おばさんになってお得なこと
おはようございます!いつものつぶやきです<(_ _)>(*^-^*)個人の思い付きです。すぐに違う考え方になるかもしれません。恥ずかしくなったら消すかもしれません(-_-;)いつもおつきあいいただきありがとうございます<(_ _)>(*^-^*)
おはようございます!
わかいころは
いろいろ
経験不足だし
打たれ弱いし
かんたんに
へこんだり
気を使いすぎて
消耗したり
おばさんになって
お得なことは
ぶっちゃけ
失敗とか
落ち込みの経験が豊富で
それでも
ごはんがおいしいぜ!
ってことが
体感的にわかってくるってことかも?
先が見えてきますし?
体力も
ふつうに
下り坂ですし?
もう
こまかいことは
わかいひとに
がんばってもらうしかないよね?
て
わりきりたくなくても
そうなっていくのよね
わかいころというか
つい昨日今日のことでもあるんだけど
ものすごくお世話になっていて
頭が上がらない相手とか
すごくたのしく
ご一緒することが多くて
こころから
親しみを感じていた人が
ときに
えええ!?
というような
毒舌をぶっこんでくるとするでしょ
毒舌がいやで
そういう突っ込みどころ?
自分の弱点を減らすべく
どりょくするきっかけにもなるから
どんな嫌なことだって
プラスに転じることはできるわけよ
そうはいっても
何十年でも
あのいいかたはないよねって
くすぶるわけよ
われながら
しつこいわけよ
だけどさ
若かった当時
あるいは
小さな子供だった頃
もっともらしく
いやな言い回しを
善意だろうと
悪意だろうと
わたしに
投げかけてきた人々の
当時の
年齢は
いまの
わたしの歳の
はるか
かなた
若造でしかないわけよ
つまりは
彼らも
まだまだ
手探りだった
そして
いまにいたるも
自分の
ことばの
刃に気づかない
鈍感力最高の人々だってことよ
つまり
自分が振り回しているものの
姿が見えていないっていうか
それで損しているってこと
わからないまま
歳を経ているってこと
そういう自分も
やっちまってることも多々あるんだろうけどね
自分のことは
わからない
ほんと
はずかしいわ
だから
沈黙は金って
消極的かもしれないけど
ひとを不用意に傷つけないといういみでは
そのとおりだわ
って
ためいきがでるのよ
なんのおはなしでしたっけ?
そうそう
ひどいこというひと
そういうたとえかたをえらぶひとに
やっと
妥当な
感想をみつけた
「やあ
よくもまあ
アドバイスを気取って
子どもや若い子が
傷つくような
言い回しを選べたもんだ」
そして
わたしにも
わかかった
あるいは
子どもだった当時の自分にも
かける言葉が
またみつかった
「だからさ
そんなこというひと
なにもわかっていないってことよ」
「なにもわかっていないひとの
暴言を
真に受けて
自分が
劣るとか
努力が足りないとか
やさしくないとか
変な確信
持つ必要はないのよ」
「アドバイスするつもりだったとしても
言いようがあるでしょ?
単語の選び方一つだってさ」
「いやなこというじゃんよ
って
おもったっていいのよ
こころのなかは
自由なんだからさ」
「自分の心は
自分ぐらいしか
守ってあげられないんだよ」
そういう
素直な
感想でさえ
自分に禁じていた
タイムマシーンに乗って
その当時の
自分に
なぐさめの言葉をかけにいこう
わたしは
落ち込みベテランのおばさん
おばさんだから
できることいっぱい
おばさんになって
お得だなって感じること
自分にとって
居心地のいい
あまあまの解釈を
躊躇なく
おもいうかべられるように
ご都合主義に
なってきたことかな
いつもおつきあいいただきありがとうございます<(_ _)>(*^-^*)
ではまた!
おばさんになると、あちこちいたかったり、能率落ちたり、いろいろあるんだけど、案外心は平和だったりするのね?自分の甘やかし方がわかるというか、自分の都合がわかるのは自分なんだよねって、あきらめがつくというか。ひとりごとにおつきあいいただき、ありがとうございます<(_ _)>(*^-^*)ではまた!