3話
女装。男の娘、それは私の前世での推し。
この世界に転生して、二度と拝むことのできない存在だと思っていたから私のテンションはこれまでにない位に上がっていた。
「見つけた、見つけた! 私の推し……!」
「ヒッ……!」
私の中で、クレアに対して抱えていた違和感のピースがどんどんとはまっていく。
ああ、胸がないのはそういうことだったんだ!
今まで感じてた違和感もこれで納得がいく。妙に気が惹かれる のもあれは男の娘だったから私の本能が察知してたんだ!
「近くで見ると本当に可愛い……! 今まで不思議だったけどメイクが薄いのは元が整ってるからなんだ! それに……ま、まさかこれは地毛!? ということはこの可愛い髪型は毎朝セットしてる!? ああ……最高……!」
私は我を忘れてクレアを観察する。
「は、離れろ!」
クレアは私を突き飛ばした。
その時ようやく私はハッとして正気を取り戻した。
「と、取り乱して申し訳ありません!」
私は深くお詫びのお辞儀をする。
公爵令嬢に対してとんでもない無礼をはたらいてしまった。
いや、本当は令嬢じゃなかったけど。
「とにかく私はクレア様の秘密は言いふらしたりしませんのでこれにて失礼します!」
クレアは急な私の変わり様に唖然としていた。
そのうちに私はその場を離れる決断をする。
「え? あ、おい!」
クレアが私を引き止める声が聞こえたが、私は無視して走り去る。
この世界に来て初めての女装に興奮していて、これ以上ここにいたらどんな無礼を働くか想像できない。
これ以上やんごとなき方々と関係を持ったら面倒なことになる。私は少し息を吹きかけたら吹き飛ぶような男爵家なのだ。
未だ服が乱れているクレアが追ってくることはなかった。
そして私とクレアの初対面は終った。
と思った。
「少し話があるんですが」
「ですよね」
教室にて。
昼休みの後午後の授業が全て終わり、放課後になった瞬間クレアは私の席までやって来た。
油断していた。昼休みの次の授業の休み時間の時には話しかけてこなかったから安心していた。
ニッコリと笑みを浮かべて「逃げるなよ?」と圧をかけてきている。
勿論私もすぐに教室から退散しようとした。
しかしクレアと私の席はすぐ隣。逃げられるはずもない。
「もし逃げようとしたら、私の教科書の件、全部お前のせいにするから」
クレアが耳元まで口を持ってきて囁く。
(か、可愛いし顔が近い! でも状況は最悪!)
女装男子の顔が目の前にある歓喜と、上級貴族に関わりたくない面倒臭さが私の中で渦巻いていた。
逃げたい! でも今の状態をずっと味わいたい!
「う、う〜ん?」
その結果、私は返事をしないことにより今の状況を楽しむことにした。
逃げることとクレアと密接な距離を保つことの二つの欲求を同時に満たせる天才的な発想だ。
その瞬間クレアは私の顔から離れていった。
まあ、うん。そうですよね。普通内緒話(脅迫)が終ったら離すよね、顔。
(どうしよう。周りの人がめっちゃ注目してる)
冷静になった私は周囲から視線を注がれていることに気がついた。
それもそうだろう。冴えない男爵令嬢と、学園の有名人のクレアが傍目から見たら内緒話をしているのだ。
しかも私は昨日までマーガレットの派閥に所属していた。皆頭の中は疑問だらけのはずだ。
「で、返事は?」
いつまで経っても私が返事を返さないためクレアは少し不機嫌な声で質問してきた。
「……はい」
権力には逆らえない。
ここでも私にはイエスかはいの選択肢しか無かった。
私はクレアの後ろについて歩いていく。
廊下を歩いていると先ほど教室で注目された様に私とクレアに多数の視線が投げかけられる。
中にはヒソヒソと話している者もいた。とても居心地が悪い。
あ、あの人伯爵家の人だ。こっちの人は侯爵家だぁ。
