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恋と愛に挟まれて死ぬ  作者: 夢乃間
3章 白衣の天使
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幕は切られた

 23時55分。僕が生きていられる時間まで、あと残り5分。圧迫される静寂と、いつもより鮮明に聴こえる秒針の音。その秒針は僕の心臓を釘打ち、中心に位置している核を貫こうとしている。

 よく【あなたは最期の日に何をするか?】という話題や、テーマとして扱う作品がある。大事な人と過ごす、好きな物を好きなだけ食べる、前人未到の偉業に挑戦する等、人によって回答は違った。でも、それらは想像上の回答。実際に体験してみると、そんな夢のような考えは頭に無い。あるのはただ【生きていたい】という懇願。

 死の覚悟は出来ても、死の恐れを拭う事は出来ない。死の道を歩く決断をしても、その歩みが速いわけではない。

 生の渇望。人間はほんの少しの事で死を望むが、その死の瞬間に、生きる事を望んでしまう。自ら選んだ選択肢なのに、まるで誰かに強要されたかのように被害者を演じる。それが人間であり、それが人間の仕組み。どんな人間も、生を求め、死を望み、また生を求める。

 

「もう少しで時間ね」


 ソファに座っている僕の後ろから、敦子姉さんが僕を抱きしめてきた。絞めつける力はいつもより強く、恐怖あるいは怯えか、声は震えている。


「……桜ちゃん。幸せそうに眠っているね」


 僕の太ももを枕にして、花咲さんが眠っている。今まで散々な扱いをしてきたせめてもの詫びとして、僕から提案した事だ。初め、花咲さんは凄く恥ずかしそうにしていたが、次第に落ち着いていくと、こうして安らかに眠りについてしまった。

 

「……敦子姉さん。花咲さんが起きた後の事は」


「任せてちょうだい」


「……ありがとうございます。花咲さんは僕にとって、大事な人ですから」


「なら、私は?」


「以前までは信頼出来るお姉さんでした。今となっては、信頼しきれない悪い大人ですが」


「そんな悪い大人に、大事な人を預けちゃうんだ? 自分で守ってあげた方がいいのに。私の事をもう一度信頼してくれるのなら、水樹君の時間をもう少し……ううん……もう、決めた事だものね」


 そう、僕が決めてしまった事だ。誰の得にもならない選択を僕は選んだ。誰かが幸福になる事を捨て、みんなが平等に不幸になる事を選んだ。

 敦子姉さんが僕の選択を尊重してくれて良かった。僕はまだ生きていたいが、それによって犠牲者が現れてしまう。誰が死のうが、僕だけは生き延びてみせると思っていたが、敦子姉さんと花咲さんを意識してしまったが故に、そうも言ってられなくなった。二人は、僕にとって第二の家族だ。

 残り3分。前兆は起きていない。でも、死ぬ事が確信出来る。あの時、敦子姉さんから短剣を受け取った時、僕は選択肢の末路を垣間見た。一つを除き、全てロクでもない末路だった。幸福になれる選択肢もあったが、その代償は凄まじく、人としての情を捨てなければ選べない。

 だからこそ、僕は今の選択肢を選んだ。敦子姉さんと花咲さんが悲しみながら生き永らえ、人間は変わらぬ日々を送り、世界はほんの少し変化したまま。鷺宮さんが天使の力を失った今、他の天使御一行が介入する事は無い。     

 不完全燃焼という言葉。その言葉は正に、今の僕に相応しい。全てが中途半端で終わる。だからこそ、これ以上の悲劇も、喜劇も、起こる事は無い。


「……敦子姉さん」


「ん?」


「敦子姉さんは、どうして僕を選んだんですか?」


「言ったでしょ。あなたに一目惚れしたって」


「でも、敦子姉さんは全ての運命が見えるんでしょ? だったら、僕よりも悲劇的で、守ってあげたくなる人物はいたでしょう?」


「そうね。水樹君よりも酷い悲劇の末路を辿る人はいくつもいたわ。でも、私は水樹君と出逢い、そして選んだ。私は他人の運命を見れても、自分の運命は見れない。だからきっと、これが私の運命なの。水樹君と出逢い、過ごして、最期を看取る……私は初めて、人間として生きてこられた」


「……じゃあ、その後は?」


「分からない。さっき桜ちゃんの面倒を見るって約束したけど、その約束を果たす事は出来ない。もう運命で決まっているから」


 敦子姉さんは何でも出来る人だと思っていた。家事も荒事も、果ては人の運命すらどうにでも出来る。出来ない事など無いと思っていた。

 でも、だからこそ変えられないんだ。運命を変えられても、運命を定める事は出来ない。つまり、敦子姉さんも、僕らのように運命によって操られている人間の一人なんだ。


「……あと1分……あと1分で、僕は死ぬのか」


「……もう、私でも変えられない……水樹君が、死んじゃう……水樹君が、私の、大切な存在が……いなくなっちゃう……嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ!!!」


 突然、敦子姉さんの様子がおかしくなった。表情を見る事は出来ないが、声色から酷く取り乱しているのが分かる。

 僕は嫌な予感がした。あと僅かな時間で死がやってくるというのに、その恐怖を消し去ってしまう程の嫌な予感。


「何か、嫌な予感がする……! 敦子―――」


 僕が敦子姉さんの名を呼ぼうとした時には、既に手遅れであった。抱擁が拘束に変わり、視界に入ってきた短剣が、僕の胸を貫いた。

 

 体中から体温が失われていく。思考も、感情も、失われていく。生も、死も、僕から遠ざかっていく。


「籠に閉じ込められた青い鳥を解き放とう。でも野には放たない。外は危険で一杯。だから、私が飼ってあげよう。幸せを呼ぶ青い鳥に、私が幸せを贈ろう。ここに生も死も、恐れも不安も無い。ただ私の腕の中で、安らかな安寧の日々を」




 佐久間水樹は【放棄】を選択していた。誰の得にもならない選択であり、誰の損にもならない選択。自身に定められた新たな死の運命を受け入れれば、これ以上世界が変わる事はなく、佐久間水樹によって犠牲が出る事も無い。

 しかし、その選択の果てを佐久間水樹は知らなかった。その選択は、誰の得にもならない選択ではない。

 その選択とは【監禁】であった。体も、魂も、思考も、感情さえも、木島敦子によって囚われてしまう末路。

 生は死を失った事で存在意義を失くした。運命は他人に奪われ、辿る道を定める者が世界から木島敦子に変わった。

 人であった佐久間水樹は、木島敦子によって殺された。そこから先の運命は、木島敦子にしか分からない。

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