反撃
血と小便が混じった嫌な液体が床に広がっている。全身を傷付けられた所為で、動く気力が湧かない。今日やられたペンチで肉を潰される拷問は痛かったな。僕が痩せてたから、拷問する奴が肉をつまむのに苦労してたっけか。口にペンチを突っ込まれた時は流石に驚いたけど。
今日で何日目だ? この薄暗い地下室には、時間を把握出来る物や風景が無い。あるのは、沢山の拷問器具と、こびりついた悪臭と、コンクリートの壁。長居し続ければ、変な病気にかかりそうだ。
「うわぁ、痛そー」
声が聞こえた。この屋敷にいる人間の声じゃない。初めて聞いたような気も、ずっと昔から知っているような気もする。
目を動かし、声がした方へ視線を向けると、そこには僕が立っていた。あの悪夢で見る幻の僕だ。僕は僕の惨状を見て、顔を引きつらせていた。
「随分と惨い事を……殺すなら、パッとやりゃいいのに!」
「……それじゃ気が済まないだろ」
「返事をした?……あー。さては、僕の声が聞こえてるね?」
「独り言のつもりだったか? 邪魔して悪かったな」
これ以上、幻の自分と会話をするのは止めておこう。せっかく日常生活で幻を見なくなったんだ。今見て、聞いたのも、この拷問生活の苦しさから逃げたい願望の現れだろう。
「へぇー」
「……は?」
幻のはずの僕が、僕の肌を指で突っついた。以前まで無かった感触がハッキリと感じられる。実際に、幻の僕の指先が肌に沈んでいるのが見えた。
幻が実体化している。あまりにも非現実的だが、実際に現実で起きている。
「……なんで……なんで、触れられたんだ……?」
「成長しているようだ。だが僕は幻の存在。いくら色を濃くしても、幻は幻。現実の存在にはなり得ない。だが、君が僕の成長を促しているのなら別だ」
「僕が?」
「原因は分からないが、確かに今の僕は現実に存在している」
幻の僕はキョロキョロと辺りを見渡し、壁に掛けてある拷問器具に手を伸ばした。しかし、その手は拷問器具を通り抜けていき、触れる事が出来ないようだった。
「触れられるのは君だけ、か。まだ現実の世界で生きるには足りないようだ。しかし、一体何が原因でここまでの急成長を?」
その時、部屋の扉の鍵が開けられた音がした。幻の僕は僕を流し目で見て、指を振って消えていった。自我も成長しているようだ。
扉が開き、拷問部屋の中に入ってきたのは、白く長いネグリジェを着たリリーであった。リリーは手に持っているロウソクの燭台で周囲を照らしながらゆっくりと進み、やがて横たわっている僕のもとへ辿り着く。僕を見たリリーは、まるで恐ろしい化け物を見たような表情を浮かべた。
「……なんだよ」
「……ごめんなさい」
口元を手で抑え、潤んだ瞳は今にも泣き出しそうだった。僕よりもずっと長く生きてきたのに、随分と涙もろい。
「……ここに来たらマズイんじゃないですか?」
「……私は、この屋敷の主の娘。パパとママの次に、私は偉いの」
「じゃあ、僕をここから出してくださいよ」
「それは……ごめんなさい」
涙を堪えきれなくなったのか、リリーは僕に背を向けた。揺れる肩。すすり泣く声の反響。泣きたいのはこっちだってのに。
「なぁ」
再び現れた幻の僕がリリーの体を通り抜けて、僕の目の前にしゃがみ込んだ。
「このままじゃ君は死ぬ。拷問に耐えかねてか、この薄暗い部屋の悪臭に耐えかねてか。根性があっても、人には限界がある。君は死にたくないし、君が死ぬのは僕も困るんだ。そこで、一つ借りを作りたい」
