48話
良くないことだとは分かってる。
さっき、レイラは「大丈夫」と言っていた。
今私がしているのはただのお節介だ。
でもレイラのその言葉が本心なのではなく私を庇って言った言葉かどうか私は見極める必要がある。
そして廊下の角を曲がるとレイラとクロードの背中を発見した。良かった。まだ遠くへは行っていなかった。
私は二人の後を隠れながらついていく。
しばらく歩いてクロードはレイラを人気の少ない教室へと連れ込んだ。
私はその教室の扉まで近づいていって、少し扉を開けると中の様子を覗いた。
「ごめんなさいレイラさん……!」
心の中でレイラに謝りながら私は中の様子を観察する。
二人は向かい合って何か話しているようだった。
私は耳を澄ます。
「何度言えば分かるんだ? その男みたいな態度を止めろと言ってるだろ」
クロードはため息を吐く。
どうやら、クロードのレイラに対する話とはレイラの王子様のような話し方や振る舞いをやめさせることだったらしい。
「何度も止めろと言ってるのに最近は変な話まで書き出して……お前のその話し方や振る舞いは婚約者である僕の評判に関わるんだぞ? 今すぐにやめて、ちゃんと女として生きろ」
「い、嫌だ……この話し方はおかしくない!」
クロードの無茶苦茶な命令にレイラは当然反抗した。
「チッ! いつも口答えしやがって……! お前みたいな女は婚約者を立てとけばいいんだよ」
クロードは舌打ちをするが、これ以上話してもレイラの意思は変わらないと感じたのか、話題を変えた。
「まぁいい、それよりもあの男爵家の女とは関わるなと言ってるだろ」
クロードは私とレイラを関わらせたくないようだ。
「ただでさえお前はあいつに側近の座を奪われたんだぞ? それなのに恥ずかしげもなく話してるなんて……。お前に恥という感情は無いのか?」
クロードは信じられない、といった表情で頭を振る。
レイラはムッとしてクロードに言い返した。
「エ、エマはそんな人間じゃ……」
「ハッ! どうだか! 男爵家が伯爵家のポジションを奪ったんだぞ? あいつもお前のことを笑ってるに決まってる!」
「そ、そんなことはない! エマは私のことを──」
「黙れ! 僕に反論するんじゃない!」
クロードはレイラの言葉を遮り、レイラを怒鳴りつけた。
その剣幕にレイラが肩を振るわせる。
「さっきから反論ばかりしてきやがって! 伯爵家如きのお前が僕に反論するんじゃない!」
クロードはレイラの襟を掴み、大声でレイラに罵声を浴びせる。
レイラはそのクロードの言葉に悔しそうに顔を歪めた。
「忘れるんじゃないぞ。お前が僕の家に借金をしていることをな」
「っ!?」
クロードがそう言った瞬間、レイラは目を見開いた。
(レイラさんの家には借金があるのか……!)
今までなぜこれほどクロードがレイラに対して強気な態度をとっているのか分からなかった。
クロードの態度は婚約者にしてはあまりにも高圧的だったのだが、その理由が分かった。
レイラの家がクロードの家に対して借金をしていたからだ。
「父上は今すぐにでも借金を巻き上げても構わないと言っている。僕が一言父に言うだけでお前達は今すぐに多額の借金を返さないといけないんだぞ?」
どうやらクロードの父親もクロードと同じような考え方のようだ。親子なのだしそれも当然と言えるが。
クロードがレイラに脅しをかける。
レイラは固く唇を引き結んだ。
「…………ごめん、なさい」
「ハハッ! そうだ。お前はそうやって黙って僕の言うことを聞いておけばいいんだ!」
従順になったレイラにクロードは高笑いを上げる。
(なんて事を……っ!)
