103、ハッピーバースデー
他のシーンの稽古もしてから、【西】のチームメンバーは全員で第三会場に移動した。
第三会場では、【東】のメンバーが先に集まっていて、指揮杖を手にした八町大気がピアノの前で講義をしている。
ずるいぞ、こっちのメンバーにも同じ講義を聞かせてよ。
八町の前には、二つのバケツがあった。赤いバケツと青いバケツだ。
八町は杖をバケツに向けて説明した。
「赤いバケツは、お風呂ぐらいの温度のお湯が入っています。青いバケツは、冷蔵庫で冷やした水が入っています。では、クイーン。赤、青、赤の順に指を浸し、僕の言わんとすることを当ててください」
生徒に説明させようとしている。手抜きだ、手抜き。
クイーンと呼ばれた西園寺麗華は、今日は赤い縁の眼鏡をかけていた。よく似合っていて、美人って感じだ。
「はい、八町先生。冷たい水に触れたあとだと、お湯がいっそう熱く感じます。先生は、芝居も同じだと仰りたいのでしょう。つまり、緩急やギャップ、のろのろと登ったあとの急降下……」
「急降下のあと、一番高いところまで昇って、絶景を見せたいね。昨今では激しいジェットコースター劇よりも緩急がゆるやかな観覧車劇が好まれる傾向もあるが……僕たちのアリスは、どちらが好みかな?」
僕たちのアリス、と指名されたのは、高槻アリサちゃんだ。
アリサちゃんはリボン付きのカチューシャをしていて、いつも二つに分けて結んでいる黒髪を結ばずに垂らしている。
不思議の国のアリスっぽさがあって、可愛い。
「はい、八町先生。私はのんびりと寛げる観覧車が好きです」
「アリスの好みを教えてくれてありがとう。僕たちはリラックスできる観覧車に乗ろうね」
八町は優しく言って、ピアノの「ド」の鍵盤を同じ強さで三回叩いた。
そして、3秒ほど静寂を貫いてから、もう一度鍵盤に指を置いた。
今度は、最初は消え入りそうなほど小さく、次にびっくりするぐらい大きく鳴らした。
みんながビクッとしている。
「気が緩むような話や、しょうもない冗談、明るくコミカルなシーン……それを続けた後、ふざけていた人が急に鬼気迫る表情で、それまでの雰囲気で浸っていた気分から一転させるようなセリフを言う。観覧車でリラックスして、降りたあとにホラーハウスに行くのもいいね。もしくは、観覧車が止まったり爆発する」
これ、【西】チームのメンバーが発言してもいいのだろうか? するよ?
「八町先生。【西】チームの葉室ですが、観覧車はあくまでもリラックスの場がいいです。止まったり爆発させたりするなら、乗る前に『この観覧車は途中で止まったり爆発します』って注意書きを出さないと、クレームが来ると思います」
「おっと、【西】チームの子たちが合流していたね。集中していて気づかなかったよ。では、八町組の諸君。お勉強を一度中止して、差し入れを配ろうではないか」
ん? 八町組?
講義は一度中断されて、夕食が配られた。
「差し入れのおにぎりとクッキーでーす。こっちはマクドナルドでーす」
ソファに全員が座って、それぞれの目の前に置かれたテーブルの上におにぎりやマクドナルドの袋やクッキーが置かれる。
私のソファは、アリサちゃんと芽衣ちゃんが一緒に座っているジュエル3人掛けソファになった。
「劇団のSNSに写真を投稿しまーす」
離れた位置からの写真とソファごとの写真を撮って、お決まりの文句を唱和して、夕食が始まる。
「今日の稽古もおつかれさまでした! 『ライバルは戦友であり、劇団は家族である!』 いただきまーす!」
まずは、おにぎりからかな。コチュジャン味噌おにぎりというのが気になる。
「葉室王司、コチュジャン味噌おにぎり、いただきます」
両手を合わせ、感謝の儀式をしてからおにぎりをいただくと、表面はカリッとした食感。
口の中でゆっくりと広がるコチュジャンのピリ辛と味噌のコクが、絶妙だ。
「ふ……っ」
自然と笑顔がこぼれる。
辛さが一瞬の刺激を与えたかと思えば、すぐにご飯の甘みと旨味がやってくる。
焼けた味噌の香ばしさが後を引いていて、噛めば噛むほどに奥深い味わいだ。
アクセントとして弾けるゴマの風味が、まるで花火のよう。
辛さと美味さで、体温が上がる。
花火、打ちあがりました。
この深い満足感――私はこのおにぎりが……好きだ……。
「私、おにぎりと打ちあがったよ、アリサちゃん。『食ってみろ、飛ぶぞ』ってやつだよ」
「王司ちゃん、戻って来て。でも、味が好みだったみたいでよかったよー。このおにぎりね、お兄ちゃんが作ったの」
「あっ、そうなんだ? てっきり、クッキーかなーって思ってたよ。そういえば今日、お兄ちゃんいないね、アリサちゃん? うちのお兄さんもいないけど」
グレープジュースを飲みながら言うと、アリサちゃんは耳に顔を寄せてナイショ話をしてきた。今日はナイショ話が多い日だな。
「あのね、お兄ちゃんたち、どっちが作った差し入れが王司ちゃんに好かれるかで勝負してるの。クッキーを作ったのが恭彦さんだよ」
「……」
あっぶなあああああああ!
