35話
かつて最もクレアの取り巻きに近かった人間。
彼女はそう名乗った。
「それはどういう意味ですか……?」
「その通りの意味さ。私はクレア様の取り巻きに最も近い人間だと言われていた。だが、君が現れて私はその座を奪われたんだけどね」
「え、えっと……」
私が、彼女の取り巻きの座を奪った。
そう言われてもどんな反応をしていいのか分からず、私は目を泳がせる。
「えっ……? まさか知らなかったのかい? 名前も? これでも『王子様』なんて呼ばれてそこそこ有名なんだけど」
レイラが困惑したように自分を指さして聞いてくる。
全く知らなかった。
そもそも貴族の政治的なやり取りに興味がなかったのと、ずっとマーガレットの取り巻きとして生活することで精一杯だった。
ていうか、さっきからずっと王子様みたいだと思っていたけど、やっぱり王子様と呼ばれているらしい。
この容姿で振る舞いなら、女子生徒から絶大な人気があるに違いない。
「ご、ごめんなさい……」
私はなんだか申し訳なくなって謝る。
「まいったな……」
レイラはまさか自分のことを知らないとは思っても見なかったのか、迷ったように頭をかく。
私はレイラをチラリと見る。
目が合うとレイラも気まずそうに目を泳がせた。
「……」
「……」
私とレイラの間に気まずい時間が流れる。
「あれ? こんなところで何してるんですか?」
と、その時ちょうどタイミングよくクレアがやって来た。
どうやら空き教室に移動している最中に偶然私たちを見つけたらしい。
私は気まずい雰囲気が霧散したことに安堵のため息を吐く。
「ちょっと色々とありまして……」
雑用を押しつけられて階段から転んだら王子様に助けられて、その後その王子様が実は私のライバルみたいなポジションだったことが判明した、という状況をここで説明するには少々時間が足りないので私は簡潔に纏める。
「あなたは……」
クレアはレイラに気づいたようだった。
さすがに取り巻きに最も近いと言われていたなら、面識はあるようだった。
「レイラ・ワトソンさんですよね。何をされていたんですか?」
私が爵位が上の貴族に絡まれたと勘違いしたのか、クレアはレイラをどこか疑わしげな視線で見つめている。と言ってもいつも側にいる私だから気づけただけで、表面上は優しい笑顔でレイラには質問している。
別に私は彼女に虐められていたわけではなく、それどころか助けてもらったくらいなので、私は慌ててクレアの誤解を解く。
「あ、違うんです。彼女には助けてもらって……」
「なんだ。そうなんですか」
私がそう言うとクレアは警戒を解いた。
私はホッと胸を撫で下ろす。
クレアとレイラが無用な敵対をしなくて良かった。
その時。
「お姉様……!」
「…………ん?」
何やら隣から語尾にハートがつきそうなおかしな単語が聞こえてきた。
当然その言葉を発したのは私でクレアでもないので、その声の主は一人しかいない。
(いや、まさかね……)
私は頭を振る。
まさかレイラからそんな言葉が聞こえるはずがない。
そう考えながらもつい隣を見ると、レイラが頬を紅潮させ、まるで恋する乙女のような視線でクレアを見つめていた。
「お、お姉様!? どうしてこんなとこに!?」
レイラはさっきまでの王子様のような気取った話し方からは一転、まるで推しのアイドルに出会った女子高生のようにテンションが上がった話し方になった。
「お久しぶりです! 前にお会いしたのは私が取り巻きになるのを断られて以来ですね! 廊下ですれ違うことはありましたけど、」
レイラはハイテンションでクレアに話しかける。
どうやらレイラは取り巻きになりたいとクレアに頼んだことがあるらしい。
私はレイラの顔を知らないので、恐らく私がクレアと出会う前に頼みに行ったのだろう。
「でもおかしいですね。私が調べたところによるとお姉様はいつも帰る時ここは通らないはず……。ハッ……! もしかしてこれは運命なのでは!?」
「絶対に違うと思います」
いや、ちょっと待って?
クレアの行動パターンまで調べてるみたいな言い方してなかったこの人?
「あー……」
どうやらクレアはレイラがどういう人物か思い出してきたらしい。
どこか遠い目でレイラの言葉に頷いていた。
「なるほどなるほど……」
そしてクレアはそう言うと「よし、逃げよう」と言わんばかりの決心した表情になった。
クレアとばっちり目が合った。
(とりあえず助けてください)
とりあえず私はクレアにアイコンタクトでそう伝える。
別にレイラからは私に危害を加えようとしないだろうが、それはそれとしてこの状況は気まずいので逃げたい。
クレアは私のアイコンタクトを受け取ると斜め上を見て少し考え込んだ。
(ごめん無理)
おい待てこら。
無理ってどういうことだ。
「お二人はお話があるようなので、これで私はお暇させていただきます。あとは二人でごゆっくり」
クレアはもう別れの挨拶を始めた。
どうやら自分が逃れるために私を生贄として差し出す算段のようだ。
レイラの今回の標的が私であることを見抜いたのだろう。
可愛い見た目をしていてもやっぱり中身はクズだ!
「そんな……お姉様とならずっと話し合えるのに……!」
「いえいえ、それでは」
残念がるレイラを振りきり、クレアは颯爽と歩いて行った。
「う、裏切ったな……」
一人残された私は呆然と立ち尽くす。
と、その時レイラがクレアが立っていたあたりの地面に急にしゃがみ、何かを拾い始めた。
私は目を凝らしてレイラが何を持っているのか確かめる。
「んん? …………ヒッ!?」
それは金色に輝く髪の毛だった。
レイラが拾っていたのは、クレアの髪の毛だったのだ。
レイラは私が戦慄していることに気づいたのか、私の方を向くと照れたように頬をかく。
「はは、やっぱり清潔って大切だから、ね?」
他の髪の毛は全く拾わずに金髪しか拾ってないのに清潔ってなんだ。そしてなぜ照れているんだ。
この時、私は確信した。
やばい。これはとんでもない変態だ、と。
「……スンスン。あ、いい匂いする……」
そして今度は残り香まで嗅ぎ始めた。
レイラは恍惚の笑みを浮かべ、胸いっぱいに空気を吸い込む。
「助けてクレアさん……」
これはもうダメだ。
度し難い変態だ。
私は去っていったクレアに涙目で助けを求める。
もし何らかの形で彼女と闘うことになったとしても、こんな変態に勝てる未来が見えない。
レイラは拾ったクレアの髪の毛を丁寧にハンカチに包んでしまい込んだ。
「幸せな時間だった……」
「わ、私これから用事があるので……」
私はどうにかして目の前のレイラから逃げようとする。
しかしにっこりと笑顔で肩を掴まれた。
「お話はまだ終わってないよ?」
どうやら逃してはくれないようだ。
レイラは親指でくい、と指差す。
「じゃ、いこっか?」
「はいぃ……」