102、ザネリは私がもらった
文化祭が週末に迫っている。
そんな月曜日の放課後、文豪座劇場での稽古があった。
今日は、最初に【西】チームの稽古場で稽古。
次に第三会場で東西が合流して、夕食をみんなで食べながらお勉強会だ。
学生組は学校が終わってからの参加だけど、他のメンバーは午前中から稽古をしているらしい。
稽古場に入ると、シーンを抜粋しての抜き稽古中だった。
「王司先輩。こっち」
緑石芽衣ちゃんが壁際に手招きしてくれる。
隣に座ると、耳元に顔を寄せてナイショ話をしてくる。
「王司先輩。ママ、文化祭行くって」
「そっか。楽しんでね!」
「今、みんなで順番にザネリ役をしてる」
「みんなで?」
「兼役を誰がやるか決めるんだって」
「へえ……」
現在、広いスペースに出て演技を披露しているのは、さくらお姉さんだ。大人っぽいザネリだな。
「らっこの毛皮が来るよー」
ザネリは、ジョバンニとカンパネルラの同級生だ。
少年説が有力だけど少女説もある。
学校の授業中に前の席から振り返って、質問に答えられないジョバンニを見てくすっと笑うとか、ジョバンニのパパが密猟者疑惑のあることを揶揄うとか、「嫌な奴だなー」ってキャラだ。
主人公のジョバンニは、貧乏な家の子。
母は病気で、父は長い間帰ってこない。以前はカンパネルラとよく遊んでいたが、最近は家のために労働していて、友だちと遊ぶ暇がなくなってしまったキャラ。
友だちのカンパネルラは、裕福な家の子。他の子に囲まれていたりする人気者なキャラだ。
お祭りの日は、カンパネルラはザネリたちと遊んでいる。
そして、川に落ちたザネリを助けて、カンパネルラは落命する……。
『いい奴が死んで嫌な奴が生き残るのが皮肉』と言われたり、『その後のザネリ』に注目した作品が生まれたりしている。
ザネリが少女だと解釈する場合は、カンパネルラとジョバンニの三角関係と言われたりもする。
要は、出番自体は少ないが重要なキャラで、存在感がある美味しい役だ。
やろうかな?
猫屋敷座長が「ふうむ」と演技を止めている。
「大人で賢しいザネリやね。その突き出して半端に開いてる手は何する手なん? 『みんなであいつを叩け』って指さしてるんか、『やあい、やあい』とおどけてるんか、『わっ』って不意を突いておどかすんか、その他かな」
着ぐるみ姿の座長が言う声は穏やかだ。
「ぼくにはわからんけど、うちのお客さんはぼくより理解力が高い人たちばかりやから、お客さんはわかるかな。ああー、でもな、今回はお祭りで普段とは客層もちゃうからな。普段来ない層も来るからな……ぼくレベルでもわかる演技がええかもしれんな」
「ぶぶつけでもどうどす」的な遠回しのダメ出しだ。
「ハンパな演技すな」と言いたいのだろう。
さくらお姉さんが返事をして下がると、次の順番だったらしき星牙がこっちに絡んできた。
「あいつ〜、オレらとなんか、ちゃうねんな〜! かわいそーなやつやって、オレのオカンも言ってたわぁ! カーッ、ジョバンニ〜、こんな祭りの夜もお前、仕事かぁ?」
星牙のキャラは、ウザくて嫌なキャラだ。
わかりやすい。
なんかカツアゲしようと手をクイクイしてるし。
「前はカンパネルラと仲良くしとったみたいやけど、今はカンパネルラはオレといるわぁー! オレの方が仲良いわぁー! でも元気出しやー、お前のおとーちゃんから、もーすぐ、らっこの毛皮が来るさかい。はっはー」
「うっざ。星牙のザネリうっざ。もうアンタがやれ」
「やろうかなぁ~。でもなぁ、ぼく、カンパネルラやから~!」
「あ~、うっざ」
「静まれ~」
身内感のある空気で西の柿座のメンバーが「もっとさくら姉さんはキッズにならな!」とか「しんじくんを見本にせえ」とか「それ、しんじくんに失礼ちゃう?」とかワチャワチャしてる。
芽衣ちゃんは「お芝居はよくわからない」と呟いた。
「私のときは、『楽しくやるのが大事、ただ、セリフがお客さんに聞こえるようにもっと大きな声で』って言われた」
