15話
「さ、入りましょう」
「え?」
私はクレアを連れて孤児院へと入っていく。
門を開けて中に入ると、クレアは辺りを見渡して呟いた。
「…………思ったより綺麗だな」
「そうでしょう? 誰がいつ来てもいいように清掃はきちんとしているんです」
この孤児院は建物自体が新しいため、貴族が通っている学園と同じくらい清潔だった。
「ここに何をしに来たんだ?」
「ふふ、それはお楽しみです」
私は思わせぶりに笑って孤児院の扉を開く。
その瞬間、子供たちが駆け寄ってきた。
「エマお姉ちゃんだ!」
「エマ姉!」
子供たちは私を見るや否や、笑顔で勢いよく駆け寄ってくる。
クレアはびっくりしたのか固まっていた。
「今日は何を買ってきてくれたの!?」
「その後ろの人が持ってるふくろ!?」
子供たちは矢継ぎ早に質問してくるので、そのパワーに圧倒されそうになりながら答える。
「ええ、そうよ。今日は皆んなにアップルパイを買ってきたのよ。あのお姉ちゃんが手伝ってくれたから、お礼を言って食べてね?」
「「「はーい!」」」
子供たちは勢い良く返事してクレアにお礼を言う。
「ありがとうきれいなお姉ちゃん!」
「ちがうよ、貴族の人にはありがとうございます、だよ!」
「ありがとうございます!」
「う、うん……」
クレアは子供たちにどう接していいのか分からないのか戸惑いながらも、笑顔を浮かべて子供たちにアップルパイを渡していく。
私はその様子を観察しがら感慨深く呟いた。
「女装×バブみ…………これは、流行る!」
「バカ言ってないで早く手伝え!」
クレアが小声で私に怒鳴ってきたので手伝いに行こうとしたその時、奥の部屋からとある人物がやってきた。
「エマ様。こんにちは」
「マリアさん。久しぶり」
やってきたのはこの孤児院で働いている養母の一人のマリアだった。
「ありがとうございます。今日もお菓子を持ってきていただいて」
「いいの、私も子供たちの笑顔が見たいし。それより、いつも言ってるけど様づけはやめてくれないかしら……?」
貴族とはいえ元の世界ではただの一市民だったので、畏まられると何だか居心地が悪い。
そのためいつも様づけは辞めてほしい、と言っているのだがマリアには拘りがあるようで絶対に譲らないのだった。
「そんな訳にはいきません。この孤児院を運営しているお方なんですから……あら、そちらのお方は?」
マリアは後ろのクレアに気づいたようで、私に質問してきた。
「彼女はクレア・アワード公爵令嬢です」
「えっ」
私がクレアの事を告げた瞬間、マリアの表情が固まった。
貴族。
それはマリアにとってトラウマを引き起こす言葉だ。
私はマリアを落ち着かせる。
「大丈夫よマリアさん。彼女は孤児院をどうこうしないわ」
「申し訳ありません。エマ様と一緒のお方ですから大丈夫だとは分かっているんですけでど、どうしてもまだ緊張してしまって……」
「分かってるわ。ゆっくり深呼吸して」
マリアは深呼吸する。
何回か深呼吸してマリアは気分が戻ってきたのか笑顔を浮かべた。
「もう大丈夫です。ご紹介して貰えますか?」
「分かった。じゃあ紹介するわね」
自己紹介が出来るようになると自然とクレアが私の方へとやって来た。
きっと、マリアが貴族に慣れていないのを感じ取って距離を取っていたのだろう。
こういう細やかな気遣いが出来るところは本当に公爵家なんだと実感させられる。
「彼女の名前はクレア。何というか……私の上司みたいな人です」
「クレアです。エマさんと仲良くさせてもらっています」
クレアはいつもの公爵令嬢としての笑みよりも柔らかい笑みを浮かべて挨拶する。
公爵家と貴族であることは強調せずただ名前のみの紹介に務めたのは緊張させないため。そしていつもより柔らかい笑顔は敵意が無いことを示すためだろう。
そこまですると流石にマリアも完全にクレアは大丈夫な人間だと悟ったのか、緊張が解れた笑みを浮かべてクレアに挨拶をする。
「クレア様、私はマリアと申します。この孤児院で養母をしています」
「はい、よろしくお願いします」
「クレア様……いつもエマ様を良くしていただきありがとうございます」
マリアはクレアに対してお辞儀をした。
「いえいえ、こちらこそエマさんにはお世話になっていますので」
「…………本当ですよ」
「何か言いましたか?」
「いえ、何も!」
すごい速度で振り向かれたので私は慌てて否定した。
リアルにビュン!て音が鳴っていた。すごい。
マリアがふふ、と笑う。
「仲が宜しいようで安心しました。エマ様、ようやくお友達ができたのですね」
「えっ? マリアさん?」
まさかマリアから私の友達が少ない発言が出ると思っていなかった。
「友達が少ない?」
「はい、エマ様は仕事ばかりしていてお友達を作ってこられなかったので。でも、そのお陰でこの孤児院も救われたのですが」
「マ、マリアさん!?」
いきなり私の話を始めたマリアを慌てて止める。別に人に聞かせたくないような恥ずかしいことをした訳ではないのだが、過去の話をされたり褒められたりするのは恥ずかしい。
しかしクレアは面白がって私の話の続きを催促した。
「いいじゃないですか。私も聞きたいです」
「ふふ、じゃあお話させていただきますね」
マリアがとても嬉しそうに話し始める。
口を塞ぐことも出来ないので、私はクレアを恨めしく睨んだ。
