笑顔の女
いつもわたしを笑顔で見てくる女性がいる。
笑顔と聞けばきこえは良いかもしれないけれど、それはそれは、不気味な笑顔だったりする。
女性は口角を上げて、歯を見せる。目はずっとこちらを見ていて、瞬きをしない。
最初に見たのは、わたしが通勤で毎日利用しているバスの中だった。その日は座ることが出来て車窓から外を見ていると視線を感じた。
わたしは感じた視線の方へ目を移した。すると女性が笑顔でこちらを見ている。目があってしまった。すぐに目をそらす。
恐る恐る、わたしは再び女性を見た。やはりわたしを見ていた。目を瞑って、早くこの時間が終われと祈った。
しばらくすると、視線を感じなくなった。ほっと一息を入れて、いつも通り出社した。
会社の中にいる間も、パソコンから視線を外して遠くを見ると笑顔で女性がわたしを見てくる。
トイレの鏡を見ると後ろに女性が立っていた。もちろん、笑顔だ。
会社を出て、同僚たちと居酒屋で飲みの誘いを受けたので行くことにした。気分転換しないとやっていけない。
居酒屋に着くと、同僚に今朝バスで起きたことを話した。同僚の1人が明らかに動揺していた。
「その女性、髪は長かった?」
「うん」
「白いワンピースで……」
「うん」
同僚は頭を抱えていた。
「ねぇ、どうしたの」わたしは聞いた。
「ごめん、今日はもう帰る」
そう言うと、同僚はお店から出ていってしまった。
「どうしちゃったんだよ」同僚の男性がわたしに聞いてきた。
「知らない」わたしは首を振った。
わたしは気持ちを切り替えようと、居酒屋に置かれていたテレビを見た。ちょうど野球中継をしていて、攻守が後退して、選手たちが一人一人映し出されていた。
画面が切り替わり、客席の方へカメラがズームする。
わたしは心臓がドキッとした。
今朝、バスの中で見た女性がいたからだ。カメラ目線で笑顔だ。
わたしはすぐに視線をそらした。
その様子を見ていた別の同僚が心配した声で言ってきた。
「おい、大丈夫か?調子悪いのか?」
「女性が……」
「女性?」
「こっちを見てるじゃないですか」わたしは思わず声を荒らげてしまった。
同僚は困惑した表情でテレビの方を見た。
「いないぞ」
「客席にいたんです」
「うーん……きっと疲れてるんだ。今日はもう帰れ」
同僚はわたしの肩に手を置いて言った。
わたしは同僚の言う通り帰ることにした。
酔いを覚ますのに少し歩いた。街灯が数メートル置きに設置されていて、わたしの履いているパンプスの足音だけが響いていた。
同僚の言った通り、疲れているんだ。ぐっすり寝れば大丈夫。あれは幻覚なんだ。そう言い聞かせながら歩いていると、先に帰った同僚のあの動揺した態度が気になった。
服装も髪型も言ってないのに……なんでわかったんだろう。
そう考えながらわたしは視線を数メートル先の道を見ながらぼーっと歩いていた。
足が見えた。足が見えた?裸足だった。雪のように白い足だった。
わたしは少しずつ視線を上げていった。白いワンピース……長い髪が見えた。腰のあたりまで伸びている黒く長い髪だった。
首のあたりで止めた。きっと凄く不気味な笑顔でこちらを見ているのだろう。わかってて見るなんて嫌だ。
わたしはどうしていいか、わからなかった。熊なら振り返らずゆっくりと後ずさりで逃げればいいとテレビで見たことがあるけれど、不気味な笑顔の女性からの逃げ方なんてテレビではやってない。
話しかけることにした。話せばわかるきっと。わたしは、深く息を吸って吐いた。
「……わたしになにか用ですか」視線を下に女性の足を見て言った。
「…………」
返事がない。わたしは女性の顔を見た。笑顔だ。すぐに視線をそらして目を閉じた。
「用がないならわたしの前にもう現れないでください」
「…………」
そーっと目を開けると女性の姿はなかった
後日、先に帰った同僚からあの女性について、噂で聞いたんだけどという前置きの後、話してくれた。
同僚によればあれは同僚の地元では有名な幽霊らしい。熊のように話してしまうけど、撃退方法は“話しかける事”
女性は生前、天涯孤独で自らの不幸に笑うことしか出来なかった。幸せそうな他人を見ては声をあげて笑っていたそう。女性は寂しかった。声をかけてほしかっただけだったのだ。
あれから女性の姿を見なくなった。わからないことが1つ。なぜ女性はわたしの前に現れたのか。
昨日の飲み会に来ていた同僚の1人が息を荒げながらわたしに近付いてきた。
「どうしたの?」
「はぁ……はぁ……すごい不気味な笑顔の女性がずっとこっち見てくるんだよ」
同僚に憑いてきた女性がわたしに、そして別の同僚に
移ったというわけか。わたしはこれで納得したと思い、笑顔になった。
こんにちは、aoiです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ホラーは苦手です。