105、人間失格な気がしてなりません。カジキだから
ついに文化祭の日がやってきた。
前の日は授業なし。
1日中みんなして教室を魔改造した。
もはや教室は勉強をする場所ではない。お化け屋敷だ。
当日の朝は、ママに見送られて家を出た。
セバスチャンが運転する車で学校の門の前に着くと、まだ早いのにチケットを持ったお客さんがいる。
チケットを持っているということは、生徒の親族とか知り合いだと思われる。
老若男女さまざまなお客さんたちは、顔見知り同士で「おはようー」「早いわねー」なんて話していた。一人と目が合うと、「あっ」と声をあげられる。
「あ、鈴木家の葉室王司ちゃんだ」
「まあ、本当。可愛い!」
「応援してます!」
手を振られている。応援してくれてる。
わぁ、わぁ。ありがたいね。
「おはようございます、文化祭楽しんでください」
ぺこっと頭を下げたときに、聞き覚えのある声が聞こえた。
「チケットは忘れたのよ」
「そうそう。忘れたの」
……チケットがなくてごねてる人たち?
視線を向けると、知っている人たちがいた。
あれ? スーツ姿のママがいる……いや、利き手が違うな。
あの「ママに似てる人」は、潤羽ママの妹で、不愛想で冷たい葉室みやびだ。懐かしい。
彼女は葉室王司を産んだ母親で、私がいつも一緒に生活している潤羽ママの妹なんだけど、私的には「毎日一緒に過ごしている育ての親の潤羽ママが葉室王司のママ」という認識だ。好意も身内意識もない。
一緒にごねてるのは、私が所属するアイドルグループ『LOVEジュエル7』の振付師、SACHI先生だ。ハーフらしくて、蒼い目と金髪をしている美人のお姉さんなんだけど……。
門前でチケットをチェックする係の人が仕事をしている。まだ受付開始前だろうに、お疲れ様すぎる。
「生徒の身内だと証明できるものをお持ちですか?」
「はあ? そんなのないわよ」
みやびが逆キレ風に言うと、SACHI先生が鼻で笑った。
「ないない~。ってか、こっちのお嬢様は入れちゃあかんでしょ。やべーお嬢様じゃない。権力を笠に着た高慢ちきな寝取り女。パパが偉いからって人の家庭めちゃくちゃにしてさあ」
「なんですって? あたくし、知ってるわよ。あんたこそヤベー女じゃない」
「お、お二人とも……!」
あー、係の人を挟んで口喧嘩が始まっちゃったよ。
「へーいお嬢様。そういや、あんた悪行が過ぎてパパに見放されたんだって? 知ってるよー、『せめて家族への悪意がなければ』って言われたんだってね。当たり前よぉ。あははっ、『パパに言いつけてやるー』ってもう出来ないんだってね。ざまぁー!」
「本性丸出しね。清純派で売ってたくせに、真っ黒……! 昔のファンが可哀想だわ!」
「真っ黒なのはお嬢様でしょ。私は真っ白だが? ピュアッピュアだが?」
わ~~、なんだあの二人。
変だよ。やばいよ。怖すぎるよ。
……チケットなら1枚あるけど、どっちにもチケット渡したくなぁい。
警備員さんを呼ぼう。うん、それがいい。
「もしもしー。あ、警備員さんですか? あのー、門の前で、女の戦いが始まっててですね。治安維持をお願いします。怖いです。警備増やしてほしいです」
通報していると、揉めてる門から距離を取りつつ、困っている様子の上品な奥様が目に付いた。
「お困りですよね、今通報してますからね」
「風にチケットが飛ばされちゃったわ。どうしましょう……うちの子の女装見たいのに」
おや、チケット飛ばされちゃったの? あげるなら彼女だな。
「生徒のご家族の方ですよね? チケット、1枚だけあるので、どうぞ」
「まあ! ありがとう。あなた、アイドルの子よね? うちの子がいつも『可愛い』って言ってるのよ。あ、勝手にばらしちゃだめね、怒られちゃうわね」
「あはは、ありがとうございます」
チケットを渡しているうちに、警備員がキャットファイト中の二人を連れて行ってくれた。
よかったー。治安は無事、維持されたな。
みやびと会うことは今後ないと思うけど、SACHI先生とはレッスンで会うので、次に会う時がちょっと怖いな。どういう人なんだろう。
「警備員さん、ありがとうございます! よかったぁ! みなさん、お騒がせしました。警備の方が増員してもらえましたので、この後は安心できると思います。では、私は準備がありますので」
警備員さんは英雄みたいな顔で敬礼してくれた。お仕事お疲れ様です。
校門をくぐって教室まで行くと、お化け屋敷になった教室には早めに来たクラスメイトが数人いて、「最終チェックだー!」とセットを直していた。みんな、やる気満々だ!
