ちはとってもわかりますわ!」
そして、ママ友グループは世間話や身の上話に花を咲かせた。
潤羽にとって彼女たちは、これまで「会社のターゲット層」だった。
それが、今は「お客さん」ではなく「自分が所属するグループの仲間」になっている。
グループの内側に入ってみると、ママたちは、独特の連帯社会を生きているように感じられる。
姑や旦那の愚痴を言って「なあにそれ、ひどいわね」「うちもそうよ!」「よくあるのよねー」と悪口大会をしてスカッとする。
家事や育児の苦労を語り、生活不安を共有する。
ストレスを感じた話を共有して、「かわいそう」「でも頑張っててえらいわぁ」「いつでも話聞くからねぇ」とメンタルを救済し合い、自己肯定感を高め合って、絆を深める――マウントをして気持ちよくなったり嫌われたりするママさんもいる。
なるほどな、と思った。
例えば、匿名で愚痴や弱音を吐くアプリは今の時代、たくさんある。
しかし、非匿名で「私は味方よ」「みんな同志よ」と話を聞いたり聞いてもらったりできるグループは、匿名で同じやりとりをした時の何十倍も他者承認された気がする。
心強くて、自己肯定感が高くなる。
もっとも、この手のグループでは「表面は仲良しだけど、裏はどろっどろ」というのも、よくあることだけれど……。
「妹との関係って、難しいわね」
ママ友が愚痴るので、潤羽は頷いた。
「本当にそう」
潤羽が思うに、双子の妹みやびは、幼い頃から「私が一番愛される!」というタイプのお姫様だった。
一番身近にいたライバルは、双子の姉の潤羽だ。
潤羽は「妹にすっごく嫌われてる」と感じつつ、平和主義な立ち回りを見せていた。スルーしたり、思惑通りに陥れられてあげたり。
「私、姉よりすごいのよ!」と言う妹に「そうね。あなたの方がすごいわ」と言葉を返して、欲しがるものを譲って、押し付けられるものを請け負った。
結果、妹はどんどん調子に乗った。
「姉の立ち回りって、正解はなんだったのかしら」
人間関係の正解は、本当にわからない。面倒だ。
今朝も、入場開始前に騒ぎを起こしていたと聞く。
妹とは、趣味が合わない。
潤羽は競争を好まない。人の上に立たなくてもいい。面倒だ。権力も、便利ではあるが、権力を持つ他人に「わたくしの過ごしやすい環境にしてね」とおねだりして自分は悠々とスローライフを送る方が好みだ。他人を積極的に陥れようとも思わない。
しかし、妹は自分と真逆だ。父の後継者になる野心を抱き、ライバルを積極的に蹴落とし、陥れ――野望が潰えたのちは、大人しく現実を受け入れるどころか、「失うものは何もないから」といっそう過激になってしまった――いわゆる「無敵の人」である。
「楽しそうなのがむかつくので腹いせに火災を起こすつもりだった」「文化祭をぶち壊すつもりだった」としゃれにならない供述をしていて、ナイフを隠し持っていた――そんな報告が潤羽の耳に届いている。肝を冷やされた。
妹は、現在、威力業務妨害罪や銃刀法違反、放火未遂罪に問われている。
親族から素行の悪さゆえに追放されているため、妹を守る権力はない。
裁かれてほしい、と潤羽は思う。
15年前の罪も、「問題がありすぎる」と叫ぶ声は多かった。
強要罪や脅迫罪、名誉毀損・侮辱罪、職権濫用罪などが話題になったが、罪が暴かれたタイミング的に時効が成立していたのだ。
それに、その手の罪は被害者本人が訴える必要があるが、彼は裁判を起こさなかったのである。
自分だけならまだしも、大切な自分の娘に害を成そうとしたという事実は見過ごせない。
哀れに思えるラインを越えている。許さない。
「母は強しって言葉があるでしょう? ママは、可愛い娘を守るのだわ」
潤羽は扇子を開いて毒を含む表情を淑やかに隠した。
すでに父親には話を通してある。
二度と社会復帰できないようにしてあげる。
一生、獄中か、精神病棟で過ごすがいいわ。
本人に直接電話もして、はっきりと警告もした。最終勧告とも言う。
『みやび。わたくしの優しいお姉様の仮面は、もう在庫切れなの。二度とうちの娘に近寄らないで。次に不快なことをしたら、あなたは事故で海に沈むことになるわよ』
姉は、やられっぱなしではないのだ。姉の「いいわよ」「譲るわよ」には限度があるのだ。
そうわからせてあげると、胸が空く思いがした。
「王司ちゃんママ、お化け屋敷ありましたよ!」
ママ友がお化け屋敷を発見してくれた。
明るい表情で「行きましょう、行きましょう」というママたちの中で、二人だけ「お化け屋敷は遊びじゃない」みたいな顔で身構えているママがいる。
初めて知り合ったママたちだ。
片方は、娘である王司のアイドル仲間、緑石芽衣ちゃんのママ。
そしてもう片方は、卒業生のママで、ソラちゃんママと言うらしい。
「なんだか、お化け屋敷って本当に幽霊が出そう……私、外で待っていようかしら」
「……わ、私は……もし、娘がここに導いてくれたなら」
何を深刻な顔をしているのか。
潤羽は不思議に思いつつ、「さあさあ、中学生ちゃんが作った可愛い出し物よ? そんなに怖がるものじゃないでしょ!」と声をかけ、リーダーとしてママ友グループを引っ張った。
「きゃー!」
「イヤー!」
お化け屋敷はちゃんと怖かった。そして、娘、王司は楽しそうにカレーを勧めてきた。
娘は今日まで家でも「この味にしようかな? もっとこのスパイスを利かせようかな?」とカレーの味を試行錯誤していた。
正直、娘の作るカレーは辛すぎて潤羽にはつらいのだが、今日まで頑張っていた姿を思い出すと、苦手な激カラ味も涙腺を刺激する感動的な美味となる。
ああ、美味しい。からい。
娘が可愛い。からい。無事でよかった。
「お化け屋敷は楽しかったわ。カレーもおいひいわ、王司」
舌がぴりぴりする――うちの娘は、カレーを作って接客できるくらい大きくなったのね。
「お水をどうぞ、お客様。ママ、来てくれてありがとう!」
――王司。
ママはあんまり良いママじゃないけど、良い子に育ってくれてありがとう。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
休憩時間になったので、私とアリサちゃんは制服に着替えて出店巡りをすることにした。
隣のクラスはメイド喫茶で、可愛いコスチュームをしたカナミちゃんがオムライスに「おいしくなーれ」をしてくれた。
「もーちょっとで休憩の予定! 休憩時間までメイドするから待ってて!」
可愛いから写真撮っておこう。ピンクのメイド服がよく似合ってるよ。
「3人で写真撮ろうよ」
「うん、うん」
「メイド服、余ってるから王司とアリサも着てみない? 3人メイドで写真撮ろうよ」
「えっ」
結局、3人でメイド服を着てポーズを撮った。
とっても可愛い写真が撮れたので、私もSNSに投稿しよう。