「芽衣ちゃんも参加したんだ?」
「星牙君は『映像演技やな、生の舞台辞めて配信だけにしよか!』って言ってた」
「わぁ、言いそう」
芽衣ちゃんは「どういう意味?」と尋ねてくる。
そ、そうか。教えてもらってないのか。
よし、それでは江良先生がカナミちゃんから借りてきた携帯用ホワイトボードに絵を描いて説明しようではないか。
「芽衣ちゃん。テレビドラマとかネットのショートドラマって、声はちょうどいい大きさで、画面に映るのは編集されていて、顔のアップとか工夫された画角の映像を『これを見てね』って見せられるよね。でも、会場にお客さんを入れて目の前でお芝居するときって、声が小さいと聞こえないし、お客さんは舞台のどこにでも視線を向けていられて、顔だけアップで見たりすることがないよね」
「うんうん」
だから、舞台での演劇は大げさになる。
2人だけでコソコソと会話しているシーンでも、会場の隅々まで聞こえる声量だ。では、どうやってコソコソ感を出すかというと、姿勢や距離や視線、身振り手振りだ。
美術の成績2の実力で棒人間を描いて説明すると、芽衣ちゃんは「可愛い」と言ってくれた。
「例えば、発言をする主役に注目させたい、お客さんに見てほしいってなったときに、他の全員が一斉にしゃがんで、主役だけがバンザーイってすると、主役に注目が集まる……現実で会話している人たちが、こんな動きしてたら不自然だけどね」
「あやしい人たちって思われちゃう。ふふふ」
楽しそうに笑ってくれてる。よかった。
「もし、このときに、しゃがむはずの人がひとりだけしゃがまないで立ってたら、お客さんは『あの子だけ何してるんだろう』って注目しちゃう。そんな風に、舞台上にいる間は、ずーっと立ち姿にも視線にも目的や意味があるんだ。ひとりひとりが体全部を使って、全員で計画的に表現する――伝えるのが、これから私たちがチームで挑戦することだよ」
芽衣ちゃんは「なるほど」と頷いてくれた。
そして、「映画は監督のもの、テレビドラマは脚本家のもの、舞台は役者のもの」と呟いた。
「生のパフォーマンスが中心だから、不安もあるよね。でも、大丈夫だよ。今回の舞台ねえ、大きいモニターを設置して映像補助をつけたり、マイクを置いたりもするんだって。西の柿座のメンバーは舞台演技をするけど、映像演技でも大丈夫なように補助してもらえるはず……私も一緒に舞台にいるしね」
芽衣ちゃんの手を引いて二人で前に出ると、「今度はザネリを二人でやるんか?」と星牙が冷やかしをしてきた。
それも楽しそうだけど、これからザネリをするのは、私だけだ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【ジョバンニとザネリ】
壁際で見ている劇団員は、全員がひとことも無駄口を叩いてはいけない気分になり、芝居に夢中にさせられていた。
2人が坂道を下っている。そんな芝居だ。
葉室王司は「ぼくの真似をして」と言って、初心者の芝居を引っ張っている。
「暗いね、でも、街灯が蒼白く光ってるから危なくないよ」
かげぼうしが踊るように、葉室王司が緑石芽衣の周りで踊っている。彼女は今ジョバンニの影であり、心の中で対話するもう一人の自分なのだ、と、伝わった。
「ぼくは、りっぱな機関車だ。ここは坂道だから速いぞ!」
今、電灯を通り越す――影はジョバンニの手を引いて、りっぱな機関車の心に染めていく。
二人でスペースを大きく使って、大きな表現を作っている。
「ぼくのかげぼうしは、コンパスさ! くるっと回って、ほうら、もう前だ!」
「ふふふ!」
影がくるっと回って、「ばあ」とおどかすようにすると、ジョバンニは笑って跳ねた。
ああ、楽しそうだ。
真っ暗な中、子どものジョバンニが生き生きとしている。
「見て、ザネリだ。カラスウリを流しにいくのかな? 問いかけてみようか?」
「うん」