しかしクレアは全く動揺していない。これはいつも注目されているからだろうか。
そして視線に耐えていると次第に人気の少ないところに入り、今度はさっきまでは気にならなかった沈黙が気になり始めた。
私が何か話しかけるか、と悩んでクレアの顔を伺うが、無表情。話しかけることができない。
そして目的地に着いた。
私が連れてこられたのは昨日の空き教室だった。
「入れ」
もうすでに公爵令嬢としての口調から男性の口調へと変わったクレアが教室の中に入るように促す。
「あ、あの」
私はクレアに対して声をかける。
「今は放課後だからな。ゆっくりと話し合いができる」
「ひぃ……」
どうやら絶対に逃さないようだ。
「そこに座れ」
私は空き教室に入ってクレアの指し示す椅子に命じられるままに座った。
クレアが正面に座る。座り方は身に染み込んでいるのか、膝を閉じて流す貴族の子女としての座り方だった。
「ギャップかわいい……」
「なんだ?」
「……なんでもありません」
どうやら心の声が漏れてしまっていたようだ。
私は真顔を取り繕って咳払いをする。
だめだ。どうしても目の前の女装に対しての興奮が抑えられない。
だけど許して欲しい。私はこの世界に来てからずっと我慢していたのだ。欲求が溢れ出てくるのも仕方がないと言える。
「それで、さっきの話の続きだが」
クレアは話し始めた。
「な、何の事でしょうか。私何も覚えていません」
「とぼけるな」
最後の抵抗でとぼけてみたが一蹴されてしまった。
「私、クレア様が男性だってこと誰かに言いふらしたりしません」
「ふん……確かに言いふらさなかったな」
クレアは考えるように顎に手を当てる。
「なら……!」
「だがそれを信じていたら、貴族として失格だろう」
「……確かに」
クレアのいう通り、他人の言葉を考えなしに信用していては貴族は務まらない。
故にクレアの言い分は分かるが、私は解放されたいのだ。
平穏に女装男子を見守りながら生きていきたい。
私はまじまじとクレアを観察する。
まるで男とは思えないほどに可愛い顔に、金髪碧眼。
私の好みドンピシャだ。
「はあ……可愛い」
と観察していたら心の声が漏れてしまった。
「……さっきから思ってるんだが、お前やっぱりヤバい奴なのか?」
クレアは私から距離を取るように椅子を後ろへと動かした。
そして訝し気な視線を注ぐ。
どうやら狂人とでも思われているようだ。
断言するが、私は普通の人間なので狂人扱いをされるのは心外だ。
私の名誉に関わることなので、私はすぐに訂正する。
「いいえ違います」
「そうか。やっぱりただの聞き間違い──」
「私はただ女装している男の人が好きなだけです」
「……」
クレアが手でこめかみを抑えていた。
まずい。さっきから本音が漏れ出ている。
これ以上ボロが出る前にさっさと退場しないと……!
「私は何も知りませんし、秘密を漏らしたりしませんからこれで失礼させていただきます……」
「待て」
クレアが私を呼び止める。
さっきと同様、聞こえないふりをすることにして私は教室から出て行こうとする。
外に出てしまえば周囲の目もあるので追ってきたりはしないだろう。
その時、クレアが質問してきた。
「ホワイトローズ商会を知っているか?」
私はピタリ、と歩みを止めた。
何か嫌な予感がしたからだ。
「……知っていますが?」
「ここ十年で急激に成長し、今やその力は公爵家に並ぶという大商会。しかしその立役者である会長の存在はあまり知られていない」
「……そうですね」
私の中で嫌な予感が膨らんでいく。
まさか、知っているのだろうか。
「だが、俺は公爵家ということもあり、最近その会長の正体を知る機会があったんだ。誰だったと思う?」
「…………」
「その名は──エマ・ホワイト。お前だ。何でマーガレットの取り巻きなんかやっていたんだ?」