5:オタク、お茶会に参加する。
「あ、シリス。今日もレッスンかな?」
「お、おおお兄様……っ! えっと、今日はもうこれで終わりで……」
ある日の昼過ぎ、今日は珍しくレッスンが少なめで、午後からはフリーの時間だ、と足取り軽く自室へ向かっていると、ふと後ろから声をかけられた。
アステル・ルゥ・セイリオス――私シリスティーナの兄であり、私の最推しカプであるアスジゼの攻めのほう。サラサラとした銀髪に、深い青の瞳。一見クールな印象を受けるがその実とても優しく穏やかな性格をしている。ちなみにアステルルートだと全ルートの中で唯一シリスティーナが断罪されず、和解したあと公爵家に嫁いだヒロインから逃げるように別の家へ嫁ぐ、というストーリーだ。
私が彼の声に反応して振り返ると彼はふわりと微笑んで私のほうへ歩み寄ってきて、目の前で足を止めると視線を合わせるように少し屈む。
(ふぉおおおお……! アステルの微笑み尊い!! 実兄というフィルター越しでもこの破壊力……!!)
初めてアステルと会った時はそれはもう大変だった。私が六歳の時まではアステルの身体が少し弱かったらしく一度も会っていなかったのだが、私の三年のモルモット生活を終えた頃にはすっかり健康体になっていたらしく、私が公爵家へと帰宅してすぐにアステルが私に会いに来てくれたのだ。初めて兄の顔を見た瞬間、私は雷に打たれたような衝撃が走ったのを覚えている。
(……あ、無理ですこれ死にます、ここにジゼルが来たら百パーセント死にます。流石最推しカプの攻め、私の心臓を突き抜いて離さないな……)
前世でプレイしたゲーム画面越しに見ていた彼よりも何倍も何十倍も格好良くて美しく、タダで同じ空間で息させてもらっていいんですか!? 課金しなくていいんですか!? と神に感謝したい程だった。
「最近ずっと頑張ってて偉いね。……ところで、この後何か予定はある?」
アステルはそう言って私の瞳をじっと覗き込むように見つめた。そのあまりの格好良さに思わず後ずさりすると、彼はそんな私を見てくすりと笑った。
……いや、待てシリスティーナ。これはもしやイベント発生の予感じゃないか? そう、私は前世でプレイしたゲーム画面越しに何度も見たのだ! このイベントを!!
(確かこの後は……あ)
私が記憶を掘り起こそうとしていると不意に後ろから声がかかる。
「ほう、彼女がアステルの妹君か」
「ジゼル、殿下……!?」
振り向くとそこには攻略対象の一人である皇太子、ジゼル・ティタウィン・アディルアルマクがいた。ゲーム画面越しでもその美しさは際立っていたが、実物の破壊力といったらもう……言葉に出来ない程だ。数多の宝物よりも美しく輝く金の髪、そして宝石のように紅く煌めく瞳。
ジゼルは私やヒロインと同じく『宝石の瞳』を持つ希少な人間だ。彼は皇族唯一の宝石の瞳の持ち主であり、その魔力量は私と並ぶか、それ以上だと言われている。シリスティーナはここで初めて自分と同じく宝石の瞳を持つ人と出会い……しかもその宝石の瞳の色が同じ赤色であることから親近感を覚え、徐々にジゼルに惹かれていくのだ。……なのでジゼルルートではヒロインにジゼルを取られたくないと、他ルートに比べてヒロインへの当たりがキツくなる。まあそれもそうだ、ぽっと出の平民に初恋の相手を取られたら誰だってそうなる。
……とまあ、ジゼルルートのシリスティーナはこんな感じだが、私はジゼルのことをカップリングとしては推しているけれど、恋愛対象としては見ていない。そもそもBLに挟まる女は言語道断、ジゼルの隣に立つべきはアステルで、私でもヒロインでもない!(拗らせ厄介腐女子思考)
それよりも! 今ここにアスジゼが揃ってしまった! 生の推しカプだ! どうしよう!?
「は、初めまして、シリスティーナ・ルゥ・セイリオスと申します」
ひとまず慌てて挨拶をしようと頭を下げるが、ジゼルは私をじっと見つめて動かない。
ああ、そんなことよりも、こんな機会そうそう無いぞ。今のうちに二人のツーショットを脳内に焼き付けなければ!! 私はそこら辺の壁になるので出来れば二人でお話していただきたい!! なので早く何か言葉を発していただいて私は早々にお暇させて頂きたいのですが! いや、やっぱり生の推しカプ見たいので後ろの方でこっそり! こっそり! 見守らせていただきますので!!
