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勿忘草  作者: もずく酢2022号
2/3

中編

 – 5 –


 私が事故から目を覚ました翌日。

 日付は12月31日、日曜日。大晦日。

 本当ならもっとまともなデートをできたはずなのに、坂東さんは三日前のデートコースの再現のためにレンタカーまで用意して私の付き添いをしてくれた。

 一応、念のために病院から車椅子を借り出して出掛けることにした。

「ごめんなさい。私のために・・・・・・。」

「あまり気にしないでよ。命に別条がなかったことを喜ばないと。

 そもそも旅行しようと言い出したのは僕なんだしさ・・・・・・。

 二人で乗り越えていこう。」

 ここまで親身になって甲斐甲斐しく接してくれる人と恋仲になれたらきっと幸せなんだろうけど、それまでに至る大切な記憶を失った私には現実感がなかった。

 そういう設定のゲームキャラクターに対するように、車の助手席に座っていてもソワソワしてしまって落ち着かなかった。

窓から見える景色は三日前に見たのと同じものであるはずなのに全く見覚えがない。

 陸地と陸地に間にある海を渡して繋ぐ半島一の大橋を横断して見える風景。

渡りきるのに何分も掛かり、スケール感がおかしくなるようだった。

全長1㎞を超える大きな橋だ。一度見たら忘れそうにない存在感なんだけど既視感を覚えることはなかった。

ただ車のタイヤがアスファルトの上を滑らかに回転する音だけが聞こえてきた。

私たちは大橋を渡り切った先にある道の駅で一度車を停めることにした。

「覚えてないかな? ここのあの売店でクレープを買って二人で食べたんだけど。

あそこの手すりの辺りで並んで、柵の向こう側にある砂浜を眺めながらさ。」

 アイスクリーム入りのクレープを外で食べるのには肌寒い季節だけど、この時間帯の日当たりの良い日なら変な話でもないか。

 日差しが強くて、アスファルトの地面だからかやけに暑く感じる。

「クレープ、もう一度食べてみようか? 何味がいい?」

「えーっ、チョコレート味なら何でも良いです。」

「チョコバナナがあったと思うよ。」

「じゃあ、それで。」

「うん、ちょっと待ってて。車椅子出すよ。ずっと車の中に居ると窮屈でしょ?」

 坂東さんがクレープ屋さんに並んでいる間に、私は車椅子に乗って外の風に当たりつつ待っていた。

 平日だけど年末だからかぼちぼち車の出入りが激しそうだった。

 三日前に来た時はもう少し閑散としていたのだろうか?

 日差しがあるおかげで寒くはなかったけど、浜風が思いのほか強くて車椅子で動き回るのは少々苦労した。

 三日前立ち寄った時は宿泊予定の温泉旅館に向かう前の休憩に立ち寄ったということだった。

 たまたま入った道の駅の景色を見ても、やはり私は何かを感じるということはなかった。

「お待たせ。

 チョコバナナあったよ。どうぞ。」

「ありがとうございます。」

「・・・・・・はい。」

「え?」

 坂東さんが悪戯っぽい笑みを浮かべて、私の口元にクレープを差し出した。

 ちょっと戸惑ってから意味を理解して、私は顔を赤らめながら一口クレープを頬張った。

 甘くて、冷たくて、おいしかった。

「お返しです。はい、あ~ん。」

 お返しに今度は私が坂東さんの口元へストロベリー味のクレープを差し出した。

 ビュウーッ!

「きゃっ!?」

 俄かに強い追い風が吹きつけて、車椅子の車輪がコロコロと回転した。

 ベチャッ!

「あっ・・・・・・ごめんなさい・・・・・・。」

「・・・・・・大丈夫、気にしないで。」

 坂東さんはそう言って、何事もなかったかのように顔にベットリとついた大量の生クリームを拭き取った。

 記憶は定かではないけど、慣れないことをするものじゃないらしい。



 – 6 –


 私たちは次に3日前に一泊する予定だった温泉旅館に立ち寄った(実際には荷物を置いて散歩に出掛けた時に、私が神社の階段から転げ落ちてそのまま入院してしまったのだけど・・・・・・)。