私は腸が煮えくり返りそうになっていた。
レイラの弱みを握り、頭から押さえつけているクロードに私は激しい怒りを覚えた。
いっそのことここで入っていこうか、と考えていた時。
「ん? 何だこれは?」
「これは……」
クロードはレイラの鞄についているクマのストラップに目をつけた。
レイラは咄嗟にそのストラップを隠そうとするが、クロードは無理やりストラップを掴む。
「ちょっと見せろ」
「や、やめて……」
「抵抗するな! お前は大人しくして、ろ!」
そしてクロードはレイラの鞄からストラップを力任せに引きちぎった。
「あ──」
「ん? 何だ、千切れたか。それにしても、ハッ。何だこれ」
呆然と引ちぎられたストラップを見つめるレイラとは反対に、クロードは悪いことをしたとは思っていないのか、何も感じていないようにストラップを観察して、笑った。
「お前がこんな物つけて、何のつもりだ? お前にこんなもの似合うわけがないだろ」
「か、返して……」
クロードはケラケラと笑いながらレイラの目の前にストラップを垂らす。
レイラはクロードの制服を掴む。
しかしクロードはレイラの反抗に激怒した。
「まだ反抗するのかっ! お前がそのつもりなら──」
「やめっ」
クロードは手に持ったストラップを地面に叩きつけ、踏み躙った。
そしてグリグリと何度もレイラの目の前で踏みつける。
「──」
レイラの口から声にならない声が溢れる。
「ハハハ! 僕に逆らうからこうなるんだ!」
クロードの表情には愉悦の笑顔が浮かんでいた。
「何をしているんですかっ!」
私はついに我慢できずに教室の中に踏み込んだ。
いきなり私が入ってきたことにクロードは驚いて、その後私だと言うことが分かり侮ったような笑顔を浮かべた。
「ふん、男爵家か。どうやら他人に干渉する悪癖があるらしいな。さっきも言ったが、これは婚約者同士の問題だ。お前には関係ない。それを理解したら早くここから出ていけ」
「あなたは何をしたと思ってるんですか! それはレイラさんの大切な物なんですよ!」
「これのことか? ふん、僕に逆らった罰だ。何なら、もう一度──」
「あ……」
クロードがストラップをもう一度踏み躙ろうとする。
「何をしているんですか」
その時、教室にクレアが入ってきた。
「クレアさん、どうしてここに……」
「あなたは暴走しそうなので心配になりました」
どうやら私が暴走することを見越して来てくれたらしい。
クレアに見透かされていたことが癪だったが大方当たってるので言い返せない。
「で、何をしていたんですかそれは」
クレアはクロードの足元にあるストラップを指差す。
クロードはクレアの登場に焦るかと思いきや、婚約者同士の問題だと突き通せば切り抜けられると思っているらしく、太々しい表情で肩を竦めた。
「別に何でもありません。あなたは部外者なので口を挟まないで──」
「それ、私とお揃いで買ったものなんですけど」
「え?」
クロードの表情が変わった。
「だから、そのストラップは私たちで昨日お揃いで買った物です。ほら、私の鞄にも付いてます」
「そ、そんな……」
クレアはクロードに鞄を見せる。そこには同じクマのストラップがついていた。
「私と彼女が友人として、お揃いで買ったんです。もちろん大事な思い出です。それを踏み躙ったと言うことは、私たちの思いを踏み躙ったのと同じなんですが」
「お姉様……」
クレアがそう説明すると、レイラが信じられないようなものを見る目でクレアを見ていた。
「し、知らなくて……」
「婚約者とは言えそもそも他人の物を踏み躙ること自体、おかしいと思いますけど」
「し、失礼します……!」
これ以上ここにいては不味いことになると思ったのか、クロードは無理やりこの教室から逃げていった。
クロードがいなくなったことに私はほっとして息を吐く。
「ありがとうございますクレアさん……」
クレアが来てくれたおかげでこの状況を切り抜けられたので、私はクレアにお礼を言った。
「構いませんよ……それよりもあいつ、任せた。俺には慰め方は分からないからな」
「……任せてください」
クレアが小声でレイラを見ながらそう言うと、教室から出ていった。
私は頷いて答える。
そして私はすぐにレイラの元へと駆け寄った。
「大丈夫ですかレイラさん!」
「私は大丈夫……でも」
レイラは床に落ちているストラップを見た。
クマのストラップはクロードに何度も踏みつけられたことにより汚れていた。
ところどころわたもはみ出ているところもある。
「大事な物だったのに、私は何もできなかった……」
レイラはストラップを拾い上げ、泣きそうになりながら何度もストラップの汚れを落とそうと親指で汚れた部分を拭っている。
どれだけレイラにとってこのストラップが大切だったのかが痛いほどに伝わってくる。
やはりあの男、許すことは出来ない。
「私の知り合いにぬいぐるみを綺麗に直せる人がいますから、お願いしてみます」
「……ありがとう」
元々私の商会が作っているので、汚れたところを綺麗にして元の形に直すことは出来るだろう。
私がそう提案するとレイラはこくりと頷いた。
そして、レイラの瞳からポロポロと涙が溢れ始めた。
「情けない……王子様なんて持て囃されてても、ちょっと脅されただけで何にも出来ないなんて……」
「レイラさんは悪く無いですよ。悪いのは全部あなたの婚約者です」
いくら婚約者で借金があるとはいえ、あんな事をして許される訳が無い。
私が慰めるとレイラは感謝したように目元の涙を拭った。
「ありがとう、エマ。君はいつも私の味方をしてくれるね」
「当たり前です! 友人の味方をしなくてどうするんですか!」
「友人……そっか、私達、友達なんだ」
私が友人だと言うと、レイラはその言葉を反芻した。
「じゃあ、隠すのはやめるね」
「え?」
私はレイラの言葉の意味が分からなくて首を傾げた。
「この際だから、エマも多分気づいてるだろうし一つ告白しておこうと思うんだけど」
「気づいてること、ですか……」
そう言ってレイラは話し始めた。
私も知ってるということは、百合が好きなことと可愛いものが好きだと言うことだろうか。それとも結構乙女なところがあるということだろうか。
私は心の中で得意げに笑う。
ふふん、案外私は鋭いので、レイラのことは結構知ってるつもり──
「実は私──お姉様のことが好きなんだ! 女性として!」
「……」
……思ったより、予想してない告白だった。