「おっ、おはよう葉室さん。早いね! 今日は楽しもう」
「貞子役、期待してるよ!」
汗をうっすらと浮かべたクラスメイトたちが私に向ける笑顔は「これが無垢です」って感じで、心が洗われる心地がした。これだよ、これ。文化祭は子どもたちが主役だよ。
「みんなで最高の文化祭の思い出、作ろうね!」
みんなのキラキラした文化祭は、警備員さんが守ってくれるよ!
開始前に増員できてよかった!
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【火臣恭彦視点】
妹の学校の文化祭当日の朝。
火臣恭彦は、八町大気とメッセージのやり取りをしていた。
八町大気:恭彦君、文化祭に行くんだね
八町大気:月組の子たちにとって良い刺激となりそうな動画や写真が撮れたら共有してほしいな
八町大気:あと、せっかく行くなら、ただのお客さんで終わらず現地で目立ってくるといい
八町大気:文化祭で人気が出ることをして君のインスタのフォロワーを100人増やせたら、知人のドラマに出させてあげよう
火臣恭彦:動画や写真はいけそうですが、フォロワーは……
火臣恭彦:5人じゃだめですか?
八町大気:105人にしよう
火臣恭彦:10人にしてください
八町大気:では、110人で
火臣恭彦:無理です
八町大気:君、ドラマも成功して人気が上昇中だろうに。なんで無理なんて言うの
八町大気:僕は言霊って割と「ある」と思っているから、自分が「無理」というと本当に「無理」の結果になるし、「出来る」と言うと「出来る」と思っている
八町大気:「出来る」まで言えなくても、せめて「やってみる」「挑戦する」と言うことをお勧めするよ
火臣恭彦:挑戦します
でも無理だと思います――本音を胸に仕舞い、恭彦はインスタに「今日中にフォロワーを110人増やしたいかもしれない。どうしたらいいだろうか」と投稿した。その瞬間、フォロワーは10人減った。
「なぜ……」
フォロワー数を気にする発言は好感度マイナス要因だったのか。
SNS、わかんねえ。俺、たった一言で嫌われたのか?
そんな嫌われるような投稿だったか?
他人の気持ちがわかんねえ――恭彦は震えた。
震える手でスマホ画面を見ていると「脱ぐとか?」「エッチな動画投稿する」「お金ばらまく」「業者に頼もう」というコメントが送信されてくる。
みんな、俺が悪かった。
変な投稿しなければよかった。
反省してる。過去に戻ってやり直したい……。
メンタルが崩壊しかけた恭彦は、現実逃避した。
SNSを閉じて再生したのは、一時期ネットで出回っていて、今はもうほとんどが削除されている、業界の闇を収めた動画だ。
内容を簡単に言うと「実力があるのにブレイクできてない俳優にスポンサーが役を世話する提案をして肉体関係を迫る」という動画である。これが、見るたびに最悪な気分にさせてくれる胸糞動画なのだ。
「世の中クソすぎるだろ、こんな現実大っ嫌いだ」と青臭く文句を言いたくなって堪らなくなるし、自分の無力さを感じて「もうこの現実やだよぉ、見たくないし忘れてしまいたいよぉ、思い出したくないんだよぉ」と頭を抱え込みたくなる。
「これと比べれば、さっきまでの出来事は全然大したことがないな」
恭彦はメンタルを立て直した。
つらいなーと思うときは、よりキツイものを見る。
「アレよりマシだな」と思えば、乗り切れる。
……これが恭彦流のストレス対策なのである。
「恭彦。出かけるのか。インスタを見たが、何かあったのか? 110人とはずいぶん具体的な数字だが?」
家を出ようとすると、父が話しかけてきた。
さっき投稿したばかりなのに、把握されているのがちょっと気持ち悪い。
阿呆な投稿のせいでフォロワー数が減ったのも見てるんだな。
俺の醜態を見ないでくれ。恥ずか死ぬ。
「恭彦。フォロワーに変なことを言われても真に受けてはいかんぞ。過激な露出をするな。エッチな動画など絶対にだめだ」
親父、自分はR20のエロエロドラマでドスケベしてるくせに――20歳以下のため観ていないが、SNSで大騒ぎされているのは知っている。観たいとも思わないが、内容も再生数も「すごい」らしい。
「親父。SNSチェックするのはやめてほしい……」
恥ずかしいから。
むすりと言うと、父は「今日はツンの日か」と頷いた。なんだツンの日って。
「出かける日はツンの方が安心かもしれんな。お前のニャンは妙な宗教みたいに人をおかしくする。あれは……恐ろしい……」
俺にわかる日本語でしゃべれ親父。
「パパは歯が痛いので家で寝ている。文化祭に行ったりしないので、お前は安心して楽しんできなさい」
父は腹をさすり、咳をしながら「いってらっしゃい」と見送る眼差しになった。
しかも「腹じゃなかったな」と言い、頭をさすったりもした。
「いや、痛いのは歯だろ、親父」
「おお。それだ。歯が痛むなあ。つらい。実につらい」
これが一流と言われる実力派俳優の仮病演技か?