また好感度を下げるところだった!
「わああ、クッキー美味しそーう! えへへ、食べていいのぉ? あっ、美味しい。サクサクしてて、口の中で蕩ける~♪」
慌ててクッキーを頬張り、よいしょしていると、食事しながらのお勉強会が始まる。
「歩き方や速度、表情や身ぶり、声のトーン……小さな表現を少し変えて、2人の関係性や感情を変化させましょう」
八町は「落とし物をした女の人に、男の人が声を掛ける」とシチュエーションを指定した。やりたい人~、と募集がかかり、チェシャ猫のカチューシャをつけた羽山修士とシャカチキをシェイク中の星牙が立ち上がった。
羽山修士は猫背で警戒心の強い猫みたいな動きをして落とし物を拾い、ものすごく挙動不審になりながら女の人の腕をちょっとつついて注意を引いた。
ん? って顔で星牙がシャカチキを手に振り返る。
「あの、落としましたにゃあ」
「はい、シャカシャカ、あらー、ありがとうザマス、シャカシャカ」
二人ともキャラ濃いな。
八町はツッコミをすることなく、「同じシチュエーション、女の人は小学生女子。男の人はおじいさん。小学生は声をかけられたけど気づかないで行っちゃう」と変化させた。
星牙の小学生女子がシャカチキを振りながら「誘拐されるぅ~!」と叫んで逃げていく。
おい、設定は「気づかないで行っちゃう」だぞ。
羽山修士が「自分はただ、落とし物を渡そうとしただけで……」と逮捕されていく。
誰かおじいさんの弁護してあげてー! 私がするか。
「おまわりさーん。おじいさんは落とし物を拾ってあげただけです。私、見てました!」
「飛び入りの学生が無実を証明してくれました。では終わり」
八町が締めくくってくれた。よかったね、おじいさん。
シャカチキは私もいただこう。辛い味の粉が付いているんだ。美味しさの素だよ。
クッキーageも忘れずに。
「芽衣ちゃん。このクッキー、美味しいからおすすめだよ」
「ありがとうございます、王司師匠」
「王司ちゃん、師匠になったの?」
「アリサちゃんも江良組に入る?」
「なあに、それ」
クッキーを食べながら見物していると、八町は「交代したい人~」と募集をかけた。
麗華お姉さんとさくらお姉さんが交代メンバーになっている。
「次は、片方がなんでもいいので『自分はナニナニをするよ』と宣言してください。そして、相手役は『ナニナニをする』が困難になりそうなものを考えて、『例えばコレコレでも、ナニナニをするの?』と聞いてください。宣言した人は、何を言われても『それでもするよ』と答え続けてください」
さくらお姉さんは、ダブルチーズバーガーを一口噛んでから宣言した。
「俺は全人類愛すよ!」
そのフレーズ、何かを連想するな……。
麗華お姉さんがすぐに質問を投げかける。
「相手はあなたを嫌っています」
「それでも……愛す!」
「愛すって言葉を言うと全身に激痛が走る呪いにかかっていても?」
「愛す!」
「お前を殺すーって腹に爆弾巻いて刃物構えて突撃してくる相手でも?」
「愛すよ?」
「呼吸するのが辛いぐらい臭いゾンビ化したおじさんが『養って』って言って来ても?」
「愛すよ~♪」
「一回も関係持ってない恋人が妊娠して『あなたの子よ!』と言い張る!」
「いいよ、自分の子ってことにするよ。愛すよ」
「その相手を愛したらあなたは死んでしまう!」
「それがなんだって言うんだ。愛してるよ……!」
「あなたが相手を愛すと世界が滅びてしまうので、相手が『私を愛さないで!』って頼んでくるけど?」
「でも、愛してるんだ……!」
星牙が「世界、滅びたわー。巻き添え食らって死ぬぼくら、大迷惑やー!」と笑ってる。
私は世界が滅びる前にシャカチキを堪能した。
粉とチキンの油がいい感じに口の中で絡み合っていて、美味しい。
「世界滅亡前のシャカチキ、最高だよ、アリサちゃん、芽衣ちゃん」
これはお勧めせねば、と思って言うと、アリサちゃんが「お兄ちゃんたち、戻ってきたよー」と教えてくれた。
アリサちゃんに促されて部屋の入り口を見てみると、ちょうど高槻大吾と火臣恭彦が二人がかりで大きな箱を抱えて部屋に入ってくるところだ。
着ぐるみブラザーズの白うさぎ(丸野代表)とピンクパンサー(猫屋敷座長)とトド(名前を言いたくないあの人)もいる。
なんだ?