幻の僕の手が僕の右足に触れると、感じなくなったはずの右足に感覚が蘇った。右足に触れられた手はそのまま僕の全身を撫で回していき、幻の僕の手に撫でられた場所の傷が塞がっていく。幻の僕の姿が見えなくなる頃には、僕の体は傷一つ無く復活していた。
アレがどういう方法で僕の体を治したのかは謎だが、五体満足になった今なら逃げ出せる。でも、ただ逃げるだけじゃ、この屋敷にいる黒服に捕らえられ、またここに戻ってきてしまう。敵は全員大人で、しかも屈強だ。花咲さんのように組み合って勝てる相手じゃない。
逃げ出す手段を考えていた時、ふと見たリリーに目が釘付けになった。リリーはこの屋敷で三番目に偉い人物。父親のリケはリリーのピアニストとしての才能を第一に考えている。人質にするには、これ以上ない程に強力な存在だ。
「リリー」
「グスッ……どうし―――え!? な、なんで、立てるの!? 傷は!? 右足が駄目になってるんじゃないの!?」
「そんな細かい事はどうでもいい。一つ聞きたい事がある。あの父親に言われた通りの人生を送るのと、僕の家で平凡に暮らすのはどっちがいい?」
「どうして今そんな事を?」
「決めるんだ。今、ここで」
「……ピアノは好きだけど、自由に弾けたから好きだった。ピアニストになるなんて、望んでなかった。私は私の演奏を、私が聴いてほしい人達だけに弾きたい!」
「僕の家では、好き勝手弾けませんよ? 第一、ピアノを買うお金があるかどうか」
「グランドピアノだけがピアノじゃない。それに大事なのは物や価値じゃなく、演奏を届ける心」
「分かりました。じゃあ、手頃のを買いましょう。魔王と呼ばれたリリーの演奏が楽しみです」
「フフ。うん……私も、水樹達に聴いてもらうのが楽しみ」
部屋にある拷問器具の中で、片手で扱える物を探す。ほんの少し動かしただけで傷を付けてしまう物。刃物が最適だ。
しかし、何処を探しても包丁やメスのような片手で扱える刃物は無く、あるといえばやたらとデカいハサミだけ。一体これでどう拷問するんだ?
人差し指でコメカミを刺激させ、代替案を考えていると、広間での出来事を思い出した。僕がリリーに指を切り落とせと咄嗟に言った言葉。あの言葉に一際反応を示していたのは、この屋敷の主であるリケだ。
考えを改めよう。人質はリリーではなく、リリーの指だ。馬鹿馬鹿しい考えだが、おそらく効力は首に刃物を突き付けるよりも絶大なはず。ペンチを手に握り、リリーの利き手の指をペンチで挟む。
「これで、どうするの?」
「今からリリーの指は人質になります。多分、脅せます」
「トングで掴まれるドーナッツになった気分」
「馬鹿な事言ってないで。ちゃんと怖がってくださいよ?」
「どう怖がればいいの?」
「あー……指に、毛虫がついたみたいに?」
「嫌ァァァァ!!!」
「よし、それでいきましょう」
ペンチでリリーの指を挟みながら、僕達は拷問部屋の外に出た。地下から一階に上がると、丁度その辺を見回りしていた黒服と目が合ってしまう。サングラスで目は見えないが、首を傾げて口を開けたところから察するに、困惑している。
「おい動くな!!! こいつの指がどうなってもいいのか!!!」
「嫌ァァァァ!!!」
「……」
お互いの役回りを終えると、静寂が訪れた。やはりこんな馬鹿馬鹿しい手は通用しないか。
「待ってくれ!!! あんたの要求は!? いや、それよりもリケ様を! そこで待ってろよ!!!」
効果絶大。黒服は慌ててリケに報告しに走り去っていく。僕はこんな馬鹿共がいる屋敷で拷問されていたのか。
「水樹、今の内に!」
「え? あ、ああ、うん……」
なんだかモヤモヤするが、またとないチャンスだ。今の内にこの屋敷から逃げ出そう。