「後で覚えておいてください……!」
マリアは優しく微笑みながら語り始める。
「元々はこの孤児院は別の貴族様が所有していたんですが、ご覧の通り私たちはお金になりませんので、当主様が代替わりなさった際に売り払うことになったんです。けど、エマ様はその時にこの孤児院を買い取ってくださって、その上に建物を建て直して下さったんです」
「ほう」
「それからはずっとこの孤児院を無償で維持して下さってるんです。しかもここ以外にも他の孤児院を何十カ所も維持してるそうなので、本当に頭が上がりません」
「無償でそんなに……」
クレアが驚いた顔で私のことを見る。
「…………何ですか?」
「いや、見直した」
「……手元に偶然お金があっただけです」
「それでも行動に移せるのかはまた別の話なのにエマ様はこんな風に謙遜するんです」
マリアは本当にしょうがない、といった様子で笑い、
「でも、それもエマ様の美点ですから」
と締め括った。
そしてそれからマリアとしばらく話たり、アップルパイを食べ終わった子供たちがクレアを質問攻めにしたりしているうちに帰る時間になった。
「それでは私たちはお暇します」
クレアと私が立ち上がると子供たちが駆け寄ってきた。
「またあそびにきてね!」
「またね!」
笑顔で別れの挨拶をする子供たちに、私たちも笑顔で手を振る。
「それじゃあまた来ます!」
「またね」
孤児院を出ても、子供たちが手を振ってくれるので、私たちは何ども振り返りながら歩く。
そしてようやく姿が見えなくなった時、クレアが呟いた。
「お前、最初からアップルパイを運ばせるのが目的だっただろ」
「そんなんことありませんよ。……半分くらいです」
「おい!」
クレアが怒った。
許して欲しい。私だってあんな量のアップルパイを運ぶのは重いのだ。
「すみません」
「全く……」
「クレアさん」
「今度は何だ」
「これが私が正体を知られたくない理由です」
「……」
「私はたくさん弱者がいる施設を運営しています。もし私の正体が知られたら、彼らが攻撃の的になってしまうかもしれない」
実際に、そういう事があった。
貴族によって孤児院の子供たちが狙われたことが。
幸いにも孤児院の子供たちに害が及ぶことは無かったが、マリアはその事がトラウマになって貴族に苦手意識があるし、私もまたその出来事を消化出来ていない。
「それだけは絶対に嫌なんです。実際にそういうことをしようとした貴族もいましたし。だから、私は正体を知られたくないんです」
私が話し終えるとクレアは口を開いた。
「……何で急にそんな話を?」
クレアは急に私が何故こんな話をしたのか分からないようだった。
「先日はクレアさんの秘密を見せてもらいましたから。これでフェアです」
私はニコリ、と微笑む。
昨日クレアが望まない形でクレアの秘密を知ってしまった。
だからバランスを取るために私も一つ教える。
これで公平、フェアだ。
「…………そうか。ありがとう」
クレアはふっと笑う。
そしてしばらく無言の状態が続いた。
私は何だか無性に茶化したくなった。
「それにしても、子供たちに接する時のクレアさん、まるで聖母みたいでしたよ。私にもずっとあんな感じで接してくれたらいいのに……」
私は頬に手を当てて悩ましげにため息をつく。
いや、本当にあんな感じがいい。
私もバブみたっぷりのクレアに甘えたい。
「おい、せっかくいい感じだったのに台無しにするな」
クレアは呆れたようにため息をつく。
そしてフッと微笑んだ。
「まあ、お前はすごいよ」
「えっ?」
唐突に褒められたので驚いた。
まさかクレアが私のことを素直に褒めるなんて思わなかった。
「まだ十代で子供なのにそんなに立派に働いてて、本当に凄いと思う」
「な、何ですか急に……」
「お、何だ照れてるのか?」
「違います!」
私が小さい頃に両親がいなくなったから、今まで褒められた経験が少ないだけで、断じて照れてない。
ちょっと驚いているだけだ。
驚いて頭に血が昇ったのか、顔が熱い。
私はパタパタと顔を手で仰いだ。
「…………何で私を褒めるんですか」
「別に。でも、褒めてくれる人がいないって、辛いから」
そう言えば、クレアは私のことを調べていた。
その時に私の両親が亡くなっていることを知ったのだろう。
そして、クレアは父との関係は冷え切っている。
クレアは親に褒められないということの辛さを身に沁みて知っているのだ。
「……ありがとうございます」
私はできるだけ小さな声でお礼を言った。
クレアは私の言葉を聞いて驚いていた。
「……何ですか。私だってお礼は言いますよ」
「いや、お前。顔真っ赤だぞ」
「っ!? 違います! 夕陽です! 夕陽に照らされてるから赤く見えるだけです!」
私はクレアの視界を塞ぐために手で目を覆った。
「あっ! おい! 何すんだ!」
「こっち見ないで変態! 私は真っ白な肌の乙女です!」
「それは分かったから! 前が! 前が見えない!」
私たちは騒ぎながら歩いていく。
私は久しぶりに誰かに褒められて、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになったのだった。
・メモ
エマは両親が死んでからあまり褒めてくれる人が居なかったので、結構そこら辺の耐性がありません。