 坂東さんが先に車を降りて旅館の受付で事情を説明してくれたおかげで、館内を見て回る許可をもらえた。

 正月休みの旅行シーズンではあるが、たまたま私たちが泊まる予定だった部屋が空いていたので中も見させてもらった。

「どう? こういう旅館に泊まるの初めてだと言ってたけど、何か思い出せない?」

「・・・・・・ごめんなさい。

まだ何も思い出せないみたい・・・・・・。」

あぁっ、ごめん。責めるつもりはないんだ。

 こういうのは気長にいかないとね。

 それに実際に一晩泊まった訳じゃないからそう都合よくいくものでもないよ。

 気楽に行こう、気楽に。

 そう言えば中庭で鯉の餌やりをさせてもらえたなぁ・・・・・・気晴らしに行ってみないかい?」

 荷物を置く時に少し立ち寄った程度の部屋の中を見て回った所で記憶を取り戻すに至るはずもなかった。

 坂東さんは親身になってあれこれ手を尽くしてくれるけど、私にはどうにも変化があるように思えなかった。

 ひとまず彼の提案に乗り、気晴らしのために中庭に向かうことにした。

 坂東さんが受付から貰ってきた二人分の鯉の餌を池の中に撒いて、勢いよく餌をパクつく鯉たちの様子をのんびり眺めた。

 坂東さんは一度に撒く餌の量や場所を変えて、鯉たちの動きの変化を面白がっていた。

 一方で私は貪欲に餌を丸呑みにしていく鯉たちのせわしない様子に圧倒されて、若干引き気味に餌をパッパッと手身近に撒き終えることにした。

 撒かれた餌にありつけるのはほとんど身体の大きな鯉ばかりで、身体の小さな鯉たちはすぐに押しのけられてほとんど口にすることが出来ていなかった。

 ・・・・・・なんだろう?

 彼はこの間は鯉の餌やりをやらなかったと言っていたけど、なんだかこの感覚には覚えのあるような気がする・・・・・・。もしかしたら私はここ以外で鯉の餌やりをしたことがあるのかもしれない。

「あぁっ、終わった、終わった。いい食いっぷりだね。」

「そうですね。あんなに急いで食べたら喉を詰まらせそう。」

「ははっ。どうなんだろうね? 魚って首と胴体が同じ太さで繋がっているからね。喉なんて概念自体あるのかな?

 そう言えば、ここの温泉って入浴料を払えば宿泊客以外も入れるらしいよ?

 折角だから温まっていかないかい?」

「そうですね・・・・・・そうしましょうか。

 折角の旅行なんですから。

 三日前に来た時は入ったんですか? 事故にあった時間帯が記憶になくて当日のスケジュールがどんなのだったか怪しいんですけど・・・・・・。」

「うん、茜さんは旅館に着いた直後と夕ご飯の直前の二回入っていたよ。」

「私って温泉好きなんですね。

 今はそんなに温泉に入りたいって気分でもないだけどなぁ。」

「なんだか温泉の効能が気に入っていたみたいだよ?

 思い返してみると、宿泊先をここに決めたのも茜さんだったような・・・・・・。」

 私って温泉の効能とか気にするタイプなんだ・・・・・・。実感がないなぁ。

 でも私自身の性格を聞くのは記憶を探るのに良いような気がする。

 あれこれ考えを巡らせるのもそこそこに、私たちは旅館の大浴場をゆっくり堪能させてもらうことにした。

 実際にそういうことをした覚えはないけど、なんとなく恋人で公衆浴場に来たら壁越しに相手と会話するシーンが思い浮かぶ。恥ずかしいから自分でやってみようとは思わないけど。

 以前に公衆浴場に行ったことがあるのか、温泉の入浴マナーはなんとなく分かっていた。

 頭の思い出の詰まった部分に鍵が掛かっているようなもので、知識に関する記憶は以前と変わらぬままだということだろう。

 数日前に二度も入ったという大浴場だけど、良いお湯ではあったが記憶の方にはちっとも効用がなかった。

 冷静に考えて見れば数日振りの湯舟にゆっくり浸かりながら私は身体の疲れを解きほぐした。



 – 7 –


「・・・・・・わざわざレンタカーを借りてもらったのにごめんなさい。」

「仕方ないよ。直前の出来事とは言え、少し立ち寄った場所ばかりだし。

 きっと地元に戻った方が記憶を取り戻す手掛かりも多いよ。

 今は落ち着いて身体を治すことに専念しよう。僕が支えるから。」

 温泉にゆっくり浸かったおかげか身体の調子は大分戻ってきていた。

 痛めていた左足首の具合もなんだか良くなったような気がする。

「明日はどうします? 退院の許可が出れば、そのまま帰りたいんですけど。」

「あっ、ごめん。じつは明日は少し別の用事があって。

 少し外に出ないといけないから、申し訳ないけど退院は明日以降でいいかな?

 こんな時に茜さんを一人きりにさせることになって、ごめんね。」

「いえ、全然。

 明日はのんびり休んで、待ってますよ。」

 昨日に比べると彼との会話もぎこちなさが取れてきた。

 元通り自然に話せるようになるにはどれだけ掛かるんだろう?

 ・・・・・・早く記憶を取り戻したいな。



 – 8 –


 病院に戻って確認すると、退院は明日以降いつでも良いと言われた。

 なので坂東さんの用事が終わるのに合わせて、退院は明後日の1月2日に決めた。

 引継ぎ先の私の地元の病院も決まっていて、紹介状は明日中に用意してくれるそうだ。

 坂東さんが明日の用事の準備をするために近くのホテルへ帰っていったあと、久し振りに私は一人きりの夜を過ごした。

 ・・・・・・なんだろう? ・・・・・・こんな感覚を前にも味わった気がする。

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