手抜きすぎる……。
「……いってきます」
どうせ文化祭に行くのだろう、と思いながら、恭彦は家を出た。
外の太陽は、早朝なのに、すでに眩しい。
父が作った不法侵入者用の小屋が目に付いた。これから出勤らしきゴシップライターが「行ってきます」と挨拶をして、同じ小屋に住む学生カメラマンに「いってらっしゃい」と送り出されている。謎だ。
自分は他人であり、彼らとなんら変わりない――ふと、そんな思いが湧く。
違いは、寝泊りする場所が家の内部か、庭にある小屋か。
あと、「家族だと思いこもうとしてもらえているかどうか」だろうか。
我が子の学校行事は、親にとっては、二度とない貴重なイベントだと思われる。
父が血の繋がりのある娘の学校行事に興味を持ち「行きたい」と思うのは自然な感情であり、血の繋がりのない息子が「やめろ」と言う権利はないのではないか――そんな考えが浮かぶ。
でも、妹が嫌がるから。
妹は父を嫌っているから。父はクズだから。
だから「やめろ」と言う俺は、許されるんじゃないか……。
そんな言い訳と同時に、胸の中には「俺の学園祭に親が来たことなんてなかったのに」という仄暗い思いが湧く。
さらに「でも、隠れて来ていたらしいし」と自分を慰める声が湧いたりもする。
……複雑だ。拗らせている。
自分は19歳にもなって、気持ちの悪い生き物だな……と思ってしまう。
しかし――故・江良九足、本名・江良進一の演技ノートには、彼が親の愛情をもらえず、愛情に飢えていたらしき記載がある。
そう考えると……。
「自分と江良進一は似た感情を有していて、もしかして似ているのではないか」
「気持ちの悪い自分は、もしかして俳優として有利なのではないか」
「俺は第二の江良九足になれる素質があるのでは?」
――なんて考えも浮かぶのだった。
「……」
===
火臣恭彦:八町先生。俺のスケジュールです。
9時30分~:お化け屋敷で妹とアリサさんに挨拶→10時30分~:演劇鑑賞→12時~:未成年の主張イベントを眺めながら飲食店で買った飯を食う→15時~:アイドル部のステージを観る、の順番で巡ります。2日目は行きません。
===
チャットの文章をコピーして、八町大気に送信した後で父に送った。
===
恭彦:八町先生。俺のスケジュールです。
9時30分~:お化け屋敷で妹とアリサさんに挨拶→10時30分~:演劇鑑賞→12時~:未成年の主張イベントを眺めながら飲食店で買った飯を食う→15時~:アイドル部のステージを観る、の順番で巡ります。2日目は行きません。
恭彦:誤爆した、悪い親父
===
これでいいだろう。初日は時間をずらして出くわさないように工夫できるし、2日目は何も気にせずのびのびと羽を伸ばせる。
父は早速、誤爆に反応している。
パパ:八町先生?
パパ:お前、八町大気とLINEしているのか?
パパ:インスタの件も八町大気が何か言ったのか?
すごいだろう、親父。
俺は八町大気に割と気に入られているんだ。ドラマの役ももらってみせる。
……もらえるかな? 自信ないな……。無理じゃないかな。無理だな……。
火臣恭彦:八町先生。参りました。俺は挑戦する前に心が折れてしまったのです。申し訳ありません。
八町大気:この短時間で!?
火臣恭彦:俺という生き物はそういう生き物なのです。恥を忍んで生きております。
八町大気:太宰治?
火臣恭彦:人間失格な気がしてなりません。カジキだから
八町大気:君はマグロだ。自信をもって進化しよう、恭彦君
八町大気:僕は打ち合わせの時間だ。すまない。また後で
仕事の邪魔をしてしまった。
自分も行こう――恭彦は父のLINEを思い出し、画面を開いてマグロのスタンプを送信しておいた。