かげぼうしは不穏な気配でくるくると舞いながら、ジョバンニの前方に移動した。そして、ザネリになった。
ひとりになったジョバンニは、違和感を覚えた様子もなく、自然な調子で問いかけた。
「ザネリ。カラスウリを流しに行くの?」
いつも緑石芽衣が発する日常会話用の声よりも、ずっと大きな声だった。
アイドルとしてボイストレーニングをしている成果を感じる、安心感のある発声だった。
答えるザネリは、劇団員が初めて見る少年だった。
動きが軽やかで、ひらっとジョバンニの位置を通り越して行く。小柄だ。
周りに仲間がいて、無敵って感じだ。
声は、堂々としていて、未成熟な――子どもっぽい心を思わせる少年声だった。
「ジョバンニィ、お父さんから、ラッコの上着が来るよぉ」
いやなやつ。
一言で不快にさせてくるやつだ。
そんなザネリに眉を寄せていると、ジョバンニはよろけて、へたりとしゃがみこんだ。
顔を覆って、隠している。
――あの『女の子』。
むき出しの悪意の刃にショックを受けたのではないか。
言葉に胸が抉られたのだ。
離れた位置にいる無関係の劇団員ですら、不快を感じたのだ。
直接「自分のこと」として言葉を浴びせられた『女の子』は、本当に傷ついたに違いない……。
劇団員がそう思ったとき、ザネリは消えて、かげぼうしが勇ましく戻ってきた。そして、叫んだ。
「なんだい、ザネリ!」
かげぼうしは『女の子』の傍に行き、ぎゅっと彼女を抱きしめた。
「ぼくが何もしないのに、ザネリはどうしてあんなことを言うのだろう。走るときは、まるでネズミのようなくせに。あんなことを言うのは、ザネリがばかだからだ!」
この子は、男の子だ。ジョバンニだ。
劇団員はジョバンニを見つけた。そして、ジョバンニに手を引かれて、『女の子』が立ち上がり――「考えながら歩こう、ぼくは行かなきゃ。そうだろ、ジョバンニ」「うん。ぼく、行くよ」――『女の子』は、再びジョバンニになった。
――この芝居は、即興なのか?
劇団員は無意識に腕をさすっていた。
芝居が終わると、拍手が湧いた。改善点としては、途中で初心者の緑石芽衣が少年ではなく少女だと思えてしまうような表現になってしまった点だろうか。
しかし、その穴ももう一人の演者、葉室王司が見事にサポートして、演技を完走させてしまった。
「……君は、本当に……舞台初めて?」
思わず猫屋敷座長が確認して、「本番でもこれでいこか」と即決してしまうほど、彼女は高い実力を持っていた。
彼女は初心者を引っ張り、無理なく楽しく演技させて、即興で完成度の高い芝居を作ることができるのだ。
なんとも恐ろしい女の子である。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――【葉室王司視点】
「本番でもこれでいこか」
猫屋敷座長が決めてくれたので、ザネリ役は葉室王司――私だ。
ザネリは私がもらった。
もらった。もらっちゃった!
ジョバンニとザネリをくるくるして遊べるよ。楽しいね。
この調子で未定の兼役を私が全制覇したらだめだろうか。
「ふふふふふ……」
葉室王司……ジョバンニ、ザネリ
緑石芽衣……ジョバンニ
星牙……カンパネルラ
ルリ……女の子(かおる子)
しんじ……男の子
さくら落者……ジョバンニの母
TAKU1……鳥捕り
兵頭……大学士
高槻大吾……子どもたちの家庭教師
新川友大(入院・リハビリ中)……学校の教師
配役リストが更新されるのをニコニコと見守り、私は恍惚となった。
「演技、楽しかったです。王司師匠」
「おおっ。芽衣ちゃん! 私のお弟子ちゃん……!」
師匠だって。可愛いなぁ。恭彦が本人非公認の心の弟子1号だとすると、芽衣ちゃんは本人も公認のオープン弟子2号だよ。
「芽衣ちゃん。これからも、王司師匠と一緒に演技を楽しもうね!」
「はい」
江良組を作ろう。
私色に染まった役者を集めて、みんなで八町の映画に押しかけるんだ!