「ふむ……顔を上げてくれないか」
脳内で推しカプを見せろと暴れ回っているとジゼルに促されて顔を上げる。彼の紅い瞳に私が映り込む。まるで紅玉の中に囚われたような錯覚に陥るほど彼は美しく、無意識に私は息を詰めた。
「ああ、やはり……」
ジゼルはそう言って一歩私に近寄った。ず、と後ずさりすると背中に壁が当たる感触があって慌てて横に逃げようとするも、彼はその長い脚であっという間に私との間合いを詰めた。
「俺と同じく宝石の瞳を宿しているな。……美しい」
ジゼルはそう言って私の顎に手を添えて上に向かせると、その整った顔をぐっと近づける。宝石のように紅いその瞳が、しっかりと私を捉えている。
(はわわわわ!? そういうのはアステルに! アステルにやってください!!)
突然のイケメンの過剰摂取と推しカプの間に挟まる私という最悪のシチュエーションに脳味噌が悲鳴を上げている。もう無理です供給過多です!! 私このまま死んでしまいます!!
「ジゼル、その辺にしておいてあげて」
その時。ジゼルの後ろからアステルの声がかかる。その声にジゼルはすっと顔を離し、顎に添えていた手も下ろして私の頭を優しく撫でた。
「すまないな、俺と同じ色の宝石の瞳を持つ者と会うのは初めてで、つい」
「……シリスが怖がっているよ。そもそも君はもっと女性に対して柔らかく接するべきだよ」
「何を、十分優しくしているだろう。それより……皇太子の俺に向かって随分な口の利き方だな、アステル」
「君こそ僕の妹に何をしようとしてたのかな? いくら同じ宝石の瞳を持っているからって、君みたいな女たらしに妹はあげないよ」
アステルはそう言って私を隠すようにジゼルの前に立ち塞がった。二人はお互い笑顔で話しているけれど、その裏にあるものがどす黒いというか、不穏な空気を感じる。というか、二人の過去編で確かにオフの時はタメ口で話すくらいに仲がいいとは書かれていたけど、ここまでとは……!
(やばいやばい今死んでも悔いはないいやでもこんな最高のシチュエーションもう二度とないかもしれないから出来ればもう少しこの状態を味わっていたいけどでもこれ以上は私の心臓が持たない死んでしまううう!!)
私の心臓が持つだろうか……いや、持ってくれなければ困る。むしろここで死ななかったら私は一生の悔いが残ってしまう!
「あ、あの!」
とりあえずこの空気をどうにかしようと声を上げてみたものの、そのあとの言葉が出てこない。こんないい場面でなんて情けないんだ私は!! でもこの空気に挟まれるのは流石に色々押しつぶされて気が狂う!
何も言わない私のことを見かねたのかアステルはジゼルから視線を外し、私の方を向いてふっと微笑んだ。ああもうなんだその尊い顔は!? ありがとうございます! ご馳走様です!! しかし出来ればジゼルに対して微笑んで欲しかったな!?
「ごめんね、シリス。大丈夫だった?」
「え? あ、はい……」
(全く大丈夫じゃないけど!)
アステルの笑顔が眩しすぎて思わず視線を逸らしつつそう答えると、彼は「よかった」と呟いた。
「まぁ、ジゼルは女誑しだけど話せばちゃんとした人だって分かると思うから……。これから三人でお茶でもしない? シリスのこの後の予定がなければ誘おうと思ってたんだ。誘う前にジゼルがここに来ちゃったから色々めちゃくちゃになっちゃったけど」
アステルはそう言って私の返事を待っている。推しカプとのお茶会イベント! ジゼルの過去編でちらっと出てくるあのイベントだ! 是非とも参加させていただきたい!! 可能なら私は端の方に居させてもらって二人が隣に座っていただけたら! いやでもこんなに間近で推しカプ供給食らったら絶対発狂して死ぬ、断言できる!
「あ、えっと、予定は、無い、かな……」
「じゃあ決まりだね、行こうか。……ほらジゼルも」
「言われなくても分かっている。そも俺はお前に話があってわざわざここまで来たのだぞ」
「そうだったね、来てくれてありがとうね。じゃあ続きはお茶しながら話そうか。シリス、行こう?」
アステルはそう言って私の手を握って歩き出す。いや、出来れば私は後ろから着いていくのでどうぞ二人で並んで歩いてください! そのほうが絵面が美しいです!! 推しのカップリングに挟まれて歩くとかそんな無理、耐えられない! 私は心の中でそう叫びながら歩き始めた。
(はあ……推しカプのお茶会とかもうどんなご褒美ですか? いや最高ですありがとうございます……本当に私の存在が要らなさすぎるぅ……)