「高槻アリサちゃんと葉室王司ちゃんのお誕生日が近いので、お祝いのケーキでーす」
あっ。そういえば、葉室王司の誕生日、もしかして明日?
お揃いのイルカのペンダントには、誕生石のサファイアが煌めいている。あのときに「同じ誕生月なんだ~」と思ってたのに、忘れてたや。
「おめでとうございまーす!」
「わあっ……」
テーブルに大きな箱が置かれて、中身が披露される。
大きなハート型のケーキだ。
真っ白な生クリームがきれいで、赤くて艶々したイチゴがいっぱい飾られている。
二頭身の砂糖菓子人形が2体置かれてる。
両方ともパステルカラーのピンクのうさぎで、可愛い。
「王司ちゃん、1日早いけど、お誕生日おめでとうー! これ、私からのプレゼントだよ。ペンケースなんだけど、小物入れにも使えるかも」
「可愛い~! ありがとう! アリサちゃんもおめでとう~!」
アリサちゃんは可愛いペンケースをプレゼントしてくれた。
しまった。
アリサちゃんへのお誕生日プレゼント、急いで用意しなきゃ。
何がいいかな? 私もペンケースを選んで贈ろうかな?
「アリサちゃん。同じペンケースを私がプレゼント返しするのって、あり?」
「すっごくあり! お揃いの使おうー♪」
お揃いの文房具でお勉強するの、いいな。
アリサちゃんが通販サイトを教えてくれたので、早速ポチッとプレゼントだ。
東西チームのメンバーがバースデーソングを歌ってくれる。
人数が多いから、大合唱だ。
「♪ハッピーバースデー、トゥーユー!」
「♪ハッピーバースデー、トゥーユー!」
歌い終わったタイミングで、「お兄ちゃんたち」が小さな花束を贈ってくれた。
アリサちゃんとお揃いの、くまのぬいぐるみが花束を持っているスタンディングブーケだ。
「わ~、ありがとうございます!」
写真も撮ってくれている。
いい思い出になるね。
「お兄ちゃんたち、お礼に文化祭のチケットあげるー」
「アリサ! わかってるなー、お兄ちゃん期待してたんだ。ありがとう」
「ふふふ。恭彦さんもお暇だったら来てくださーい」
「ブンカサイニ、アニガ、イク?」
「恭彦さん、異文化に初めて出会ったみたいな反応してる」
アリサちゃんがお兄さんたちにチケットを配ってるから、私も麗華お姉さんにチケットをあげよう。
「お姉さん、スケジュールに余裕があったらでいいので、もらうだけもらってください」
「まあ王司ちゃん! ありがとう~!」
麗華お姉さんは赤い爪先でチケットを撫でて、「こういうイベントって青春って感じよね。羨ましいわ」と微笑んだ。
そうそう、青春なんだ。
青春のおすそ分けだよ。
「お姉さん、スケジュールにとっても余裕があるの。だから、行くわ。あ、あと、お誕生日のプレゼントにこれあげる。新品だから安心してね」
「わあ、舞妓さんのリップクリーム! いい匂いがする……舞妓さんの気分になれますね」
「可愛いこと言うじゃなーい。舞妓さんの気分を楽しんでね、王司ちゃん」
東西チームのみんなにお祝いしてもらって家に帰ると、SNSで劇団のアカウントが投稿した「お誕生日の2人をお祝いしました!」という写真や動画を観たらしきママが「我が家のお誕生日祝いは明日よ」とお祝い宣言してくれた。楽しみが増えたよ。
寝る前には、カナミちゃんからメッセージが届いていた。
三木カナミ:日付が変わったら、一番におめでとうってメッセージするけど、起きてなくていいからね
葉室王司:ありがとうカナミちゃん
三木カナミ:睡眠大事だから気にしないで寝てね
葉室王司:うん、おやすみ
舞妓さんのリップを塗ってベッドに入り、こっそり夜更かししてスマホを手に待っていたら、飼い猫のミーコが「にゃー」と鳴いて枕の横にのっしりと座った。可愛い。
日付が変わると同時にいろんな人が「おめでとう」のメッセージを送ってくれた。お祝いしてもらえて嬉しいな。
「ミーコ、今日ね、お誕生日なんだよ。みんながおめでとーって言ってくれてるんだ」
「にゃー?」
たくさんの「おめでとう」に幸せ気分にしてもらい、私はこの体で初めてのお誕生日を迎えたのだった。